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13.苛立つ侯爵夫人
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夕食の時間の少し前に食堂へ行くとすでにみなが揃っていた。私は急いでロイドの隣の席へと座る。
「お待たせして申し訳ございません」
「レティシア、もう少し早くに――」
「謝ることはない。私達が早く来ただけなのだから」
義父に言葉を遮られた形になった義母は口を噤む。この家では当主の言葉は絶対だからだ。
ホグワル侯爵は近づき難い雰囲気を持っていて、ロイドとは似ていない。
私が嫁いできた当初、彼が夕食の席にいることは少なかった。多忙なうえに愛人のもとに通っていたからだけれども、最近――ここ半年ほどは本邸にいることが多くなった気がする。
夕食の席の話題は執務に関することが中心となる。
義父と義母の関係は夫婦というよりも、より対等な主従関係に近く、その在り方は貴族らしいものだ。それを否定するつもりはないけれど、私はロイドと違う形になりたいと思っている。
……いつかなれるかしら……。
食事しながら各々が義父へ報告を終えると、義母は何かを思い出したように『そう言えば……』と話し出す。
「領地への視察の件ですが、ロイドだけで行かせようと思っていますの」
「レティシアは体調でも悪いのか?」
義父は義母ではなく、私を見ながら聞いてくる。何も聞かされていなかった私は、戸惑いながら義父そして義母へと視線を動かす。
「いいえ、そんなことはありません。お義母様、どうしてでしょうか?」
「あなたにはお茶会の予定がたくさん入っているでしょ? 大変なのは私が一番分かっているわ。無理することはないのよ、レティシア」
「お気遣いありがとうございます。ですが、予定は重ならないように調整済みですので問題はありません。ロイドと一緒に参ります」
私の言葉に、義母は微笑みながら頷く。
甘えることなく次期侯爵夫人として正しい選択をするか、私を試したのかもしれない。ということは、私は彼女の期待に応えられたということだ。
ほっとしながらロイドを見ると、彼も同じような顔をしていた。彼もやはり私が試されたと思ったのだろう。
この件はもう済んだという雰囲気になっていると、義父がロイドだけで視察に行くようにと告げてきた。
「なぜですか! 旦那様」
強い口調で反論したのは義母だった。義父は不愉快そうに片眉を上げる。
「メイベル、お前の提案を了承したまでのことだ。理に適っていたからな」
「ですが、本人が大丈夫だと言ったではないですか!」
「お義父様、私は大丈夫です。歴代の夫人もみなやっていたことですから、私も――」
「レティシア」
私の名を呼ぶ義父の低い声で、食堂全体が緊張感に包まれる。みな、その後に続く言葉――私への叱責を待つ。
「最近、次期侯爵夫人宛のお茶会の誘いが増えたようだな。それも公爵家など高位ばかりから。先日もとある公爵から孫娘が世話になったと話し掛けられたぞ」
義父は珍しく笑みを浮かべている。確かに私への誘いは増えてきていたけれど、私の功績ではないと思う。
……特別なことをした覚えはないわ。
そう思ったのは私だけではなかった。
「社交は当たり前のことですわ、旦那様!」
義母は苛立ったように声を上げる。いつも毅然としている人なのに、今日は様子が少し違った。
そんな彼女に向ける義父の視線は温かみを感じないものだった。
「確かにそうだ。だが、私が欲しかった人脈をレティシアが繋いだ。お前では出来なかったことだ。領地の視察も大切だが、今はお茶会に専念させたほうが、我が家の利になる。ロイドもそれでいいな?」
「はい、父上。異存はありません」
続いて義父は私を見る。ホグワル侯爵として”是”以外は許さないという目だった。私が承知した旨を伝えると、彼は黙って義母の返事を待つ。
彼女は目線を下に落としたまま答えない。
今回の件を言い出したのは義母だ。彼女の意図とは違う結果になったとしても、当主の決定は覆らない。義父はそういう人だ。
「メイベル!」
叱責に近い声が部屋に響くと、彼女はゆっくりと顔を上げる。その顔はいつものように微笑んでいたけれど、顔色は良くなかった。
「……分かりましたわ、旦那様」
