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第一章
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それから、アンナはできるだけ注意深く過ごすように気を付けた。おせっかいで相手に踏み込み過ぎるのではなく、自分が他人であることを意識したのだ。それは同時に、テッドの言動と行動を観察することにも繋がった。
基本的にテッドはあまり怒らない。駄々をこねることも少ない。まあ寝起きが非常に悪く、お昼寝の後にいつも不機嫌全開だが、それくらい前世の子どもたちのイヤイヤ期と反抗期を経験しているアンナにとっては、気に病むほどのことではない。家令のジムから伝え聞いた家庭教師たちの愚痴から想像されるような、癇癪をすぐに起こすこともない。むしろテッドと過ごす中で気になったのは、もっと別のことだ。
「テッド、今、何時かしら? お昼前にジムが来てくれるそうだから、もうすぐ正午ならここを片付けてしまおうかと思うのだけれど」
「僕、今、本を読んでいるの」
例えば壁にかけられている時計の時刻を、教えてくれるように頼んでみても必ず断られる時であるとか。
「アンちゃん、マシューおじさんのボール、どこに置いたっけ?」
「あら、それなら廊下に落ちていたわ。あなたに渡そうと思って、拾っておいたの。せっかくだから、はい、どうぞ!」
「わ、ちょ、ちょっと、アンちゃん、何するの!」
あるいはちょっとしたものを戯れに投げてみると、ことごとくキャッチできずに落としてしまう時だとか。
「テッド、そんな姿勢で身体は苦しくないの?」
「だって、こっちが楽なんだもん」
ものすごく顔を近づけてさらに猫背になって本を読んでいる時だとか。
「マシューおじさん、どこ?」
「何かマシューおじさんが悪いことをしたの?」
「え? そんなことないよ。美味しそうなとうもろこしをもらったから、マシューおじさんにあげようと思って」
「ああ、そうなのね。本当にどこに隠れちゃったのかしら。また庭で穴掘りをしていなければよいのだけれど」
本人は気を付けているようだが、いつの間にか顔を傾けて相手を睨みつけている時だとか。
そんな細かい出来事が積み重なって、ある種の確信をアンナは得た。そしてアンナの予想通りならば、細かい字で書かれた石板の文字を読むであるとか、少し離れた位置からピアノの鍵盤の動きを真似てみようだなんて、確かにできるはずがないのだ。
「テッド、もしかしてあなた、目がよく見えていないのではないの?」
「っ!」
アンナが疑問を投げかけると、テッドがびくりと肩を跳ねさせる。どうやら本人に自覚はあったらしい。まるでいたずらが見つかった時の前世の幼い息子のような仕草に、アンナは吹き出しそうになった。
だが、そこでふとアンナは首をひねる。別に目が悪いことはいたずらなどと違って怒られるようなことではないだろう。話をうやむやにしたくて、あんなに怒鳴り散らす必要はない。テッドはどうして目が悪いことを隠そうとしていたのだろうか?
「テッド、目が悪いことは叱られるようなことではないわよね。夜遅くまでランプの明かりで本を読んだりしていたの? それはあまり目に良くないし、健康のためにももっと早く眠ったほうがいいわ」
「……アンナは、目が悪いことを怒らないの?」
「目が悪いと怒られる? 一体何を言っているのかしら?」
「だって、男の癖に眼鏡だなんて軟弱だって……」
もともと前世の春香も、目が良くなかった。若い頃はコンタクト一択、子どもを産んでからはすっかり億劫になってしまい眼鏡に戻ってしまったが。春香の子どもたちは今どきのこどもらしく、眼内コンタクトレンズを選択していたり、逆に手術は嫌だとオルソケラトロジーに手を出していたりしていた。春香の記憶があるアンナにとっては、目が悪いことなど遺伝的な要素と環境的な要因の組み合わせによるものでしかない。
そしてこの世界でも、眼鏡は存在する。そしてそれはかつての日本のものと比べて遜色ないばかりか、より付加価値の高いものとして発展しているのだ。多少値は張るが、侯爵家の嫡男ともなれば、手に入れられないような代物ではない。だが、テッドの言い方から察するに、どうにも眼鏡というものによくないイメージを持つ者がいるらしい。
「テッド、『眼鏡を使用することは男として軟弱である』だなんて、誰に教わったの?」
「……言いたくない」
「田舎の出のお年寄りなのかしら。今どきは、自分の不足している部分は補って当たり前なのよ。そうね、早速眼鏡を買い求めましょう」
「え、でも……」
「あちらの屋敷で無理に使う必要はないのよ。ただ、この離れの中ではかけておいてほしいの」
まったく見えていなかった人間が、いきなり矯正視力で生活するのはなかなかに骨が折れるはずだ。しばらくの間、少しずつ離れで慣れさせていくのが良いだろう。それに、眼鏡の便利さに気づいたならば、テッドの意識も変わっていくかもしれない。それと同時にアンナは、ジムを通じて眼鏡に対する偏見を誰が植え付けたのか調べる必要があるとも感じていた。
「先に言っておくと、眼鏡というのものは結構簡単に壊れるものなの。わざと壊すのはよくないことだけれど、それでも何かの拍子に壊れるのは仕方がないだって覚えておいてね。困ったことが起きたなら、ちゃんと私に相談してちょうだいね」
