ラヴィニアは逃げられない

文字の大きさ
2 / 44

2話

しおりを挟む
 

 事故に遭ったと聞き、すぐにお見舞いに行った。

 幸いにもメルは意識を取り戻しており、今は起きているとシルバース家を訪れると必ず出迎えてくれる夫人が話してくれた。メルとラヴィニアの母は友人で二人の婚約も彼女達がお互いの子供が男女だったら婚約させようという約束の下交わされた。
 出産と引換えに亡くなった母の代わりとして、夫人はラヴィニアをよく気に掛けてくれている。母が亡くなった二年後に迎えられた後妻とその翌年生まれた異母妹との関係が悪いのもあるのだろう。また、ラヴィニアを出産したせいで母が亡くなったのだと、父からも嫌われている。屋敷に居場所がないのだ。

 勝手知ったる屋敷内を夫人の案内で歩く。メルの部屋に近付いた時、執事が夫人を呼びに来る。急な訪問者が来たと伝えられ、場所を知っているラヴィニアは夫人に客人の許へ行ってもらい、自分はメルの部屋を再び目指した。

 もうすぐメルの部屋に着く。近付くと扉が少し開いていた。誰かが先に居るのか、来ていたのか。隙間から室内を覗いて悲鳴を上げそうになった。
 声を出さなかった自分を褒めてやりたい。


「メル……メル……、んう……」


 ベッドに座るメルの顔は、メルとキスをしている女性の後姿のせいで見えない。女性が誰か顔を見なくても分かる。
 純白の髪に空色のドレスを身に纏う華奢な姿とメルを呼ぶ声。プリムローズしかいない。

 メルの手がプリムローズの後頭部に回り、更に彼女を引き寄せていた。キスの合間に漏れるメルの聞いた事のない甘い声とプリムローズのメルと呼ぶ声。どれもがラヴィニアが抱き続けた疑惑を現実のものとさせた。

 震えるまま、ラヴィニアはその場から立ち去り玄関を目指した。客人は帰ったのか、夫人だけがいた。戻って来たラヴィニアに怪訝な顔をした。


「あら? もう帰るの?」
「はい……メルが眠っていたので後日来ますね」
「そうなの? ラヴィニアちゃんが来るのを楽しみにしていたあの子が……」


 楽しみ? 楽しみだろう……

 顔色が悪いと指摘されるも、体調が良くなかったからと嘘を言って待機させていた馬車に乗って屋敷に戻った。

 今日は義母と異母妹がお茶会で不在なのは助かった。酷い顔をしているラヴィニアを見つけた途端、獲物を見つけたとばかりに嘲笑しにくる。

 部屋に戻ってベッドに飛び込んだラヴィニアは声を押し殺して泣いた。一緒に入室した昔からの侍女が何があったのかと訊ねるも今は一人にしてほしいと追い出した。


「ひく、ひっく、うう……う……」


 知っていたんだ本当は。メルは幼い頃から付き合いのあるラヴィニアを大事にしてくれているが愛していない事を。メルが愛しているのは親戚のプリムローズだと知ったのは何時からだっただろう。
 誰にでも優しく、口調は丁寧で物腰柔らかな彼は社交界で絶大な人気を誇る。大事にされ、大事にしてきて、お互い良好な関係を築いたまま夫婦となれると信じていたのに。メルの本心はプリムローズにあるのだと悟った時から、メルが紡ぐ愛しているも贈り物も全部嘘にしか見えなかった。

 昨日のプリムローズに対しては少々冷たい対応をしていたように見えたが、きっとラヴィニアがいなかったら、デートじゃなかったら、プリムローズに特別優しいメルは拒まなかった。

 お互いが初めて会ったのは六歳の時。婚約が結ばれたのは初めて会った日から半年後。キスをしたのは十二歳の時。成人を迎えてもメルは触れるだけの優しい口付けしかラヴィニアにはしなかったのに、先程プリムローズとはもっと深いキスをしていた。

 何度も好きだと、愛していると言っていたくせに。


「メルっ、メル……っ」


 分かっていたくせに、いつかはと覚悟していたのに。


 唐突に訪れた終わりにラヴィニアは泣く事しか出来なかった。



 ――夕食の刻。
 侍女が様子を見に来るまでずっと泣いていたラヴィニアの顔は酷いものだった。夕食は家族で摂る決まりとなっているキングレイ家。目元は赤く腫れ、化粧も落ちて酷い有様だった。お湯を運んだ侍女に顔を洗ってもらい、泣いていたのを隠すように化粧を濃く施してもらって髪を結いなおしてもらう。

