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40話
しおりを挟む「ラヴィニアお嬢様!」
慌てた様子で駆け付けた執事は、母テレサが生きていた頃から仕えており、後妻やプリシラに虐められていたラヴィニアを陰から守っていた一人。キングレイ家に仕える者の中で父に意見出来る数少ない人物でもあり、父に何度もラヴィニアへの態度を改めるよう訴え続けたが聞く耳を持たれなかった。
「お嬢様、よくご無事で……!」
「う、うん。それより、屋敷の様子がすごく変わってしまっているけど何があったの?」
「それが……お嬢様がキングレイ家を出て行かれて直ぐ旦那様が可怪しくなってしまわれて。私達が何を言ってもお嬢様への態度を改めなかったのに、お嬢様がいなくなった途端突然人が変わられたようにお嬢様への愛情を叫び出して……」
「……」
メルから聞いても信じられないのに、家庭内をよく知る執事に言われても父の偽物説を疑ってしまう。唖然とするラヴィニアに何とも言えない表情をする執事は、更にと続けた。
「シルバース家へは勿論、テレサ様のご実家にも突撃してお嬢様の行方を知らないかと大騒ぎでした。テレサ様のご実家に関しては、旦那様や奥様が共謀してお嬢様を何処かへやったと逆に凄まじい剣幕で追い出された挙句、調査をされる羽目に」
「そ、そんな事が」
「ええ……まあ、お嬢様がいなくなった理由に直接関わっていなくても長年の環境から出て行かれるのは当然だと言われていましたよ」
「……」
年に片手で数える程度しか会わないテレサの親類はラヴィニアを気に掛けており、少なくとも出て行った原因に父や後妻が関わっていないという点に関してかなり安心された。
ここでメルが「シルバース家が居場所を把握しているとテレサ様の実家には、母上から連絡を入れてもらって捜索はしないでもらったんだ」と説明をする。
「ところで侯爵は屋敷に?」とメルが訊ねる。
「はい。ずっと部屋に籠ってお嬢様やテレサ様に謝ってばかりです」
「……ラヴィニア、侯爵に会いに行く?」
心で決めていても近い人から聞いた父の現状を聞くと足が重くなった感覚がラヴィニアを襲っていた。メルの気遣う声に覚悟を決め、コクリと頷いた。
「その為に来たんだから、会うわお父様に」
「そうか」
「うん。お父様の所へ案内して」
「畏まりました」
最初で最後の、父と面と向かって話をする。今まではラヴィニアが何を言ったところでお前が悪いと言われるか、憎々し気に睨まれるかのどちらかだった。最後くらいはちゃんと話したい。此方です、と案内を始めた執事に着いて行こうとした矢先、何処かからプリシラの泣き叫ぶ声が届いた。
ごめんなさい、ごめんなさいお父様、と尋常ではないプリシラの泣き声に執事が「庭の方です!」と判明させ、三人で急ぎ庭へと向かった。外側からぐるりと回って庭へ駆け付けたら、生前テレサが大切に育てていたと庭師がよく話してくれた花壇の上でプリシラが父に髪を掴まれ何度も頬を打たれていた。
「お前はあぁ!! 何度言えば分かるんだっ!!」
「ごめ、ごめんなさいぃ!! お父様ごめんなさいいぃ!!」
側に後妻はいない。執事に聞くとお付きの侍女を連れて買い物へ出掛けている最中でプリシラは珍しく同行しなかった。怪訝に思った執事の予感は嫌な方で当たってしまった。
プリシラの足下付近には、ラヴィニアもよく知るテレサが愛読していた絵本が落ちていた。ずっとラヴィニアの部屋に大切に保管されていたテレサの絵本をプリシラが勝手に持ち出し、それを父が見つけてこうなっていると即座に判断した。
「これはテレサの物だ!! テレサの物に触るなと何度言わせる気だ!!」
「だ、だって!! ずっと欲しかったんだもん!! お姉様がいない内に取ったら、バレないと思って……!!」
