まあ、いいか

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短編

後編

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「帝国に帰るの? なんで?」


 隣国の高級宿にて。
 一日の汗を流し洗い、綺麗さっぱりとなったジューリアは先に上がって優雅に白ワインを嗜むヴィルの突然の言葉に驚いた。何度か冗談半分で帝国に帰る? と訊いてきたヴィルが決定事項の言葉で帝国に明日戻ると言い出した。別段戻る用事はないし、事件が起きたとも聞いていない。残してきた友人達には今日買った便箋で手紙を送るつもりだ。文章は既に書き終え、明日郵便屋に配達を依頼して終わり。髪をタオルで拭きつつ、隣をポンポン叩くヴィルの隣に座った。


「おれがというか、帝国にいる大天使があんまりにもうるさいから」
「大天使……ミカエル様?」
「そうそうミカエル君」


 本来、大天使という存在は神への言葉を告げる時のみ人間の前に現れる。帝国の教会に常に滞在する大天使ミカエルは先代神の弟(現在は叔父)のヴィルの命令でずっといるだけ。天使の軍団を率いる至高の司令官にして、槍を持って悪魔を殲滅する、大天使の中でも特別な存在。なのにそんな彼を帝国の教会に滞在させている理由をヴィルに訊ねてみた。今更? という顔をされるもそういえば聞かなかったと抱き改めて知りたいと申した。白ワインを飲み干し、瓶を魔法で浮かしたヴィルは空のグラスに新たな白ワインを注ぐ。


「天使がいるということは当然悪魔もいる。天使や神が住む天界があるのだから、当然悪魔が住む世界魔界がある。ジューリアの生まれた帝国は魔力に秀でた人間が多く生まれる珍しい土地だ。悪魔が狙う事も多い。悪魔から善良な人間達を守る為にも力ある天使を置いて常に目を光らせておいてやったらいいとおれが判断したんだ」
「ヴィルってちゃんと仕事してたんだ」
「どういう意味? おれだってする時はする」


 拗ねたように小さく頬を膨らませたヴィル。大の男がやったって可愛くない。膨らんだ頬を指で押すとすぐに空気は抜けていった。


「後は強制休暇かな」
「休暇?」
「そう。彼、真面目過ぎて一切休みを取らないんだ。天使だって偶には休みたい時はあるから、仕事は交代制。ミカエル君は休みが嫌いだから一切休もうとしない。過労で身体を壊されても迷惑だから帝国の教会にいさせているんだ。帝国は専門の貴族や皇族が管理する結界魔法によって守られている。悪魔もそうは入れない。平和な国にいてもらって人間達を見守る役目を担ってもらったんだ」


 何度か天界へ帰る旨を出してもヴィルが退けて来た。他にも理由がありそうだ。聞いても他にはないと首を振られ、この話はヴィルによって一方的に終わらされた。
 ならば、とジューリアが帝国に戻る理由を訊ねた。ミカエルがうるさく言うにしても今に始まったことじゃないと勘が伝えている。また白ワインを飲み干したヴィルは新たに注ぎ、グラスを持って話してくれた。
 ジューリアが家出してから毎日教会に足を運んで懺悔するジューリオが哀れで不憫で見ていられないから、らしい。


「へ?」


 ジューリオと言われて心当たりがあるのは元婚約者の第二皇子。他の皇族や貴族で同じ名前の男性はいなかった筈。何度も瞬きを繰り返すとヴィルはとても不機嫌そうに溜め息を吐いた。


「とても嫌だけどミカエル君のどうしてもと言うお願いなら聞いてあげないといけないから」
「あの殿下が……? 私に会いたい……? なんで?」
「ジューリアがずっと好きだったんだって」
「は???」


 心の底から湧いて出た間抜けな声。ゆっくりと瞬きをするジューリアは告げられた事実をどう処理してよいかと過去の記憶を整理した。

 初めて出会った時は絵本に出て来る王子様の容姿をし、翡翠色の宝石眼は本物の宝石と同等の輝きを放ち、面食いのジューリアを大層歓喜させた。が、実際に接してみると魔力量しか価値のないジューリアとの政略結婚を嫌がり、初対面の時から大嫌いオーラを放出させていたジューリオは、これまた初対面のメイリンに一目惚れをし以降はジューリアを放置した。これによりジューリオはジューリアの中で不要と切り捨てられた。婚約者時代、一応歩み寄った方が良いのかとヴィルに相談し、相手にその気がないのなら一切しなくてもいいという結論の下ジューリアなりに努力した。肝心のジューリオは定期的な訪問に来てもメイリンとしか会わず、メッセージカードも贈り物も一切しなかった。メイリンにしていたという話も聞く。聞いてもどうとも思わなかったジューリアだが情報は欲しかったので何も言わず、自慢げに話すメイリンに適当に相槌を打っていた。
 夜会やパーティーでもエスコートを受けた記憶もファーストダンスを踊った記憶もない。そんな相手にずっと好きだったと言われてもピンとこない。

 ミカエルによるとジューリオは毎日教会に来てはジューリアが好きだった、ジューリアに戻って来て欲しいと懺悔しているとか。驚くことに放置していた両親や兄までジューリアがいなくなった途端、行方を必死になって探しているとか。そこでも愛していたとか、大事だったとか、言っているらしい。


「ちんぷんかんぷんなんだけど?」
「ははは。人間って面白い生き物だよ~。人間になったらおれも理解できるかな?」
「無理。同じ人間の私が理解不能なんだもの」
「残念。分かるなら面白いのに」
「何なの? いなくなってから大切だったとか、好きだったとか、馬鹿なの? そりゃあ、ヴィルがいたから私は今こうやって健康で今じゃ魔法も癒しの能力も使えるようになったし、卑屈にもならなかったけど」


 自分で言って寒気がした。もしもヴィルがいなかったら、ずっと両親には放置され愛されず、兄にもいない者扱いをされ、唯一絡んでくる妹には常に馬鹿にされる毎日を送る羽目になっていた。使用人ですら放置されるジューリアを軽く見ていた。寒気以外何も感じない。一本丸々白ワインを空にしたヴィルが次に魔法で浮かせたのはパルフェタムール。傾けると綺麗な紫色のお酒がグラスに注がれていく。


「綺麗……」
「ジューリアも飲む?」
「ううん……お酒か……」


 前世女子高生で終わったので飲酒の経験がない。成人している今法律的に飲んでも問題なし。前世両親共に飲兵衛だったので強かったろうが今世は不明。公爵夫妻が大量のアルコールを摂取する場面に同席したことがないので。


「綺麗だけどアルコール度高そう」
「高いだろうね。弱い子が飲んだらあっという間に寝ちゃいそうだ」
「ううっ。いいよ、遠慮する」
「そう」


 ヴィルも無理に勧めはせず、一人パルフェタムールを飲んでいく。自分も何か飲み物をと考えるとテーブルの上には既にジュースが置かれていた。ジューリアがお風呂に入っている間、ヴィルが宿の人に頼んで準備させていた。魔法でずっと冷やしてくれていたので冷たくて美味しいだろう。新しいグラスを取ってもらい、ジュースを注いでもらった。
 グラスを両手で持ってちびちび飲みつつ、先程の会話を再開した。


「殿下や家族が私に会いたいって話なんだけど」
「ん?」
「私は反対。今更会っても話すことはないし、好きだとか大切だとか言われてもピンとこない。言われても苛っとしかしない。ヴィルに聞かされて苛ついたからさ」
「ジューリアならそう言うと思った。ただ、これはおれというよりミカエル君の頼みなんだ。ミカエル君は真面目だから毎日懺悔をする皇子が不憫みたいでね。ミカエル君の頼みなら一度くらいは戻ってあげたいんだ」
「うーん、そういうことなら仕方ないか」


 帝国にいた頃よく話し相手になってもらったミカエルの頼みとあらば聞かない訳にもいかない。気は進まないが顔を見たら早々に切り上げよう。
 ヴィルは紫の水面を眺めながら静かに笑む。


「……うん。そうしよう、ジューリア」


 ジュースを一気飲みし、寝室へ入って行ったジューリアは寝台へ飛び付き。すぐに追い掛けて入ったヴィルに抱き締められたまま眠った。



 ――翌朝、マントを被ってヴィルの転移魔法で帝国に戻った。久しぶりの帝国、屋敷にいた頃はヴィルが魔法で姿を隠して街へ連れて来てくれた。平民達が多く行き交う場所に家族はまず訪れない。
 朝食を食べようとお店に入りそれぞれ好きなメニューを注文。
 食べ終わると街の中央に位置する教会を訪れた。朝早くても人が列を成して並んでいた。姿と気配を魔法で隠し、貴族しか入れない上層礼拝堂へ向かった。今日の為に教会の責任者が貴族の出入りを一時的に禁止してくれているとか。大きな扉の前で魔法を解除し、マントを脱いで扉を開けた。


