処刑されるはずの悪役令嬢、なぜか敵国の「冷徹皇帝」に拾われる ~「君が必要だ」と言われても、今さら国には戻りません~

六角

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第12話 皇帝の過去とトラウマ

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帝国ガルガディアの国境付近に設置された、臨時難民キャンプ。  そこは、祖国ルミナスから逃れてきた人々で溢れかえっていた。  着の身着のまま逃げてきた彼らは、疲労と飢え、そして未来への不安で瞳を濁らせている。  雪が舞い散る寒空の下、彼らを温めるのは、帝国軍が設営した巨大なテントと、中央に設置された魔導暖房ユニットだけだった。

「スープの配給列はこちらです! 押さないで、全員分ありますから!」 「怪我人は医療テントへ! 帝国の治癒魔導師様が診てくださいます!」

 私は、支援活動の陣頭指揮を執っていた。  本来なら皇城の奥にいるべき技術顧問が、泥まみれになって現場に出ていることに、当初は周囲も反対した。しかし、私が開発した『簡易型結界テント』や『自動調理大鍋』の運用指導をするには、私自身が現場に立つのが一番早かったのだ。

「……あ、あの。ありがとうございます……」

 震える手でスープの器を受け取った老婆が、涙ながらに私を見上げた。

「噂には聞いていましたが、帝国がこんなに温かい国だとは……。私たちの国では、王族も貴族も、私たちを見捨てたというのに」 「お婆さん、温かいうちに食べてくださいね。……ここは安全ですから」

 私は老婆の手を握り、微笑んだ。  彼女の手は骨と皮ばかりで、あかぎれだらけだった。これが、私がかつて守ろうとし、そして守りきれなかった祖国の民の現実なのだ。

 胸が痛む。けれど、感傷に浸っている場合ではない。  受け入れ人数はすでに三万人を超えている。食料、燃料、居住スペース。すべてが不足しつつあった。  私は懐から通信機を取り出し、皇城にいるジークハルトに繋いだ。

「……こちらリーゼロッテ。ジーク、聞こえますか?」 『ああ、聞こえている。……状況はどうだ』

 ノイズ混じりの向こうから、彼の低い声が響く。  その声には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。

「難民の数は予想以上です。第三区画の拡張工事を急いでください。それと、予備の魔石を……」 『手配済みだ。輸送部隊がそちらへ向かっている。……それより、リーゼロッテ』 「はい?」 『……無理をしていないか? 声が枯れているぞ』

 こんな非常時だというのに、彼は真っ先に私の心配をする。  その優しさが、張り詰めた神経を少しだけ緩めてくれた。

「大丈夫です。……ジークこそ、ちゃんと寝ていますか? ここ数日、徹夜続きでしょう?」 『問題ない。……私は皇帝だ。これくらいの激務、日常茶飯事だ』

 彼は強がったが、私には分かっていた。  難民受け入れの決断は、帝国内でも賛否両論があった。「敵国の人間を助ける義理はない」「食料を奪われる」という反対派を、彼はそのカリスマ性と政治力でねじ伏せ、強引に推し進めているのだ。  その心労は計り知れない。  それに、ストレスは彼の魔力過多症を悪化させる最大の要因だ。

「……明日の朝には戻ります。戻ったら、たっぷりと『調整』させてくださいね」 『……ああ。待っている』

 通話が切れる。  私は空を見上げた。鉛色の空から、白い雪が舞い落ちてくる。  遠く離れた皇城で、孤独に玉座を守る彼の姿が目に浮かんだ。

 ◇

 翌日の深夜。  私は予定よりも数時間早く、皇城に帰還した。  体は泥のように重かったが、どうしてもジークハルトの顔が見たかったのだ。  執務室にはいない。寝室か。  私は足音を忍ばせ、彼の私室の扉を開けた。

 部屋は闇に包まれていた。  暖炉の火も消えかけ、冷気が漂っている。  広いベッドの中央で、ジークハルトが眠っていた。  しかし、その眠りは安らかなものではなかった。

「……う、ぐ……っ」 「……来るな……っ、……触るな……!」

 彼はうなされていた。  額には脂汗が浮かび、シーツを握りしめる拳は白く変色している。  そして、彼の周囲の空間が、ピリピリと不穏な音を立てて歪んでいた。  無意識に放出された魔力が、部屋中の空気を凍てつかせようとしているのだ。

「ジーク!」

 私は駆け寄り、彼の肩を揺すった。  触れた瞬間、指先が焼けるような冷たさを感じた。  冷気ではない。あまりに高密度な魔力が、熱を奪っているのだ。

「ジーク、起きて! 夢を見ているのよ!」 「……っ!!」

 彼は弾かれたように目を見開いた。  その青い瞳孔は開ききり、焦点が定まっていない。  荒い呼吸と共に、彼は私を見た。いや、私ではなく、何か恐ろしい「敵」を見ているような目だった。

