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5章
はじめましてをもう一度 2
しおりを挟む「ただいま、アグリア」
やわらかな声に、鼓動が跳ねた。
「お……おかえりなさい。シオン……」
なんだか目の前にいるのが本物なのか確かめてみたくなって、つと手を伸ばして無言でぺたりとシオンの頬に触れた。
「え……? ちょっ……何だ? どうした?アグリア」
驚きに目を丸くして、シオンがたじろいだ。
「……」
けれど無言でぺたぺたとシオンの髪や肌を触り続けた。
「えーと……、一応本物……だが?」
困り顔で顔を引きつらせるシオンの戸惑った声に、ようやく我に返った。
「あっ、ごめんなさいっ。なんだか現実かちゃんと確かめてみたくなって……つい……」
ずっと平穏で退屈にも思える日々に、突然驚くような出来事が立て続けに起きたせいだろうか。長い夢を見ていたような気になっていた。
とても奇妙で楽しくて、少し切なくほろ苦い夢を。
「くくっ……! ちゃんと現実だよ。アグリア。ここにいる」
シオンの手が、シオンの頬の上に置かれたままだった自分の手に重なった。
きゅっと力を込められ握りしめられたその強さに、ふわりと笑みがこぼれた。
「うん……。うんっ。おかえりなさい……! シオン」
目の前で少し照れ臭そうに微笑むシオンを真っすぐに見やり、一歩近づいた。自然と引き合うように顔が近づいたその瞬間、背後で咳払いが聞こえた。
「あー……、すまんがまずは俺にもおかえりの挨拶くらいさせてもらってもいいか?」
父の声に、慌てて体を離し飛びのいた。
「くくくくくっ! すまんな、邪魔するぞ。おふたりさん」
モンバルトもその後ろから、にやにやと笑いを浮かべつつ顔をのぞかせた。
どうやら一部始終をふたりに見られていたらしい。まぁ玄関先でこんなことをしているこちらが悪いのだけれど。
「おかえり。よく帰ってきたな。シオン……」
感慨深げな父の言葉に、シオンがこくりとうなずいた。
「ただいま戻りました」
するりとシオンの口から出たその言葉に、父が嬉しそうに笑う。
「で、シオン! 土産はどうした? 今回の諸々の謝礼に極上の酒を二本頼んであったはずだが?」
ちらりとシオンの手荷物に目をやり、モンバルトが問いかける。それを鼻であしらい、シオンは荷物の中から何かをモンバルトに放り投げた。
「おっ!? なんだ、お前本当に買ってきたのか! どれどれ……、っておい、これ……」
みるみるモンバルトの顔が渋くなっていく。
「なぁに? あれ」
シオンに問いかければ、シオンの口元ににやりとした笑みが浮かんだ。
「実は王都を出る時、フェリクスに会ってきたんだ。なんでもフェリクスはモンバルトに、何か面倒な仕事をさせる気らしくてな」
「面倒な仕事……? って、何?」
「さぁ? だがあの紙に指示が書いてあると言ってたな」
シオンも詳しい内容までは聞いていないらしい。けれど、ちょこちょこ王都とこの領地とを行ったりきたりするくらいには大変な仕事であるらしかった。
「ちっ! なんで酒が仕事に化けるんだっ。フェリクスめ、次に会ったらとびきり上等な酒をおごらせてやる!」
腹立たしそうにぼやくモンバルトに、皆の笑い声が重なる。
「でもま、フェリクスはこれから自分のまわりを信頼できる人間で固めていく必要があるからな。モンバルトを頼りにしてるんだろう。あいつは相当に腕はいいからな」
フェリクスは今回の一件で久々にモンバルトに会い、モンバルト以上に命を預けられる医者はそうはいないとあらためて確信したらしい。
しかもモンバルトには、王都に残した別れた妻子もいる。ならばちょこちょこ王都と領地とを行き来すれば、いずれば復縁の可能性もあるだろう。一石二鳥だ、と言っていたとか。
「ま、あいつも過去に曖昧に残してきたものを本気で向き合わざるを得ない時がきたんだろう。フェリクスのもとでこき使われれば、ボケ防止になるんじゃないか? くくっ!」
気心の知れた間柄とは言え、散々な言い様である。とはいえ、確かにモンバルトはこの領地だけにとどめておくのは少しもったいない気もする。
奥さんともうすっかり大きくなった子どもとも、まだまだ新しい未来が望めそうな予感もするし。
「ふふっ! なんだか色々この先も楽しみね。にぎやかになりそう!」
ふいにわくわくとした気持ちがこみ上げて、満面の笑みでシオンと見つめ合えばどうやらシオンも同じだったらしい。
「ふっ! そうだな。それにもしかしたら、この屋敷にも甲高い声で元気に走り回る子どもが増えるかもしれないしな」
「えっ⁉」
その言葉の意味にはと気づき、顔に熱がこもった。
「そっ……そうねっ! う、うんっ。それは確かにそう……かも!?」
シオンと手を携えこの先の人生を歩いていくと誓い合ったのだから、もちろんこれまでのような関係ではなくなる。というかすでに大分、ふたりの距離は物理的にも精神的にも近づきつつある気はするけれど。
パタパタとにじむ汗を手で扇ぎ熱を冷ましていると、シオンがにやりと笑った。
「ルンルミアージュが弟か妹を連れて、また突撃しにくるかもしれないからな」
「えっ⁉ そっち? あ、あれ……?」
「ん? 何を想像したんだ? アグリア」
明らかにからかっているその口ぶりとにやりとした笑みに、ますます顔に熱がこもる。
「もうっ! シオンったら意地悪なんだからっ」
思わずぷいとそっぽを向けば、耳元でシオンがささやいた。
「例のメリダからもらったクリーム、試してみる? ま、あんなものきっと必要ないとは思うが。くくっ!」
「ふわぁっ!? な……ななななな、何であのクリームのこと知って……!? まさかメリダに聞いたとかっ?」
男女の仲をさらに情熱的に高めるとかなんとかいうお色気たっぷりのクリームは、今も引き出しの奥深くに誰の目にも触れないようにしまい込んであるはずだ。
なのになぜシオンが、あのクリームの存在を知っているのか。
驚きと困惑とで目を白黒させれば、シオンがおかしそうに声を上げて笑った。
「アグリア」
耳元で名前を呼ばれ、頬を膨らませたまま顔を上げればシオンの真っすぐな目が見つめていた。
「……最初から、はじめよう。アグリア」
「最初から……?」
きょとんと目を瞬き、問い返した。
「そう。はじめましての出会いから、やり直そう。一からふたりで、君とはじめたい」
目の奥で、ゆらりと熱いものが揺れていた。
「……うん! じゃあ、あらためて……」
すぅっと息を吸い込んで、あの言葉を口にした。
「はじめまして、旦那様。……心から、愛しています」
万感の思いを込めて告げれば、シオンの顔が嬉しそうに綻んだ。
「あぁ。はじめまして、奥さん。……心から、愛してる。これからの人生、どうぞよろしく」
ふふっと笑い合い、父とモンバルトがいることも忘れ吸い寄せられるように唇を重ねたのだった。
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