12 / 43
12.取るに足らぬ者②(レイリー視点)
しおりを挟む
「先ほどの発言を聞かなかったことには出来ない。失礼だと思うが調べせてもらう」
「書類上、私は血縁者ですよ」
トウヤは穏やかな口調で、開き直ったようなことを言う。偽造は完璧だから見逃せと言っているのか。
「かりにも妹が診てもらっている医者だ。不正の可能性があるのに、黙って見過ごすわけにはいかない」
「レイリーは妹思いの兄ですね。……昔も今も」
「昔?」
学園在学中に私と妹が一緒の姿を見たことがあるのだろうか。
私が妹と一緒にいたのは昼休みぐらいだ。
あの頃のロイドは妹の前で想い人の姿を目で追っていた。辛そうな妹の気を紛らわそうと、私はよくその場に顔を出していたのだ。
ホグワル侯爵家とバーク候爵家は対等の関係で注意できる立場ではなかった。それに、ロイドの行為は不誠実とはほど遠いものでもあった。あれくらいで目くじらを立てたら、こちらの立場が悪くなる。
――兄としてできる限りのことをした。
今だって、嫁いだ妹を気に掛けてホグワル侯爵家に顔を出している。妹のために。
「ピロット公爵、ハイゼン伯爵、ダイナ公爵夫人など多くの方が、前マール伯爵の願いを叶えるために動きました。それでも調べますか? レイリー」
「そんなに……」
「養父は人脈が豊富だったようです。私にあなたを止める力はありません。ですが、お勧めはしませんとだけ言っておきます」
トウヤの口から出た錚々たる顔ぶれに、私はごくりと唾をのんだ。
……違う、人脈が豊富なのはトウヤなのだ。
もしこの件を調べようものなら、私は跡形もなく潰されるだろう。
彼は腕の良い医者で誠実な人柄だと耳にしていたが、噂は信じないほうがいいようだ。……彼自身もそう言っていたが、こういう意味だとは思っていなかった。
「…………」
「分かって頂けて良かったです、レイリー。それにしても、あなたはちっとも変わっていませんね。今も昔も”見ているだけ”。ああ、誤解しないでください。悪い意味で言ったわけではないですから。己の器を理解している者の賢い選択だと思いますよ」
彼は丁寧な話し方と柔らかい表情を保っている――温和そのもの。
彼は目立たない生徒だった。その綺麗な顔は長めの前髪で隠れていて、印象はと聞かれたら答えは”なにもない”だ。
今だって地味な装いで無害そうに見える。
……なのに、恐ろしい。彼の後ろ盾を知ったからというより、そんな後ろ盾を得たということは彼が只者ではない証。
取るに足らない者がたった数年で、どうやって成り上がったんだ……。
知りたいが、私は調べないだろう。まだバーク候爵家の次期当主にすぎない私には手に余る。
ガタンと音を立てて馬車が止まると、『ピロット公爵邸に到着しました』という御者の声が聞こえてくる。
助かったと思った。このまま二人きりだったら、私は無様にも震えだしていたかもしれない。
「レイリー、送っていただき有り難うございました」
彼は自分で扉を開けると、颯爽と馬車から降りていく。まるであの会話などなかったかのように。
忘れろということなのだろう。言われなくともそのつもりだ。
……だが、一言だけ言っておきたい。
レティシアを診ているのはホグワル侯爵家のかかりつけ医になったから。そこに深い意味はないが、妹と接点があるのは事実。
「妹を傷つけることはしないで欲しい」
「あなたがそれを言いますか……」
トウヤはくっくくと笑いながら振り返る。
「それは無用な心配です。私が這い上がったのは大切な人を守れる力が欲しかったからです。力がなければ何も出来ないと、身を以て知っていますので。この力を正しいことに使うなんて嘘は言いませんが、これだけは約束します。レティシアが望まないことは決してしません。あと、これはどうでもいいことですが、力があってもなにもしない人もいますね」
彼はそれだけ言うと背を向け去っていく。
その後ろ姿を見て私はある光景を思い出す。
あれは確か昼休み、妹達がいる場所に向かいながら私は呟いていた。
『レティシアのやつ、兄の優しさをまったく分かってない。気を使って顔を出しているのに。ありがとうお兄様って言えよ。こんなに妹思いの兄はいないぞ』
『見ているだけですね……』
『なにっ?』
話し掛けられたと思って一瞬反応したが、その人物は私の横を通り過ぎていった。気のせいだったと、すぐにそんな出来事は忘れていた。今、この瞬間まで。
トウヤの後ろ姿が、あの時に私を追い越した黒髪の者と重なる。同一人物だろうかと、自分の朧気な記憶に問いかける。
――分からない。
自分が即座に出した答えに自嘲する。本当に分からないというのか? 偶然、幸運、台詞すべてを繋げたら答えは導き出されるはずだ。彼の大切な人とはきっと。
馬車が動き出しすとその揺れに合わせてまた私は頭を振る――分からないと。
……これでいい。
誰かのため、妹のためと、言えるのは自分が確実に安全なところいる時だけ。誰しも我が身が一番可愛いのだ。”見ているだけ”の妹思いな兄で居続けることを私は迷わず選択する。
今の私は取るに足らない者……なのかもしれない。
「書類上、私は血縁者ですよ」
