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第12話 皇帝の過去とトラウマ
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帝国ガルガディアの国境付近に設置された、臨時難民キャンプ。 そこは、祖国ルミナスから逃れてきた人々で溢れかえっていた。 着の身着のまま逃げてきた彼らは、疲労と飢え、そして未来への不安で瞳を濁らせている。 雪が舞い散る寒空の下、彼らを温めるのは、帝国軍が設営した巨大なテントと、中央に設置された魔導暖房ユニットだけだった。
「スープの配給列はこちらです! 押さないで、全員分ありますから!」 「怪我人は医療テントへ! 帝国の治癒魔導師様が診てくださいます!」
私は、支援活動の陣頭指揮を執っていた。 本来なら皇城の奥にいるべき技術顧問が、泥まみれになって現場に出ていることに、当初は周囲も反対した。しかし、私が開発した『簡易型結界テント』や『自動調理大鍋』の運用指導をするには、私自身が現場に立つのが一番早かったのだ。
「……あ、あの。ありがとうございます……」
震える手でスープの器を受け取った老婆が、涙ながらに私を見上げた。
「噂には聞いていましたが、帝国がこんなに温かい国だとは……。私たちの国では、王族も貴族も、私たちを見捨てたというのに」 「お婆さん、温かいうちに食べてくださいね。……ここは安全ですから」
私は老婆の手を握り、微笑んだ。 彼女の手は骨と皮ばかりで、あかぎれだらけだった。これが、私がかつて守ろうとし、そして守りきれなかった祖国の民の現実なのだ。
胸が痛む。けれど、感傷に浸っている場合ではない。 受け入れ人数はすでに三万人を超えている。食料、燃料、居住スペース。すべてが不足しつつあった。 私は懐から通信機を取り出し、皇城にいるジークハルトに繋いだ。
「……こちらリーゼロッテ。ジーク、聞こえますか?」 『ああ、聞こえている。……状況はどうだ』
ノイズ混じりの向こうから、彼の低い声が響く。 その声には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。
「難民の数は予想以上です。第三区画の拡張工事を急いでください。それと、予備の魔石を……」 『手配済みだ。輸送部隊がそちらへ向かっている。……それより、リーゼロッテ』 「はい?」 『……無理をしていないか? 声が枯れているぞ』
こんな非常時だというのに、彼は真っ先に私の心配をする。 その優しさが、張り詰めた神経を少しだけ緩めてくれた。
「大丈夫です。……ジークこそ、ちゃんと寝ていますか? ここ数日、徹夜続きでしょう?」 『問題ない。……私は皇帝だ。これくらいの激務、日常茶飯事だ』
彼は強がったが、私には分かっていた。 難民受け入れの決断は、帝国内でも賛否両論があった。「敵国の人間を助ける義理はない」「食料を奪われる」という反対派を、彼はそのカリスマ性と政治力でねじ伏せ、強引に推し進めているのだ。 その心労は計り知れない。 それに、ストレスは彼の魔力過多症を悪化させる最大の要因だ。
「……明日の朝には戻ります。戻ったら、たっぷりと『調整』させてくださいね」 『……ああ。待っている』
通話が切れる。 私は空を見上げた。鉛色の空から、白い雪が舞い落ちてくる。 遠く離れた皇城で、孤独に玉座を守る彼の姿が目に浮かんだ。
◇
翌日の深夜。 私は予定よりも数時間早く、皇城に帰還した。 体は泥のように重かったが、どうしてもジークハルトの顔が見たかったのだ。 執務室にはいない。寝室か。 私は足音を忍ばせ、彼の私室の扉を開けた。
部屋は闇に包まれていた。 暖炉の火も消えかけ、冷気が漂っている。 広いベッドの中央で、ジークハルトが眠っていた。 しかし、その眠りは安らかなものではなかった。
「……う、ぐ……っ」 「……来るな……っ、……触るな……!」
彼はうなされていた。 額には脂汗が浮かび、シーツを握りしめる拳は白く変色している。 そして、彼の周囲の空間が、ピリピリと不穏な音を立てて歪んでいた。 無意識に放出された魔力が、部屋中の空気を凍てつかせようとしているのだ。
「ジーク!」
