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62.越境 三
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「ササイ……さん……」
初めて呼びかけた名で、晴久は息ができなくなった。
ベンチから立ち上がった晴久は、ササイの両手を取って指先に触れると、倒れこむようにササイの肩に頭をつけたまま声にならない声でササイを呼び続けた。
星の友情。
どれほど遠くてもこの想いを伝えたい。
手の届かないはるか遠くの星を想い、過ごした時間の全てを今この指先から伝えたい。
震えてかすれる声と吐息では、この想いは届かない。
もっと近づいて、もっと近づいて、どうかわかってほしかった。
望むなら、手を伸ばせ。
今、僕は手を伸ばした。あなたを望んだから。全てを望んだから……。
ササイは晴久が触れていた指を黙ってほどくと、自分から晴久の指を包むように静かに手を重ねた。
ササイの心が流れてくる。晴久のササイに対する想いではなく、今度はササイ自身の想いで晴久は溢れていった。
僕がいつか出会わなければいけなかったのは、この人だ。それが一方的な思い込みだったとしても、僕は決して後悔しない。
「ササイさん、僕……」
こうしてあなたにきちんと名乗りたかったんです。
晴久は顔を上げて正面にササイを見た。
「僕、広瀬といいます。広瀬晴久です」
ササイは晴久を見たまま、その名をそっと口にした。
「ヒロセ、ハルヒサ……」
トクン
心臓がはねる音が聞こえた。晴久はうつむいて顔を上げられなくなった。
どうしよう。名前を呼ばれただけで心臓が止まるかもしれない。
ササイとつないだ指先が震えて、緊張がササイに届いてしまう。
でも、この手は離したくない。
「ハルヒサ」
「……はい」
「ハ、ル、ヒ、サ」
「はい」
ササイは何度も晴久を呼んだ。ささやくように、ゆっくりと確かめるように、その名を声に出した。
呼ばれる度に晴久は、うつむいたまま返事をした。
どうしよう……ササイさんを見ることができない。
ササイの小さな溜息が聞こえた。
「……なんだ、そのまんまだな」
「はい⁉︎」
晴久はササイのつまらなそうな顔を思わず見ていた。
「あ……」
ササイは目だけ笑っていた。
そのまましっかりと見つめられて、晴久は視線を逸らすことができなかった。
「初めまして。ササイシンと申します」
真顔で言われて晴久の意識が遠のきかけた。CDのジャケットで見たササイシンが一瞬目の前にいた。話しているのは自分が知る石崎だ。
頭が混乱する。
ササイは笑いながら晴久をベンチに座らせた。自分も晴久のすぐ隣に座る。
「夜はすっかり寒くなったな」
肩を寄せられ、体温が伝わるのがわかった。晴久は、自分の心臓の音まで聞かれているような気がしてきた。
「本当にそのままだな。ハルヒサか。せっかくいい響きなのに、今まで誰にも呼ばれなかったのか?」
「はい」
名前を呼ばれた記憶はない。自分はどこにも存在しなかった。
「それなら、私だけの名だな」
「……!」
恥ずかしい。この場で倒れそうなほど心臓が痛い。
ササイは今までの、晴久が苦手な方向に話を逸らすテンションで正面から迫って来る感じがした。
「あの、だって名前を知ったら明美さんたちだってそう呼んでくれますよね?」
「あいつらはどうせ面倒がって『ハル』とでも略すだろう。だから私だけがハルヒサだ」
どうしよう。この感じは別の意味で怖い。
ササイがそっと耳元に顔を寄せてきた。晴久が緊張して動けないのはわかっているだろう。
「安心しろ。急に触れたりはしない。お前が怖がることはしない」
低くささやく声が晴久に染みていくような錯覚を起こさせる。
胸が痛い。心臓が保たない。触れないと至近距離で言ってくるこの状態が、もう近過ぎる。
あー……
「もうっ! それ、いちいち言わなくていいです。慣れるようにしますからっ」
恥ずかしくて、また顔が上げられない。もう一生ササイの顔が見られないのではないか。
ササイが笑っているのがわかる。圧倒的な熱量で、穏やかに優しく晴久は包まれていく。
「ササイさんはどうしてそんなに……」
僕に気持ちを向けるのか。望んだことではあるが、隣にいるだけでこれほどに強い想いを感じ取れることに晴久は戸惑った。だが、それを尋ねるのさえ恥ずかしく、言葉が続かない。
「どうしてそんなにお前にしつこいのか、か? 前の話の続きだな。……迷惑か?」
「迷惑だなんて思いません。しつこい、という言い方も違う気がします。その……僕は人に気にかけてもらうことに慣れていなくて、こんなふうに気持ちを向けてもらって、どうしたらいいのかわからないんです。でも、ササイさんからもらえる気持ちなら僕は全部欲しいし、どれだけもらっても、きっともっと欲しくなる……自分でも怖いくらいそう思います」
「ずいぶんと情熱的な告白だな。欲しいなら遠慮しないで全部もらっておけ。どうもしなくていい。ただ受け取るだけでいい。在庫は尽きない。怖がる必要はない」
ササイは晴久にわずかに体重を預けて言った。
