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32.可哀想な妹(レイリー視点)
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今日はピロット公爵家で催されている夜会に、私――レイリーは参加していた。
バーク候爵家に招待状が届いたのは、三週間ほど前のことで両親はすでに予定が埋まっていた。しかし、貴族であれば誰もが喉から手が出るほど欲している誘いを断るはずもなく、父の代わりに私が来たのだ。
到着するとまずピロット公爵に挨拶をした。
しかし、緊張もあって会話を引き延ばすことが出来ず、私は折角のチャンスを活かすことなく挨拶待ちしている次の者にその場を譲った。
はぁ……、情けないな。
それから私は他の参加者――我が家の益に繋がりそうな者達――への挨拶が終えると、上質な酒を片手に綺羅びやかな夜会を壁際で眺めている。
いつもはそれなりに社交を楽しんでいるが、今日はそんな気分になれなかった。
レティシアはどうしているだろうか……。
可哀想な妹のことが気になって仕方がないのだ。
一ヶ月前、妹は流産してしまった。それだけでなく、ロイドの子を身籠ったアリーチェは同じ屋敷に今、住んでいる。
『すまない、レイリー。だが、私はアリーチェを愛人にするつもりなどなかった。たった一晩の過ちだった。愛しているのは誓って、レティだけだ』
憔悴し切った彼は私に懺悔した。彼の表情を見れば、己の行いを心から悔やんでいるのは明白だった。
貴族男性が愛人を持つことはおかしなことではない。そのうえ、彼はこんなにも妹を大切に思っている。
――責める理由はどこにもない。
ただ、兄としては複雑な思いだった。彼の行為は貴族社会の規範に反していないが妹の心を傷つけている。
せめてアリーチェを別宅に住まわせられないかと聞いたが、ホグワル候爵が承知しないらしい。
「はぁ……、ロイドがもっとしっかりしてくれれば。なんで、親の言いなりなんだ」
周囲に人がいないのを確認してから愚痴を言う。所詮は私もロイドと似たりよったりなのだ。
空になったグラスを近くのテーブルに置くと、私の前に酒を満たしたグラスが差し出された。
「良かったらどうぞ、レイリー」
「……あ、ありがとう、トウヤ」
トウヤと言葉を交わしたのは、馬車に同乗したあの日以来である。返事がぎこちなくなってしまったのは、仕方がないだろう。……彼の温和な笑みは上辺だけだ。
――トウヤ・マールは得体が知れない。
唐突に彼は話し出した。
「覚えていらっしゃいますか? あなたが馬車で私にお願いしたことを」
「えっと、そうだったかな……」
心当たりがない私が曖昧に笑うと、彼は更に口角を上げた。
「妹を傷つけないで欲しい――と言ったんですよ。ですが、ロイド様が彼女を傷つけるのは見逃すんですね。ああ、誤解しないでください、責めていません。事実を言ったまでです」
その言葉とは裏腹に、彼の声音と眼鏡の奥にある目は冷え切っていた。ぞくっと背筋が寒くなる。
ここがピロット公爵家の夜会でなければ、私は用事を思い出したと告げてすぐに立ち去っていただろう。
「レティシアは元気ですか……」
私は話をそらしたくて無難な言葉を発した。彼は妹の主治医だからだ。
「体は順調に回復しております。……が、心のほうはどうでしょうか。なにぶん、穏やかに暮らせる環境ではありませんから」
妹は見舞いも断って、手紙では『大丈夫です』としか書いてこない。だが、優しいあの子が私や両親を気遣っているのは分かっていた。
……辛くないはずがないよな。
これからアリーチェのお腹が膨らんでいくのを、すぐ近くで見なければいけないのだ。妹のこれからを考えると胸が痛くなる。
「ぎりぎり合格ですね」
私が口をぎゅっと固く唇を結んでいると、トウヤがなにかを呟く。聞き返したが『ただの独り言ですのでお気になさらず』と彼は流した。
「私からのお願いを聞いていただけますか? レイリー。レティシア様の邪魔はしないでください」
「それは、どういう意味ですか?」
「今は、頭の片隅にでも置いてくださいとしか言えません。もしかしたら、彼女はなにかを頼むかもしれません。ふっ、レティシア様にとってはあなたは頼りになる兄らしいですから」
最後の台詞には棘があったが、私は気づかないふりをして質問する。
「なにをです?」
「さあ、それは私には分かりません。彼女が決めることですから」
彼はそう言いながら肩を竦めてみせた。
謎掛けのような問答に苛立ちながら何を言いたいのだと思っていると、ハッとする。
ピロット公爵家と我が家は繋がりがなかった。それなのに今回夜会に招待された、それも急にだ。……普通ならば二ヶ月前には招待状が送られてくる。
つまり、特別な理由があってあとから追加されたのだ。
そう言えば、ダイナ公爵家からも誘われたと母が上機嫌で言っていたよな?