「……母上……?」 「え?」

 彼が呟いた言葉に、私は息を呑んだ。  母上。  普段の彼からは想像もつかない、幼い子供のような響き。

 次の瞬間、彼の瞳に理性の光が戻った。  目の前にいるのが私だと認識すると、彼はハッとして体を引いた。

「……リーゼロッテ、か」 「はい。……うなされていましたよ。怖い夢でも?」

 私はハンカチで彼の額の汗を拭った。  彼はバツが悪そうに視線を逸らし、乱れた髪をかき上げた。

「……すまん。無様(ぶざま)なところを見せた」 「謝らないでください。……魔力が不安定になっています。少し、調整しましょう」

 私はベッドの端に座り、彼の手を取ろうとした。  しかし、彼は拒絶するように手を引っ込めた。

「……やめろ」 「ジーク?」 「今は……触れるな。制御がきかない。……お前を、傷つけるかもしれない」

 彼の声は震えていた。  それは、私の知る「傲慢な皇帝」の声ではなかった。  怯えた子供の声だった。    私は手を引っ込めず、むしろ強引に彼の手首を掴んだ。

「傷つきません。……忘れたのですか? 私は貴方の魔導技師ですよ」 「……っ」 「それに、貴方は私を傷つけない。……絶対に」

 私は彼の目を真っ直ぐに見つめた。  ジークハルトは観念したように息を吐き、体の力を抜いた。  私は彼の手を両手で包み込み、ゆっくりと魔力を流し込んだ。  荒れ狂う吹雪のような彼の魔力が、私の体温に触れて、少しずつ穏やかな雪解け水へと変わっていく。

 長い沈黙の後、彼がぽつりと口を開いた。

「……昔の夢を見た」

 彼は天井を見上げたまま、静かに語り始めた。

「私が五歳の時だ。……初めて魔力が暴走した日のことだ」

 それは、彼の心の奥底に封印されていた、原風景。

「私はただ、母に褒めてもらいたかっただけだ。庭に咲いた氷の花を、母に見せようとして……駆け寄って、その手を掴んだ」 「……」 「瞬間、母の手が凍りついた。……悲鳴。恐怖に歪んだ顔。……母は私を突き飛ばし、『化け物!』と叫んだ」

 淡々とした語り口が、逆に痛々しかった。

「それ以来、母は私に触れなくなった。父である先帝も、私を危険視し、離宮の塔に幽閉した。……世話係のメイドたちも、厚い手袋をして、怯えながら食事を運んでくるだけだった」

 私の胸が締め付けられた。  幼い子供が、親に拒絶され、誰にも触れてもらえない孤独。  どれほど寒かっただろう。どれほど寂しかっただろう。

「私は理解した。……この力は呪いだ。だが同時に、私が生き残るための唯一の武器でもあると」 「……」 「だから私は、心を凍らせた。誰も寄せ付けず、ただ最強の力を求めた。……力がなければ、私はただの『化け物』として処分されるだけだったからな」

 彼は自嘲気味に笑った。

「皮肉なものだ。その力のおかげで皇帝になり、国を広げたが……結局、私の芯にあるのは、あの時の『見捨てられた子供』のままだ。……リーゼロッテ、お前がいつか、私を怖がって離れていくのではないかと……毎晩、夢に見る」

 それが、彼の悪夢の正体だった。  最強の皇帝が抱える、最大の恐怖。  愛する人に拒絶されること。

 私は、彼の言葉を遮るように、彼を抱きしめた。  ベッドに身を乗り出し、彼の広い胸に顔を埋める。  彼の体が強張るのがわかった。

「……馬鹿な人」 「……何?」 「そんなこと、あるわけないでしょう。……貴方がどれだけ冷たくても、どれだけ強力な魔力を持っていても、私には関係ありません」

 私は顔を上げ、彼の目を見つめた。  至近距離。互いの吐息がかかる距離。

「私の仕事は『最適化』です。貴方の魔力が暴走するなら、私が調整します。貴方の心が凍りつくなら、私が溶かします。……何度でも、何回でも」 「リーゼロッテ……」 「それに……貴方は『化け物』なんかじゃありません。……見てください」

 私は彼の手を取り、私の頬に当てた。  素手だ。手袋もない、直接の接触。

「……冷たい。でも、温かい」 「……矛盾しているぞ」 「いいえ、矛盾していません。……貴方の手は冷たいけれど、そこには私を案じる優しさがある。……私には、それが分かります」