「あ」


 奥の方にいた男性に目を見張る。
 約半年振りに会った元婚約者は最後に見た時より痩せて目に隈を作り、髪も乱れ顔色が悪い。恐らくミカエルから今日ジューリアが来るのを聞かされていたジューリオは大きく瞠目し、微かに唇を震わせていた。
 ヴィルから話を聞いた時は内心冗談だと信じてなかったがジューリオの変貌を目にすると本当だったのと実感――同時に沸いたのはどうしようもない呆れである。いなくなってから愛しているだの大事だのとよく言えるな、と。
 ジューリアの今があるのはヴィルの存在が極めて大きい。ヴィルがいなかったらもっと悲惨な目に遭っていたのは明白だ。


「ジューリア。行こう」
「うん」


 何時までも固まったままではミカエルの頼みは終わらない。ヴィルに促されたジューリアは深く息を吸い、吐いて、奥へ進んだ。次第に目を輝かせたジューリオだがジューリアの側にヴィルがいると分かると表情を変えた。話せる距離まで来ると「ジューリア!」と怒気の込められた声で叫ばれた。


「その男は誰だ!! 僕という婚約者がいながら他の男といたのか!?」
「彼はヴィル。彼のお陰で私は今の自分があるのです。婚約者と言いますが殿下は婚約者時代私に何をしてくれました?」
「な、何をって」
「屋敷に来てもメイリンとのみ会い、贈り物を贈るのもメイリンのみ、夜会やパーティーでエスコートするのはメイリン、ダンスもメイリンと何度も踊る。で? 私には何をしてくれました?」
「……」
「それでよく婚約者だなんて言えますね」


 呆れて物も言えない。
 心底呆れ果てた目をやったらジューリオは深く項垂れた。


「すまなかった……」


 プライドだけは人一倍高いジューリオが反論もせず謝った。今度はジューリアが瞠目する番となった。


「最初は魔力が強いだけのジューリアとの婚約が嫌だった。僕は兄上と比べたら落ちこぼれだ。落ちこぼれの僕には魔法もフローラリア家の娘のくせに癒しの能力も使えないジューリアがお似合いなんだと言われたみたいで嫌だった。初めての顔合わせでジューリアに会うまでは」
「……」
「僕のことを真っ直ぐに見てくれたジューリアの目はとても綺麗だった。ジューリアとならきっと上手くいくと思ったんだ。でも君は何度目かに会った時、どうでも良さそうな目で僕を見た。その時思ったんだ。君も他の連中と同じで僕よりも何に対しても優秀な兄上が良いのだと。僕は不満なんだと」
「……?」


 どうでも良さそうな目? と言われて記憶の棚を探った。確かにジューリアは最初、面食いが発動してジューリオを見る目は眩しかったろう。が、それは初めて屋敷に来た際、挨拶をと顔を出したメイリンに一目惚れをした彼を即不要と判断したからだ。
 ジューリオの話を聞くとジューリアが初めに愛想を尽かしたからジューリオは嫌ったのか。
 その後ヴィルと出会ったから、ジューリオと仲良くならなくても全然問題無しなのが問題なのでは? と今更過ぎる疑問が過った。


「不満というか、どうでも良くなったというか」
「どうでもよくなった!?」
「殿下が初めて屋敷に来た帰り、メイリンがご挨拶をと顔を出したのを覚えてますか?」
「あ、ああ」
「その時の殿下が一目惚れをしたみたいにメイリンを熱い目で見ていましたし、メイリンも殿下を想っていたので二人が仲良くなってもまあ、いいかと思って殿下のことは気にしないことにしたんです」
「僕を気にしない……?」


 隣のヴィルは軽く噴き出し、奥にいるミカエルは酷く気の毒な目で真っ青なジューリオを見ていた。自分でも言っている言葉があんまりだという自覚はあるも、初対面を終えてから積極的にジューリアではなくメイリンと交流を楽しんだジューリオに罪悪感はなかった。そのことを指摘したらジューリオは力無くへたり込んだ。側に立ったミカエルは慰めるようにジューリオの背中を撫でてやった。


「人の色恋に天使が介入するものじゃないが君の場合は可哀想というか、自業自得というか」
「ジューリアに……嫉妬してほしくて……」
「両親やお兄様に対しても構ってほしい気持ちがなかったですし、妃の座にも興味なかったので殿下に執着する理由が私にはありませんでした」
「うう……」
「ジューリア、あまり追い詰めないでやってほしい」


 半年間毎日ジューリオの懺悔を聞いたミカエルとしたら、立場的に中立でも個人的情で言えばジューリオ寄りだ。


「ジューリアはその男とどんな関係なんだ……」


 項垂れたままジューリオに問われ、正直に言って更なる攻撃を加えて精神を追い込むと病まれそうで怖い。
 思考するジューリアは恩だと述べた。ヴィルが若干不満そうにするも黙っててと唇に指を当てた。