私は駆け寄り、彼の肩を揺すった。 触れた瞬間、指先が焼けるような冷たさを感じた。 冷気ではない。あまりに高密度な魔力が、熱を奪っているのだ。
「ジーク、起きて! 夢を見ているのよ!」 「……っ!!」
彼は弾かれたように目を見開いた。 その青い瞳孔は開ききり、焦点が定まっていない。 荒い呼吸と共に、彼は私を見た。いや、私ではなく、何か恐ろしい「敵」を見ているような目だった。
「……母上……?」 「え?」
彼が呟いた言葉に、私は息を呑んだ。 母上。 普段の彼からは想像もつかない、幼い子供のような響き。
次の瞬間、彼の瞳に理性の光が戻った。 目の前にいるのが私だと認識すると、彼はハッとして体を引いた。
「……リーゼロッテ、か」 「はい。……うなされていましたよ。怖い夢でも?」
私はハンカチで彼の額の汗を拭った。 彼はバツが悪そうに視線を逸らし、乱れた髪をかき上げた。
「……すまん。無様(ぶざま)なところを見せた」 「謝らないでください。……魔力が不安定になっています。少し、調整しましょう」
私はベッドの端に座り、彼の手を取ろうとした。 しかし、彼は拒絶するように手を引っ込めた。
「……やめろ」 「ジーク?」 「今は……触れるな。制御がきかない。……お前を、傷つけるかもしれない」
彼の声は震えていた。 それは、私の知る「傲慢な皇帝」の声ではなかった。 怯えた子供の声だった。 私は手を引っ込めず、むしろ強引に彼の手首を掴んだ。
「傷つきません。……忘れたのですか? 私は貴方の魔導技師ですよ」 「……っ」 「それに、貴方は私を傷つけない。……絶対に」
私は彼の目を真っ直ぐに見つめた。 ジークハルトは観念したように息を吐き、体の力を抜いた。 私は彼の手を両手で包み込み、ゆっくりと魔力を流し込んだ。 荒れ狂う吹雪のような彼の魔力が、私の体温に触れて、少しずつ穏やかな雪解け水へと変わっていく。
長い沈黙の後、彼がぽつりと口を開いた。
「……昔の夢を見た」
彼は天井を見上げたまま、静かに語り始めた。
「私が五歳の時だ。……初めて魔力が暴走した日のことだ」
それは、彼の心の奥底に封印されていた、原風景。
「私はただ、母に褒めてもらいたかっただけだ。庭に咲いた氷の花を、母に見せようとして……駆け寄って、その手を掴んだ」 「……」 「瞬間、母の手が凍りついた。……悲鳴。恐怖に歪んだ顔。……母は私を突き飛ばし、『化け物!』と叫んだ」
淡々とした語り口が、逆に痛々しかった。
「それ以来、母は私に触れなくなった。父である先帝も、私を危険視し、離宮の塔に幽閉した。……世話係のメイドたちも、厚い手袋をして、怯えながら食事を運んでくるだけだった」
私の胸が締め付けられた。 幼い子供が、親に拒絶され、誰にも触れてもらえない孤独。 どれほど寒かっただろう。どれほど寂しかっただろう。
「私は理解した。……この力は呪いだ。だが同時に、私が生き残るための唯一の武器でもあると」 「……」 「だから私は、心を凍らせた。誰も寄せ付けず、ただ最強の力を求めた。……力がなければ、私はただの『化け物』として処分されるだけだったからな」
彼は自嘲気味に笑った。
「皮肉なものだ。その力のおかげで皇帝になり、国を広げたが……結局、私の芯にあるのは、あの時の『見捨てられた子供』のままだ。……リーゼロッテ、お前がいつか、私を怖がって離れていくのではないかと……毎晩、夢に見る」
それが、彼の悪夢の正体だった。 最強の皇帝が抱える、最大の恐怖。 愛する人に拒絶されること。
私は、彼の言葉を遮るように、彼を抱きしめた。 ベッドに身を乗り出し、彼の広い胸に顔を埋める。 彼の体が強張るのがわかった。
「……馬鹿な人」 「……何?」 「そんなこと、あるわけないでしょう。……貴方がどれだけ冷たくても、どれだけ強力な魔力を持っていても、私には関係ありません」
私は顔を上げ、彼の目を見つめた。 至近距離。互いの吐息がかかる距離。
「私の仕事は『最適化』です。貴方の魔力が暴走するなら、私が調整します。貴方の心が凍りつくなら、私が溶かします。……何度でも、何回でも」 「リーゼロッテ……」 「それに……貴方は『化け物』なんかじゃありません。……見てください」
私は彼の手を取り、私の頬に当てた。 素手だ。手袋もない、直接の接触。
「……冷たい。でも、温かい」 「……矛盾しているぞ」 「いいえ、矛盾していません。……貴方の手は冷たいけれど、そこには私を案じる優しさがある。……私には、それが分かります」
ジークハルトの瞳が揺れた。 氷の瞳が、涙の膜で潤み、溶けていく。 彼は震える手で、私の頬を確かめるように撫でた。
「……母は、凍傷になった。……お前は、痛くないのか?」 「痛くありません。……心地いいくらいです」
私は微笑み、彼の手のひらにキスをした。
「貴方の全てを受け入れます。過去の傷も、呪いのような魔力も。……全部ひっくるめて、私はジークハルトという人間を愛しています」
その言葉は、彼の心の最後の防壁を砕いたようだった。 彼は嗚咽を漏らし、私を力強く抱きしめ返した。
「……ありがとう……。ありがとう、リーゼロッテ……」
彼の涙が、私の首筋を濡らす。 皇帝が泣いている。 誰にも見せたことのない涙を、私にだけ見せてくれている。 私は彼が泣き止むまで、ずっと背中をさすり続けた。 まるで、幼い頃の彼が求めていた母の温もりを与えるように。
◇
どれくらいの時間が経っただろうか。 涙が止まった彼は、憑き物が落ちたように穏やかな表情になっていた。 私たちはベッドに並んで横たわり、天井を見上げていた。 手と手はずっと繋がれたままだ。
「……難民たちの様子はどうだ?」
彼が不意に仕事の話に戻った。でも、その声は先ほどまでの重苦しさは消え、クリアに響いていた。
「大変ですが、希望は見えています。……彼らは貴方に感謝していましたよ。『冷徹皇帝』ではなく、『救済の皇帝』だと」 「……ふん。買いかぶりすぎだ。私はただ、将来の労働力を確保しているに過ぎない」
彼はいつもの憎まれ口を叩くが、口元は隠しきれない笑みを浮かべていた。
「ジーク。……一つ提案があります」 「なんだ」 「難民たちの中に、魔力を持たない子供たちがたくさんいました。彼らのために、技術学校を作りたいんです。魔力がなくても、科学と魔導工学を学べば、この国で生きていける力を与えられます」 「……学校、か」
彼は少し考え込み、頷いた。
「悪くない。……帝国は実力主義だ。出身や魔力の有無に関わらず、優秀な者は取り立てる。それが私の流儀だ」 「ありがとうございます!」 「ただし、条件がある」 「条件?」 「その学校の名前だ。……『リーゼロッテ記念学園』にするなら許可する」 「ええっ!? やめてください、恥ずかしい!」 「決定だ。……貴様の名を歴史に残す、いい機会だ」
彼は楽しそうに笑った。 ああ、いつもの彼だ。意地悪で、強引で、でも最高に頼りになる彼が戻ってきた。
その時、窓の外が白々と明るくなり始めていた。 夜明けだ。 私たちは顔を見合わせた。
「……そろそろ、起きねばな。今日も仕事が山積みだ」 「そうですね。……でも、もう少しだけ」
私は彼の胸に頭を擦り寄せた。
「充電させてください」 「……許可する。私も、エネルギー不足だ」
彼は私を抱き寄せ、髪にキスをした。 朝日の差し込む寝室で、私たちは互いの温もりを確認し合った。 もう、悪夢は来ない。 二人の間には、物理的な接触以上の、魂の繋がりが生まれていたから。
◇
その日の午後。 すっかり元気を取り戻したジークハルトは、精力的に政務をこなしていた。 その横顔は、以前よりもさらに力強く、そしてどこか優しさを帯びていた。 家臣たちも、「今日の陛下は機嫌が良い」「オーラが丸くなった」と噂している。
私は執務室で、学校建設の企画書を作成していた。 そこに、フランツ宰相がやってきた。 しかし、その表情はいつもの穏やかなものではなく、険しいものだった。
「……リーゼロッテ様。少し、よろしいでしょうか」 「フランツ様? どうされました?」 「……情報局から、気になる報告が入りました」
彼は声を潜め、周囲を警戒しながら言った。
「難民の中に……『ネズミ』が紛れ込んでいるようです」 「ネズミ?」 「はい。王国の崩壊に乗じて、何者かが組織的に工作員を送り込んでいる形跡があります。……目的は、おそらく貴女だ」
背筋に冷たいものが走った。 王国はもう崩壊したはずだ。王子も拘束されたはず。 それなのに、まだ私を狙う者がいる?
