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5章
新しいはじまり 4
しおりを挟むランソルの墓は、共同墓地のよく日の当たる明るい一角にあった。
「……」
シオンは墓の前で立ち止まり、ミリーが作ってくれた花束をそっと墓石に添えた。
「長いことこなくてすまなかった……。どうにも顔を合わせず辛くてな……」
墓石をなでるシオンの手は、少しだけ震えていた。きっと言葉にできないたくさんの複雑な思いがあるのだろう。
ふたりの会話を邪魔しないように、数歩離れシオンの背中を見つめた。
(私も会ってみたかったな。シオンと一緒に楽しそうに笑い合う姿を見てみたかった……)
ミリーとの幸せな未来も友との時間も、クロイツに何もかも奪われてしまった。さぞランソルは悔しかったことだろう。
けれど今はもう穏やかな気持ちで、シオンが再び会いにきてくれたことを喜んでくれているといい。そう願った。
「ランソル、今日はお前に大切な話があってきたんだ……」
意を決したように、シオンが墓に向けて語り出した。
「これまで俺はずっと王都から逃げてた。お前が眠る王都から……お前の愛したミリーにもお前にも合わせる顔がなくて……。お前からすべての幸せを奪ったも同然の俺が、安穏と幸せに生きる資格なんてないって思った……」
ぽつり、ぽつり、とシオンが続ける。
「でも……もうそんな生き方はやめようと思うんだ。いいか……? ランソル」
許しを請うように、祈るようにシオンが問いかける。
「もう過去を引きずるのはやめにしようと思う。こんな俺でももう少しいい人生を送ってみようと思うんだ……。いいか……? これからは時々お前にも会いにくる。しょっちゅうってわけにはいかないけどな。王都から離れることは、もう決めてるんだ」
その言葉に、はっとした。
シオンがこれからどうするつもりなのか、いまだに何も話ができていなかった。
自分と一緒にひとまず領地へ戻るのか、それともこのまま王都に残り別々に生きていくのか。
けれどシオンはもう、決心がついているらしかった。
「……」
それは一体どんな決心なんだろう。シオンの描く未来に、シオンの立つその隣に自分はいるんだろうか。
思わずぎゅっと両手を握り合わせた。
その時、シオンがこちらを振り向いた。
「……アグリア」
シオンの真剣な眼差しが、自分に真っすぐに注がれていた。その目に吸い寄せられるようにそっと近づく。
「俺は……この人と一緒に生きていきたいと思ってる。お前からミリーとの幸せを取り上げておいて何を言ってると思うかもしれないが、俺は……」
言葉を切ると、シオンがこちらを見た。その真っすぐな眼差しに揺れる熱い何かに、こくりと息をのむ。
「アグリアに出会って……あの領地で過ごして、ようやく息ができた気がしたんだ。今回のことがあって、過去も終わりにできた。だから……もう前を向こうと思う」
シオンの手が、自分のそれにそっと重なった。突然の熱にどきりと胸が跳ね、弾かれたようにシオンを見上げた。
「俺は……アグリアが好きだ。一緒にいるとまるで陽だまりみたいにあたたかくて、やわらかな気持ちになれる。君に出会って、幸せってものにもう一度だけ手を伸ばしたくなった」
「シオン……」
指先から伝わる熱に、シオンの熱い思いがにじんでいるようで胸があたたかくなる。
「どうだろうか……? アグリア。君は俺との未来を……あの領地でともに生きる未来を望んでくれるか……?」
少し不安げに、祈るようにシオンが告げた。その目の奥に揺れる熱い思いに、視界がじわりとにじんだ。
こくり、とうなずいた。
「私……、私も……シオンと生きてみたい。ランソルさん、私……私もずっと幸せになるのが、誰かを愛することが怖かったの……。だから契約婚ならきっと平気だって思った」
シオンの手をぎゅっと握り、ゆっくりと言葉を選びながら続けた。
「怖かったの……。母が死んで、屋敷の中から段々大好きだった優しい香りやぬくもりが消えていくのがあまりにも寂しくて……、ひとり真夜中に泣いている父の震える背中を思い出すたびに、あんな思いは二度としたくないって……」
本当はすがりついて、一緒にわんわん泣けばよかったのだ。父とふたり馬鹿みたいに大声を上げて、涙が枯れるまで泣けばよかった。
そうすればきっと深い悲しみも孤独も、時の経過とともに乗り越えていけたはずだ。それだけの強さが、愛にはあるのだから。
なのにあの時の自分にはそれができなかった。愛の強さを信じ切れていなかった。
でも今は違う。
「けれどシオンに出会って……わかったの。どんな喜びも悲しみも、嬉しいことや日常のなんでもない穏やかなことも全部、この人とわけ合いたいって思う気持ちこそが愛で、何よりも自分を豊かに強くしてくれるんだって」
そう告げ、シオンを仰ぎ見た。
最初はどこか影の差していたシオンの表情が次第にやわらかくなって、ふわりと小さく笑うようになった。
そのうち声を上げて笑うことも増えて、時には少しからかうような意地悪な顔もするようになった。
そんな変化を見るにつけ、心があたたかくなる。
一緒に食卓を囲んでその日あった他愛もない出来事を話して、昼間には領地の人たちと一緒に働いて。一面の緑いっぱいのあの領地で、シオンと過ごす日々。
それこそがかけがえのない幸せなんだと知った。
きっと同じ景色を、父も母と一緒に見ていたのだ。だからこそあの領地をあれほど大切に守って慈しんできた。ふたりの愛がたくさん詰まった大切な場所だから――。
シオンと出会って、そんな愛の強さと豊かさを理解できたのだ。
「だからもう……、愛することを怖がるのはやめたの。私はシオンが好き……。ずっと一緒に生きていきたい。どんな悲しみも苦しみも避けては通れないけど、それでも同じ景色を見ていきたいって思ってる。この先もずっと、あの領地で……」
ふたりの間を、やわらかな風が通り過ぎる。まるで頬をなでるように、そっと背中を押すように。
「アグリア……」
「シオン……」
言葉もなく、ただ見つめ合いふわりと微笑んだ。
ランソルのお墓に咲いていた花がまるでうなずくようにふわり、と優しく揺れた気がした。
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