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3話
しおりを挟む悪女になると決意して二日後。
昨日手紙の返事を貰って今日シルバース家を訪問した。
今日はメルとお別れをする日。そして、キングレイ家を出奔する日。
メルから贈られた真珠の髪飾りを着けてきた。成人を迎えた記念として贈られた。ラヴィニアが大事にしているメルからの宝物。
――それも、今日で手放さないと。
小説の悪女の言動を頭に刻み込み、後は自分が悪女になるだけ。大好きなメルを前に完璧な悪女を演じられるかが勝負。きっと大丈夫。メルの幸せを思って悪女になるのだ。きっと演じられる。
自信を身に付け、顔馴染みの執事の案内でメルがいるサロンへ。中に入ると満面の笑みでラヴィニアを迎えてきた。二日前、プリムローズの後頭部を引き寄せ口付けをしていたメルと目の前まで来て抱き締めてきたメルは同じ人。同じなのに心までは同じじゃない。
「会いたかったよラヴィニア。心配をかけてごめん」
「……良いのよメル。メルが無事で良かった」
「一昨日君が来ると聞いて楽しみにしていたのに顔を見せてくれなかっただろう? よく顔を見せて」
一昨日はあなたがプリムローズとキスをしていたからよ。等、まだ言わない。言われるがままラヴィニアは彼を見上げた。広大な空を彷彿とさせる瞳が嬉しさを隠そうともせずラヴィニアを見つめていた。
「私が行った時メルは寝ていたから起こすのは悪いと思ったのよ」
「寝ていた? そんな筈ないよ、俺はずっとラヴィニアが来るのを待っていたんだから」
嘘吐き。
メルが待っていたのはプリムローズとのキスを見せ付ける為だったくせに、と叫びそうになる。唇を噛みしめ声を放ってしまいそうになるのを無理矢理止めた。ラヴィニア自身、今すぐに嘘吐きとメルを責めてしまいそうで異変を悟られまいと律する余裕までなかった。
「ラヴィニア? どうしたの? 何か変だよ」
「変じゃないわ……」
「辛そうな顔をしてる。変じゃないわけがない」
「っ……」
チラリと後ろを見ると案内してくれた執事は既にいない。座って話をしようとメルをソファーに座らせ、自分は向かいに座った。普段なら隣に座るのを向かいに座るから、いよいよ何かあるのだとメルは顔を険しくした。
「大した事故じゃなかったから、ラヴィニアが気にする必要はないんだよ。それとも、俺の事故以外に気になる事が?」
事故原因は車輪の不具合によるものだと聞かされた。シルバース家の馬車の整備に不具合があるなどと考えられない。誰も言わなかったが細工をされていた筈。
だが、もう自分には関係がなくなる。
事故の件じゃないと首を振った。
小説の悪女、小説の悪女、と心の中で念じメルへ永遠の別れを告げる時がきた
「今日はメルにお別れを言いに来たの」
「は……?」
「他に好きな人が出来たからメルとの婚約を解消したい。此方が有責となるから好きなだけ慰謝料を払うわ」
「待って、待ってくれ、他に好きな人? 一体どういうことなんだ、一体誰を」
顔を青くして慌て、取り乱すメルに心が悲鳴を上げながらも小説の悪女を自分の中に憑依させて心にもない言葉を紡いでいく。
「誰だっていいでしょう。その人が好きになったの」
「誰だか言ってくれ、そいつが良くて俺が駄目な所があるのなら直すからっ」
「……ないわよ」
傷付いてはいけないのに必死に縋って来るメルを見ていると嘘だと、他に好きな人なんていないと叫びたくなる。これはメルの為、メルが恋心を抱いているプリムローズと両想いになるための。メルに駄目なところなんてない。不満に思っているだけで。それが駄目な所と言ってしまえばいい。
架空の男性がどんな姿をしているのか、性格をしているのか、メル以外の異性と交流が全くないラヴィニアは小説のヒーローを思い浮かべた。悪女が身を滅ぼす最後まで執着し続けた男性。
いもしない男性がどれだけ好きか、メル以上に好きだと言う度に美しい空色の瞳に翳りが出来て濃くなっていく。ラヴィニアの心が悲鳴を上げ続ける。
