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41話
しおりを挟む久しぶりに自分の部屋に足を踏み入れたラヴィニアは、出て行く前と何一つ変わらない風景に心が安心したのを感じた。ベッドシーツは綺麗に整えられ皺はなく、テーブルや窓に汚れはない。毎日一回は掃除をしていると執事に告げられ、有難さと申し訳なさの混じった感情が生まれ謝罪を口にした。緩く首を振った執事から、ラヴィニアの部屋にある物も出て行く前と同じで全て揃っている筈だと話された。先程のようにプリシラがラヴィニアの部屋から勝手に物を持って行かないよう毎日確認をしていたから。
プリシラがテレサの絵本を持ち出せたのは監視の目を掻い潜ってのもの。その絵本は今ラヴィニアがしっかりと持っている。亡き母の宝物はラヴィニアにとっても宝物。
「お母様の形見を取り出すから、メルは座って待ってて」
「分かった」
手伝いたい気持ちがあろうとテレサの形見はラヴィニアにしか触れられない。婚約者であろうと母娘の間に入るつもりはメルにはない。ラヴィニアに言われた通り、よく二人で座って会話をしたソファーに座る。ラヴィニアは机の引き出しやクローゼットの中から譲り受けたテレサの形見を出していく。
形見のドレスはないが絵本やハンカチ、装飾品等があり、全て自分一人でも持ち出せる大きさと量に安堵する。
全てをクローゼットから引っ張り出した鞄に仕舞うと掛けられているドレスに目をやった。メルに贈られたドレスは衣装部屋に置いてあるのでクローゼットにある物はラヴィニアの普段着であったり、好みじゃないデザインのドレスを義母に押し付けられたものばかり。特に義母からのドレスは派手で肌を態と露出した下品なデザインばかり。着れば馬鹿にされるのは目に見えて分かっていたから、嫌味を言われようが叱られようが無駄使いになると怒鳴られようが決して着なかった。無駄に宝石が付いているのでそれなりの値段で買い取ってもらえる。
執事に向き、後日シルバース家にラヴィニア宛で届けてほしい旨を伝えた。意図を察した執事は何も聞かず、静かに了承した。
「もういいのか?」
「うん。全部鞄に仕舞ったよ」
「ならキングレイ家を出ようか」
父とは結局まともな話は無理だと判断した。
プリシラと後妻は、会えれば最後の最後くらい何か言ってやりたい気持ちでいたがプリシラがああなっては後妻が戻り次第二人はキングレイ家を放り出される。可哀想ともざまあみろとも思わない。ただただ、無関心。
メルと共に部屋を出て玄関ホールを目指し歩いていると後妻の叫び声が聞こえてくる。前を歩いていた執事が「確認してまいりますのでお二人は少しの間此処でお待ちください」と言い、早足で行ってしまう。
「多分、プリシラのやらかしとお父様の言伝を聞かされたのだと思うわ」
「ラヴィニアと顔を合わせたら何を言われるか分かったものじゃない。静かになるまで此処にいよう」
「……」
うんとも、いいえとも返さなかった。ラヴィニア? と怪訝そうに呼ばれてもラヴィニアは前から視線を逸らさず、じっと見ていた。執事が向かってより声は大きくなった。ラヴィニアのせいだ、ラヴィニアのせいだと騒ぐ声が届いた辺りでラヴィニアは玄関ホールへ向かった。
メルは何も言わず、黙ったままラヴィニアの後を追う。
「お義母様」
「お嬢様……!」
ラヴィニアを出せと怒声を上げる義母を抑える執事に首を振り、退いてもらうと義母の前に立った。目を吊り上げ荒く息を吐く義母の相貌には鬼が宿っていた。
「お前、よくものこのこと!」
「此処は私の家です。除籍されていないのなら、まだ私の家です。ですがもう二度と此処には戻りません。お母様の形見を取りに戻っただけですから」
「お前から旦那様にこう言いなさい! プリシラが欲しがっているから譲ると!」
「いいえ。お母様の物は私の物です。赤の他人のプリシラには渡しません」
「このっ!!」