トウヤは穏やかな口調で、開き直ったようなことを言う。偽造は完璧だから見逃せと言っているのか。
「かりにも妹が診てもらっている医者だ。不正の可能性があるのに、黙って見過ごすわけにはいかない」
「レイリーは妹思いの兄ですね。……昔も今も」
「昔?」
学園在学中に私と妹が一緒の姿を見たことがあるのだろうか。
私が妹と一緒にいたのは昼休みぐらいだ。
あの頃のロイドは妹の前で想い人の姿を目で追っていた。辛そうな妹の気を紛らわそうと、私はよくその場に顔を出していたのだ。
ホグワル侯爵家とバーク候爵家は対等の関係で注意できる立場ではなかった。それに、ロイドの行為は不誠実とはほど遠いものでもあった。あれくらいで目くじらを立てたら、こちらの立場が悪くなる。
――兄としてできる限りのことをした。
今だって、嫁いだ妹を気に掛けてホグワル侯爵家に顔を出している。妹のために。
「ピロット公爵、ハイゼン伯爵、ダイナ公爵夫人など多くの方が、前マール伯爵の願いを叶えるために動きました。それでも調べますか? レイリー」
「そんなに……」
「養父は人脈が豊富だったようです。私にあなたを止める力はありません。ですが、お勧めはしませんとだけ言っておきます」
トウヤの口から出た錚々たる顔ぶれに、私はごくりと唾をのんだ。
……違う、人脈が豊富なのはトウヤなのだ。
もしこの件を調べようものなら、私は跡形もなく潰されるだろう。
彼は腕の良い医者で誠実な人柄だと耳にしていたが、噂は信じないほうがいいようだ。……彼自身もそう言っていたが、こういう意味だとは思っていなかった。
「…………」
「分かって頂けて良かったです、レイリー。それにしても、あなたはちっとも変わっていませんね。今も昔も”見ているだけ”。ああ、誤解しないでください。悪い意味で言ったわけではないですから。己の器を理解している者の賢い選択だと思いますよ」
彼は丁寧な話し方と柔らかい表情を保っている――温和そのもの。
彼は目立たない生徒だった。その綺麗な顔は長めの前髪で隠れていて、印象はと聞かれたら答えは”なにもない”だ。
今だって地味な装いで無害そうに見える。
……なのに、恐ろしい。彼の後ろ盾を知ったからというより、そんな後ろ盾を得たということは彼が只者ではない証。
取るに足らない者がたった数年で、どうやって成り上がったんだ……。
知りたいが、私は調べないだろう。まだバーク候爵家の次期当主にすぎない私には手に余る。
ガタンと音を立てて馬車が止まると、『ピロット公爵邸に到着しました』という御者の声が聞こえてくる。
助かったと思った。このまま二人きりだったら、私は無様にも震えだしていたかもしれない。
「レイリー、送っていただき有り難うございました」
彼は自分で扉を開けると、颯爽と馬車から降りていく。まるであの会話などなかったかのように。
忘れろということなのだろう。言われなくともそのつもりだ。
……だが、一言だけ言っておきたい。
レティシアを診ているのはホグワル侯爵家のかかりつけ医になったから。そこに深い意味はないが、妹と接点があるのは事実。
「妹を傷つけることはしないで欲しい」
「あなたがそれを言いますか……」
トウヤはくっくくと笑いながら振り返る。
「それは無用な心配です。私が這い上がったのは大切な人を守れる力が欲しかったからです。力がなければ何も出来ないと、身を以て知っていますので。この力を正しいことに使うなんて嘘は言いませんが、これだけは約束します。レティシアが望まないことは決してしません。あと、これはどうでもいいことですが、力があってもなにもしない人もいますね」
彼はそれだけ言うと背を向け去っていく。
その後ろ姿を見て私はある光景を思い出す。
あれは確か昼休み、妹達がいる場所に向かいながら私は呟いていた。
『レティシアのやつ、兄の優しさをまったく分かってない。気を使って顔を出しているのに。ありがとうお兄様って言えよ。こんなに妹思いの兄はいないぞ』
『見ているだけですね……』
『なにっ?』
話し掛けられたと思って一瞬反応したが、その人物は私の横を通り過ぎていった。気のせいだったと、すぐにそんな出来事は忘れていた。今、この瞬間まで。
トウヤの後ろ姿が、あの時に私を追い越した黒髪の者と重なる。同一人物だろうかと、自分の朧気な記憶に問いかける。
――分からない。
自分が即座に出した答えに自嘲する。本当に分からないというのか? 偶然、幸運、台詞すべてを繋げたら答えは導き出されるはずだ。彼の大切な人とはきっと。
馬車が動き出しすとその揺れに合わせてまた私は頭を振る――分からないと。
……これでいい。
誰かのため、妹のためと、言えるのは自分が確実に安全なところいる時だけ。誰しも我が身が一番可愛いのだ。”見ているだけ”の妹思いな兄で居続けることを私は迷わず選択する。
今の私は取るに足らない者……なのかもしれない。
649
あなたにおすすめの小説
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
好きだと言ってくれたのに私は可愛くないんだそうです【完結】
須木 水夏
恋愛
大好きな幼なじみ兼婚約者の伯爵令息、ロミオは、メアリーナではない人と恋をする。
