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三 皇子イザークについて
たぶん、愛していたんだ
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その晩は、自然と、そんな雰囲気になった。どちらから言い出したとかではない。どちらともが示し合わせたように、こうなっていたのだ。
乳白色の湯には薔薇の花弁が振り撒かれている。あれよあれよという間に全身を洗われていく。ハーブの香油を肌に擦り込まれ、ミルクティー色の髪も梳かれて、うんと艶が良くなった。
まるで、野菜の下ごしらえだ……と、まったく艶のないことを想起してしまった。
頼りない足取りで寝室に戻ると、もう湯浴みを済ませた彼がいるのだった。
シャツをはだけさせた彼が、胸元にかけていた鍵の銀鎖を掴んだ。しゃらり……と、涼やかな音を立てて取り払われたそれは、寝台の片隅へ無造作に置かれた。
寝台へと腰かける。重みは、ふわり、スプリングが跳ね返してくれる。
「……この下着は、おれのために?」
「見立ててくれました、エリカが」
これほど薄いもの、破廉恥だと思っていたのだが。
「よく似合っているとも。妖精の翅みたいだ」
彼の砂糖菓子のような甘い笑みは、儚くも蕩けそうで。
「女性を褒めるのが、本当にお上手ですこと」
由なし事の応酬をしているうちに、彼は薔薇を模した刺繍の透ける花びらを、一枚、一枚、と検めていく。彼の無骨な指先を、目を細めて見惚れていれば、いつの間にか火照っていた身体。そのまま彼は、レースを幾重にも重ね合わせたベビードールの紐を手際よく滑らせ、するすると解いてしまった。
あらわになった素肌を夜気がひんやりと刺し、羽化したての蝶のように、ふるりと身震いを一つする。陶然と天蓋を見上げていた視界は、ふいに遮られた。
「きゃっ……!」
彼の双眸がぐいと迫り来るのにあげた混乱の声は、唇によって塞がれる。押し倒された衝撃は、寝台の柔らかさがすっかり受け止めてしまった。
息を吸おうと開けた口の隙間を狙って、あたたかいものが侵入してきた。それが舌だと分かって、彼の広い背中を軽く叩いても、彼の力は一向に弛まない。
それどころか、抵抗したことを咎めるように、ますます捕食は苛烈を帯びていく。彼の背中に必死で縋りながら、息をしていた。
「ぁ、ん……っ、はっ、……んんっ!」
呑み込むような深いキスだ。触れられてもいないというのに、下腹には熱がわだかまって、思わず内腿を擦り合わせてしまう。
彼の指が悪戯するように、脊柱沿いに這っていけば、ぞくぞくと身体に甘く快い痺れが駆け抜けていった。その手は腰に添えられ、とん……とん……と、胎のある辺りへ一定の間隔で致命的な刺激を与えてくる。まったくもって、ふざけた真似だ。
そうして、どれほど舌と手で嬲られていたかも分からなくなった頃に、押し当てられていた唇はようやく離された。
「このっ」
眦に涙を感じたまま、綯い交ぜになった羞恥と混乱で彼を強く睨みつける。すると、彼は親指で雫を掬いとるや、それを、ぺろりと桃色の舌で舐めてしまった。
「ああ……、甘い」
彼が、月光のヴェールを背にして、にいと嗤う。蒼の瞳は、飢えきった獣のように、濡れそぼっていた。
「さて──」
──始めようか、姫君。
♢
彼はまだ、眠りの淵にいる。
アウローラが気怠すぎる身体を引きずるようにして早朝に起き出した目的は、鍵を奪取すること。引き出しの中を覗くことで──決して、こんなはずでは、なかった。
『きみへ
おれは、人を殺した。数えきれないほど。そうせざるを得なかった己が憐れだと酔っているとか、これだけの敵を討ったと誇るとかではない。ただ、殺したのは事実だ。殺した人間の影を背負って、これからも生きねばならないと思うと、おれのような臆病者には、耐えかねた。
おれは、皇弟の妾の子だ。愛情をかけられたためしなど、一度もない。こんな自分が生きていてよいのか、たまに分からなくなるときがある。おれが死んで喜ぶ者はあれど、逆はないだろう。
十六の初陣で初めて人を殺したときから、おれは自分という存在が許せなくなった。死ねば地獄行きなのはとうに知れたこと。ならば、死ぬのが早いか遅いかだけの違いではないか。単騎で無謀な突撃を繰り返したのは、戦果のためではなく、おれが野に屍を晒したかっただけなのだろうな。
おれは罪人だ。きみならきっと、そう思ってくれるだろう。
まあ、暗い話はやめよう。きみの話をしよう。きみは、おれの暁だった。目が覚めるように明るくて、肌を重ね合わせた朝の、あの白々とした美しい夜明けを、ときどき思い出すのだ。
きみは、おれのような屑星の光をかき消してしまう。いや、おれが星だとすら自認するのも浅ましいことなのだが、かろうじて星ということにしておこう。
きみが眩しければ眩しいほど、おれの罪は、濃く長く影を落とした。
きみは、おれにとってそういう残酷な存在でもあった。だからと言って、きみを責めたいわけではないことは分かってくれたまえ。
さて。