「……アルフォンス王子ではありません。もっと質の悪い、闇の組織です。……彼らは金さえ貰えば、皇帝の暗殺すら請け負うプロフェッショナル集団です」
フランツは低い声で告げた。
「昨日の夜、城の外壁結界に、極小の『穴』が開けられた痕跡が見つかりました。……奴らはすでに、城内に侵入している可能性があります」
平和な日常の裏側で、見えない刃が迫っていた。 私は企画書を握る手に力を込めた。
「……ジークには?」 「まだ伝えておりません。陛下は今、難民政策で手一杯ですから。これ以上の負担をかけるのは……」 「分かりました。……私が対処します」
私は立ち上がった。 昨夜、私は誓ったのだ。 彼の心を溶かすだけでなく、彼の背中を守れる存在になると。
「私の探知スキルなら、異物を特定できます。……ジークに気づかれる前に、掃除してしまいましょう」
私は技術者の顔から、戦う女の顔へと切り替わった。 愛する人を守るための、私なりの戦いが始まろうとしていた。
「スープの配給列はこちらです! 押さないで、全員分ありますから!」 「怪我人は医療テントへ! 帝国の治癒魔導師様が診てくださいます!」
私は、支援活動の陣頭指揮を執っていた。 本来なら皇城の奥にいるべき技術顧問が、泥まみれになって現場に出ていることに、当初は周囲も反対した。しかし、私が開発した『簡易型結界テント』や『自動調理大鍋』の運用指導をするには、私自身が現場に立つのが一番早かったのだ。
「……あ、あの。ありがとうございます……」
震える手でスープの器を受け取った老婆が、涙ながらに私を見上げた。
「噂には聞いていましたが、帝国がこんなに温かい国だとは……。私たちの国では、王族も貴族も、私たちを見捨てたというのに」 「お婆さん、温かいうちに食べてくださいね。……ここは安全ですから」
私は老婆の手を握り、微笑んだ。 彼女の手は骨と皮ばかりで、あかぎれだらけだった。これが、私がかつて守ろうとし、そして守りきれなかった祖国の民の現実なのだ。
胸が痛む。けれど、感傷に浸っている場合ではない。 受け入れ人数はすでに三万人を超えている。食料、燃料、居住スペース。すべてが不足しつつあった。 私は懐から通信機を取り出し、皇城にいるジークハルトに繋いだ。
「……こちらリーゼロッテ。ジーク、聞こえますか?」 『ああ、聞こえている。……状況はどうだ』
ノイズ混じりの向こうから、彼の低い声が響く。 その声には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。
「難民の数は予想以上です。第三区画の拡張工事を急いでください。それと、予備の魔石を……」 『手配済みだ。輸送部隊がそちらへ向かっている。……それより、リーゼロッテ』 「はい?」 『……無理をしていないか? 声が枯れているぞ』
こんな非常時だというのに、彼は真っ先に私の心配をする。 その優しさが、張り詰めた神経を少しだけ緩めてくれた。
「大丈夫です。……ジークこそ、ちゃんと寝ていますか? ここ数日、徹夜続きでしょう?」 『問題ない。……私は皇帝だ。これくらいの激務、日常茶飯事だ』
彼は強がったが、私には分かっていた。 難民受け入れの決断は、帝国内でも賛否両論があった。「敵国の人間を助ける義理はない」「食料を奪われる」という反対派を、彼はそのカリスマ性と政治力でねじ伏せ、強引に推し進めているのだ。 その心労は計り知れない。 それに、ストレスは彼の魔力過多症を悪化させる最大の要因だ。
「……明日の朝には戻ります。戻ったら、たっぷりと『調整』させてくださいね」 『……ああ。待っている』
通話が切れる。 私は空を見上げた。鉛色の空から、白い雪が舞い落ちてくる。 遠く離れた皇城で、孤独に玉座を守る彼の姿が目に浮かんだ。
◇
翌日の深夜。 私は予定よりも数時間早く、皇城に帰還した。 体は泥のように重かったが、どうしてもジークハルトの顔が見たかったのだ。 執務室にはいない。寝室か。 私は足音を忍ばせ、彼の私室の扉を開けた。
部屋は闇に包まれていた。 暖炉の火も消えかけ、冷気が漂っている。 広いベッドの中央で、ジークハルトが眠っていた。 しかし、その眠りは安らかなものではなかった。
「……う、ぐ……っ」 「……来るな……っ、……触るな……!」