メアリーナの初恋は、叶うこと無く終わってしまった。傷ついたメアリーナはロメオとの婚約を解消し距離を置くが、彼の事で心に傷を負い忘れられずにいた。どうにかして彼を忘れる為にメアが頼ったのは、友人達に誘われた夜会。最初は遊びでも良いのじゃないの、と焚き付けられて。
(そうね、新しい恋を見つけましょう。その方が手っ取り早いわ。)
※ご都合主義です。変な法律出てきます。ふわっとしてます。
※ヒーローは変わってます。
※主人公は無意識でざまぁする系です。
※誤字脱字すみません。
【本編完結】独りよがりの初恋でした
須木 水夏
恋愛
好きだった人。ずっと好きだった人。その人のそばに居たくて、そばに居るために頑張ってた。
それが全く意味の無いことだなんて、知らなかったから。
アンティーヌは図書館の本棚の影で聞いてしまう。大好きな人が他の人に囁く愛の言葉を。
#ほろ苦い初恋
#それぞれにハッピーエンド
特にざまぁなどはありません。
小さく淡い恋の、始まりと終わりを描きました。完結いたします。
王命を忘れた恋
須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』
そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。
強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?
そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。
【完結】もう誰にも恋なんてしないと誓った
Mimi
恋愛
声を出すこともなく、ふたりを見つめていた。
わたしにとって、恋人と親友だったふたりだ。
今日まで身近だったふたりは。
今日から一番遠いふたりになった。
*****
伯爵家の後継者シンシアは、友人アイリスから交際相手としてお薦めだと、幼馴染みの侯爵令息キャメロンを紹介された。
徐々に親しくなっていくシンシアとキャメロンに婚約の話がまとまり掛ける。
シンシアの誕生日の婚約披露パーティーが近付いた夏休み前のある日、シンシアは急ぐキャメロンを見掛けて彼の後を追い、そして見てしまった。
お互いにただの幼馴染みだと口にしていた恋人と親友の口づけを……
* 無自覚の上から目線
* 幼馴染みという特別感
* 失くしてからの後悔
幼馴染みカップルの当て馬にされてしまった伯爵令嬢、してしまった親友視点のお話です。
中盤は略奪した親友側の視点が続きますが、当て馬令嬢がヒロインです。
本編完結後に、力量不足故の幕間を書き加えており、最終話と重複しています。
ご了承下さいませ。
他サイトにも公開中です
【完結】え、別れましょう?
須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」
「は?え?別れましょう?」
何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。
ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?
だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。
※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。
ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。
跡継ぎが産めなければ私は用なし!? でしたらあなたの前から消えて差し上げます。どうぞ愛妾とお幸せに。
Kouei
恋愛
私リサーリア・ウォルトマンは、父の命令でグリフォンド伯爵令息であるモートンの妻になった。
政略結婚だったけれど、お互いに思い合い、幸せに暮らしていた。
しかし結婚して1年経っても子宝に恵まれなかった事で、義父母に愛妾を薦められた夫。
「承知致しました」
夫は二つ返事で承諾した。
私を裏切らないと言ったのに、こんな簡単に受け入れるなんて…!
貴方がそのつもりなら、私は喜んで消えて差し上げますわ。
私は切岸に立って、夕日を見ながら夫に別れを告げた―――…
※この作品は、他サイトにも投稿しています。
あなたへの想いを終わりにします
四折 柊
恋愛
シエナは王太子アドリアンの婚約者として体の弱い彼を支えてきた。だがある日彼は視察先で倒れそこで男爵令嬢に看病される。彼女の献身的な看病で医者に見放されていた病が治りアドリアンは健康を手に入れた。男爵令嬢は殿下を治癒した聖女と呼ばれ王城に招かれることになった。いつしかアドリアンは男爵令嬢に夢中になり彼女を正妃に迎えたいと言い出す。男爵令嬢では妃としての能力に問題がある。だからシエナには側室として彼女を支えてほしいと言われた。シエナは今までの献身と恋心を踏み躙られた絶望で彼らの目の前で自身の胸を短剣で刺した…………。(全13話)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる