処刑されるはずの悪役令嬢、なぜか敵国の「冷徹皇帝」に拾われる ~「君が必要だ」と言われても、今さら国には戻りません~

六角

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第13話 スパイの侵入

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帝国の夜は、今日も静寂に包まれていた。  皇城の廊下に敷かれた分厚い絨毯は足音を吸い込み、等間隔に配置された魔導ランプだけが、青白い光を投げかけている。  一見すると平和そのものの夜だ。  しかし、その静けさの裏側で、目に見えない「糸」が張り巡らされていることを知っている者は少ない。

 私は自室のベッドに横たわりながら、天井を見上げていた。  呼吸を整え、意識を拡大させる。  視覚ではなく、魔力感知による「視界」が、皇城全体を覆う結界とリンクしていく感覚。

(……来たわね)

 私の脳内マップに、微かなノイズが走った。  場所は北棟の三階。外壁の結界に、針の穴を通すような極小の綻びが生じている。  そこから、水滴が染み込むように、三つの影が侵入したのが分かった。

 プロだ。  彼らは自身の魔力を極限まで抑制し、城内の警備システムをすり抜けている。  通常の警備兵や、既存の探知魔導具では、彼らの存在に気づくことさえできないだろう。  でも、残念だったわね。  今の皇城のセキュリティシステムを管理しているのは、この私、リーゼロッテ・フォン・エーデルよ。

 私はベッドから起き上がり、ガウンを羽織った。  恐怖はない。あるのは、テスト勉強をした翌日の試験のような、静かな高揚感と確信だけだった。

「さて、私の『実験』に付き合ってもらいましょうか」

 私はサイドテーブルに置かれた通信機を手に取り、無音モードでフランツ宰相に信号を送った。  『ネズミ捕獲作戦、開始』。  ジークハルトはまだ執務中だ。彼に気づかれる前に、手早く片付けてしまおう。

 ◇

 侵入者たちは、驚くべき速度と隠密性で移動していた。  彼らの目的地は明白だ。この部屋、つまり私の寝室である。  私は部屋の照明を落とし、椅子に座って彼らを待ち受けた。  手には武器も杖も持っていない。ただ、優雅に紅茶のカップを持っているだけだ(中身はもう冷めているけれど)。

 カチャリ。  ドアの鍵が、音もなく開錠された。  物理的なピッキングではない。魔力干渉による解除だ。それも、かなりの高レベルな術式解析能力を持っている。  ドアがわずかに開き、闇色の装束に身を包んだ男たちが滑り込んできた。  三人。  手には短剣と、何やら怪しげな魔導具を持っている。  彼らはベッドの膨らみ(枕で作ったダミーだ)を確認すると、一斉に襲いかかった。

 ザシュッ!!  短剣が布団を切り裂く。  しかし、手応えがないことに気づいた彼らが、「チッ」と舌打ちをした瞬間。

「……こんばんは。夜分に随分と乱暴な訪問者ですね」

 私は指を鳴らした。  パチンッ!  部屋中の魔導ランプが一斉に最大光量で点灯した。  目が眩むほどの白い光が、闇に慣れた彼らの視界を奪う。

「ぐっ……!?」 「罠か!」

 男たちが体勢を立て直そうとする。  しかし、彼らの足は床に縫い付けられたように動かなかった。

「な、なんだこれは!? 足が……!」

 彼らの足元には、幾何学模様の光の円陣が浮かび上がっていた。  それは私が事前に床下に仕込んでおいた、『重力制御』と『粘着質変化』を組み合わせた複合トラップだ。

「ようこそ、私の部屋へ。……靴を脱いで上がっていただきたかったのですが、まあいいでしょう」

 私は椅子に座ったまま、冷めた紅茶を一口飲んだ。

「貴方たちの目的は私ですね? 誰に雇われましたか?」

 リーダー格と思われる男が、目元だけを出した覆面越しに私を睨んだ。

「……生意気な小娘だ。こんな子供騙しの罠で、我々『黒蛇』を止められると思うな!」

 男が懐から黒い水晶を取り出した。  途端に、不気味な赤黒い波動が部屋中に広がる。  私の仕掛けた光の円陣が、ガラスのようにヒビ割れ始めた。

「魔力解呪(アンチ・マジック)か。……良い道具を持っていますね」

 私は感心した。  あれは軍事用でも最上位クラスの魔導具だ。やはり、ただの盗賊ではない。  罠を破った男たちは、殺気を剥き出しにして私に迫る。

「死ね!」

 先頭の男が短剣を突き出してきた。  切っ先まであと数センチ。  普通の令嬢なら悲鳴を上げて気絶する場面だろう。  けれど、私は眉一つ動かさなかった。

 キィィィィン……!