彼はうなされていた。 額には脂汗が浮かび、シーツを握りしめる拳は白く変色している。 そして、彼の周囲の空間が、ピリピリと不穏な音を立てて歪んでいた。 無意識に放出された魔力が、部屋中の空気を凍てつかせようとしているのだ。
「ジーク!」
私は駆け寄り、彼の肩を揺すった。 触れた瞬間、指先が焼けるような冷たさを感じた。 冷気ではない。あまりに高密度な魔力が、熱を奪っているのだ。
「ジーク、起きて! 夢を見ているのよ!」 「……っ!!」
彼は弾かれたように目を見開いた。 その青い瞳孔は開ききり、焦点が定まっていない。 荒い呼吸と共に、彼は私を見た。いや、私ではなく、何か恐ろしい「敵」を見ているような目だった。
「……母上……?」 「え?」
彼が呟いた言葉に、私は息を呑んだ。 母上。 普段の彼からは想像もつかない、幼い子供のような響き。
次の瞬間、彼の瞳に理性の光が戻った。 目の前にいるのが私だと認識すると、彼はハッとして体を引いた。
「……リーゼロッテ、か」 「はい。……うなされていましたよ。怖い夢でも?」
私はハンカチで彼の額の汗を拭った。 彼はバツが悪そうに視線を逸らし、乱れた髪をかき上げた。
「……すまん。無様(ぶざま)なところを見せた」 「謝らないでください。……魔力が不安定になっています。少し、調整しましょう」
私はベッドの端に座り、彼の手を取ろうとした。 しかし、彼は拒絶するように手を引っ込めた。
「……やめろ」 「ジーク?」 「今は……触れるな。制御がきかない。……お前を、傷つけるかもしれない」
彼の声は震えていた。 それは、私の知る「傲慢な皇帝」の声ではなかった。 怯えた子供の声だった。 私は手を引っ込めず、むしろ強引に彼の手首を掴んだ。
「傷つきません。……忘れたのですか? 私は貴方の魔導技師ですよ」 「……っ」 「それに、貴方は私を傷つけない。……絶対に」
私は彼の目を真っ直ぐに見つめた。 ジークハルトは観念したように息を吐き、体の力を抜いた。 私は彼の手を両手で包み込み、ゆっくりと魔力を流し込んだ。 荒れ狂う吹雪のような彼の魔力が、私の体温に触れて、少しずつ穏やかな雪解け水へと変わっていく。
長い沈黙の後、彼がぽつりと口を開いた。
「……昔の夢を見た」
彼は天井を見上げたまま、静かに語り始めた。
「私が五歳の時だ。……初めて魔力が暴走した日のことだ」
それは、彼の心の奥底に封印されていた、原風景。
「私はただ、母に褒めてもらいたかっただけだ。庭に咲いた氷の花を、母に見せようとして……駆け寄って、その手を掴んだ」 「……」 「瞬間、母の手が凍りついた。……悲鳴。恐怖に歪んだ顔。……母は私を突き飛ばし、『化け物!』と叫んだ」
淡々とした語り口が、逆に痛々しかった。
「それ以来、母は私に触れなくなった。父である先帝も、私を危険視し、離宮の塔に幽閉した。……世話係のメイドたちも、厚い手袋をして、怯えながら食事を運んでくるだけだった」
私の胸が締め付けられた。 幼い子供が、親に拒絶され、誰にも触れてもらえない孤独。 どれほど寒かっただろう。どれほど寂しかっただろう。
「私は理解した。……この力は呪いだ。だが同時に、私が生き残るための唯一の武器でもあると」 「……」 「だから私は、心を凍らせた。誰も寄せ付けず、ただ最強の力を求めた。……力がなければ、私はただの『化け物』として処分されるだけだったからな」
彼は自嘲気味に笑った。
「皮肉なものだ。その力のおかげで皇帝になり、国を広げたが……結局、私の芯にあるのは、あの時の『見捨てられた子供』のままだ。……リーゼロッテ、お前がいつか、私を怖がって離れていくのではないかと……毎晩、夢に見る」
それが、彼の悪夢の正体だった。 最強の皇帝が抱える、最大の恐怖。 愛する人に拒絶されること。
私は、彼の言葉を遮るように、彼を抱きしめた。 ベッドに身を乗り出し、彼の広い胸に顔を埋める。 彼の体が強張るのがわかった。
「……馬鹿な人」 「……何?」 「そんなこと、あるわけないでしょう。……貴方がどれだけ冷たくても、どれだけ強力な魔力を持っていても、私には関係ありません」
私は顔を上げ、彼の目を見つめた。 至近距離。互いの吐息がかかる距離。
「私の仕事は『最適化』です。貴方の魔力が暴走するなら、私が調整します。貴方の心が凍りつくなら、私が溶かします。……何度でも、何回でも」 「リーゼロッテ……」 「それに……貴方は『化け物』なんかじゃありません。……見てください」
