ふしあわせに、殿下

古酒らずり

文字の大きさ
25 / 40
三 皇子イザークについて

金か銀か 四

しおりを挟む
「ハインツ、説明せよ! なぜ、このような不正を!」

 皇弟ジルヴァンがいよいよ耐えかねたのか、ハインツに怒声を浴びせた。

「申し訳ございません、ジルヴァン殿下、フィリベルト陛下……」

 フィリベルト帝が手をあげてハインツを取り押さえようとする衛兵たちを制した。

「ゆっくりと訳を聞かせてはくれぬか、ハインツ」

 老職人は、涙で濡れた顔を上げた。

「私めには、病気の息子がおります……」

 ハインツは語った。

 二十歳になる一人息子がいること。三年前から重病に侵され、臥せっていること。妻はすでに他界していること。息子だけが生きがいであること。

「薬代には、莫大な金額が必要でした。とても、俸給でまかなえるものではなく……」

 ハインツは、すがるような、しかしながら、半分は恨むような視線を、とある人物に投げかけた。

──財務官のオットマーである。

「そんな折に、オットマー殿が現れたのです」

 オットマーの顔色が奇妙な土気色に変わっていくと、ハインツの視線は淡々したものに変わった。そして、さらに語ってみせた。

「彼は、こう言いました──『息子さんの治療代、肩代わりいたしましょう』と」

 ハインツは、手の甲で涙を乱暴にぬぐう。

「私は、そのときは、確かに喜んだのです。なんと慈悲深いお方なのだろう……」

 ですが……と、ハインツはそれを否定した。

「それは、罠でした。彼は、こうも言ったのです。『これからは、金庫にある旧インゴットを使ってほしい』」

 ハインツは、両手で顔を覆った。

「何件も、何件も、依頼を旧インゴットで作りました」

「その、旧インゴットというのは……あれか」

 フィリベルト帝が、瞳に理解の閃きを浮かべた。

「陛下、どういうことでしょうか」

 アウローラが尋ねると、ジルヴァンがこう説明する。

「金庫には、古いインゴットがまだ残っているのだ。先々代陛下の時代の遺物だ。戦費が不足した際に、金八、銀二の割合で鋳造されたインゴットなのだ。外見を保つために、金メッキが施されているから、一見すれば、見分けがつかぬのだ」

 アウローラは手のひらを拳で軽く打った。

「何かがおかしいと思っていたのですよ」

「皇帝陛下とジルヴァン殿下は、オットマー財務官を泳がせていらっしゃいましたね」

 アウローラが指摘すると、フィリベルト帝もジルヴァンも、そして、今までずっと黙っていたイザーク皇子も、途端に笑い始めた。唖然としているのは、ハインツとオットマー、そして完全に部外者のヴァルフリードだけである。おそらくは、この場にいないアガーテ皇女も知っていたのだろう。

(食えない皇帝一族ね……)