 甲高い金属音が響き、短剣が空中で静止した。  見えない壁に阻まれたのではない。  男の腕そのものが、ピクリとも動かなくなったのだ。

「な、なんだ!? 体が動かん!?」 「あ、熱い! 体が焼けるようだ!」

 男たちが悲鳴を上げ始めた。  彼らの体内で、魔力が暴走を始めていたのだ。

「貴方たち、侵入する際に『透明化』の魔法を使っていましたね? さらに足音を消す『消音魔法』、気配を消す『認識阻害魔法』……」 「それがどうした!」 「使いすぎです。……それらの魔法を維持するために、貴方たちは体内で常に魔力を循環させている。私はその『循環』に、ほんの少しだけ干渉させてもらいました」

 私は空中に指で数式を描いた。

「貴方たちの魔力循環の効率を、極限まで『悪化』させたのです。……血流で言えば、血管をわざと詰まらせたようなもの。今、貴方たちの体内で魔力が行き場を失って、筋肉や神経を圧迫しているはずですよ」

 これが私の能力の、攻撃的な応用だ。  通常は効率を良くするために使う「最適化」を、逆に「非効率化」に使えば、相手は自滅する。  敵の魔力を利用して敵を倒す、究極の省エネ戦法だ。

「が、あ、あああ……ッ!」

 男たちは短剣を取り落とし、床をのた打ち回り始めた。  全身を走る激痛と麻痺。  それは、かつてジークハルトが苦しんでいた魔力過多症の痛みに近いかもしれない。

「痛いでしょう? でも死にはしません。……さあ、教えてください。依頼主は誰?」

 私は冷徹に尋問を開始した。  リーダー格の男が、苦悶の表情で喘ぎながら口を開いた。

「い、言うものか……。我々はプロだ……顧客の情報は……ぐああああッ!」

 私が指先をクイクイと動かすと、痛みのレベルが一段階上がった。

「プロ意識は立派ですが、命あっての物種ですよ。……それに、このまま魔力が滞留し続ければ、一時間後には内側から爆発して肉片になりますけど?」 「ひ、ひぃぃぃッ! い、言う! 言うから止めてくれ!」

 あっさりと落ちた。  所詮は金で動く傭兵だ。忠誠心など期待する方が間違いだった。

「い、依頼主は……王国の、アルフォンス王子だ!」

 予想通りの名前に、私はため息をついた。  まだ諦めていなかったのか。国を追われ、囚われの身になってもなお、私への執着を捨てられないとは。  いや、捕まったからこそ、最後の悪あがきとして私を道連れにしようとしたのかもしれない。

「……報酬は?」 「『王家の隠し財産』のありかだ! 成功すれば、それを全てやると……!」

 なるほど。自分にはもう払う金がないから、架空の財産を餌にしてプロを雇ったわけか。  どこまでも愚かで、救いようのない男だ。

「情報は分かりました。……では、おやすみなさい」

 私が指を鳴らすと、男たちは糸が切れた操り人形のように気絶した。  魔力の流れを遮断し、強制的にシャットダウンさせたのだ。  部屋に静寂が戻る。  これで一件落着――と思った、その時だった。

 ドォンッ!!

 窓ガラスが粉砕され、黒い影が飛び込んできた。  四人目!?  いや、この気配は――

「リーゼロッテッ!!」

 悲痛な叫びと共に現れたのは、ジークハルトだった。  彼は窓から侵入するやいなや、床に転がる男たちには目もくれず、私の方へ突進してきた。  その顔色は蒼白で、普段の冷静さは微塵もない。