地獄だろうと、どこだろうと、きっと、きみのことを忘れない。きみは、こんなどうしようもないおれのことを必ず忘れなさい。
今までありがとう。たぶん、愛していたんだ。
ヴァルフリード』
乳白色の湯には薔薇の花弁が振り撒かれている。あれよあれよという間に全身を洗われていく。ハーブの香油を肌に擦り込まれ、ミルクティー色の髪も梳かれて、うんと艶が良くなった。
まるで、野菜の下ごしらえだ……と、まったく艶のないことを想起してしまった。
頼りない足取りで寝室に戻ると、もう湯浴みを済ませた彼がいるのだった。
シャツをはだけさせた彼が、胸元にかけていた鍵の銀鎖を掴んだ。しゃらり……と、涼やかな音を立てて取り払われたそれは、寝台の片隅へ無造作に置かれた。
寝台へと腰かける。重みは、ふわり、スプリングが跳ね返してくれる。
「……この下着は、おれのために?」
「見立ててくれました、エリカが」
これほど薄いもの、破廉恥だと思っていたのだが。
「よく似合っているとも。妖精の翅みたいだ」
彼の砂糖菓子のような甘い笑みは、儚くも蕩けそうで。
「女性を褒めるのが、本当にお上手ですこと」
由なし事の応酬をしているうちに、彼は薔薇を模した刺繍の透ける花びらを、一枚、一枚、と検めていく。彼の無骨な指先を、目を細めて見惚れていれば、いつの間にか火照っていた身体。そのまま彼は、レースを幾重にも重ね合わせたベビードールの紐を手際よく滑らせ、するすると解いてしまった。
あらわになった素肌を夜気がひんやりと刺し、羽化したての蝶のように、ふるりと身震いを一つする。陶然と天蓋を見上げていた視界は、ふいに遮られた。
「きゃっ……!」
彼の双眸がぐいと迫り来るのにあげた混乱の声は、唇によって塞がれる。押し倒された衝撃は、寝台の柔らかさがすっかり受け止めてしまった。
息を吸おうと開けた口の隙間を狙って、あたたかいものが侵入してきた。それが舌だと分かって、彼の広い背中を軽く叩いても、彼の力は一向に弛まない。
それどころか、抵抗したことを咎めるように、ますます捕食は苛烈を帯びていく。彼の背中に必死で縋りながら、息をしていた。
「ぁ、ん……っ、はっ、……んんっ!」
呑み込むような深いキスだ。触れられてもいないというのに、下腹には熱がわだかまって、思わず内腿を擦り合わせてしまう。
彼の指が悪戯するように、脊柱沿いに這っていけば、ぞくぞくと身体に甘く快い痺れが駆け抜けていった。その手は腰に添えられ、とん……とん……と、胎のある辺りへ一定の間隔で致命的な刺激を与えてくる。まったくもって、ふざけた真似だ。
そうして、どれほど舌と手で嬲られていたかも分からなくなった頃に、押し当てられていた唇はようやく離された。
「このっ」
眦に涙を感じたまま、綯い交ぜになった羞恥と混乱で彼を強く睨みつける。すると、彼は親指で雫を掬いとるや、それを、ぺろりと桃色の舌で舐めてしまった。
「ああ……、甘い」
彼が、月光のヴェールを背にして、にいと嗤う。蒼の瞳は、飢えきった獣のように、濡れそぼっていた。
「さて──」
──始めようか、姫君。
♢
彼はまだ、眠りの淵にいる。
アウローラが気怠すぎる身体を引きずるようにして早朝に起き出した目的は、鍵を奪取すること。引き出しの中を覗くことで──決して、こんなはずでは、なかった。
『きみへ
おれは、人を殺した。数えきれないほど。そうせざるを得なかった己が憐れだと酔っているとか、これだけの敵を討ったと誇るとかではない。ただ、殺したのは事実だ。殺した人間の影を背負って、これからも生きねばならないと思うと、おれのような臆病者には、耐えかねた。
おれは、皇弟の妾の子だ。愛情をかけられたためしなど、一度もない。こんな自分が生きていてよいのか、たまに分からなくなるときがある。おれが死んで喜ぶ者はあれど、逆はないだろう。
十六の初陣で初めて人を殺したときから、おれは自分という存在が許せなくなった。死ねば地獄行きなのはとうに知れたこと。ならば、死ぬのが早いか遅いかだけの違いではないか。単騎で無謀な突撃を繰り返したのは、戦果のためではなく、おれが野に屍を晒したかっただけなのだろうな。
おれは罪人だ。きみならきっと、そう思ってくれるだろう。
まあ、暗い話はやめよう。きみの話をしよう。きみは、おれの暁だった。目が覚めるように明るくて、肌を重ね合わせた朝の、あの白々とした美しい夜明けを、ときどき思い出すのだ。
きみは、おれのような屑星の光をかき消してしまう。いや、おれが星だとすら自認するのも浅ましいことなのだが、かろうじて星ということにしておこう。
きみが眩しければ眩しいほど、おれの罪は、濃く長く影を落とした。
きみは、おれにとってそういう残酷な存在でもあった。だからと言って、きみを責めたいわけではないことは分かってくれたまえ。
さて。
地獄だろうと、どこだろうと、きっと、きみのことを忘れない。きみは、こんなどうしようもないおれのことを必ず忘れなさい。
今までありがとう。たぶん、愛していたんだ。
ヴァルフリード』
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