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第一章
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「わあ、すごい! 見える、見えるよ。遠くまで見える。すごい、世界ってこんなに明るかったんだ。すごい、花の色もくっきりしているし、みんなの顔も離れていたってはっきりわかるよ」
「楽しそうで何よりだわ」
「マシューおじさん、いくよ!」
「テッド、マシューおじさんは、そこまでボール投げは得意じゃないから。牧羊犬相手のような投げ方をしたら……。あら、もうあんな遠くに行ってしまっていては聞こえないかしら」
マシューおじさんことマーモットは、放り投げられたボールには目もくれず、今日も今日とてもらった野菜をぽりぽりとかじっている。基本的にマシューおじさんは気に入った定位置から動かないのだ。テッドは自分が放り投げたボールを回収すべく、甲高い声をあげながら走り出していた。
勝手にテッドのことを大人しい子どもだと思っていた自分を反省する。やはり自分は何も分かってはいなかったのだ。かつて子どもたちの気持ちが理解できていなかった前世の春香の記憶があったくせに、またも同じ間違いをしそうになっていたことが苦々しい。やはり自分は子育てに向いていないのだなと思いつつ、それでもテッドの人生を良くする手伝いができたことが嬉しい。
「手配、助かりました」
「いいえ、こちらこそ。本来であれば、わたくしどもが先に気が付くべきことでございましたから」
ジムが手配した眼鏡は非常に凝った造りのものだった。見た目はシンプルだが、細かいところの意匠にもこだわりが見える。さすがは侯爵家が用意した逸品といったところか。
「テッドが楽しそうなのは良いのだけれど、落としたりぶつけたりしないように気を付けるように言ったほうがいいのかしら」
「その辺りについては問題ございません。通常の眼鏡ではなく、魔力付与を行った魔導具ですので」
「よかったわ。せっかく自由に動き回るきっかけを得たというのに、壊したくないからと動きに制限がかかってしまっては元も子もないから」
わざとでなければ壊れてしまうのは致し方ないものだと伝えてはいたが、テッドのような子どもはきっと気にするタイプだ。壊してしまうかもとびくびくしながら生活させずに済むのであればそれは良いことである。この世界にはドッジボールやらサッカーなどの眼鏡の天敵は早々いないだろうが、代わりに馬術や剣術など新たな敵が存在している可能性が高い。
そして手配の迅速さから考えても、おそらくは侯爵が息子のために心を砕いていることが察せられて、そういう意味でもアンナは安心できた。
「向こうのお屋敷内での生活はどうですか? 家庭教師の先生方や使用人の皆さんとうまくやっていけていますか?」
「ありがとうございます。最近では、家庭教師とのやり取りも問題なく行われるようになりました」
「家庭教師の先生方との受け答えがちぐはぐだったり、喧嘩腰だったりしたのも、見えないことを隠していたからということで間違いなさそうですね」
「視力に問題があったということは事実でございます。けれどやはり一番の要因は、アンナさまとのやり取りの中で、本の中の知識が身に付いたからなのでしょう。今までよりも、学習に対する意欲が格段に上がったように感じられます」
「テッド先生の教え方は、大変お上手でしたわ」
えっへんと胸を張って勉強を教えてくれるテッドを思い出しながら、アンナは微笑んだ。がみがみ本を読むように指導されているだけでは、自主的に学習に取り込むことは難しい。もの知らずのアンナに対して教員役を買って出ることで、学びの面白さにテッドが気づいてくれるのなら万々歳だ。
「それにしてもアンナさま、坊ちゃまの目の問題によくお気づきになられましたね」
「意外と目が悪いひとが多いのよ。そもそも自分の見え方は自分自身にしかわからないでしょう? 子どもだけではなく、大人でも我慢しているひとが多いのかもしれませんわ」
「老眼鏡もかけたがらないひとが多いですからさもありなんですな」
小さくアンナはうなずいた。
「学習面での家庭教師とのいざこざは無事に解決したようだけれど、使用人たちとのやりとりはどう?」
「そちらは相変わらず……でしょうか」
「あちらで準備された食事は拒否される状態が続いているということ?」
「申し訳ございません」
アンナは、テッドが勉強によるストレスにより、屋敷内で食事が摂れなくなっているのかと考えていたのだ。大の大人でも、緊張により吐き気を催したり、食欲を失ったり、お腹が痛くなったりする。子どもならなおさらだろう。いまだに思い出してしまうのか、それとももっと何か別の要因があるのだろうか。
そこへ遠くまで転がってしまったボールをやっとこさ回収したテッドが息を切らしながら帰ってきた。額に浮かぶ汗をぬぐってやっていれば、テッドが妙にかしこまった顔でアンナを見上げてくる。
