ふしあわせに、殿下

古酒らずり

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三 皇子イザークについて

的中したろう?

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 今日の紅茶はピーチブレンド。桃の甘い香りのドレスを茶葉の貴婦人がまとった一品である。アウローラは、その香りを台無しにするような問いを侍女エリカに放った。

「エリカ」

「はい、なんでしょう、奥様」

「ヴァル様に長らくお仕えしてきたのでしょう」

「殿下が十五歳のときからでございますから、今年で十年目となります」

「なら、知っているでしょう」

「何をです?」

「何を、よ」

「女性遍歴でしょうか」

 アウローラはピーチティーの香気を吸い込んで、細く息をついた。

「正解。……で、数は」

「両の手では数えきれないかと」

「あらまあ。食っては散らかし、食っては散らかし、ですか。とんだ淫蕩皇子ですこと」

 エリカはそこで考えるように目をつぶった。

「殿下は、ご両親の愛を知りません。きっと、ひどく愛に飢えていらっしゃったのでしょう」

「そのことなのですけど」

「はい」

「あなた、ヴァル様のことが……」

 エリカはそこで目を見開くと、椅子に座り込んでいたアウローラを立った姿勢から見下ろした。

「奥様、それ以上は、おやめくださいませ。私には、エディング様がいますから。もう、遠い過去の話でございます」

「……そうだったのね」

 アウローラも、目を閉じた。紅茶の味が、途端にほろ苦いものへと変わった。

「エリカ」

「どういたしました、奥様」

「エディング卿のこと、初耳なのですが」

「あら、失礼いたしました。あの方、いつも私の淹れた紅茶を飲みに来るものですから」

「そうね」

「それもございますが……」

 エリカがそこで言葉を濁したので、アウローラはどうしたのかを尋ねると、エリカは首を横に振る。

「エディング様は、『殿下の腐れ縁』でございますから」

 意味深げなエリカの言葉を、アウローラは完璧には理解することができなかった。ただ、そこに異なる意味が含まれているだろうことを、このときは察することしかできなかったのである。

「あなた、なかなかやるわね、エリカ」

「ふふふ……」

 白磁のティーカップはすっかり空になって、アウローラはおかわりを所望した。

 ♢

 アーチの蔓薔薇の白い花が満開だった。季節は初夏だというのに、ここだけ牡丹雪が積もったような、それは奇妙な光景だった。

 ヴァルフリードは、大公邸の庭の薔薇園を見るのが好きだ。父ジルヴァンの愛妾だった行方不明の実母ジークリットは、薔薇が好きだったという。だから、正妻が世話していた帝宮の〈東ノ宮〉にある薔薇園には、ヴァルフリードは近寄りたくても近寄れなかった。

 本当は、手入れを覚えたかった。母が愛したというものを、自分も愛でる心が欲しかった。

 しかし、それは叶わなかった。

 己が見てきたものは何か。

 鉄。血。臓物。泥。

 死体は腐って土になり、いずれ薔薇になるとて。

 戦線の土の下に眠った戦友も、いずれは美しい薔薇に生まれ変わるのだろうか。

 だとしたら、薔薇と臓物に、違いはあるのだろうか。

「……なあ、殿下」

 エディングの呼び声が、ヴァルフリードの取り留めのない思索を中断させた。

「なんだ」

 視線で薔薇の花弁を撫でていたヴァルフリードは、それをやめて、ゆっくりと悪友の方を振り向いた。

「おまえ、アウローラ殿下をお守りするために、わざと抱いたのだろう」

「……気づいていたか」

 ヴァルフリードは、どう反応したらよいか分からずに、ひとまず笑みをこぼした。

「彼女が、どう扱われるか、分からなかった」

「そうだな」

「ただ、彼女を守りたい、一心だった」

「…………」

 エディングは、何も返事をしなかった。ヴァルフリードは、そのまま独白を続けた。

「『人質』ならば、殺されていたかもしれない。だが、『おれの女』なら、殺してしまえば、おれに正面きって剣を構えることとなる。それは、大逆罪だ。なに……計算のもとだ」

「あのな」

 今度は、エディングは、口を開いた。

「なんだ」

「世間では、それを、『愛』とか『恋』とかいう」

「なるほどそうか、知らなかったな……」

 そこで、がさり、と茂みが動いた気がした。ヴァルフリードは、一瞬、獣か何かかと思ったが、すぐに違うと気づく。

「アウローラ……」

 去っていく彼女の後ろ姿。あまりにすばしっこくて、小鳥か何かを思わせる。まあ、それはそれとして。聞かれていた。彼女に、会話の一部始終を。

「いけない子だ」

 聞かれてしまった。

「エディング」

 もう、唇のにやつきを隠さない副官を、ヴァルフリードは睨みつけた。

「今のは、わざとだな? アウローラが聞いているのを知った上で、わざと、この話をした」

「たまには、海鷲の矢羽の本物ではなく、愛の弓箭を放たないとな。的中したろう?」

「くだらんことを言うな」

 ヴァルフリードは一つ舌打ちして、足下の芝生を軽く蹴った。

「エリカに、ばらすぞ」

「それは無駄だ」

「なに?」

 エディングがなおも余裕綽々の態度なので、ヴァルフリードは、目を剥いた。

「エリカとは、すでにそういう仲でな。おまえは、愛とか恋に鈍感すぎる」

「……訂正する。くだらんどころか、つまらんやつだ」

「お褒めに預かり光栄だねえ、殿下」

 エディングは、それはそれは腹が立つほどにおどけて、弓もないのに矢を放つ構えをとるのだった。

「貴様も、薔薇になりたいようだな」
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