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第9話 ドレス選びと社交界デビュー
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その日、皇城の私の執務室は、いつになく殺伐とした空気に包まれていた――わけではなく、むしろその逆、甘く華やかな狂騒に支配されていた。 普段は魔導書の山と計算用紙の雪崩で埋め尽くされている部屋が、色とりどりのシルク、ベルベット、レース、そして煌めく宝石たちによって占拠されていたからだ。
「リーゼロッテ様! こちらのクリムゾンレッドはいかがですか? 東方の希少な染料を使った最高級品です!」 「いいえ、陛下のお相手を務めるなら、やはり帝国のカラーであるミッドナイトブルーでしょう! この生地の光沢、まるで夜空そのものですわ!」 「いえいえ、ここはあえて純白で! リーゼロッテ様の清廉さを際立たせるには白しかありません!」
目の前で火花を散らしているのは、帝都でも指折りのオートクチュールのデザイナーたちだ。 彼らはそれぞれ、自慢の生地見本やデザイン画を掲げ、熱烈なプレゼンテーションを繰り広げている。
私はといえば、大量のドレス候補に囲まれて目を白黒させていた。 事の発端は、数時間前のジークハルトの一言だった。
『来週、建国記念の祝賀パーティがある。貴様も出ろ』
それだけなら業務命令として受け入れたのだが、問題はその続きだった。
『私のパートナーとしてな』
つまり、皇帝のエスコート役として、公式の場にデビューしろと言うのだ。 ただの技術顧問としてなら、地味な式典用のローブで済んだだろう。しかし、皇帝のパートナーとなれば話は別だ。 全貴族、全外交官の視線が集まる、帝国の「顔」として振る舞わなければならない。
「あ、あの……皆様、少し落ち着いてください。どれも素敵すぎて、私には選べません……」
私が弱音を吐くと、デザイナーたちは一斉に私を凝視し、口を揃えて言った。
「「「選ぶ? とんでもない! 全部作るのです!」」」 「……はい?」 「陛下からのご命令です。『彼女に似合うものはすべて作れ。予算の上限はない』と!」
頭がクラクラした。 上限なし。あの浪費家のアルフォンス王子ですら、ドレス代には渋い顔をしていたというのに、ジークハルトは一体何を考えているのか。
その時、部屋の扉が開き、噂の当人が涼しい顔で入ってきた。
「進んでいるか」
ジークハルトが現れた瞬間、デザイナーたちは一斉に平伏し、モーゼの十戒のように道が開けた。 彼は私の前まで来ると、散乱する生地の山を見て満足げに頷いた。
「悪くない。だが、まだ足りんな」 「ジーク様! 買いすぎです! 私は体が一つしかないんですよ?」 「知っている。だが、貴様は今まで、その美貌を灰の中に隠してきた。……これからは、嫌というほど飾ってもらう」
彼は私の顎を指で持ち上げ、覗き込んだ。
「素材は最高だ。磨けば世界一の宝石になる。……それを証明する場だぞ、今度のパーティは」
彼の瞳は真剣だった。 それは単なる恋人の欲目ではなく、私の「価値」を世界に知らしめたいという、彼なりの復讐であり、愛情表現なのだと気づいた。 王国で「地味」「可愛げがない」と蔑まれてきた私。 その私を、帝国最高の技術と富で飾り立て、見返してやる――そんな執念すら感じる。
「……わかりました。覚悟を決めます」
私は腹を括った。 やるからには、徹底的にやってやろうじゃないか。 「魔導技師リーゼロッテ」としてだけでなく、「皇帝の隣に立つ女性」として、誰にも文句を言わせない姿を見せてやる。
「では、一番派手で、一番強そうなドレスをお願いします」 「強そう、か。……ふっ、貴様らしい」
ジークハルトはニヤリと笑い、デザイナーたちに指示を飛ばした。
「聞いたな。……帝国の威信にかけて、彼女を『女神』に仕立て上げろ。手抜きは許さんぞ」
「「「ははーーっ!!」」」
こうして、私の「改造計画」が幕を開けたのだった。
◇