「…………そいつと会わせて。ラヴィニアが本気で好きなら俺も諦めるから」
「会わせないわ、シルバース家の跡取りであるあなたに会わせたら何をされるか分かったものじゃないもの」
「っ、なら、何時出会った、何時好きになったっ、俺を好きだと言ってくれたのは嘘だったのか!」
段々と声を荒げていくメルに恐怖を抱きながら、これは自分が招いた自業自得の末路だと受け入れるしかないラヴィニアは遂にプリムローズを話に出した。
「私を嘘吐きと言うならメルだってずっと私を騙していたくせに!」
「な、なにを」
「メルだって私が好きだって、愛してるって言いながらプリムローズ様の事が好きなんでしょう!? メルがプリムローズ様を好きなのは知ってたよ、知ってても私を愛してくれるから我慢してたのに、なのに……っ」
昨日の二人のキスを思い出したら涙が止まらなくなった。慌てるメルを見ていると疑惑はより確信へと変わっていく。
「何を言っているんだ、俺がプリムローズを好きだと何時から」
「好きじゃなかったらあんなキスはしないわ!!」
「キス……? ……!!」
一瞬呆けたメルだが放たれた言葉の意味を理解すると瞬時に顔を青褪めさせた。動揺したまま席から立って近付いて来たのを真珠の髪飾りをテーブルに置いてメルを止めた。成人したお祝いで贈られた真珠の髪飾り。一生大事にすると喜んだ大切な宝物を此処に置いて行く。
「もうこれは要らないっ、メルも要らないっ。お互い好きな人と一緒になりましょうっ」
「誤解だラヴィニア、あれは違うんだ、理由があるんだ!」
「理由? メルが私を呼んだ本当の理由はプリムローズ様を愛していると見せ付ける為だったんでしょう? 知ってたわよ、知ってて黙っていたの、騙されていてあげたの!」
「頼むから俺の話を聞いてくれラヴィニア! プリムローズの事はなんとも思ってないんだ!」
「嘘を言わないで! メルは誰にでも優しいけどプリムローズ様には特別優しかったじゃない。親戚だからと思ってたけど違った、メルはプリムローズ様が好きなのよ」
「違う、俺が好きなのはラヴィニア一人だけだ、お願いだからラヴィニア信じ――」
死にそうな顔をしながらも否定してくるメルの言葉を信じてしまいそうになる。手を伸ばしたら抱き締めてメルは納得させてくれる言葉を使って安心させてくれる。それでは駄目なのだ、彼が真の意味で幸せになる為に。自分の事は過去の婚約者として扱ってくれて構わないから、嫌いになってほしい。嫌いになってほしい一身でラヴィニアはメルが伸ばした手を払った。
呆然とするメル。
涙を袖で拭い去り、何度も小説の悪女の名前を念じ続けた。
泣き虫でメルの事が大好きなラヴィニア=キングレイに戻るのは馬車に乗り込んでからだ。
「あんなキスをしておいて何が信じてよ、好きなら好きと言えば良い。私も好きな人の許へ行く。私の幸せを邪魔しないで」
「……」
「だからメルの邪魔もしない。プリムローズ様とどうぞお幸せに。さようなら」
美しい相貌から一切の感情が削げ落ちたメルを見ていられなくて逃げるようにサロンを出て行った。早足で玄関を目指すラヴィニアをシルバース家の使用人達は不思議そうに見て来る。顔馴染みの執事が様子を窺うも何もないと言い、最後だからと夫人に伝言を頼んだ。
「今までありがとうございました、と伝えてくれませんか」
「そ、それはどういう……」
「……お願いします」
何も語らず、夫人への伝言を押し付け外へ出て馬車に乗り込んだ。馭者に急ぎ街へ行くよう指示をし、慌てて出て来た執事達の声に耳を塞いで膝に顔を埋めた。
見たくなかった。メルが傷付いていく姿が目に焼き付いていた。必死に信じてほしいと懇願するメル。信じたかった。駄目なのだ。メルを幸せにしたい。
どうせ自分はキングレイ家にいても、何れシルバース家に嫁いでも邪魔者でしかないのだ。
ならいっそ姿を消して自分を知る人がいない場所にいたらいい。
「……バイバイ……っ」
――メル……
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