 アウローラは内心で舌を巻いていた。

 つまりはこうだ。

 フィリベルト帝は、冠に銀が混ざっていたことを、とうに見抜いていたが、オットマー財務官を確実に検挙するため、あえて騙された演技を続けていた。

「匿名の告発文など、最初から存在しなかった。……そうですね、皇帝陛下?」

 と、アウローラが苦笑交じりに尋ねると、フィリベルト帝はようやく笑いを治めて、アウローラに向き直った。

「いや、すまんすまん、アウローラ殿下」

「そうですよね、各地からの学問を蒐集し続ける広大な帝国が、金と銀の見分け方など、分からないはずもないですよね」

「いや、本当に悪かった、アウローラ殿下……」

 ジルヴァンも悪戯っぽい笑みの名残を顔に浮かべたまま、平謝りした。

 目を白黒させているヴァルフリードにアウローラが事情を説明してやると、ヴァルフリードは「いやはや、恐ろしいお二人だ」と怖々独りごちていた。

 やがて、フィリベルト帝が重々しく口を開いた。

「オットマー」

「は、はい」

「おまえの罪は重いぞ。隠蔽を繰り返し、弱者につけこみ、皇帝を欺かんとした」

 オットマーの肩は震えている。

「よって、財務官の地位を剥奪する。財産は没収。終身、帝国からの追放を命ずる」

「お、お許しを……!」

 両脇を固めた衛兵に引きずられて、オットマーは謁見の間を退出していった。否、連行されていった。

「──ハインツ」

 次に、フィリベルト帝は老職人の前に立った。

「は……はい、陛下」

「おまえの罪も、重い。皇帝を欺けば、死罪である。……分かるな?」

 ハインツは覚悟したように目を閉じる。

「しかし」

 フィリベルト帝の声が少し和らいだ。

「おまえは息子を救おうとした、そうだな?」

 フィリベルト帝は緩やかに息を吐いた。

「親が子を救うためには、ときには他人を騙さねばならぬときもある。その愚かさは、私も承知している……」

 ハインツの目尻には、再び光るものがあった。

「だが、その罪が消えるわけではない。……よいな?」

「はい……」

「おまえは、今このときをもって宮廷金細工師の職を解く。ただし……」

 フィリベルト帝は、蒼い双眸に何かを痛むような色を重ねていた。

「おまえの息子の治療に必要な金は、帝国が負担しよう。父の子を救う心、私は無下にできない」

 その光景を眺めていたヴァルフリードは小さく呟いた。

「ジルヴァン父上が笑ったのを初めて見たどころか、フィリベルト陛下が嘘をおつきになるとは……おれはまだまだ若輩だな。この世に知らぬことが多いらしい」

「科学はさておき、人間は嘘をつきますから」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。 最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。 しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。 カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。 離婚届の上に、涙が落ちる。 それでもシャルロッテは信じたい。 あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。 すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。

【完結】旦那様、わたくし家出します。

さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。 溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。 名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。 名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。 登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*) 第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中

十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした

柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。 幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。 そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。 護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。

氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―

柴田はつみ
恋愛
亡国との同盟の証として、大国ターナルの若き王――ギルベルトに嫁いだエルフレイデ。 しかし、結婚初夜に彼女を待っていたのは、氷の刃のように冷たい拒絶だった。 「お前を抱くことはない。この国に、お前の居場所はないと思え」 屈辱に震えながらも、エルフレイデは亡き母の教え―― 「己の誇り(たましい)を決して売ってはならない」――を胸に刻み、静かに、しかし凛として言い返す。 「承知いたしました。ならば私も誓いましょう。生涯、あなたと褥を共にすることはございません」 愛なき結婚、冷遇される王妃。 それでも彼女は、逃げも嘆きもせず、王妃としての務めを完璧に果たすことで、己の価値を証明しようとする。 ――孤独な戦いが、今、始まろうとしていた。

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

最後にして最幸の転生を満喫していたらある日突然人質に出されました

織本紗綾(おりもとさや)
恋愛
─作者より─  定番かもしれませんが、裏切りとざまぁを書いてみようと思いました。妹のローズ、エランに第四皇子とリリーの周りはくせ者だらけ。幸せとは何か、傷つきながら答えを探していく物語。一話を1000字前後にして短時間で読みやすくを心掛けています。 ─あらすじ─  美しいと有名なロレンス大公爵家の令嬢リリーに転生、豪華で何不自由ない暮らしに将来有望でイケメンな婚約者のランスがいて、通う学園では羨望の眼差しが。  前世で苦労した分、今世は幸せでもいいよね……ずっと夢に見てきた穏やかで幸せな人生がやっと手に入る。  そう思っていたのに──待っていたのは他国で人質として生きる日々だった。

君から逃げる事を赦して下さい

鳴宮鶉子
恋愛
君から逃げる事を赦して下さい。

処理中です...