そして迎えた、パーティ当日。 皇城の大広間は、数千本の魔導キャンドルの灯りに照らされ、昼間のように輝いていた。 天井からはクリスタルのシャンデリアが下がり、床は大理石。壁には金箔を施した装飾。 ガルガディア帝国の富と権力を象徴するような、絢爛豪華な空間だ。
会場にはすでに数百名の貴族たちが集まり、グラスを片手に談笑していた。 話題の中心はもちろん、今日の主役である皇帝陛下と、噂の「新しいお気に入り」についてだ。
「聞いたか? 陛下が連れ帰ったという女性の話」 「ああ、王国の元公爵令嬢だろう? なんでも、魔導の天才だとか」 「だが、所詮は敵国の女だ。陛下の気まぐれな愛人ではないのか?」 「見た目はどうなんだ? 噂では、ひどく地味で目立たない女だったらしいが……」
好奇心と、少しの意地悪な憶測が飛び交う。 無理もない。彼らにとって私は、突然現れて皇帝をたぶらかした「魔女」かもしれないのだから。
その時。 ファンファーレが高らかに鳴り響いた。 会場の喧騒がピタリと止む。 大広間の正面にある巨大な両開きの扉が、重々しい音を立てて開かれた。
「皇帝陛下、並びにリーゼロッテ・フォン・エーデル様、ご入場でーす!!」
式部官の声が響く中、私たちは足を踏み出した。
一歩。また一歩。 カツ、カツ、という足音が、静寂の中に響く。
私の隣には、正装の軍服に身を包み、数々の勲章を胸に輝かせたジークハルトがいる。 髪をオールバックになでつけ、その鋭い眼光と王者の覇気は、見る者すべてを平伏させるほどの迫力があった。 けれど、今日の人々の視線は、彼ではなく、その腕に手を添えている「私」に釘付けになっていた。
吸い込まれるような吐息が、会場のあちこちから漏れた。
私が身に纏っているのは、デザイナーたちが魂を削って作り上げた最高傑作だ。 色は、深海のようなディープブルー。 その生地には、微細なダイヤモンドの粉末と、発光する特殊な魔石の繊維が織り込まれており、動くたびに星空のように煌めく。 デザインはオフショルダーで、デコルテの大胆なラインと、背中の優美な曲線を惜しげもなく晒している。 しかし、いやらしさは微塵もない。計算し尽くされたカッティングと、腰から広がるドレープの重なりが、荘厳なまでの気品を演出しているからだ。
髪は複雑に編み込まれてアップにされ、そこには真珠とサファイアの髪飾りが散りばめられている。 メイクは、私の本来の素材を活かしつつ、目尻に紅を差すことで、妖艶さと知性を同居させていた。
「……あれが、噂の令嬢か?」 「な、なんて美しい……」 「地味? 誰だそんなデマを流したのは。まるで夜の女神ではないか」
ざわめきが、感嘆の波となって広がる。 私は緊張で指先が震えそうになるのを、必死でこらえていた。 背筋を伸ばせ。 顎を引け。 視線は真っ直ぐに。 王国時代の厳しい妃教育が、皮肉にもここで役に立っている。
「……緊張しているか?」
ジークハルトが、唇を動かさずに囁いてきた。
「はい。心臓が飛び出しそうです」 「安心しろ。……今、この会場で一番美しいのは貴様だ。私が保証する」
彼は私の手を軽く握りしめた。 その温かさが、私の震えを止めてくれる。 そうだ。隣には彼がいる。世界最強の男が、私を選んでくれたのだ。 なら、私は胸を張って、その隣にふさわしい女であればいい。
私たちは階段を降り、フロアの中央へと進んだ。 貴族たちが波が割れるように道を開け、深々と頭を下げる。 その最前列に、以前私に突っかかってきた筆頭魔導技師のグスタフや、宰相フランツの姿があった。 彼らは私を見て、誇らしげに微笑んでいる。 まるで、自分の娘の晴れ姿を見る父親のような顔で。
「陛下、そしてリーゼロッテ様。……今宵は一段と輝いておられますな」
老練な貴族が挨拶に進み出た。公爵位を持つ重鎮だ。
「リーゼロッテ様、先日導入された新型の魔導暖房システム、我が領地でも大評判です。おかげで薪の消費が半分になり、森を守ることができました」 「それは良かったです、公爵様。……次の段階として、排熱を利用した温室栽培のプランも考えておりますの。よろしければ後ほど図面をご覧に入れますわ」 「おお! それは楽しみだ!」