「あのね、僕さっき思い出したのだけれど。父さまが、アンちゃんと一緒にお食事がしたいんだって」
唐突に落とされたとんでも発言に、アンナは絶句するほかなかった。
「楽しそうで何よりだわ」
「マシューおじさん、いくよ!」
「テッド、マシューおじさんは、そこまでボール投げは得意じゃないから。牧羊犬相手のような投げ方をしたら……。あら、もうあんな遠くに行ってしまっていては聞こえないかしら」
マシューおじさんことマーモットは、放り投げられたボールには目もくれず、今日も今日とてもらった野菜をぽりぽりとかじっている。基本的にマシューおじさんは気に入った定位置から動かないのだ。テッドは自分が放り投げたボールを回収すべく、甲高い声をあげながら走り出していた。
勝手にテッドのことを大人しい子どもだと思っていた自分を反省する。やはり自分は何も分かってはいなかったのだ。かつて子どもたちの気持ちが理解できていなかった前世の春香の記憶があったくせに、またも同じ間違いをしそうになっていたことが苦々しい。やはり自分は子育てに向いていないのだなと思いつつ、それでもテッドの人生を良くする手伝いができたことが嬉しい。
「手配、助かりました」
「いいえ、こちらこそ。本来であれば、わたくしどもが先に気が付くべきことでございましたから」
ジムが手配した眼鏡は非常に凝った造りのものだった。見た目はシンプルだが、細かいところの意匠にもこだわりが見える。さすがは侯爵家が用意した逸品といったところか。
「テッドが楽しそうなのは良いのだけれど、落としたりぶつけたりしないように気を付けるように言ったほうがいいのかしら」
「その辺りについては問題ございません。通常の眼鏡ではなく、魔力付与を行った魔導具ですので」
「よかったわ。せっかく自由に動き回るきっかけを得たというのに、壊したくないからと動きに制限がかかってしまっては元も子もないから」
わざとでなければ壊れてしまうのは致し方ないものだと伝えてはいたが、テッドのような子どもはきっと気にするタイプだ。壊してしまうかもとびくびくしながら生活させずに済むのであればそれは良いことである。この世界にはドッジボールやらサッカーなどの眼鏡の天敵は早々いないだろうが、代わりに馬術や剣術など新たな敵が存在している可能性が高い。
そして手配の迅速さから考えても、おそらくは侯爵が息子のために心を砕いていることが察せられて、そういう意味でもアンナは安心できた。
「向こうのお屋敷内での生活はどうですか? 家庭教師の先生方や使用人の皆さんとうまくやっていけていますか?」
「ありがとうございます。最近では、家庭教師とのやり取りも問題なく行われるようになりました」
「家庭教師の先生方との受け答えがちぐはぐだったり、喧嘩腰だったりしたのも、見えないことを隠していたからということで間違いなさそうですね」
「視力に問題があったということは事実でございます。けれどやはり一番の要因は、アンナさまとのやり取りの中で、本の中の知識が身に付いたからなのでしょう。今までよりも、学習に対する意欲が格段に上がったように感じられます」
「テッド先生の教え方は、大変お上手でしたわ」
えっへんと胸を張って勉強を教えてくれるテッドを思い出しながら、アンナは微笑んだ。がみがみ本を読むように指導されているだけでは、自主的に学習に取り込むことは難しい。もの知らずのアンナに対して教員役を買って出ることで、学びの面白さにテッドが気づいてくれるのなら万々歳だ。
「それにしてもアンナさま、坊ちゃまの目の問題によくお気づきになられましたね」
「意外と目が悪いひとが多いのよ。そもそも自分の見え方は自分自身にしかわからないでしょう? 子どもだけではなく、大人でも我慢しているひとが多いのかもしれませんわ」
「老眼鏡もかけたがらないひとが多いですからさもありなんですな」
小さくアンナはうなずいた。
「学習面での家庭教師とのいざこざは無事に解決したようだけれど、使用人たちとのやりとりはどう?」
「そちらは相変わらず……でしょうか」
「あちらで準備された食事は拒否される状態が続いているということ?」
「申し訳ございません」
アンナは、テッドが勉強によるストレスにより、屋敷内で食事が摂れなくなっているのかと考えていたのだ。大の大人でも、緊張により吐き気を催したり、食欲を失ったり、お腹が痛くなったりする。子どもならなおさらだろう。いまだに思い出してしまうのか、それとももっと何か別の要因があるのだろうか。
そこへ遠くまで転がってしまったボールをやっとこさ回収したテッドが息を切らしながら帰ってきた。額に浮かぶ汗をぬぐってやっていれば、テッドが妙にかしこまった顔でアンナを見上げてくる。
「あのね、僕さっき思い出したのだけれど。父さまが、アンちゃんと一緒にお食事がしたいんだって」
唐突に落とされたとんでも発言に、アンナは絶句するほかなかった。
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