私は彼の手を取り、私の頬に当てた。 素手だ。手袋もない、直接の接触。
「……冷たい。でも、温かい」 「……矛盾しているぞ」 「いいえ、矛盾していません。……貴方の手は冷たいけれど、そこには私を案じる優しさがある。……私には、それが分かります」
ジークハルトの瞳が揺れた。 氷の瞳が、涙の膜で潤み、溶けていく。 彼は震える手で、私の頬を確かめるように撫でた。
「……母は、凍傷になった。……お前は、痛くないのか?」 「痛くありません。……心地いいくらいです」
私は微笑み、彼の手のひらにキスをした。
「貴方の全てを受け入れます。過去の傷も、呪いのような魔力も。……全部ひっくるめて、私はジークハルトという人間を愛しています」
その言葉は、彼の心の最後の防壁を砕いたようだった。 彼は嗚咽を漏らし、私を力強く抱きしめ返した。
「……ありがとう……。ありがとう、リーゼロッテ……」
彼の涙が、私の首筋を濡らす。 皇帝が泣いている。 誰にも見せたことのない涙を、私にだけ見せてくれている。 私は彼が泣き止むまで、ずっと背中をさすり続けた。 まるで、幼い頃の彼が求めていた母の温もりを与えるように。
◇
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彼が不意に仕事の話に戻った。でも、その声は先ほどまでの重苦しさは消え、クリアに響いていた。
「大変ですが、希望は見えています。……彼らは貴方に感謝していましたよ。『冷徹皇帝』ではなく、『救済の皇帝』だと」 「……ふん。買いかぶりすぎだ。私はただ、将来の労働力を確保しているに過ぎない」
彼はいつもの憎まれ口を叩くが、口元は隠しきれない笑みを浮かべていた。
「ジーク。……一つ提案があります」 「なんだ」 「難民たちの中に、魔力を持たない子供たちがたくさんいました。彼らのために、技術学校を作りたいんです。魔力がなくても、科学と魔導工学を学べば、この国で生きていける力を与えられます」 「……学校、か」
彼は少し考え込み、頷いた。
「悪くない。……帝国は実力主義だ。出身や魔力の有無に関わらず、優秀な者は取り立てる。それが私の流儀だ」 「ありがとうございます!」 「ただし、条件がある」 「条件?」 「その学校の名前だ。……『リーゼロッテ記念学園』にするなら許可する」 「ええっ!? やめてください、恥ずかしい!」 「決定だ。……貴様の名を歴史に残す、いい機会だ」
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その時、窓の外が白々と明るくなり始めていた。 夜明けだ。 私たちは顔を見合わせた。
「……そろそろ、起きねばな。今日も仕事が山積みだ」 「そうですね。……でも、もう少しだけ」
私は彼の胸に頭を擦り寄せた。
「充電させてください」 「……許可する。私も、エネルギー不足だ」
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その日の午後。 すっかり元気を取り戻したジークハルトは、精力的に政務をこなしていた。 その横顔は、以前よりもさらに力強く、そしてどこか優しさを帯びていた。 家臣たちも、「今日の陛下は機嫌が良い」「オーラが丸くなった」と噂している。
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「……リーゼロッテ様。少し、よろしいでしょうか」 「フランツ様? どうされました?」 「……情報局から、気になる報告が入りました」
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「……アルフォンス王子ではありません。もっと質の悪い、闇の組織です。……彼らは金さえ貰えば、皇帝の暗殺すら請け負うプロフェッショナル集団です」
フランツは低い声で告げた。
「昨日の夜、城の外壁結界に、極小の『穴』が開けられた痕跡が見つかりました。……奴らはすでに、城内に侵入している可能性があります」
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だってお義姉様が
砂月ちゃん
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