弱々しい声で答える義母。もしかしたらテーブルの下に置かれた手は、強く握りしめられているのかもしれない。
義父は彼女に声を掛けることなく、新たな事業の話をロイドと始めた。
ちょうどその時、侍女が空になった皿を下げるために部屋から出ていき、近くに給仕の者がいなくなる。その瞬間。
「……こういう女には優しいのね、あなたは……」
微かな声がどこからか聞こえてきた。夢中になって話している義父とロイドは気づいて――いいえ、聞こえていないようだった。
義母のほうを向くと目が合った。彼女は唇で弧を描いたまま、なにかあったかしら? と逆に聞いてくるように小首を傾げてみせる。
気のせい、もしくは廊下の声だったようだ……。
「旦那様、視察については、いつものように私が決めてもいいでしょうか?」
「ああ、任せる」
彼は一瞥することなく流すように答えた。
義父のこういう態度は苦手だ。夫婦にしか分からないことはあると思う。でも、……相手が誰であれ気遣うべきだ。義母は強い人だ。けれども、強くても傷つきはする。
義母の視線がロイドと私に向く。その顔色は少し良くなっていてほっとした。
「ロイド、父上の決定を聞きましたね? 一緒にお茶会を頑張りましょう、レティシア」
「……母上、承知しました」
「はい、お義母様」
私はなるべく明るい声で返事をする。少しでも場の雰囲気を変えたかったから。
夕食はこのあとすぐに終わり、私はロイドとともに食堂を出た。二人並んで廊下を歩いていると、前からアリーチェが歩いてくる。彼女は通いなので、今から帰るところなのだろう。
「レティシア様、ロイド様。失礼いたします」
アリーチェは脇に避けると、礼儀正しく退出の挨拶をした。私達は会釈を返して彼女の前を通り過ぎようとする。
「そう言えば、ロイド様。領地の視察に私が同伴する件はいかが致しましたか? 準備の関係もありますので、もし決定したら早めに教えていただきたいのですが……」
彼女は業務の一環として淡々と聞いてきた。
いったい、これはどういうこと……。
私はどう反応していいか分からなかった。
夕食の席でロイドはそんなこと一言も言っていなかった。でも、アリーチェはもう知っている。つまり、夕食の時点でそういう話は出ていたのだ。私に知らせていなかっただけ……。
隣に立つ彼は気まずそうに私から目を逸らし、『正式に決まった』と彼女に教えてあげた。
「お待たせして申し訳ございません」
「レティシア、もう少し早くに――」
「謝ることはない。私達が早く来ただけなのだから」
義父に言葉を遮られた形になった義母は口を噤む。この家では当主の言葉は絶対だからだ。
ホグワル侯爵は近づき難い雰囲気を持っていて、ロイドとは似ていない。
私が嫁いできた当初、彼が夕食の席にいることは少なかった。多忙なうえに愛人のもとに通っていたからだけれども、最近――ここ半年ほどは本邸にいることが多くなった気がする。
夕食の席の話題は執務に関することが中心となる。
義父と義母の関係は夫婦というよりも、より対等な主従関係に近く、その在り方は貴族らしいものだ。それを否定するつもりはないけれど、私はロイドと違う形になりたいと思っている。
……いつかなれるかしら……。
食事しながら各々が義父へ報告を終えると、義母は何かを思い出したように『そう言えば……』と話し出す。
「領地への視察の件ですが、ロイドだけで行かせようと思っていますの」
「レティシアは体調でも悪いのか?」
義父は義母ではなく、私を見ながら聞いてくる。何も聞かされていなかった私は、戸惑いながら義父そして義母へと視線を動かす。
「いいえ、そんなことはありません。お義母様、どうしてでしょうか?」
「あなたにはお茶会の予定がたくさん入っているでしょ? 大変なのは私が一番分かっているわ。無理することはないのよ、レティシア」
「お気遣いありがとうございます。ですが、予定は重ならないように調整済みですので問題はありません。ロイドと一緒に参ります」
私の言葉に、義母は微笑みながら頷く。
甘えることなく次期侯爵夫人として正しい選択をするか、私を試したのかもしれない。ということは、私は彼女の期待に応えられたということだ。
ほっとしながらロイドを見ると、彼も同じような顔をしていた。彼もやはり私が試されたと思ったのだろう。
この件はもう済んだという雰囲気になっていると、義父がロイドだけで視察に行くようにと告げてきた。
