11 / 44
11話
しおりを挟むテーブルに突っ伏して十日間ずっと泣いている黒髪の男性。慰めるのは修道院の院長を務めるサミュエル。肩を叩いて励ましの言葉を掛けてやるが失恋した男性の涙はまだまだ止まらない。
「いい加減泣き止みなさいよ。元から変装魔法を使ってる時点で訳アリ満載な子だったのだから」
「あ、あの時っダリアの部屋に入って一緒にいたら、メルに奪われずにすんだのに……!!」
「奪われるって……。元々彼女はメル=シルバースの婚約者で、彼は消えた婚約者をずっと探してただけだってば」
「理由があってメルの前からいなくなったんだろう!? ダリアは」
「ダリアじゃなくてラヴィニア=キングレイ侯爵令嬢ね」
甥っ子の初恋はたった一か月で終わってしまった。叔父として可哀想だとは思うが相手が悪かった。
十日前、いなくなった婚約者を迎えにメル=シルバースはサミュエルが管理を任されている修道院を訪れた。先代から何でもかんでも受け入れる体制となった名ばかり修道院に未来のシルバース公爵が一体何用で来たのかと、最初は理由を知らなかったので大層驚いた。入所した子を一人引き取りたいという手紙だけが届けられた。それが婚約者だと誰が思うか。
キングレイ侯爵家の家庭環境は複雑と言っていい。一目惚れをして妻にした女性が娘を出産後儚くなるのは侯爵とて予期していなかったろう。
普通は亡き妻が遺した娘を大事に育てるものだが、妻を殺したと逆に憎しみを募らせてしまい。娘の育児は全て乳母と使用人達へ丸投げ。喪が明けると目を付けていた女性と再婚。翌年娘を儲けた。その間、侯爵が父親としての義務を果たしていたかといえばそんな話は聞かない。
ラヴィニアを息子の婚約者にする気でいたシルバース夫人は侯爵の再婚後、即ラヴィニアを息子の婚約者としてシルバース家に引き取ろうとしていた。世間体を気にした侯爵夫妻が頑なにラヴィニアを渡そうとしなかったとか。
六歳になったら絶対に息子と顔合わせをさせるという約束を強引に取り付けた後、二人の気が合ったのもあり顔合わせ後ラヴィニアは定期的にシルバース家に預けられる事となった。
帝都から離れた位置に暮らすサミュエルでさえ、ラヴィニアとメルの仲の良さは聞いていた。周りの令嬢達は二人の破談を願っていたようだがシルバース公爵と元皇女の血を引くせいか、絶妙な加減で二人の大層面倒くさい性質を受け継いだメルは決して離そうとしなかった。
夜会に出る時は常にピッタリくっ付き、二人が一人になるのは友人との会話に花を咲かせる時くらい。
ラヴィニアを正規に引き取る手続きを踏んでいる最中、偶には連絡を入れてねとお願いしたのにこの十日間ラヴィニアからの連絡は何もない。無論メルも。メルの瞳に濃い翳りがあった。余程の出来事が二人の間にあったのだろうが聞かない方が身の為。
「ううっ……! なんでメルなんだ……!」
「まだ泣いてたの? ほらほら、可愛い女の子は沢山いるんだから諦めなって」
立場的にずっと変装したまま修道院で生活するのは難しい。もしもメルが迎えに来ないで甥っ子がラヴィニアに告白をして受け入れてもらえたとしても、二人が夫婦と認められる可能性は低い。甥っ子の地位がそうさせている。
実際は出奔したキングレイ家の長女だから、話せば両親を納得させられたかもしれないが。
もう暫くは失恋した甥っ子を慰めないといけないか……サミュエルは机が濡れているのを見るとタオルを取りに行ったのだった。
〇●〇●〇●
心地良い陽光に照らされた外で。庭園に置かれた長椅子に座って散歩の休憩をしているラヴィニアとメル。メルに連れられて早十日経過した。メルは偶に宮を出るが基本はずっとラヴィニアの側にいる。読書をしたり、小公爵としての仕事をしたり、と色々。ラヴィニアは刺繍をしている時もあれば、メルと同じで読書をしている時もある。基本は刺繍をしていた。メルの好きな兎の刺繍を今作っている最中。完成するのに時間はまだまだ掛かる。
無理矢理抱かれた翌日は何もされなかったが二日後の夜は抱かれた。初めての時にあった痛みは全くなくて、体が蕩けてしまいそうな甘い快楽だけを与えられた。何度もメルの名前を呼んで、体に抱き付いて、手を握った。心臓に触れられる度に感度が増す理由もまだ聞かされていない。メル曰く、二度とラヴィニアが逃げられなくなる魔法らしい。
――逃げる気力なんて……もうないよ……
抱かれるのは夜だが気紛れで昼に抱かれる時もあった。何度もメルに抱かれてしまうと側を離れたい気持ちは消えていく。プリムローズとしたあのキスの話はまだ聞けていない。プリムローズの話を出すと不機嫌になってしまう。
「メル」
用事もないのに呼んでしまった。
メルの唇が頬に触れた。ちゅ、ちゅ、と数度口付けられるとメルの両頬を手で包みお返しのキスをした。物足りなさそうな顔をされるもすぐに笑みを見せ「ラヴィニア」と引き寄せられる。
「明日は街へ行かないか?」
「街に?」
「ああ。買い物をしよう。欲しい物があれば何でも言って」
「欲しい物……」
言われてパッと思い浮かぶ物はない。何もないと言う前にキスをされた。
十日前までは嫌で仕方なかったキスも最近になって受け入れるようになった。ラヴィニアから積極的にキスをする時もあった。プリムローズとのキスを忘れてほしくて。自分が見た光景を忘れたくて。
その度にメルは嬉し気に笑うのだ。
「今すぐにじゃなくてもいい。街に行ってから考えよう」
「うん」
「そろそろ部屋に戻る?」
「もう少しだけ外にいるよ。メルは戻っていいよ」
「俺もいる。一人でいたってつまらない」
もう一度キスをしてメルの腕の中に収められた。小さい頃は同じ体格だったのに大人になると小さいラヴィニアの体は簡単に捕まってしまう。
背に手を回すと抱き締める力が増した。ラヴィニアの小さな手ではメルの大きな背を回せない。優しくて甘い香水の香りとメルの温もりに安心してうとうととしてきた。
「眠いなら寝て。ベッドに運んであげる」
「ううん……まだ寝ない。メルとこうしていたいの」
「分かった。好きな時に寝て。ラヴィニアが寝たら俺も一緒に寝る」
「うん……」
今のラヴィニアの心残りはメルに放った酷い言葉の数々を謝罪出来ていない事。タイミングは沢山あったのにいざメルを前にすると謝罪なのに責める言葉が出そうで怖くなった。メルも気配を察しているのか、泣きそうな顔で何かを言いたそうにする度に「いい。ラヴィニアの口から二度とプリムローズの名前は聞きたくない」と言わせてくれない。
メルとプリムローズは幼馴染で実はラヴィニアよりもプリムローズがメルの婚約者になると言われていた。が、蓋を開けてみたら婚約者になったのはラヴィニア。プリムローズには未だ婚約者はいない。
大公夫妻は幼い頃病弱で何時死んでもおかしくなかったプリムローズを溺愛しており、愛娘の恋敵であるラヴィニアを嫌っている。家族にも嫌われ、格上の大公夫妻にも嫌われ、嫌っている人の方が多いのではと錯覚してしまう。
大公夫妻の相手は主にシルバース公爵と夫人が担当している。夫人は大公夫妻とプリムローズをとても嫌っている。自分の父、キングレイ侯爵といい勝負だ。
夫人は嫌いな相手には特別優しくなると昔メルが教えてくれた。大公夫妻やプリムローズへの態度は父をも上回る。
「シルバース夫人に……」
「うん?」
「夫人に手紙を書きたいの。一緒に便箋を選んでくれる?」
「選ぶのはいいが母上に手紙を書きたいのは何故?」
「何も言わずキングレイ家を出奔した私を夫人だって本音では呆れているわ。未だに連絡の一つも寄越さないから余計」
「俺からラヴィニアの話は母上にしている。修道院での生活を心配していた。貴族として育てられた君が平民の生活を送れていていたのかと」
「それは」
途端、空に波紋が広がる。突然の変異に吃驚しメルに抱き付くと強い力で抱き締められた。
「何、これ」
「俺達がいる宮に入るには許された者にしか教えていない暗号がある。それを解除しないで進むと侵入者防止の結界魔法が発動し、中にいる俺達にも報せてくれるんだ」
「誰が来たの?」
「メル様」
タイミングよく現れた侍女が訪問者の名前を告げた。
「プリムローズ様がメル様にお会いしたいと先程から門の前にいらっしゃいます」
「っ」
プリムローズの名前を聞いた瞬間、一月半前の光景が鮮明に蘇り、思わずメルから離れようとするも……逃がさないときつく腕に力を込められ動けない。痛いくらい抱き締めてくるメルに抗議しても侍女との話を続けられた。
「いないと言って追い返せ」
「何度もそう言っているのですが絶対にメル様に会うまで帰らないと」
「はあ……。……昔のままずっと体が弱いままだったら良いものを……」
至極面倒くさそうに呟いたメルの相貌は見たことがない程嫌そうなものだった。見上げていると体を横抱きにされ中へ戻って行く。
私室に入り、寝室に連れて行かれ寝台の上に寝かされた。これからプリムローズの許へ行く気でいるメルを行かせたくない。メルに抱き付いて行かせなくしたものの、引き寄せられるがまま、メルは隣に寝転んで抱き締めてくる。
「こういうことだ。俺の名前を出してもいいから追い返せ」
「承知しました」
1,206
あなたにおすすめの小説
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください
無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く
紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi(がっち)
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
大人になったオフェーリア。
ぽんぽこ狸
恋愛
婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。
生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。
けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。
それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。
その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。
その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のアンジュは、子供の頃から大好きだった幼馴染のデイビッドに5度目の婚約を申し込むものの、断られてしまう。さすがに5度目という事もあり、父親からも諦める様言われてしまった。
自分でも分かっている、もう潮時なのだと。そんな中父親から、留学の話を持ち掛けられた。環境を変えれば、気持ちも落ち着くのではないかと。
彼のいない場所に行けば、彼を忘れられるかもしれない。でも、王都から出た事のない自分が、誰も知らない異国でうまくやっていけるのか…そんな不安から、返事をする事が出来なかった。
そんな中、侯爵令嬢のラミネスから、自分とデイビッドは愛し合っている。彼が騎士団長になる事が決まった暁には、自分と婚約をする事が決まっていると聞かされたのだ。
大きなショックを受けたアンジュは、ついに留学をする事を決意。専属メイドのカリアを連れ、1人留学の先のミラージュ王国に向かったのだが…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる