境界のクオリア

山碕田鶴

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61.越境 二

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 時計台がない。 
 ショッピングモールは、当時建てられたばかりだった。モールの象徴的存在として中央広場に置かれたのが時計台だ。
 十年が過ぎて、それが消えている。
 晴久は、さらに検索した。

 ……モール。
 時計台。
 星の友情……

 何か記録はないのか。記事はないのか。地方都市のショッピングモールに大した情報はないだろう。それでも関連した何かがあれば……。
 まるで自分の過去が消されたような気分だった。懐かしむことができなくても、決別の意思を持っていても、過去をなかったことにしたいわけではない。
 いつ消えてしまったのか。
 石崎は時計台を知っていた。いつ知ったのか。時計台の曲を聴いたのはいつのことなのか。

 いつ?

 晴久の検索の手が止まった。
 石崎に子どもの頃の話をした時、具体的な地名もモール名も言っていないはずだ。
 それなのに、なぜわかった?
   「星の友情」の名前を出したからなのか?
 前から知っていたなら、なぜ晴久が最初に話した時に何も言わなかったのか。
 プロとはいえ、聴いたことがあるというだけのオルゴール調の時報曲を最初から最後まであれほど完全に弾けるものなのか。

 曲を知っていた?
 初めから……。

 ……モール。
 時計台 。 
 星の友情。

 晴久は検索ワードを追加した。
 なぜ、その可能性を考えなかった?

 ……作曲。
 ……ササイシン。

 石崎が作ったのであれば、疑問は解ける。

 検索……

『……モールにある時計台の時報曲をササイシンが作っていたと……』
『バンド解散後、活動停止中にササイが……』
『……作曲したとの公表はなく、知られないまま……』

「あった!」

 思わず声を上げていた。
 断片的な記事。ファンの推測交じりの記録。
 公表はなく、ファンにも知られる前に既に時計台は消えていたということか。
 石崎に初めて「星の友情」の話をした時の驚いたような表情。目だけ笑っていた石崎を見て思い出した時計台の光景。
 どうしてその可能性に気づかなかった?
 どうしてこの奇跡に気づけなかった?

   僕はずっと昔から、出会う前からササイシンを知っていたんじゃないか……。

「その時計台なら、もうないぞ」

 頭上で声がした。

「え?」

 晴久は、スマホから目を離して顔を上げた。

「いつから……」
「声はかけた。気づかなかった」

 ベンチの前に立つ石崎が、無表情に晴久を見下ろしていた。
 星の友情。
 僕の生きる希望。
 僕の心の支えだった曲をこの人が作った。
 遠く離れていても、引き合う関係。
 僕は生き続けなければいけなかった。
 僕はいつか出会わなければいけなかった。
 ササイシン。この人がいたから、僕は未来に手を伸ばせた……。

「その時計台なら地震でヒビが入ったとかで、モールの改修に合わせて徹去されている。もうずいぶんと前の話だ。設置して数年で消え去るとは、あまりにも運のない時計台だったな」
「ご存知だったんですか?」
「当たり前だろう。連絡くらい入る」
「じゃあ何で教えてくれなかったんですか?」
「訊かれなかった」

 ああ、そうだ。最初から知っていたんだ。でも、そんな話をする関係ではなかっただけだ。
   僕は、何も知らなかった。

「ごめんなさい」
「何を謝る?」
「営業妨害の曲だって、酷いことを……」
「あれか。確かに酷いな。だが、まあ当たらずとも遠からずだ。それに、どう感じるかは聴き手次第だ」
「……時計台。もう、本当にないんですね」
「あれは、お前と私の記憶の中にしか残っていないだろうな。過ぎ去ったものはあっという間に世の中から忘れ去られる。私は別に構わないが、お前は……」
「いいんです。あのモールに気持ちを残さなくて済んだから、これでひとつの区切りです」
「相変わらず潔く前向きだな」

 石崎は呆れたように笑った。少し心配そうに晴久を見る目は優しい。
 時計台の曲を作った石崎は今、晴久の目の前にいる。自分の過去が消えたわけではない。
 晴久は石崎を改めて見た。本当に久しぶりだ。以前と変わらず闇よりも暗い黒。少し不機嫌そうにも見える近寄りがたい雰囲気。
 僕は、この人に惹かれている。
 ただそれだけを思った。
 急に強い視線で見返されて、捕らわれる感覚にぞくりとした。

「偶然……とは言わないな。久しぶりだな。今日もここか」
「はい。お久しぶりです」

 ずいぶんと会っていないのに、昨日の続きのように話している。緊張と高揚感がよみがえる。
 会わない間に、晴久の世界は大きく変わった。嬉しいことがあった。楽しいことがあった。石崎がつないでくれた新しい出会いがあった。
 話したいことがある。訊きたいこともある。
 でも、その前にいちばん大事なことを伝えなければ……。

「ササイさん」

 晴久はササイの名を呼んだ。その瞬間、晴久の全てはササイで溢れた。

「ササイさん……」

 自分ではどうすることもできない大きな波に襲われ、足が地を離れて流されいく。
 晴久は、耳の奥で響く自分の鼓動を聞きながら、溺れていく感覚に陥った。
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