私が流暢な敬語で、しかも専門的な話題を振ると、周囲の貴族たちが驚きの表情を見せた。 単なる「美しい人形」ではない。 国の内政に深く関わり、実績を上げている「実力者」なのだと、彼らは再認識したようだ。
「美しいだけではない、聡明な方だ」 「王国の王太子は目が見えなかったのか?」 「逃がした魚は大きすぎたな」
そんな囁きが聞こえてくる。 快感だった。 復讐とは、相手を傷つけることではない。 自分が圧倒的に幸せになり、相手の手の届かない場所へ行くことなのだ。
その時、楽団の演奏がワルツへと変わった。 ジークハルトが、うやうやしく私に向き直り、手を差し出した。
「……踊ってくれるか、マイ・レディ」 「喜んで、ユア・マジェスティ」
私はその手を取り、優雅にカーテシー(膝を折る礼)をした。 彼の手が私の腰に添えられ、私の手は彼の肩へ。 音楽に合わせて、私たちは滑り出した。
ワン、ツー、スリー。 ステップを踏むたびに、ドレスの裾が花びらのように広がる。 ジークハルトのリードは力強く、そして完璧だった。 私の動きを先読みし、私が一番美しく見える角度でターンさせてくれる。
「……貴様、ダンスも上手いのだな」 「一通り仕込まれましたから。……でも、こんなに楽しいダンスは初めてです」 「ほう?」 「今までは、間違えないようにすることだけで精一杯でした。相手の足を踏まないか、ドレスを踏まないか……恐怖との戦いでしたから」
王子のダンスは下手くそで、いつも私が彼に合わせて調整していたのだ。それでも失敗すれば私のせいにされた。 でも今は違う。 身を任せているだけで、体が勝手に羽ばたくようだ。
「これからは、恐怖など感じる必要はない。……私がすべて支えてやる」
ジークハルトが私を引き寄せ、リフトした。 私の体が宙に舞う。 シャンデリアの光が回転し、まるで星空の中を飛んでいるような浮遊感。 着地と同時に、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「……愛しているぞ、リーゼロッテ」
拍手にかき消されるほどの小さな声で、彼が囁いた。 私の顔が一瞬で熱くなる。 この人は、こういう大事なことを、不意打ちで言う。
「……私もです、ジーク」
私は彼の胸に顔を埋めた。 幸せすぎて、怖いくらいだ。 この時間が永遠に続けばいいのに。
◇
ダンスが終わり、少し休憩しようとテラスに出た時だった。 夜風が火照った頬に心地よい。 私は手すりに寄りかかり、遠くの夜景を眺めながら、余韻に浸っていた。
「……素晴らしい夜ですね」
声をかけてきたのは、若い男性だった。 振り返ると、軍服を着た長身の青年が立っていた。 金髪碧眼。甘いマスクの美男子で、胸には将軍の階級章がついている。 帝国の最年少将軍として名高い、ラインハルト・フォン・ベルンシュタインだ。
「ベルンシュタイン将軍。……こんばんは」 「お初にお目にかかります、リーゼロッテ様。……遠くから拝見していましたが、あまりにお美しくて、つい声をかけてしまいました」
彼は慣れた様子で私の手を取り、甲にキスを落とした。 洗練された仕草だ。王国の貴族たちにも引けを取らない、いやそれ以上のスマートさがある。
「噂以上の才女とお聞きしました。戦車の燃費改善、あれは魔法ですね。部下たちが泣いて喜んでいますよ」 「お役に立てて光栄です」 「ぜひ今度、個人的に食事でもいかがですか? 魔導理論について、もっと深く語り合いたい」 「え?」
それは明らかな誘いだった。 技術的な興味だけではない、男性としての熱っぽい視線を感じる。 私が返答に窮していると、
ズンッ。
背後から、氷山が押し寄せてきたような冷気が漂った。 テラスの温度が一気に十度は下がった気がする。
「……おい、ラインハルト。私の連れに何をしている」
ジークハルトが立っていた。 笑顔だ。笑顔なのだが、目が全く笑っていない。 その背後には、怒りのオーラが黒い炎のように揺らめいている。
