10 / 28
第一章
(10)
しおりを挟む
それから、アンナはできるだけ注意深く過ごすように気を付けた。おせっかいで相手に踏み込み過ぎるのではなく、自分が他人であることを意識したのだ。それは同時に、テッドの言動と行動を観察することにも繋がった。
基本的にテッドはあまり怒らない。駄々をこねることも少ない。まあ寝起きが非常に悪く、お昼寝の後にいつも不機嫌全開だが、それくらい前世の子どもたちのイヤイヤ期と反抗期を経験しているアンナにとっては、気に病むほどのことではない。家令のジムから伝え聞いた家庭教師たちの愚痴から想像されるような、癇癪をすぐに起こすこともない。むしろテッドと過ごす中で気になったのは、もっと別のことだ。
「テッド、今、何時かしら? お昼前にジムが来てくれるそうだから、もうすぐ正午ならここを片付けてしまおうかと思うのだけれど」
「僕、今、本を読んでいるの」
例えば壁にかけられている時計の時刻を、教えてくれるように頼んでみても必ず断られる時であるとか。
「アンちゃん、マシューおじさんのボール、どこに置いたっけ?」
「あら、それなら廊下に落ちていたわ。あなたに渡そうと思って、拾っておいたの。せっかくだから、はい、どうぞ!」
「わ、ちょ、ちょっと、アンちゃん、何するの!」
あるいはちょっとしたものを戯れに投げてみると、ことごとくキャッチできずに落としてしまう時だとか。
「テッド、そんな姿勢で身体は苦しくないの?」
「だって、こっちが楽なんだもん」
ものすごく顔を近づけてさらに猫背になって本を読んでいる時だとか。
「マシューおじさん、どこ?」
「何かマシューおじさんが悪いことをしたの?」
「え? そんなことないよ。美味しそうなとうもろこしをもらったから、マシューおじさんにあげようと思って」
「ああ、そうなのね。本当にどこに隠れちゃったのかしら。また庭で穴掘りをしていなければよいのだけれど」
本人は気を付けているようだが、いつの間にか顔を傾けて相手を睨みつけている時だとか。
そんな細かい出来事が積み重なって、ある種の確信をアンナは得た。そしてアンナの予想通りならば、細かい字で書かれた石板の文字を読むであるとか、少し離れた位置からピアノの鍵盤の動きを真似てみようだなんて、確かにできるはずがないのだ。
「テッド、もしかしてあなた、目がよく見えていないのではないの?」
「っ!」
アンナが疑問を投げかけると、テッドがびくりと肩を跳ねさせる。どうやら本人に自覚はあったらしい。まるでいたずらが見つかった時の前世の幼い息子のような仕草に、アンナは吹き出しそうになった。
だが、そこでふとアンナは首をひねる。別に目が悪いことはいたずらなどと違って怒られるようなことではないだろう。話をうやむやにしたくて、あんなに怒鳴り散らす必要はない。テッドはどうして目が悪いことを隠そうとしていたのだろうか?