私は馬車の中で交わした会話に出てきた名前を思い出し、ゴクリとつばを飲み込む。
――共通点はトウヤ・マール。
これはお願いなんかじゃないのだ。もし答えを間違えたら、私、いいや我が家に未来はない。
私は震えそうになる手を誤魔化すために、酒を一気に煽った。
「可愛い妹が頼って来たら、兄として拒む理由はありません」
「そうでしたね。くだらないことを言ってしまって申し訳ございません、レイリー。次はダイナ公爵家の夜会で会えそうですね。では、失礼します」
正解だったと安堵しながら、私は彼の背中を見送った。
いったい彼はなにを企んでいるんだと、気になって仕方がないが聞く勇気はない。一生尋ねることはないだろう。
私は自分自身を知っているから、己の手に余ることに首を突っ込んだりしない。
はっは……は、情けない男だな。
自嘲しながらまた酒を手にした。
見ているだけの兄だが、妹には幸せになってもらいたかった。だから、今回は頼れる兄でいたいと思う。出来るかは自信がないが、この気持ちに嘘はない。
トウヤ・マール、君が何者であれ、あの子を支えてくれるのなら構わない。
バーク候爵家に招待状が届いたのは、三週間ほど前のことで両親はすでに予定が埋まっていた。しかし、貴族であれば誰もが喉から手が出るほど欲している誘いを断るはずもなく、父の代わりに私が来たのだ。
到着するとまずピロット公爵に挨拶をした。
しかし、緊張もあって会話を引き延ばすことが出来ず、私は折角のチャンスを活かすことなく挨拶待ちしている次の者にその場を譲った。
はぁ……、情けないな。
それから私は他の参加者――我が家の益に繋がりそうな者達――への挨拶が終えると、上質な酒を片手に綺羅びやかな夜会を壁際で眺めている。
いつもはそれなりに社交を楽しんでいるが、今日はそんな気分になれなかった。
レティシアはどうしているだろうか……。
可哀想な妹のことが気になって仕方がないのだ。
一ヶ月前、妹は流産してしまった。それだけでなく、ロイドの子を身籠ったアリーチェは同じ屋敷に今、住んでいる。
『すまない、レイリー。だが、私はアリーチェを愛人にするつもりなどなかった。たった一晩の過ちだった。愛しているのは誓って、レティだけだ』
憔悴し切った彼は私に懺悔した。彼の表情を見れば、己の行いを心から悔やんでいるのは明白だった。
貴族男性が愛人を持つことはおかしなことではない。そのうえ、彼はこんなにも妹を大切に思っている。
――責める理由はどこにもない。
ただ、兄としては複雑な思いだった。彼の行為は貴族社会の規範に反していないが妹の心を傷つけている。
せめてアリーチェを別宅に住まわせられないかと聞いたが、ホグワル候爵が承知しないらしい。
「はぁ……、ロイドがもっとしっかりしてくれれば。なんで、親の言いなりなんだ」
周囲に人がいないのを確認してから愚痴を言う。所詮は私もロイドと似たりよったりなのだ。
空になったグラスを近くのテーブルに置くと、私の前に酒を満たしたグラスが差し出された。
「良かったらどうぞ、レイリー」
「……あ、ありがとう、トウヤ」
トウヤと言葉を交わしたのは、馬車に同乗したあの日以来である。返事がぎこちなくなってしまったのは、仕方がないだろう。……彼の温和な笑みは上辺だけだ。
――トウヤ・マールは得体が知れない。
唐突に彼は話し出した。
「覚えていらっしゃいますか? あなたが馬車で私にお願いしたことを」
「えっと、そうだったかな……」
心当たりがない私が曖昧に笑うと、彼は更に口角を上げた。
「妹を傷つけないで欲しい――と言ったんですよ。ですが、ロイド様が彼女を傷つけるのは見逃すんですね。ああ、誤解しないでください、責めていません。事実を言ったまでです」
その言葉とは裏腹に、彼の声音と眼鏡の奥にある目は冷え切っていた。ぞくっと背筋が寒くなる。
ここがピロット公爵家の夜会でなければ、私は用事を思い出したと告げてすぐに立ち去っていただろう。
「レティシアは元気ですか……」
私は話をそらしたくて無難な言葉を発した。彼は妹の主治医だからだ。
「体は順調に回復しております。……が、心のほうはどうでしょうか。なにぶん、穏やかに暮らせる環境ではありませんから」
妹は見舞いも断って、手紙では『大丈夫です』としか書いてこない。だが、優しいあの子が私や両親を気遣っているのは分かっていた。
……辛くないはずがないよな。
これからアリーチェのお腹が膨らんでいくのを、すぐ近くで見なければいけないのだ。妹のこれからを考えると胸が痛くなる。
「ぎりぎり合格ですね」
私が口をぎゅっと固く唇を結んでいると、トウヤがなにかを呟く。聞き返したが『ただの独り言ですのでお気になさらず』と彼は流した。
「私からのお願いを聞いていただけますか? レイリー。レティシア様の邪魔はしないでください」
「それは、どういう意味ですか?」
「今は、頭の片隅にでも置いてくださいとしか言えません。もしかしたら、彼女はなにかを頼むかもしれません。ふっ、レティシア様にとってはあなたは頼りになる兄らしいですから」
最後の台詞には棘があったが、私は気づかないふりをして質問する。
「なにをです?」
「さあ、それは私には分かりません。彼女が決めることですから」
彼はそう言いながら肩を竦めてみせた。
謎掛けのような問答に苛立ちながら何を言いたいのだと思っていると、ハッとする。
ピロット公爵家と我が家は繋がりがなかった。それなのに今回夜会に招待された、それも急にだ。……普通ならば二ヶ月前には招待状が送られてくる。
つまり、特別な理由があってあとから追加されたのだ。
そう言えば、ダイナ公爵家からも誘われたと母が上機嫌で言っていたよな?
私は馬車の中で交わした会話に出てきた名前を思い出し、ゴクリとつばを飲み込む。
――共通点はトウヤ・マール。
これはお願いなんかじゃないのだ。もし答えを間違えたら、私、いいや我が家に未来はない。
私は震えそうになる手を誤魔化すために、酒を一気に煽った。
「可愛い妹が頼って来たら、兄として拒む理由はありません」
「そうでしたね。くだらないことを言ってしまって申し訳ございません、レイリー。次はダイナ公爵家の夜会で会えそうですね。では、失礼します」
正解だったと安堵しながら、私は彼の背中を見送った。
いったい彼はなにを企んでいるんだと、気になって仕方がないが聞く勇気はない。一生尋ねることはないだろう。
私は自分自身を知っているから、己の手に余ることに首を突っ込んだりしない。
はっは……は、情けない男だな。
自嘲しながらまた酒を手にした。
見ているだけの兄だが、妹には幸せになってもらいたかった。だから、今回は頼れる兄でいたいと思う。出来るかは自信がないが、この気持ちに嘘はない。
トウヤ・マール、君が何者であれ、あの子を支えてくれるのなら構わない。
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