カッとなった後妻に頬を打たれ、乾いた大きな音が玄関ホールに響いた。ラヴィニアの名を呼んで駆け付けようとしたメルを手で制し、打たれた頬を片手で押さえラヴィニアは空いた手で後妻の頬を引っ叩いた。
「なっ……なっ……!」
叩かれ返されるとは予想だにしていなかった後妻はわなわなと体を震わせ、有り得ないといった目でラヴィニアを見る。頬を打たれたのは、母の絵本をプリシラから取り返した時だけと言えど、今まで様々な嫌がらせをされてきた。頬を一度叩くくらい許される筈だ。
「は、母親に向かって手を上げるなんて……!」
「私の母は亡くなった母一人だけです。貴女を一度も母親だと思ったことはありません。そういえば、お父様から聞きましたが私は貴女やプリシラを下位貴族出身者だから母親だと認めない、プリシラは妹じゃないと貴女達に言ったとお父様に話していたようですね」
「そ、それが何よ!」
「その通りです。貴女は私の母じゃない、プリシラは私の妹じゃない。でも貴女達もでしょう? 私を娘だと、姉だと思っていないくせに」
「私は現キングレイ侯爵夫人なのよ!? 前妻の娘が生意気にっ」
「今後二度とキングレイ家には戻りませんから、もう貴女達とも二度と会いません。ただ、今後貴女達がキングレイ家にいられるかどうかについての興味はないとだけ言っておきます」
「っ!」
二度と目の前に現れなければ、興味を抱く必要もない。今後については自分達でどうにかしろと遠回しで伝えると後妻は見る見るうちに泣き出し、膝を崩し顔を手で覆って泣き出した。
「私は旦那様の心情に理解を示してあげただけよ! 娘を出産したせいで奥様を亡くされた旦那様は、憐れなくらい憔悴しておられたわ。そんな旦那様を見捨てられなくて、奥様を殺したのは娘だと言い続けて漸く旦那様は生気を取り戻したの。元はと言えば、貴方が生まれたから奥様は亡くなられたのよ!?」
「……でも、私の母が亡くなったから貴女は後妻の座に収まったのでは?」
「あ……そ……それは……」
過去に亡き母と後妻に面識があるとは聞いていない。落ち込む父を励まし、あわよくば自分が後妻の座に収まりたかった彼女はラヴィニアを下げることで父を励まし、結果父は生気を取り戻した。彼女と再婚したのも元気付けてくれたから。その代わり、ラヴィニアは冷遇される羽目になった。
「三度に渡ってお母様の物を欲しがったプリシラをお父様が許すとは思えません。キングレイ家を出て行きたくないなら、プリシラを見捨てる以外ありません。お父様は貴女と共に追い出す気でいるのでプリシラを見捨てたところで何も変えられないと思いますが」
「お……お願いよ、今までラヴィニアさんにしてきた事を謝るわ。だから、旦那様を説得してお願いよっ」
「私が何もしていなくても、常に私を悪者にし続けた貴女やプリシラを助ける義理はありません。私に同じ言葉を言われたって助けようと思わないでしょう?」
図星を突かれ、何も言えなくなった後妻にそっと息を吐き、俯いたのを見てからラヴィニアはメルの側に戻った。
「大丈夫か?」
叩かれた頬を心配され、大丈夫だと笑んだ。
「うん。冷やせばすぐに治るよ。メル、もう行こう」
「ああ」
肩を震わせ、透明な雫を幾つも落とす後妻を一瞥するだけで声を掛けないまま屋敷を出た。
「……私って冷たい人間だったんだね」
「どうした? 急に」
「お義母様やプリシラがキングレイ家から叩き出されると分かっているのに助けたいって気持ちが全くなかった。あの二人が今度どうなろうと私には無関係だって」
「それが普通だよラヴィニア。気にしなくていい」
「うん……」
門を潜る前に最後にもう一度屋敷を見ておきたくて振り向いたラヴィニアは……頭を下げた後シルバース家の馬車に乗り込んだ。
カーテンを閉めて外の景色は見えないようにした。
もう二度と戻って来ない屋敷に思い入れがない訳じゃないが、そうと決めたのなら視界に入ると決心が揺らぐ。
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