「テッド、目が悪いことは叱られるようなことではないわよね。夜遅くまでランプの明かりで本を読んだりしていたの? それはあまり目に良くないし、健康のためにももっと早く眠ったほうがいいわ」
「……アンナは、目が悪いことを怒らないの?」
「目が悪いと怒られる? 一体何を言っているのかしら?」
「だって、男の癖に眼鏡だなんて軟弱だって……」
もともと前世の春香も、目が良くなかった。若い頃はコンタクト一択、子どもを産んでからはすっかり億劫になってしまい眼鏡に戻ってしまったが。春香の子どもたちは今どきのこどもらしく、眼内コンタクトレンズを選択していたり、逆に手術は嫌だとオルソケラトロジーに手を出していたりしていた。春香の記憶があるアンナにとっては、目が悪いことなど遺伝的な要素と環境的な要因の組み合わせによるものでしかない。
そしてこの世界でも、眼鏡は存在する。そしてそれはかつての日本のものと比べて遜色ないばかりか、より付加価値の高いものとして発展しているのだ。多少値は張るが、侯爵家の嫡男ともなれば、手に入れられないような代物ではない。だが、テッドの言い方から察するに、どうにも眼鏡というものによくないイメージを持つ者がいるらしい。
「テッド、『眼鏡を使用することは男として軟弱である』だなんて、誰に教わったの?」
「……言いたくない」
「田舎の出のお年寄りなのかしら。今どきは、自分の不足している部分は補って当たり前なのよ。そうね、早速眼鏡を買い求めましょう」
「え、でも……」
「あちらの屋敷で無理に使う必要はないのよ。ただ、この離れの中ではかけておいてほしいの」
まったく見えていなかった人間が、いきなり矯正視力で生活するのはなかなかに骨が折れるはずだ。しばらくの間、少しずつ離れで慣れさせていくのが良いだろう。それに、眼鏡の便利さに気づいたならば、テッドの意識も変わっていくかもしれない。それと同時にアンナは、ジムを通じて眼鏡に対する偏見を誰が植え付けたのか調べる必要があるとも感じていた。
「先に言っておくと、眼鏡というのものは結構簡単に壊れるものなの。わざと壊すのはよくないことだけれど、それでも何かの拍子に壊れるのは仕方がないだって覚えておいてね。困ったことが起きたなら、ちゃんと私に相談してちょうだいね」
アンナが言い含めれば、テッドはもごもごと何かを言いかけながら小さくうなずいた。
基本的にテッドはあまり怒らない。駄々をこねることも少ない。まあ寝起きが非常に悪く、お昼寝の後にいつも不機嫌全開だが、それくらい前世の子どもたちのイヤイヤ期と反抗期を経験しているアンナにとっては、気に病むほどのことではない。家令のジムから伝え聞いた家庭教師たちの愚痴から想像されるような、癇癪をすぐに起こすこともない。むしろテッドと過ごす中で気になったのは、もっと別のことだ。
「テッド、今、何時かしら? お昼前にジムが来てくれるそうだから、もうすぐ正午ならここを片付けてしまおうかと思うのだけれど」
「僕、今、本を読んでいるの」
例えば壁にかけられている時計の時刻を、教えてくれるように頼んでみても必ず断られる時であるとか。
「アンちゃん、マシューおじさんのボール、どこに置いたっけ?」
「あら、それなら廊下に落ちていたわ。あなたに渡そうと思って、拾っておいたの。せっかくだから、はい、どうぞ!」
「わ、ちょ、ちょっと、アンちゃん、何するの!」
あるいはちょっとしたものを戯れに投げてみると、ことごとくキャッチできずに落としてしまう時だとか。
「テッド、そんな姿勢で身体は苦しくないの?」
「だって、こっちが楽なんだもん」
ものすごく顔を近づけてさらに猫背になって本を読んでいる時だとか。
「マシューおじさん、どこ?」
「何かマシューおじさんが悪いことをしたの?」
「え? そんなことないよ。美味しそうなとうもろこしをもらったから、マシューおじさんにあげようと思って」
「ああ、そうなのね。本当にどこに隠れちゃったのかしら。また庭で穴掘りをしていなければよいのだけれど」
本人は気を付けているようだが、いつの間にか顔を傾けて相手を睨みつけている時だとか。
そんな細かい出来事が積み重なって、ある種の確信をアンナは得た。そしてアンナの予想通りならば、細かい字で書かれた石板の文字を読むであるとか、少し離れた位置からピアノの鍵盤の動きを真似てみようだなんて、確かにできるはずがないのだ。
「テッド、もしかしてあなた、目がよく見えていないのではないの?」
「っ!」
アンナが疑問を投げかけると、テッドがびくりと肩を跳ねさせる。どうやら本人に自覚はあったらしい。まるでいたずらが見つかった時の前世の幼い息子のような仕草に、アンナは吹き出しそうになった。
だが、そこでふとアンナは首をひねる。別に目が悪いことはいたずらなどと違って怒られるようなことではないだろう。話をうやむやにしたくて、あんなに怒鳴り散らす必要はない。テッドはどうして目が悪いことを隠そうとしていたのだろうか?