 ラヴィニアを呼びに来た使用人と食堂に足を運ぶと既に他の三人は揃っていた。異母妹の隣に座ると食事が始まった。

 今日はどれもラヴィニアの嫌いな料理ばかり。敢えて料理人に命じたらしい義母が厭らしく此方を見て来るも、失恋をしたラヴィニアに料理の味は感じられなかった。今日だけは感謝しておこう。ラヴィニアが何も反応しないのが気に食わなかった義母がメルの容態について訊ねてきた。
 今日彼のお見舞いへ行くとは知っているから。


「意識はちゃんとしておりましたし、怪我も軽傷なのですぐに治るかと」
「それは良かったわねえ。ラヴィニアさん、とっても心配してたものね」
「そうですね」
「わたしも! わたしもメル様が心配だったの! わたしが心配していたこと、勿論伝えてくれたよね? 姉様」


 異母妹プリシラもまた、メルを恋い慕う令嬢の一人。初対面からメルを名前で呼び、馴れ馴れしくするもメルは優しいから許してしまった。本音は嫌でもラヴィニアは心の狭い女だと思われたくなくて微笑むだけにした。


「……長居をするつもりは無かったし、顔を見てすぐに帰ったからメルとはあまり話してないの。ごめんなさい」
「もう役立たずね! わたしの気持ちがメル様に届かないじゃない!」
「妹の気持ちも汲んでやれないなんて、嫌なお姉様ね」
「全くだ。こんなのがシルバース家の跡取りの婚約者だと知られれば、我が家の恥だ。今後はもっとプリシラに優しくするように」


 ……もう嫌だ。
 此処に居たくない。
 メルの顔も見たくない。

 どこか、遠くへ行きたい。

 話を聞きながらも意識は別にあったラヴィニアは食事を終えるとすぐに席を立った。後ろから父の声がするも聞こえない振りをして部屋に戻った。

 隣の衣装ルームに入り、少々大きめの鞄を見つけ中を開けた。


「修道院へ行こう。そこでずっと暮らすの」


 帝都から東へ十日間馬車で進んだ先に誰でも受け入れると有名な修道院がある。一度入れば二度と出て来れないがキングレイ家から、メルから逃げたいラヴィニアは其処へ行くと決めた。
 鞄に母の形見の櫛、一応キングレイ家の長女だからと与えられた派手で大振りな宝石、日記、昔メルに貰ったハンカチを入れた。

 自分が持つドレスで最も地味なデザインを探すも見つからず。ワンピースもなく、仕方ないから明日買いに行くことにした。


「メル。メル……好きよ……」


 明日シルバース家に手紙を出してメルの返事を待って訪れよう。そこでメルにお別れを告げる。
 ただお別れするだけでは駄目だ。


「……よし!」


 気合を入れ、本棚から一冊の本を取り出したラヴィニアは椅子に座ってページを開いた。
 婚約は家同士の契約に基づいてされる。いくら母親同士の約束でも二人の婚約は皇帝が認めている。別れたいと言うだけで婚約は解消されない。


「メル、私メルの為に頑張るから」


 小説にはとても口汚い悪女が登場する。罵詈雑言の限りをヒロインへ投げかける悪女に倣ってラヴィニアも悪女の振りをしてメルに別れを突き付けよう。


「ええっと、どうメルに嫌われよう……」


 メルに言い訳をさせない内容はないかと本を読みながら考え、思い付いたら紙とペンを取り出し綴っていく。


 満足のいく仕上がりになると本を閉じ、今度は悪女の練習を始めた。大きな声を出したら誰かに聞かれてしまう。小さな声で練習を始めたラヴィニアであった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください

無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】 エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く

紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi(がっち)
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

大人になったオフェーリア。

ぽんぽこ狸
恋愛
 婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。  生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。  けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。  それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。  その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。 その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のアンジュは、子供の頃から大好きだった幼馴染のデイビッドに5度目の婚約を申し込むものの、断られてしまう。さすがに5度目という事もあり、父親からも諦める様言われてしまった。 自分でも分かっている、もう潮時なのだと。そんな中父親から、留学の話を持ち掛けられた。環境を変えれば、気持ちも落ち着くのではないかと。 彼のいない場所に行けば、彼を忘れられるかもしれない。でも、王都から出た事のない自分が、誰も知らない異国でうまくやっていけるのか…そんな不安から、返事をする事が出来なかった。 そんな中、侯爵令嬢のラミネスから、自分とデイビッドは愛し合っている。彼が騎士団長になる事が決まった暁には、自分と婚約をする事が決まっていると聞かされたのだ。 大きなショックを受けたアンジュは、ついに留学をする事を決意。専属メイドのカリアを連れ、1人留学の先のミラージュ王国に向かったのだが…

処理中です...