「なぜですか! 旦那様」
強い口調で反論したのは義母だった。義父は不愉快そうに片眉を上げる。
「メイベル、お前の提案を了承したまでのことだ。理に適っていたからな」
「ですが、本人が大丈夫だと言ったではないですか!」
「お義父様、私は大丈夫です。歴代の夫人もみなやっていたことですから、私も――」
「レティシア」
私の名を呼ぶ義父の低い声で、食堂全体が緊張感に包まれる。みな、その後に続く言葉――私への叱責を待つ。
「最近、次期侯爵夫人宛のお茶会の誘いが増えたようだな。それも公爵家など高位ばかりから。先日もとある公爵から孫娘が世話になったと話し掛けられたぞ」
義父は珍しく笑みを浮かべている。確かに私への誘いは増えてきていたけれど、私の功績ではないと思う。
……特別なことをした覚えはないわ。
そう思ったのは私だけではなかった。
「社交は当たり前のことですわ、旦那様!」
義母は苛立ったように声を上げる。いつも毅然としている人なのに、今日は様子が少し違った。
そんな彼女に向ける義父の視線は温かみを感じないものだった。
「確かにそうだ。だが、私が欲しかった人脈をレティシアが繋いだ。お前では出来なかったことだ。領地の視察も大切だが、今はお茶会に専念させたほうが、我が家の利になる。ロイドもそれでいいな?」
「はい、父上。異存はありません」
続いて義父は私を見る。ホグワル侯爵として”是”以外は許さないという目だった。私が承知した旨を伝えると、彼は黙って義母の返事を待つ。
彼女は目線を下に落としたまま答えない。
今回の件を言い出したのは義母だ。彼女の意図とは違う結果になったとしても、当主の決定は覆らない。義父はそういう人だ。
「メイベル!」
叱責に近い声が部屋に響くと、彼女はゆっくりと顔を上げる。その顔はいつものように微笑んでいたけれど、顔色は良くなかった。
「……分かりましたわ、旦那様」
弱々しい声で答える義母。もしかしたらテーブルの下に置かれた手は、強く握りしめられているのかもしれない。
義父は彼女に声を掛けることなく、新たな事業の話をロイドと始めた。
ちょうどその時、侍女が空になった皿を下げるために部屋から出ていき、近くに給仕の者がいなくなる。その瞬間。
「……こういう女には優しいのね、あなたは……」
微かな声がどこからか聞こえてきた。夢中になって話している義父とロイドは気づいて――いいえ、聞こえていないようだった。
義母のほうを向くと目が合った。彼女は唇で弧を描いたまま、なにかあったかしら? と逆に聞いてくるように小首を傾げてみせる。
気のせい、もしくは廊下の声だったようだ……。
「旦那様、視察については、いつものように私が決めてもいいでしょうか?」
「ああ、任せる」
彼は一瞥することなく流すように答えた。
義父のこういう態度は苦手だ。夫婦にしか分からないことはあると思う。でも、……相手が誰であれ気遣うべきだ。義母は強い人だ。けれども、強くても傷つきはする。
義母の視線がロイドと私に向く。その顔色は少し良くなっていてほっとした。
「ロイド、父上の決定を聞きましたね? 一緒にお茶会を頑張りましょう、レティシア」
「……母上、承知しました」
「はい、お義母様」
私はなるべく明るい声で返事をする。少しでも場の雰囲気を変えたかったから。
夕食はこのあとすぐに終わり、私はロイドとともに食堂を出た。二人並んで廊下を歩いていると、前からアリーチェが歩いてくる。彼女は通いなので、今から帰るところなのだろう。
「レティシア様、ロイド様。失礼いたします」
アリーチェは脇に避けると、礼儀正しく退出の挨拶をした。私達は会釈を返して彼女の前を通り過ぎようとする。
「そう言えば、ロイド様。領地の視察に私が同伴する件はいかが致しましたか? 準備の関係もありますので、もし決定したら早めに教えていただきたいのですが……」
彼女は業務の一環として淡々と聞いてきた。
いったい、これはどういうこと……。
私はどう反応していいか分からなかった。
夕食の席でロイドはそんなこと一言も言っていなかった。でも、アリーチェはもう知っている。つまり、夕食の時点でそういう話は出ていたのだ。私に知らせていなかっただけ……。
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