「この、盗人があああっ!!」
「きゃあああぁ!!」
大きく振り上げた父の手は勢いよく降ろされプリシラの頬を強く打った。髪を掴まれているせいで吹き飛びはしなかったものの、見ているだけでかなりの衝撃があったのは窺える。更に大きな声で泣き叫ぶプリシラの髪を離し、花壇に放り投げた父は荒く息をしたまま吐き捨てた。
「お前のような手癖の悪い娘は要らん! 母親共々屋敷から出て行け!!」
「う、うわあああああああん!! お母様あああああぁ!!」
鬼の如き形相で遠巻きに見ていた使用人達にプリシラと後妻の荷物を纏め屋敷から叩き出せと怒号を飛ばす父に唖然としながらも、ハッとなったラヴィニアは「お父様!」と叫んだ。
自分に向いた父の鬼の形相に内心恐怖を抱えながら、大きく目を見開き固まっている父の許へ少しずつ近付く。プリシラは使用人に抱えられ庭を連れ出された。恐らく、部屋に戻される。
「お父様」
父の目の前まで来たラヴィニアは一度深呼吸をして父を直視した。
「勝手に家を出て行ってしまい申し訳ありませんでした」
腰を折り、頭を深く謝罪をした。自分がいなくなったら、最も喜ぶ筆頭がキングレイ家の面々だと信じて疑わなかった。後妻やプリシラはそのままの認識でいるが父は本心どうだったのだろうと思う。父が声を発さない限りラヴィニアは頭を上げる気はない。
何を言われるか、若しくは手を上げられるだろうか、と考えていると「……ラヴィニア」と弱弱しい声が呼んだ。ゆっくりと頭を上げたら、泣きそうな相貌を見せる父がいた。
「ラヴィニア……何が、不満だったんだ……」
「……え?」
「私は、お前をキングレイ家の娘として育てていたつもりだ。お前がグロリアやプリシラ、周りを困らせてばかりな挙句フラム大公家にも迷惑を」
「ちょ、ちょっと待ってください、一体何の話ですか!?」
後妻やプリシラや周りを困らせる?
フラム大公家に迷惑を掛ける?
突然語り出した父の言葉全てに待ったを掛けたラヴィニアの制止は効果なく、勢いの止まらない父の声はまだまだ止まらない。
「お前の浪費や我儘が酷くてグロリアがお前の為にと叱っても実の母親ではないグロリアに母親面するなと言った挙句、下位貴族の母を持つプリシラは自分の妹ではないと暴言ばかり口にすると昔何度も二人から訴えられた。ラヴィニア、お前はテレサの娘なのに何故そんなっ」
「だから待ってください! 何時私が二人にそんな事を言ったと言われたのですか? 一度も二人に言った覚えはありません!」
「グロリアやプリシラだけじゃない、侍女や使用人からも言われたんだ!」
恐らく後妻とプリシラに従う側の使用人達だろう。表立っての嫌がらせは少なくとも、勝手にラヴィニアのドレスや小物を持ち出したり、片づけられた部屋に態とゴミを撒き散らしたりとされた嫌がらせを挙げるとキリがない。
「旦那様! ラヴィニアお嬢様は、奥様やプリシラ様にその様な言葉は一切使っておりません! 寧ろ、あの二人がラヴィニアお嬢様を……!」
今まで何度も物申してくれていたであろう執事が助け舟を出そうと父の耳には届かない。
フラム大公家の迷惑というのは、メルとプリムローズは幼馴染で実際愛し合っているのはこの二人なのに、亡きテレサとマリアベルの約束によってメルと婚約を結ばれた自分がメルに愛されているんだとプリムローズをずっと傷付けてきたというもの。事実なのはメルとプリムローズが幼馴染という点のみ。愛し合っている二人を邪魔していたのはプリムローズの方。
今まで父は何を見ていたのかと絶句し、フラリとメルに振り向くと……深い溜め息を吐かれた。
「言っただろう? 会うだけ無駄だと」
聞くとシルバース家に突撃した時も精神に異常を起こしていると疑われるレベルで言動がおかしく、父が口にするラヴィニアはどれも後妻かプリシラ、又はプリムローズを間違えているのかと問いたくなるものばかり。ラヴィニアが家出を実行したのはメルに会いにシルバース家を訪れた後。置手紙を残しただけで他は何もしていない。
「魔法検査官に診てもらった方が」
「旦那様や奥様にも申しましたが異常者の扱いをするなとお叱りを受けるばかりで駄目でした」
「そんな……」
いなくなってから愛していただの、ラヴィニアの為だったと叫んでばかりで碌に当主としての仕事をせず、部屋に籠り酒浸りの日々を過ごすようになった。後妻は領地運営に一切関わっていないので力になれず、執事のお陰で辛うじて維持されている。現在、他国に滞在している父の弟に緊急の報せを届けている最中で到着にはもう暫く掛かるとの事。
「お父様がこうなった原因で私が家を出た以外に心当たりはある?」
「……予想ですが」
執事曰く、ラヴィニアが置手紙を残していなくなったと判明した当日は、どうせすぐに帰って来ると侯爵は高を括り後妻やプリシラと揃って一切心配はしなかった。ところが翌日、人が変わったようにラヴィニアは何処だと騒ぎ、誰もいないラヴィニアの部屋に行って泣き叫んでいた。叫ぶ台詞の中にテレサの名前があった。
すまないテレサ、許してくれテレサ、見捨てないでくれと。
「旦那様とテレサ様は相思相愛の関係で私共は常に温かく見守って参りました。ラヴィニアお嬢様を出産後儚くなられたテレサ様を恋しがるあまり、年々テレサ様に似るラヴィニアお嬢様を疎ましく感じていると知っていました。知っていたからこそ、ラヴィニアお嬢様と離れて暮らすべきと進言しました。距離が近いと何時まで経っても旦那様はラヴィニアお嬢様を許さないからと」
「……」
「まあ……全く聞いてはくれませんでした」
ずっとキングレイ侯爵邸で暮らしている記憶しかないのだから、執事が父やラヴィニアの為に言おうとテレサの実家がラヴィニアを預かると言っても断固として渡さなかった。憎んでいながら、側から離れるのを良しとしなかった。遠い場所に居続ければ憎しみとて薄くなっていた場合もあったのに、側に置いたのはラヴィニアの成長を見届けたいという微かな父親としての気持ちがあった訳で。愛情よりも憎しみが勝るせいで一切伝わっていないのが残念でならない。
「テレサ様に許しを乞う旦那様を見て分かりました。きっと、テレサ様が旦那様に愛想を尽かしたのだと」
「でも、お母様はもう亡くなられているのよね……?」
「ええ。でも、私はそうとしか考えられないのです。天国から見守っていたテレサ様も遂に堪忍袋の緒が切れたのでしょう。夢に出たか、化けて出たかは分かりませんが……少なくともテレサ様に愛想を尽かされたから今頃になって旦那様はラヴィニアお嬢様を父親として見ようとしなかったのを後悔しているのではありませんか」
「……」
現実味がない話と言えど、蹲りテレサテレサと泣く父を見ていると……執事の言う通りかもしれないと妙な実感を得た。
「……言いたい事、沢山あったの」
「ラヴィニア……」
「今更私にどうしてほしいの? お父様は何がしたいの? って。……これじゃあ、何も聞けない」
ラヴィニアが声を掛けてもきっと父の耳には届かない。愛する妻に愛想を尽かされた事が父への罰なら、それ以上にないものとなる。
「帰ろう、メル」
「いいのか?」
「うん。帰る前に部屋に寄っていい? さっき、プリシラが持ち出した絵本以外にもお母様の形見がまだ幾つかあるから、それを回収して戻りたい」
「分かった。行こう」
後は執事に任せ、メルを連れて邸内に入った。
去る間際、父がラヴィニアに懺悔する声が聞こえたが――敢えて聞こえないフリをしてラヴィニアは庭を後にした。
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