アンナが言い含めれば、テッドはもごもごと何かを言いかけながら小さくうなずいた。
基本的にテッドはあまり怒らない。駄々をこねることも少ない。まあ寝起きが非常に悪く、お昼寝の後にいつも不機嫌全開だが、それくらい前世の子どもたちのイヤイヤ期と反抗期を経験しているアンナにとっては、気に病むほどのことではない。家令のジムから伝え聞いた家庭教師たちの愚痴から想像されるような、癇癪をすぐに起こすこともない。むしろテッドと過ごす中で気になったのは、もっと別のことだ。
「テッド、今、何時かしら? お昼前にジムが来てくれるそうだから、もうすぐ正午ならここを片付けてしまおうかと思うのだけれど」
「僕、今、本を読んでいるの」
例えば壁にかけられている時計の時刻を、教えてくれるように頼んでみても必ず断られる時であるとか。
「アンちゃん、マシューおじさんのボール、どこに置いたっけ?」
「あら、それなら廊下に落ちていたわ。あなたに渡そうと思って、拾っておいたの。せっかくだから、はい、どうぞ!」
「わ、ちょ、ちょっと、アンちゃん、何するの!」
あるいはちょっとしたものを戯れに投げてみると、ことごとくキャッチできずに落としてしまう時だとか。
「テッド、そんな姿勢で身体は苦しくないの?」
「だって、こっちが楽なんだもん」
ものすごく顔を近づけてさらに猫背になって本を読んでいる時だとか。
「マシューおじさん、どこ?」
「何かマシューおじさんが悪いことをしたの?」
「え? そんなことないよ。美味しそうなとうもろこしをもらったから、マシューおじさんにあげようと思って」
「ああ、そうなのね。本当にどこに隠れちゃったのかしら。また庭で穴掘りをしていなければよいのだけれど」
本人は気を付けているようだが、いつの間にか顔を傾けて相手を睨みつけている時だとか。
そんな細かい出来事が積み重なって、ある種の確信をアンナは得た。そしてアンナの予想通りならば、細かい字で書かれた石板の文字を読むであるとか、少し離れた位置からピアノの鍵盤の動きを真似てみようだなんて、確かにできるはずがないのだ。
「テッド、もしかしてあなた、目がよく見えていないのではないの?」
「っ!」
アンナが疑問を投げかけると、テッドがびくりと肩を跳ねさせる。どうやら本人に自覚はあったらしい。まるでいたずらが見つかった時の前世の幼い息子のような仕草に、アンナは吹き出しそうになった。
だが、そこでふとアンナは首をひねる。別に目が悪いことはいたずらなどと違って怒られるようなことではないだろう。話をうやむやにしたくて、あんなに怒鳴り散らす必要はない。テッドはどうして目が悪いことを隠そうとしていたのだろうか?
「テッド、目が悪いことは叱られるようなことではないわよね。夜遅くまでランプの明かりで本を読んだりしていたの? それはあまり目に良くないし、健康のためにももっと早く眠ったほうがいいわ」
「……アンナは、目が悪いことを怒らないの?」
「目が悪いと怒られる? 一体何を言っているのかしら?」
「だって、男の癖に眼鏡だなんて軟弱だって……」
もともと前世の春香も、目が良くなかった。若い頃はコンタクト一択、子どもを産んでからはすっかり億劫になってしまい眼鏡に戻ってしまったが。春香の子どもたちは今どきのこどもらしく、眼内コンタクトレンズを選択していたり、逆に手術は嫌だとオルソケラトロジーに手を出していたりしていた。春香の記憶があるアンナにとっては、目が悪いことなど遺伝的な要素と環境的な要因の組み合わせによるものでしかない。
そしてこの世界でも、眼鏡は存在する。そしてそれはかつての日本のものと比べて遜色ないばかりか、より付加価値の高いものとして発展しているのだ。多少値は張るが、侯爵家の嫡男ともなれば、手に入れられないような代物ではない。だが、テッドの言い方から察するに、どうにも眼鏡というものによくないイメージを持つ者がいるらしい。
「テッド、『眼鏡を使用することは男として軟弱である』だなんて、誰に教わったの?」
「……言いたくない」
「田舎の出のお年寄りなのかしら。今どきは、自分の不足している部分は補って当たり前なのよ。そうね、早速眼鏡を買い求めましょう」
「え、でも……」
「あちらの屋敷で無理に使う必要はないのよ。ただ、この離れの中ではかけておいてほしいの」
まったく見えていなかった人間が、いきなり矯正視力で生活するのはなかなかに骨が折れるはずだ。しばらくの間、少しずつ離れで慣れさせていくのが良いだろう。それに、眼鏡の便利さに気づいたならば、テッドの意識も変わっていくかもしれない。それと同時にアンナは、ジムを通じて眼鏡に対する偏見を誰が植え付けたのか調べる必要があるとも感じていた。
「先に言っておくと、眼鏡というのものは結構簡単に壊れるものなの。わざと壊すのはよくないことだけれど、それでも何かの拍子に壊れるのは仕方がないだって覚えておいてね。困ったことが起きたなら、ちゃんと私に相談してちょうだいね」
アンナが言い含めれば、テッドはもごもごと何かを言いかけながら小さくうなずいた。
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