「おや、陛下。……独り占めはずるいですよ。これほどの才媛、帝国の共有財産として、我々にも交流の機会を」 「共有? ……寝言は寝て言え」
ジークハルトが私の腰を抱き寄せ、所有権を主張するように強く引き寄せた。
「彼女の才能は帝国のものかもしれんが、彼女自身は私のものだ。……指一本でも触れてみろ。貴様を最前線へ飛ばして、一生雪かきをさせるぞ」 「お~、怖い怖い。……わかりましたよ、撤退します」
ラインハルト将軍は肩をすくめ、降参のポーズをとった。 しかし去り際に、私に向かってウィンクを投げる度胸はさすがだった。
「……まったく、油断も隙もない」
ジークハルトは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「そんなに怒らないでください。ただのご挨拶ですよ」 「挨拶にしては距離が近すぎる。……貴様は無防備なんだ。自分がどれだけ魅力的か、自覚しろ」
彼は私のドレスの肩紐を少し直し、露出した肌を隠すようにマントを羽織らせてくれた。 その独占欲が、少しだけくすぐったくて、嬉しい。
「……ねえ、ジーク。私、今日、本当に幸せです」
私は彼を見上げて言った。
「こんな綺麗なドレスを着て、みんなに褒められて、あなたと踊れて。……私、生まれてきて良かったって、初めて思いました」
ジークハルトの表情が和らいだ。 彼は私の頬に手を添え、親指で優しく撫でた。
「……それは私の台詞だ。貴様に出会えて、私は初めて『生きた』と思えた」
二人の顔が近づく。 今度は邪魔が入らない。 月明かりの下、私たちの唇が重なった。 優しく、甘く、そして深い口づけ。
世界が溶けていくようだった。 過去の辛い記憶も、未来への不安も、すべてがこの瞬間の幸福感の中に消えていく。
しかし。 私たちはまだ知らなかった。 この幸せなパーティの裏側で、国境の向こう側から、どす黒い悪意が確実に近づいていることを。
――ガシャン。 遠くで何かが割れるような音が、私の耳の奥で微かに響いた気がした。 それは、私の張った「探知結界」が、何者かの侵入を感知した微かな警告音だったのだが、夢心地の私はそれを風の音だと勘違いしてしまった。
王国の放った「刺客」が、すでに帝都の中に紛れ込んでいたことを知るのは、翌日の朝のことになる。
「リーゼロッテ様! こちらのクリムゾンレッドはいかがですか? 東方の希少な染料を使った最高級品です!」 「いいえ、陛下のお相手を務めるなら、やはり帝国のカラーであるミッドナイトブルーでしょう! この生地の光沢、まるで夜空そのものですわ!」 「いえいえ、ここはあえて純白で! リーゼロッテ様の清廉さを際立たせるには白しかありません!」
目の前で火花を散らしているのは、帝都でも指折りのオートクチュールのデザイナーたちだ。 彼らはそれぞれ、自慢の生地見本やデザイン画を掲げ、熱烈なプレゼンテーションを繰り広げている。
私はといえば、大量のドレス候補に囲まれて目を白黒させていた。 事の発端は、数時間前のジークハルトの一言だった。
『来週、建国記念の祝賀パーティがある。貴様も出ろ』
それだけなら業務命令として受け入れたのだが、問題はその続きだった。
『私のパートナーとしてな』
つまり、皇帝のエスコート役として、公式の場にデビューしろと言うのだ。 ただの技術顧問としてなら、地味な式典用のローブで済んだだろう。しかし、皇帝のパートナーとなれば話は別だ。 全貴族、全外交官の視線が集まる、帝国の「顔」として振る舞わなければならない。
「あ、あの……皆様、少し落ち着いてください。どれも素敵すぎて、私には選べません……」
私が弱音を吐くと、デザイナーたちは一斉に私を凝視し、口を揃えて言った。
「「「選ぶ? とんでもない! 全部作るのです!」」」 「……はい?」 「陛下からのご命令です。『彼女に似合うものはすべて作れ。予算の上限はない』と!」
頭がクラクラした。 上限なし。あの浪費家のアルフォンス王子ですら、ドレス代には渋い顔をしていたというのに、ジークハルトは一体何を考えているのか。