「恩人……?」
「ヴィルは私にとって人生の恩です。とても大切な人です」
「僕よりも……?」
「えっと……殿下にはメイリンがいるではないです。寧ろ、私なんかより国内で評判が高いメイリンと結婚した方が殿下の立場を考えても良縁なのでは?」


 というか、である。あれだけメイリンと仲睦まじくしていたジューリオが戻らないジューリアを切り捨てメイリンを選ばないのかが不可解である。二人の婚約は既に白紙になっている。拘る理由はない。


「メイリンと婚約はしていないのですか?」
「していない。ジューリアを見つけて連れ戻したら再婚約するつもりでいたから」
「私は殿下と二度の婚約をしたいと思いません」
「……うん」


 はっきりと申すとジューリオは深く項垂れた。ここまでジューリアに気持ちがないことを告げられ、彼も諦めかけている。
「ミカエル君」とヴィルが呼ぶ。


「これくらいにしておきましょう。ヴィル様ってば、全然私のお願いを聞いてくれないのだから」
「ジューリアといたいんだ。邪魔されたら断りたくなる」
「全く。……皇子、これが現実です。ジューリアの切り捨ての早さと皇子の行動や言動が互いを遠くへやった。メイリンと婚約するもしないも皇子の自由です。今は自分の足で立って前を向きなさい」
「うん…………そうするよ大天使様……」


 ミカエルに促され、ふらつきながらも立ち上がったジューリオは顔も上げた。涙目で顔色は悪いまま。


「ジューリアはその人といて幸せ……?」
「ええ。色々なことを教えてくれるので」
「そうか……。……家族に会う? 君に会いたがってる」
「それなら手紙を出します。会っても殿下と同じなので」
「分かった……僕からはもう何も言わないよ。……元気で」


 項垂れそうになったのを歯を食いしばって耐えたジューリオの姿には悲壮感があったものの、下手に声を掛けるより黙ったままにした。暗いまま上層礼拝堂を出て行ったジューリオの背中はとても寂しげであった。


「殿下と、ちゃんと話していれば、別の道があったのかな」
「どうだろうね。そうだったとしても、君の気を引きたい皇子は結局同じ末路を辿っていたんじゃないのかな」


 早々に諦めず、向き合って言葉を重ねていたら好き同士とはいかなくても友人くらいの関係は築けていたのではと少し後悔が襲うもヴィルの軽やかな声に心が幾らか軽くなった。それはそれでメイリンという壁と戦わないとならなかった。
 自慢をするのが好きで嫌味を言うのも好きで部屋に閉じ籠ってばかりのジューリアの所に突撃してきたのはメイリンだけだった。他はほぼ放置。思い出しても最低限の会話しかなかった。
 メイリンのことは好きでもないが嫌いでもない。妹というだけ。

 ――これからジューリオはメイリンと婚約するのか、しないのか、と少々心配するジューリアの横でミカエルに呆れられるヴィルに反省の色は一切ない。ジューリアを取られないようジューリアの存在を軽くだがどうでもよくなる魔法を掛けていた張本人が言っても言葉に一切の力はない。ジューリアが気付かないからヴィルにしたらそれだけで良い。


 帝国の最高級宿で数日過ごし、出発日を相談していた最中にヴィルがそういえばと話題を変えた。


「君の妹君、今相当荒れているみたいだよ。ミカエル君が言ってた」
「荒れてるって?」
「あの後、皇子ははっきりと君の妹君とは婚約しないし愛してもないと告げたみたいなんだ。ミカエル君の前で」
「そ、そうなんだ」


 神への宣誓に近い言葉は二度と取り消せない。ジューリオなりのケジメなんだろうが態々ミカエルの前で告げなくても、と若干メイリンが不憫に思えた。ずっと想っていた相手に本当に好きなのはジューリアだと告白された挙句、家族に慰めてもらおうにも帝国にジューリアが戻ったと聞いた両親と兄はありとあらゆる伝手や魔法を使って行方を捜している。見つからないのはジューリア自身が魔法で隠しているからだ。
 好きな男性には振られ、家族は自分のことなど眼中にない。ずっと甘やかされ、愛されてきたメイリンにしたらとても辛い日々だ。

 可哀想だとしてもジューリアにはどうすることもできない。


「時間が解決するさ。君やおれは何も考えないでおこう」
「……そうね。お父様達もその内頭が冷えてメイリンの現状を見たら、きっとメイリンを優先するわ。そうなったら私のことは今度こそ忘れるね」
「寂しい?」
「全然。ヴィルがいるから」


 手招きをしてヴィルを呼び、彼の頬にキスを贈ったジューリアであった。


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