「ジーク? どうして窓から……」 「無事か!? 怪我はないか!?」

 彼は私の肩を掴み、乱暴なまでに全身を確認した。  血は出ていないか。服は破れていないか。  その必死な様子に、私は驚いて目を丸くした。

「だ、大丈夫です。指一本触れさせていません」 「……本当か? 嘘をついていないな?」 「はい。見ての通り、彼らは夢の中です」

 私が床の男たちを指差すと、ジークハルトはようやく状況を理解したようだった。  彼は大きく息を吐き、へなへなと膝をついた。

「……心臓が止まるかと思った」

 彼は額に手を当て、呻くように言った。

「フランツから報告を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。……貴様が襲われているかもしれない。連れ去られたかもしれない。そう考えただけで、気が狂いそうだった」 「ごめんなさい。……心配かけまいと思って、事後報告にするつもりでした」 「馬鹿者がッ!」

 彼は私を抱きしめた。  強い力だ。痛いくらいに。  でも、その震えが、彼の恐怖の大きさを物語っていた。

「なぜ私を呼ばない! なぜ一人で戦う! ……私は何のためにいるのだ! 貴様を守るためだろう!」 「ジーク……」 「貴様が強かろうが、天才だろうが関係ない! 私の目の届かないところで危険に晒されること自体が、私にとっては耐え難い苦痛なんだ!」

 彼の悲痛な叫びに、私は自分の浅はかさを恥じた。  私は「問題を効率的に解決すること」ばかりを考えていた。  でも、彼にとっては「私が無事であること」だけでなく、「私が彼を頼ること」も重要だったのだ。  一人で平気な顔をして戦うことは、彼の「守りたい」という想いを否定することにもなる。

「……ごめんなさい。私が間違っていました」

 私は彼の背中に手を回し、謝った。

「次からは、すぐに呼びます。……貴方に助けてもらいます」 「……約束だぞ」

 彼は私の首筋に顔を埋め、深く呼吸をした。  しばらくして、彼はようやく落ち着きを取り戻し、床に転がる男たちに冷ややかな視線を向けた。

「……で、このゴミどもはどうする? 消すか?」 「いえ、証人として生かしておきましょう。フランツ宰相に引き渡して、国際法廷で王子の罪を問う材料にします」 「……ふん。貴様は甘いな。私なら、生きたまま氷漬けにして王国の広場に展示してやるところだが」

 彼は冗談とも本気ともつかないことを言いながら、衛兵たちを呼んだ。  駆けつけた衛兵たちが、白目を剥いて倒れている暗殺者たちを見て、「また陛下がやったのか」と勘違いしているのが少しおかしかった(訂正はしなかったけれど)。

 ◇

 騒動が収束した後、私たちは場所を変え、私の執務室でコーヒーを飲んでいた。  時刻は深夜二時を回っている。  スパイの尋問結果を聞いたジークハルトは、不快そうに顔をしかめた。

「アルフォンス……。まだ生きていたのか、あの害虫は」 「暴徒に捕まった後、地下牢に幽閉されているそうです。そこから外部と連絡を取ったのでしょう」 「しぶといな。……だが、これが最後だ」

 ジークハルトはカップを置き、決断を下した顔をした。

「明日、私が直接ルミナスへ行く」 「えっ、ジークが?」 「ああ。国境付近に軍を展開し、王国暫定政府――今は革命軍のリーダーか――と交渉を行う。……王子の身柄引き渡しと、我が国への不可侵条約を結ぶためにな」

 それは事実上の「最終通告」であり、帝国の圧倒的な武力を背景にした「保護国化」の宣言でもあった。  ルミナス王国は形の上では存続するかもしれないが、実質的には帝国の管理下に置かれることになるだろう。  でも、それが民衆にとっても一番幸せな結末なのかもしれない。帝国の支援があれば、インフラは復旧し、飢えも解消されるのだから。

「貴様も来るか?」

 彼が尋ねた。  私は少し迷った。  あの国には、もう未練はない。見たくもない風景がたくさんある。  でも、ケジメをつけるためには、避けて通れない道だとも思った。

「……はい。行きます」 「そうか。……安心しろ。今度は絶対に離れない。一秒たりともな」

 彼は私の手を握り、キスをした。  その瞳には、揺るぎない決意と愛が宿っていた。

 ◇

 翌日、帝国の飛竜艦隊が空を覆った。  旗艦である超弩級戦艦『ドラグーン』の甲板に、私は立っていた。  隣にはジークハルト。  風が強く吹き荒れる中、眼下にはかつての祖国、ルミナスの大地が広がっている。