その時、部屋の扉が開き、噂の当人が涼しい顔で入ってきた。
「進んでいるか」
ジークハルトが現れた瞬間、デザイナーたちは一斉に平伏し、モーゼの十戒のように道が開けた。 彼は私の前まで来ると、散乱する生地の山を見て満足げに頷いた。
「悪くない。だが、まだ足りんな」 「ジーク様! 買いすぎです! 私は体が一つしかないんですよ?」 「知っている。だが、貴様は今まで、その美貌を灰の中に隠してきた。……これからは、嫌というほど飾ってもらう」
彼は私の顎を指で持ち上げ、覗き込んだ。
「素材は最高だ。磨けば世界一の宝石になる。……それを証明する場だぞ、今度のパーティは」
彼の瞳は真剣だった。 それは単なる恋人の欲目ではなく、私の「価値」を世界に知らしめたいという、彼なりの復讐であり、愛情表現なのだと気づいた。 王国で「地味」「可愛げがない」と蔑まれてきた私。 その私を、帝国最高の技術と富で飾り立て、見返してやる――そんな執念すら感じる。
「……わかりました。覚悟を決めます」
私は腹を括った。 やるからには、徹底的にやってやろうじゃないか。 「魔導技師リーゼロッテ」としてだけでなく、「皇帝の隣に立つ女性」として、誰にも文句を言わせない姿を見せてやる。
「では、一番派手で、一番強そうなドレスをお願いします」 「強そう、か。……ふっ、貴様らしい」
ジークハルトはニヤリと笑い、デザイナーたちに指示を飛ばした。
「聞いたな。……帝国の威信にかけて、彼女を『女神』に仕立て上げろ。手抜きは許さんぞ」
「「「ははーーっ!!」」」
こうして、私の「改造計画」が幕を開けたのだった。
◇
そして迎えた、パーティ当日。 皇城の大広間は、数千本の魔導キャンドルの灯りに照らされ、昼間のように輝いていた。 天井からはクリスタルのシャンデリアが下がり、床は大理石。壁には金箔を施した装飾。 ガルガディア帝国の富と権力を象徴するような、絢爛豪華な空間だ。
会場にはすでに数百名の貴族たちが集まり、グラスを片手に談笑していた。 話題の中心はもちろん、今日の主役である皇帝陛下と、噂の「新しいお気に入り」についてだ。
「聞いたか? 陛下が連れ帰ったという女性の話」 「ああ、王国の元公爵令嬢だろう? なんでも、魔導の天才だとか」 「だが、所詮は敵国の女だ。陛下の気まぐれな愛人ではないのか?」 「見た目はどうなんだ? 噂では、ひどく地味で目立たない女だったらしいが……」
好奇心と、少しの意地悪な憶測が飛び交う。 無理もない。彼らにとって私は、突然現れて皇帝をたぶらかした「魔女」かもしれないのだから。
その時。 ファンファーレが高らかに鳴り響いた。 会場の喧騒がピタリと止む。 大広間の正面にある巨大な両開きの扉が、重々しい音を立てて開かれた。
「皇帝陛下、並びにリーゼロッテ・フォン・エーデル様、ご入場でーす!!」
式部官の声が響く中、私たちは足を踏み出した。
一歩。また一歩。 カツ、カツ、という足音が、静寂の中に響く。
私の隣には、正装の軍服に身を包み、数々の勲章を胸に輝かせたジークハルトがいる。 髪をオールバックになでつけ、その鋭い眼光と王者の覇気は、見る者すべてを平伏させるほどの迫力があった。 けれど、今日の人々の視線は、彼ではなく、その腕に手を添えている「私」に釘付けになっていた。
吸い込まれるような吐息が、会場のあちこちから漏れた。
私が身に纏っているのは、デザイナーたちが魂を削って作り上げた最高傑作だ。 色は、深海のようなディープブルー。 その生地には、微細なダイヤモンドの粉末と、発光する特殊な魔石の繊維が織り込まれており、動くたびに星空のように煌めく。 デザインはオフショルダーで、デコルテの大胆なラインと、背中の優美な曲線を惜しげもなく晒している。 しかし、いやらしさは微塵もない。計算し尽くされたカッティングと、腰から広がるドレープの重なりが、荘厳なまでの気品を演出しているからだ。
髪は複雑に編み込まれてアップにされ、そこには真珠とサファイアの髪飾りが散りばめられている。 メイクは、私の本来の素材を活かしつつ、目尻に紅を差すことで、妖艶さと知性を同居させていた。