「晴久。……私は救われたんだ。お前の存在に、救われた」
初めて呼びかけた名で、晴久は息ができなくなった。
ベンチから立ち上がった晴久は、ササイの両手を取って指先に触れると、倒れこむようにササイの肩に頭をつけたまま声にならない声でササイを呼び続けた。
星の友情。
どれほど遠くてもこの想いを伝えたい。
手の届かないはるか遠くの星を想い、過ごした時間の全てを今この指先から伝えたい。
震えてかすれる声と吐息では、この想いは届かない。
もっと近づいて、もっと近づいて、どうかわかってほしかった。
望むなら、手を伸ばせ。
今、僕は手を伸ばした。あなたを望んだから。全てを望んだから……。
ササイは晴久が触れていた指を黙ってほどくと、自分から晴久の指を包むように静かに手を重ねた。
ササイの心が流れてくる。晴久のササイに対する想いではなく、今度はササイ自身の想いで晴久は溢れていった。
僕がいつか出会わなければいけなかったのは、この人だ。それが一方的な思い込みだったとしても、僕は決して後悔しない。
「ササイさん、僕……」
こうしてあなたにきちんと名乗りたかったんです。
晴久は顔を上げて正面にササイを見た。
「僕、広瀬といいます。広瀬晴久です」
ササイは晴久を見たまま、その名をそっと口にした。
「ヒロセ、ハルヒサ……」
トクン
心臓がはねる音が聞こえた。晴久はうつむいて顔を上げられなくなった。
どうしよう。名前を呼ばれただけで心臓が止まるかもしれない。
ササイとつないだ指先が震えて、緊張がササイに届いてしまう。
でも、この手は離したくない。
「ハルヒサ」
「……はい」
「ハ、ル、ヒ、サ」
「はい」
ササイは何度も晴久を呼んだ。ささやくように、ゆっくりと確かめるように、その名を声に出した。
呼ばれる度に晴久は、うつむいたまま返事をした。
どうしよう……ササイさんを見ることができない。
ササイの小さな溜息が聞こえた。
「……なんだ、そのまんまだな」
「はい⁉︎」
晴久はササイのつまらなそうな顔を思わず見ていた。
「あ……」
ササイは目だけ笑っていた。
そのまましっかりと見つめられて、晴久は視線を逸らすことができなかった。
「初めまして。ササイシンと申します」
真顔で言われて晴久の意識が遠のきかけた。CDのジャケットで見たササイシンが一瞬目の前にいた。話しているのは自分が知る石崎だ。
頭が混乱する。
ササイは笑いながら晴久をベンチに座らせた。自分も晴久のすぐ隣に座る。
「夜はすっかり寒くなったな」
肩を寄せられ、体温が伝わるのがわかった。晴久は、自分の心臓の音まで聞かれているような気がしてきた。
「本当にそのままだな。ハルヒサか。せっかくいい響きなのに、今まで誰にも呼ばれなかったのか?」
「はい」
名前を呼ばれた記憶はない。自分はどこにも存在しなかった。
「それなら、私だけの名だな」
「……!」
恥ずかしい。この場で倒れそうなほど心臓が痛い。
ササイは今までの、晴久が苦手な方向に話を逸らすテンションで正面から迫って来る感じがした。
「あの、だって名前を知ったら明美さんたちだってそう呼んでくれますよね?」
「あいつらはどうせ面倒がって『ハル』とでも略すだろう。だから私だけがハルヒサだ」
どうしよう。この感じは別の意味で怖い。
ササイがそっと耳元に顔を寄せてきた。晴久が緊張して動けないのはわかっているだろう。
「安心しろ。急に触れたりはしない。お前が怖がることはしない」
低くささやく声が晴久に染みていくような錯覚を起こさせる。
胸が痛い。心臓が保たない。触れないと至近距離で言ってくるこの状態が、もう近過ぎる。
あー……
「もうっ! それ、いちいち言わなくていいです。慣れるようにしますからっ」
恥ずかしくて、また顔が上げられない。もう一生ササイの顔が見られないのではないか。
ササイが笑っているのがわかる。圧倒的な熱量で、穏やかに優しく晴久は包まれていく。
「ササイさんはどうしてそんなに……」
僕に気持ちを向けるのか。望んだことではあるが、隣にいるだけでこれほどに強い想いを感じ取れることに晴久は戸惑った。だが、それを尋ねるのさえ恥ずかしく、言葉が続かない。
「どうしてそんなにお前にしつこいのか、か? 前の話の続きだな。……迷惑か?」
「迷惑だなんて思いません。しつこい、という言い方も違う気がします。その……僕は人に気にかけてもらうことに慣れていなくて、こんなふうに気持ちを向けてもらって、どうしたらいいのかわからないんです。でも、ササイさんからもらえる気持ちなら僕は全部欲しいし、どれだけもらっても、きっともっと欲しくなる……自分でも怖いくらいそう思います」
「ずいぶんと情熱的な告白だな。欲しいなら遠慮しないで全部もらっておけ。どうもしなくていい。ただ受け取るだけでいい。在庫は尽きない。怖がる必要はない」
ササイは晴久にわずかに体重を預けて言った。
「晴久。……私は救われたんだ。お前の存在に、救われた」
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