 ジークハルトの瞳が揺れた。  氷の瞳が、涙の膜で潤み、溶けていく。  彼は震える手で、私の頬を確かめるように撫でた。

「……母は、凍傷になった。……お前は、痛くないのか?」 「痛くありません。……心地いいくらいです」

 私は微笑み、彼の手のひらにキスをした。

「貴方の全てを受け入れます。過去の傷も、呪いのような魔力も。……全部ひっくるめて、私はジークハルトという人間を愛しています」

 その言葉は、彼の心の最後の防壁を砕いたようだった。  彼は嗚咽を漏らし、私を力強く抱きしめ返した。

「……ありがとう……。ありがとう、リーゼロッテ……」

 彼の涙が、私の首筋を濡らす。  皇帝が泣いている。  誰にも見せたことのない涙を、私にだけ見せてくれている。  私は彼が泣き止むまで、ずっと背中をさすり続けた。  まるで、幼い頃の彼が求めていた母の温もりを与えるように。

 ◇

 どれくらいの時間が経っただろうか。  涙が止まった彼は、憑き物が落ちたように穏やかな表情になっていた。  私たちはベッドに並んで横たわり、天井を見上げていた。  手と手はずっと繋がれたままだ。

「……難民たちの様子はどうだ?」

 彼が不意に仕事の話に戻った。でも、その声は先ほどまでの重苦しさは消え、クリアに響いていた。

「大変ですが、希望は見えています。……彼らは貴方に感謝していましたよ。『冷徹皇帝』ではなく、『救済の皇帝』だと」 「……ふん。買いかぶりすぎだ。私はただ、将来の労働力を確保しているに過ぎない」

 彼はいつもの憎まれ口を叩くが、口元は隠しきれない笑みを浮かべていた。

「ジーク。……一つ提案があります」 「なんだ」 「難民たちの中に、魔力を持たない子供たちがたくさんいました。彼らのために、技術学校を作りたいんです。魔力がなくても、科学と魔導工学を学べば、この国で生きていける力を与えられます」 「……学校、か」

 彼は少し考え込み、頷いた。

「悪くない。……帝国は実力主義だ。出身や魔力の有無に関わらず、優秀な者は取り立てる。それが私の流儀だ」 「ありがとうございます!」 「ただし、条件がある」 「条件?」 「その学校の名前だ。……『リーゼロッテ記念学園』にするなら許可する」 「ええっ!? やめてください、恥ずかしい!」 「決定だ。……貴様の名を歴史に残す、いい機会だ」

 彼は楽しそうに笑った。  ああ、いつもの彼だ。意地悪で、強引で、でも最高に頼りになる彼が戻ってきた。

 その時、窓の外が白々と明るくなり始めていた。  夜明けだ。  私たちは顔を見合わせた。

「……そろそろ、起きねばな。今日も仕事が山積みだ」 「そうですね。……でも、もう少しだけ」

 私は彼の胸に頭を擦り寄せた。

「充電させてください」 「……許可する。私も、エネルギー不足だ」

 彼は私を抱き寄せ、髪にキスをした。  朝日の差し込む寝室で、私たちは互いの温もりを確認し合った。  もう、悪夢は来ない。  二人の間には、物理的な接触以上の、魂の繋がりが生まれていたから。

 ◇

 その日の午後。  すっかり元気を取り戻したジークハルトは、精力的に政務をこなしていた。  その横顔は、以前よりもさらに力強く、そしてどこか優しさを帯びていた。  家臣たちも、「今日の陛下は機嫌が良い」「オーラが丸くなった」と噂している。

 私は執務室で、学校建設の企画書を作成していた。  そこに、フランツ宰相がやってきた。  しかし、その表情はいつもの穏やかなものではなく、険しいものだった。

「……リーゼロッテ様。少し、よろしいでしょうか」 「フランツ様? どうされました?」 「……情報局から、気になる報告が入りました」

 彼は声を潜め、周囲を警戒しながら言った。

「難民の中に……『ネズミ』が紛れ込んでいるようです」 「ネズミ?」 「はい。王国の崩壊に乗じて、何者かが組織的に工作員を送り込んでいる形跡があります。……目的は、おそらく貴女だ」

 背筋に冷たいものが走った。  王国はもう崩壊したはずだ。王子も拘束されたはず。  それなのに、まだ私を狙う者がいる?

「……アルフォンス王子ではありません。もっと質の悪い、闇の組織です。……彼らは金さえ貰えば、皇帝の暗殺すら請け負うプロフェッショナル集団です」

 フランツは低い声で告げた。

「昨日の夜、城の外壁結界に、極小の『穴』が開けられた痕跡が見つかりました。……奴らはすでに、城内に侵入している可能性があります」

 平和な日常の裏側で、見えない刃が迫っていた。  私は企画書を握る手に力を込めた。

「……ジークには?」 「まだ伝えておりません。陛下は今、難民政策で手一杯ですから。これ以上の負担をかけるのは……」 「分かりました。……私が対処します」

 私は立ち上がった。  昨夜、私は誓ったのだ。  彼の心を溶かすだけでなく、彼の背中を守れる存在になると。

「私の探知スキルなら、異物を特定できます。……ジークに気づかれる前に、掃除してしまいましょう」

 私は技術者の顔から、戦う女の顔へと切り替わった。  愛する人を守るための、私なりの戦いが始まろうとしていた。
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