「……あれが、噂の令嬢か?」 「な、なんて美しい……」 「地味? 誰だそんなデマを流したのは。まるで夜の女神ではないか」
ざわめきが、感嘆の波となって広がる。 私は緊張で指先が震えそうになるのを、必死でこらえていた。 背筋を伸ばせ。 顎を引け。 視線は真っ直ぐに。 王国時代の厳しい妃教育が、皮肉にもここで役に立っている。
「……緊張しているか?」
ジークハルトが、唇を動かさずに囁いてきた。
「はい。心臓が飛び出しそうです」 「安心しろ。……今、この会場で一番美しいのは貴様だ。私が保証する」
彼は私の手を軽く握りしめた。 その温かさが、私の震えを止めてくれる。 そうだ。隣には彼がいる。世界最強の男が、私を選んでくれたのだ。 なら、私は胸を張って、その隣にふさわしい女であればいい。
私たちは階段を降り、フロアの中央へと進んだ。 貴族たちが波が割れるように道を開け、深々と頭を下げる。 その最前列に、以前私に突っかかってきた筆頭魔導技師のグスタフや、宰相フランツの姿があった。 彼らは私を見て、誇らしげに微笑んでいる。 まるで、自分の娘の晴れ姿を見る父親のような顔で。
「陛下、そしてリーゼロッテ様。……今宵は一段と輝いておられますな」
老練な貴族が挨拶に進み出た。公爵位を持つ重鎮だ。
「リーゼロッテ様、先日導入された新型の魔導暖房システム、我が領地でも大評判です。おかげで薪の消費が半分になり、森を守ることができました」 「それは良かったです、公爵様。……次の段階として、排熱を利用した温室栽培のプランも考えておりますの。よろしければ後ほど図面をご覧に入れますわ」 「おお! それは楽しみだ!」
私が流暢な敬語で、しかも専門的な話題を振ると、周囲の貴族たちが驚きの表情を見せた。 単なる「美しい人形」ではない。 国の内政に深く関わり、実績を上げている「実力者」なのだと、彼らは再認識したようだ。
「美しいだけではない、聡明な方だ」 「王国の王太子は目が見えなかったのか?」 「逃がした魚は大きすぎたな」
そんな囁きが聞こえてくる。 快感だった。 復讐とは、相手を傷つけることではない。 自分が圧倒的に幸せになり、相手の手の届かない場所へ行くことなのだ。
その時、楽団の演奏がワルツへと変わった。 ジークハルトが、うやうやしく私に向き直り、手を差し出した。
「……踊ってくれるか、マイ・レディ」 「喜んで、ユア・マジェスティ」
私はその手を取り、優雅にカーテシー(膝を折る礼)をした。 彼の手が私の腰に添えられ、私の手は彼の肩へ。 音楽に合わせて、私たちは滑り出した。
ワン、ツー、スリー。 ステップを踏むたびに、ドレスの裾が花びらのように広がる。 ジークハルトのリードは力強く、そして完璧だった。 私の動きを先読みし、私が一番美しく見える角度でターンさせてくれる。
「……貴様、ダンスも上手いのだな」 「一通り仕込まれましたから。……でも、こんなに楽しいダンスは初めてです」 「ほう?」 「今までは、間違えないようにすることだけで精一杯でした。相手の足を踏まないか、ドレスを踏まないか……恐怖との戦いでしたから」
王子のダンスは下手くそで、いつも私が彼に合わせて調整していたのだ。それでも失敗すれば私のせいにされた。 でも今は違う。 身を任せているだけで、体が勝手に羽ばたくようだ。
「これからは、恐怖など感じる必要はない。……私がすべて支えてやる」
ジークハルトが私を引き寄せ、リフトした。 私の体が宙に舞う。 シャンデリアの光が回転し、まるで星空の中を飛んでいるような浮遊感。 着地と同時に、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「……愛しているぞ、リーゼロッテ」
拍手にかき消されるほどの小さな声で、彼が囁いた。 私の顔が一瞬で熱くなる。 この人は、こういう大事なことを、不意打ちで言う。
「……私もです、ジーク」
私は彼の胸に顔を埋めた。 幸せすぎて、怖いくらいだ。 この時間が永遠に続けばいいのに。
◇
ダンスが終わり、少し休憩しようとテラスに出た時だった。 夜風が火照った頬に心地よい。 私は手すりに寄りかかり、遠くの夜景を眺めながら、余韻に浸っていた。
「……素晴らしい夜ですね」
声をかけてきたのは、若い男性だった。 振り返ると、軍服を着た長身の青年が立っていた。 金髪碧眼。甘いマスクの美男子で、胸には将軍の階級章がついている。 帝国の最年少将軍として名高い、ラインハルト・フォン・ベルンシュタインだ。
「ベルンシュタイン将軍。……こんばんは」 「お初にお目にかかります、リーゼロッテ様。……遠くから拝見していましたが、あまりにお美しくて、つい声をかけてしまいました」
彼は慣れた様子で私の手を取り、甲にキスを落とした。 洗練された仕草だ。王国の貴族たちにも引けを取らない、いやそれ以上のスマートさがある。
「噂以上の才女とお聞きしました。戦車の燃費改善、あれは魔法ですね。部下たちが泣いて喜んでいますよ」 「お役に立てて光栄です」 「ぜひ今度、個人的に食事でもいかがですか? 魔導理論について、もっと深く語り合いたい」 「え?」
それは明らかな誘いだった。 技術的な興味だけではない、男性としての熱っぽい視線を感じる。 私が返答に窮していると、
ズンッ。
背後から、氷山が押し寄せてきたような冷気が漂った。 テラスの温度が一気に十度は下がった気がする。
「……おい、ラインハルト。私の連れに何をしている」
ジークハルトが立っていた。 笑顔だ。笑顔なのだが、目が全く笑っていない。 その背後には、怒りのオーラが黒い炎のように揺らめいている。
「おや、陛下。……独り占めはずるいですよ。これほどの才媛、帝国の共有財産として、我々にも交流の機会を」 「共有? ……寝言は寝て言え」
ジークハルトが私の腰を抱き寄せ、所有権を主張するように強く引き寄せた。
「彼女の才能は帝国のものかもしれんが、彼女自身は私のものだ。……指一本でも触れてみろ。貴様を最前線へ飛ばして、一生雪かきをさせるぞ」 「お~、怖い怖い。……わかりましたよ、撤退します」
ラインハルト将軍は肩をすくめ、降参のポーズをとった。 しかし去り際に、私に向かってウィンクを投げる度胸はさすがだった。
「……まったく、油断も隙もない」
ジークハルトは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「そんなに怒らないでください。ただのご挨拶ですよ」 「挨拶にしては距離が近すぎる。……貴様は無防備なんだ。自分がどれだけ魅力的か、自覚しろ」
彼は私のドレスの肩紐を少し直し、露出した肌を隠すようにマントを羽織らせてくれた。 その独占欲が、少しだけくすぐったくて、嬉しい。
「……ねえ、ジーク。私、今日、本当に幸せです」
私は彼を見上げて言った。
「こんな綺麗なドレスを着て、みんなに褒められて、あなたと踊れて。……私、生まれてきて良かったって、初めて思いました」
ジークハルトの表情が和らいだ。 彼は私の頬に手を添え、親指で優しく撫でた。
「……それは私の台詞だ。貴様に出会えて、私は初めて『生きた』と思えた」
二人の顔が近づく。 今度は邪魔が入らない。 月明かりの下、私たちの唇が重なった。 優しく、甘く、そして深い口づけ。
世界が溶けていくようだった。 過去の辛い記憶も、未来への不安も、すべてがこの瞬間の幸福感の中に消えていく。
しかし。 私たちはまだ知らなかった。 この幸せなパーティの裏側で、国境の向こう側から、どす黒い悪意が確実に近づいていることを。
――ガシャン。 遠くで何かが割れるような音が、私の耳の奥で微かに響いた気がした。 それは、私の張った「探知結界」が、何者かの侵入を感知した微かな警告音だったのだが、夢心地の私はそれを風の音だと勘違いしてしまった。
王国の放った「刺客」が、すでに帝都の中に紛れ込んでいたことを知るのは、翌日の朝のことになる。
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