「テッド、目が悪いことは叱られるようなことではないわよね。夜遅くまでランプの明かりで本を読んだりしていたの? それはあまり目に良くないし、健康のためにももっと早く眠ったほうがいいわ」
「……アンナは、目が悪いことを怒らないの?」
「目が悪いと怒られる? 一体何を言っているのかしら?」
「だって、男の癖に眼鏡だなんて軟弱だって……」
もともと前世の春香も、目が良くなかった。若い頃はコンタクト一択、子どもを産んでからはすっかり億劫になってしまい眼鏡に戻ってしまったが。春香の子どもたちは今どきのこどもらしく、眼内コンタクトレンズを選択していたり、逆に手術は嫌だとオルソケラトロジーに手を出していたりしていた。春香の記憶があるアンナにとっては、目が悪いことなど遺伝的な要素と環境的な要因の組み合わせによるものでしかない。
そしてこの世界でも、眼鏡は存在する。そしてそれはかつての日本のものと比べて遜色ないばかりか、より付加価値の高いものとして発展しているのだ。多少値は張るが、侯爵家の嫡男ともなれば、手に入れられないような代物ではない。だが、テッドの言い方から察するに、どうにも眼鏡というものによくないイメージを持つ者がいるらしい。
「テッド、『眼鏡を使用することは男として軟弱である』だなんて、誰に教わったの?」
「……言いたくない」
「田舎の出のお年寄りなのかしら。今どきは、自分の不足している部分は補って当たり前なのよ。そうね、早速眼鏡を買い求めましょう」
「え、でも……」
「あちらの屋敷で無理に使う必要はないのよ。ただ、この離れの中ではかけておいてほしいの」
まったく見えていなかった人間が、いきなり矯正視力で生活するのはなかなかに骨が折れるはずだ。しばらくの間、少しずつ離れで慣れさせていくのが良いだろう。それに、眼鏡の便利さに気づいたならば、テッドの意識も変わっていくかもしれない。それと同時にアンナは、ジムを通じて眼鏡に対する偏見を誰が植え付けたのか調べる必要があるとも感じていた。
「先に言っておくと、眼鏡というのものは結構簡単に壊れるものなの。わざと壊すのはよくないことだけれど、それでも何かの拍子に壊れるのは仕方がないだって覚えておいてね。困ったことが起きたなら、ちゃんと私に相談してちょうだいね」
アンナが言い含めれば、テッドはもごもごと何かを言いかけながら小さくうなずいた。
166
あなたにおすすめの小説
転生先が意地悪な王妃でした。うちの子が可愛いので今日から優しいママになります! ~陛下、もしかして一緒に遊びたいのですか?
朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます
恋愛
転生したら、我が子に冷たくする酷い王妃になってしまった!
「お母様、謝るわ。お母様、今日から変わる。あなたを一生懸命愛して、優しくして、幸せにするからね……っ」
王子を抱きしめて誓った私は、その日から愛情をたっぷりと注ぐ。
不仲だった夫(国王)は、そんな私と息子にそわそわと近づいてくる。
もしかして一緒に遊びたいのですか、あなた?
他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5296ig/)
元貧乏貴族の大公夫人、大富豪の旦那様に溺愛されながら人生を謳歌する!
楠ノ木雫
恋愛
貧乏な実家を救うための結婚だった……はずなのに!?