 かつては緑豊かだった大地は、今は茶色く荒れ果てていた。  王都からは黒い煙が上がっている。  これが、為政者の無能が招いた末路。  心が痛む光景だった。

「……見えるか、リーゼロッテ」

 ジークハルトが指差した先。  王城のテラスに、白い旗が掲げられているのが見えた。  降伏の合図だ。  圧倒的な帝国の軍事力を前に、革命軍も、そして残った貴族たちも、戦う意思を喪失したのだ。

 戦艦がゆっくりと高度を下げる。  王城の前広場に着陸すると、そこには数千の民衆と、武装解除した兵士たちが集まっていた。  彼らの表情は怯えに満ちていた。  「氷の皇帝」が、皆殺しにしに来たのではないかと恐れているのだ。

 タラップが下りる。  ジークハルトが先に降り立ち、私に手を差し伸べた。  私はその手を取り、一歩踏み出した。

 その瞬間。  広場の空気が変わった。

「あ……あれは……」 「リーゼロッテ様だ!」 「光の魔術師様が帰ってきてくださった!」

 誰かが叫んだ。  それは波紋のように広がり、瞬く間に大歓声へと変わった。  「リーゼロッテ様万歳!」「女神様万歳!」  彼らは皇帝を恐れるどころか、私という「救世主」を連れてきてくれた英雄として、ジークハルトをも歓迎したのだ。

「……人気者だな」

 ジークハルトが苦笑する。

「貴様を連れてきて正解だった。……これなら、統治もスムーズにいきそうだ」 「計算高いですね、陛下」 「なんとでも言え。……さあ、最後の仕上げだ」

 私たちは広場の中央へと進んだ。  そこには、みすぼらしい姿で縛り上げられた一人の男が転がされていた。  アルフォンス王子だ。  かつての煌びやかな衣装は泥にまみれ、髪はボサボサ。顔には殴られたような痣がある。  彼は私たちが近づくと、虚ろな目を向けた。

「……り、リーゼロッテ……?」

 その声は掠れていた。

「助けてくれ……! 私が悪かった! 戻ってきてくれ! お前がいなきゃダメなんだ!」

 彼は這いつくばって、私の足元にすがりつこうとした。  みっともない。あまりにも無様で、哀れな姿。  私は一歩も動かず、冷ややかに彼を見下ろした。  怒りすら湧いてこない。ただ、汚いものを見るような生理的な嫌悪感だけがあった。

 ジークハルトが、無言で王子の前に立ちはだかった。  そして、一睨み。

「ひぃッ!」

 王子は悲鳴を上げて後ずさった。  ジークハルトは剣を抜かず、ただ言葉だけで彼を斬り捨てた。

「貴様に彼女に触れる資格はない。……二度とその名を口にするな、汚らわしい」

 そして、私を振り返り、促した。

「言ってやれ、リーゼロッテ。……貴様の言葉で、終わらせてやれ」

 私は深く息を吸い込んだ。  これが最後だ。  私を縛り付けていた過去との、完全な決別。

「アルフォンス様」

 私の声は、広場全体に響き渡った。

「貴方が私を必要としているのは知っています。……でも、それは私という人間ではなく、私の『機能』が必要なだけでしょう?」 「ち、違う! 愛しているんだ!」 「嘘をおっしゃい。……貴方が愛しているのは自分だけです」

 私はきっぱりと告げた。

「私はもう、貴方の道具ではありません。私は帝国で、一人の人間として、そして技術者として愛され、必要とされています。……そこには、貴方がくれたことのない『敬意』と『温もり』があります」

 私はジークハルトの腕に手を添えた。

「だから、私は戻りません。……二度と、この国には戻りません」

 宣言。  それは、王子への死刑宣告よりも重く、深く突き刺さったようだった。  王子は「あ……あぁ……」と口を開けたまま、崩れ落ちた。  魂が抜けたようなその姿を見て、私は胸のつかえが取れたような気がした。

 終わった。  本当に、終わったのだ。

 広場からは、割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。  それは、悪役令嬢と呼ばれた私が、真のヒロインとして生まれ変わった瞬間だった。  隣にいるジークハルトが、誇らしげに私の肩を抱く。  その温かさを感じながら、私は初めて、心からの自由を噛み締めていた。
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