貧乏貴族に生まれたテトラは実は転生者。毎日身を粉にして領民達と一緒に働いてきた。だけど、この家には借金があり、借金取りである商会の商会長から結婚の話を出されてしまっている。彼らはこの貴族の爵位が欲しいらしいけれど、結婚なんてしたくない。
けれどとある日、奴らのせいで仕事を潰された。これでは生活が出来ない。絶体絶命だったその時、とあるお偉いさんが手紙を持ってきた。その中に書いてあったのは……この国の大公様との結婚話ですって!?
※他サイトにも投稿しています。
「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)
透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。
有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。
「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」
そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて――
しかも、彼との“政略結婚”が目前!?
婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。
“報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。
勘違い令嬢の離縁大作戦!~旦那様、愛する人(♂)とどうかお幸せに~
藤 ゆみ子
恋愛
グラーツ公爵家に嫁いたティアは、夫のシオンとは白い結婚を貫いてきた。
それは、シオンには幼馴染で騎士団長であるクラウドという愛する人がいるから。
二人の尊い関係を眺めることが生きがいになっていたティアは、この結婚生活に満足していた。
けれど、シオンの父が亡くなり、公爵家を継いだことをきっかけに離縁することを決意する。
親に決められた好きでもない相手ではなく、愛する人と一緒になったほうがいいと。
だが、それはティアの大きな勘違いだった。
シオンは、ティアを溺愛していた。
溺愛するあまり、手を出すこともできず、距離があった。
そしてシオンもまた、勘違いをしていた。
ティアは、自分ではなくクラウドが好きなのだと。
絶対に振り向かせると決意しながらも、好きになってもらうまでは手を出さないと決めている。
紳士的に振舞おうとするあまり、ティアの勘違いを助長させていた。
そして、ティアの離縁大作戦によって、二人の関係は少しずつ変化していく。
【完結】離婚を切り出したら私に不干渉だったはずの夫が激甘に豹変しました
雨宮羽那
恋愛
結婚して5年。リディアは悩んでいた。
夫のレナードが仕事で忙しく、夫婦らしいことが何一つないことに。
ある日「私、離婚しようと思うの」と義妹に相談すると、とある薬を渡される。
どうやらそれは、『ちょーっとだけ本音がでちゃう薬』のよう。
そうしてやってきた離婚の話を告げる場で、リディアはつい好奇心に負けて、夫へ薬を飲ませてしまう。
すると、あら不思議。
いつもは浮ついた言葉なんて口にしない夫が、とんでもなく甘い言葉を口にしはじめたのだ。
「どうか離婚だなんて言わないでください。私のスイートハニーは君だけなんです」
(誰ですかあなた)
◇◇◇◇
※全3話。
※コメディ重視のお話です。深く考えちゃダメです!少しでも笑っていただけますと幸いです(*_ _))*゜
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
愛のない結婚をした継母に転生したようなので、天使のような息子を溺愛します
美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
目が覚めると私は昔読んでいた本の中の登場人物、公爵家の後妻となった元王女ビオラに転生していた。
人嫌いの公爵は、王家によって組まれた前妻もビオラのことも毛嫌いしており、何をするのも全て別。二人の結婚には愛情の欠片もなく、ビオラは使用人たちにすら相手にされぬ生活を送っていた。
それでもめげずにこの家にしがみついていたのは、ビオラが公爵のことが本当に好きだったから。しかしその想いは報われることなどなく彼女は消え、私がこの体に入ってしまったらしい。
嫌われ者のビオラに転生し、この先どうしようかと考えあぐねていると、この物語の主人公であるルカが声をかけてきた。物語の中で悲惨な幼少期を過ごし、闇落ち予定のルカは純粋なまなざしで自分を見ている。天使のような可愛らしさと優しさに、気づけば彼を救って本物の家族になりたいと考える様に。
二人一緒ならばもう孤独ではないと、私はルカとの絆を深めていく。
するといつしか私を取り巻く周りの人々の目も、変わり始めるのだったーー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる