処刑されるはずの悪役令嬢、なぜか敵国の「冷徹皇帝」に拾われる ~「君が必要だ」と言われても、今さら国には戻りません~

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第11話 祖国、借金まみれになる

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帝国の朝は、今日も爽やかな青空と共に始まった。  皇城のテラスで、私はジークハルトと共に朝食をとっていた。  テーブルには、焼きたてのクロワッサン、新鮮な野菜のサラダ、そして香り高いコーヒーが並んでいる。  眼下に広がる帝都からは、始業の鐘の音と共に、活気ある喧騒が微かに聞こえてくる。

「……ん。今日のコーヒーは少し酸味が強いな」 「あら、豆の種類を変えてみたんです。モカ・マタリの特級品ですよ」 「ふむ。……貴様が選んだものなら、泥水でも美味いがな」

 ジークハルトはそんな歯の浮くような台詞を真顔で言い放ち、カップを傾けた。  最近の彼は、私への愛の言葉を呼吸するように口にする。  最初は顔から火が出るほど恥ずかしかったけれど、今はその不器用な愛情表現が愛おしくてたまらない。

「そういえば、ジーク。今日の午後、財務省の方々と予算会議がありますよね?」 「ああ。……貴様が提案した『魔導インフラ輸出計画』の件だな。周辺諸国への技術供与と、その対価としての資源輸入。……実に合理的なプランだ」

 彼は満足げに頷いた。

「我が国の余剰エネルギーを輸出し、外貨を獲得する。その利益でさらに研究開発を進める。……貴様のおかげで、帝国の経済はかつてないほど潤っているぞ」 「それは良かったです。……お金は大事ですからね。使い道を間違えると、国なんてあっという間に傾きますから」

 私が何気なく言った言葉に、ジークハルトはふと動きを止め、遠く南の空を見やった。

「……傾く、か。言い得て妙だな」

 彼の視線の先には、鉛色の雲が垂れ込める方角――私の祖国、ルミナス王国がある。  そこから届く報告書の内容は、日に日に悲惨さを増していた。

「……あちらの国では、そろそろ『ツケ』を払う時間のようだな」

 ジークハルトの冷ややかな予言通り、その頃、ルミナス王国では国家存亡の危機とも言える事態が進行していた。

 ◇

 王国ルミナス、王城『白亜宮』。  かつて栄華を極めたその場所は、今や見る影もなく荒廃していた。  廊下の絨毯は埃を被り、壁の装飾品はいつの間にか姿を消している(給金未払いに腹を立てたメイドたちが持ち逃げしたのだ)。  窓ガラスが割れたまま放置され、寒風が吹き荒れる大会議室に、国の重鎮たちが集められていた。

 ドンッ!!

 アルフォンス王子が、拳を机に叩きつけた。

「どういうことだ! 説明しろ! なぜ金がない!」

 彼の絶叫が、広い会議室に虚しく響く。  目の前に座る財務大臣は、げっそりと頬がこけ、目の下にはどす黒い隈を作っていた。  彼は震える手で、一枚の書類を王子に差し出した。

「……ご覧ください、殿下。これが今月の収支報告です」 「数字など見たくない! 結論だけ言え!」 「……破産です」

 財務大臣は、死刑宣告をするように告げた。

「国家財政は完全に破綻しました。……国庫の金貨はゼロ。それどころか、各国の銀行や商会からの借入金が、天文学的な数字に膨れ上がっています」 「な、なぜだ! 税収があるだろう! 国民からもっと搾り取れ!」

 王子が唾を飛ばして叫ぶ。  財務大臣は力なく首を振った。

「無理です。……地方の領主たちは、エーデル公爵家への不当な処分に抗議して、納税を拒否しています。さらに、今年の大干ばつに対する魔導支援を行わなかったせいで、農作物は全滅。……農民たちには、今日食べるパンすらありません」

 魔導支援。  それは本来、リーゼロッテが中心となって行っていた、天候制御システムによる雨乞いの儀式や、土壌改良の魔術のことだ。  彼女がいなくなった今、誰もその複雑なシステムを起動できず、豊かな穀倉地帯は荒野と化していた。

「ええい、言い訳ばかりしおって! ……そうだ、リーゼロッテの隠し財産はどうなった! あいつは横領していたんだろう? その金を没収すれば……」 「ですから! 何度申し上げれば分かるのですか!」

 普段は温厚な財務大臣が、初めて声を荒らげた。

「彼女は横領などしていなかったのです! ……これを見てください!」

 大臣が机の上に広げたのは、過去数年分の出納帳だった。  そこには、赤いインクで修正された跡がびっしりと残っている。

「ここです。『王子、隣国への贈答品購入費、金貨二千枚。不足分は私財より充当』……ここもです。『王城外壁改修費、金貨五百枚。公爵家の積立金より借入』……」 「な……?」 「全てのページに、彼女の涙ぐましい努力の跡が残っています。……彼女は、殿下の浪費をカバーするために、自分のドレスを売り、宝石を質に入れ、実家の資産まで切り崩して、この国の経済を回していたのです!」

 突きつけられた真実。  アルフォンス王子は、書類を見つめたまま固まった。  文字が、数字が、彼の脳内でぐるぐると回る。

 『殿下、今回は少し予算が厳しいので、工夫させていただきました』  『殿下、お気になさらず。なんとかしましたから』

 かつての彼女の言葉が蘇る。  あれは、「魔法」でなんとかしていたのではなかった。  彼女が身を削り、泥水をすするような思いで「なんとかしてくれていた」のだ。

「う、嘘だ……。そんなはずは……」 「事実です。……そして今、その『無限の財布』は失われました。残ったのは、殿下が積み上げた借金の山だけです」

 財務大臣は冷徹に言い放った。

「さらに悪い知らせがあります。……国際魔導銀行の頭取が、直々に取り立てに来ております」 「なっ、国際銀行だと!?」

 王子の顔から血の気が引いた。  国際魔導銀行。  大陸全土の経済を支配する、超巨大組織だ。彼らに逆らえば、国家間の信用取引は即座に停止され、その国は経済的に孤立死する。  その頭取が来るということは、事態は最終局面にあるということだ。

 ガチャリ。  重厚な扉が開き、一人の男が入ってきた。  仕立ての良いスーツを着た、恰幅の良い男だ。  その背後には、強面の護衛たちがずらりと並んでいる。

「お初にお目にかかります、アルフォンス殿下。……いや、もう『殿下』と呼ぶのもおこがましいですかな?」

 男は慇懃無礼に一礼した。  その目は笑っていない。冷徹な商人の目だ。

「単刀直入に申し上げます。……貸付金の返済期限は、昨日で切れました。利息を含めて、金貨五十万枚。……今すぐお支払いいただけますか?」 「ご、五十万枚だと!? そんな大金、あるわけが……!」 「左様でしょうな。……貴国の信用格付けは、今や『ジャンク(紙くず)』以下ですから」

 男は懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

「契約に基づき、担保権を行使させていただきます。……王家の所有する全領土、鉱山、そしてこの王城を含む全ての資産を、当行が差し押さえます」 「さ、差し押さえ!? 馬鹿な、ここは王城だぞ! 一国の主の住まいだぞ!」 「金のない王になど、住む資格はありませんよ」

 男は冷たく言い捨てた。

「猶予は三日差し上げます。……それまでに金を払うか、あるいは城を明け渡すか。……賢明なご判断を期待しております」

 男たちは踵を返し、嵐のように去っていった。  残されたのは、絶望的な静寂だけ。  王子は椅子にへたり込み、天井を仰いだ。

「……終わりだ」

 誰かがポツリと呟いた。  その言葉を否定できる者は、誰もいなかった。

 ◇

 その日の夜。  王子の私室に、マリアが飛び込んできた。

「ねえ、アルフォンス様! どういうこと!?」

 彼女は手にした宝石箱を、床に投げつけた。  ガシャンと音がして、中から安っぽいガラス玉が散らばる。

「宝石商を呼んだら、『お代を頂いておりませんので』って、私の宝石を全部持っていっちゃったのよ! 残ったのはイミテーションだけ! ひどいじゃない!」 「……うるさい」 「うるさくないわよ! それに、今日の夕食、パンとスープだけだったのよ? お肉がないなんて信じられない! 私、栄養失調になっちゃう!」

 マリアは王子の腕を掴み、ゆさゆさと揺さぶった。

「なんとかしてよ! 王子様でしょ? 魔法を使ってお金を出してよ!」

 その無邪気な残酷さが、王子の神経を逆撫でした。  こいつは何もわかっていない。  国の危機も、私の苦悩も、何一つ理解しようとせず、ただ自分の欲望だけを喚き散らす。

「……黙れと言っているんだッ!!」

 バチンッ!!  乾いた音が響いた。  王子が、マリアの頬を張ったのだ。  マリアは目を丸くして、頬を押さえて後ずさった。

「あ……殴った……? 私を……?」 「お前のせいだ! お前がドレスだ宝石だとうるさいから、こんなことになったんだ!」

 王子は責任を転嫁した。  自分が悪いのではない。この女が、私を狂わせたのだと。

「リーゼロッテは……あいつは、こんなことは言わなかった! 文句一つ言わず、黙って全てを解決してくれた! それに比べてお前はなんだ! 金食い虫の寄生虫め!」 「ひ、ひどい……! 愛してるって言ったじゃない! リーゼロッテなんかより、私の方が可愛いって!」 「顔だけだ! 中身は空っぽだ!」

 罵り合い。  かつて「真実の愛」と称え合った二人の関係は、金というメッキが剥がれた瞬間、醜い泥仕合へと変貌していた。

「もういい! 実家に帰らせてもらうわ!」 「帰れ! 二度と来るな!」

 マリアは泣き叫びながら部屋を飛び出していった。  王子は荒い息を吐きながら、自分の手を見つめた。  震えている。  愛も、金も、名誉も。  全てが指の間から零れ落ちていく。

「……リーゼロッテ……」

 彼は無意識に、その名を呼んでいた。  今ならわかる。  自分の隣にいるべきだったのは、誰だったのか。  誰が、本当に自分を支えてくれていたのか。  しかし、後悔はいつも、全てを失った後にやってくる。

 ◇

 翌日。  王都の広場は、かつてない熱気に包まれていた。  それは祝祭の熱気ではない。  殺気立った、怒りの熱気だ。

「国王を出せ!」 「我々にパンをよこせ!」 「無能な王子を引きずり下ろせ!」

 数万の民衆が、王城の正門前に押し寄せていた。  手には農具やたいまつが握られている。  彼らは飢えていた。凍えていた。そして、限界に達していた。

 インフラの停止により、王都の生活は崩壊していた。  水が出ないため伝染病が流行り始め、暖房がないため凍死者が出ている。  食料価格は十倍に跳ね上がり、子供たちは空腹で泣き叫んでいる。  その全ての原因が、王家の失政にあることは明白だった。

「リーゼロッテ様を追放したからだ!」 「あの方がいれば、こんなことにはならなかった!」 「そうだ! 女神様を返せ!」

 群衆の中から、リーゼロッテの名を叫ぶ声が上がる。  皮肉なことに、彼女がいなくなって初めて、国民たちは彼女の偉大さを理解したのだ。  常に街を照らしていた明かりも、清潔な水も、安定した物価も。  全ては、一人の少女の献身によって守られていたのだと。

「押せーッ! 門を破れーッ!」

 ドォン! ドォン!  丸太を使った破城槌(本来は攻城兵器だが、怒れる大工たちが一晩で作った)が、城門に打ち付けられる。  警備兵たちは槍を構えているが、その腰は引けていた。  彼らもまた、給金をもらえていない被害者なのだ。民衆に槍を向ける気力など残っていない。

「ひ、ひぃぃぃッ! 入ってくるぞ!」

 城壁の上からその様子を見ていたアルフォンス王子は、恐怖で腰を抜かした。  眼下に広がるのは、人の波というよりは、自分を喰らい尽くそうとする津波に見えた。

「衛兵! 何をしている! 魔法で撃退しろ! 焼き払え!」 「で、殿下、無理です! 魔導兵器のエネルギーが切れています!」 「くそっ、くそっ、くそぉぉぉッ!」

 王子は頭を抱えて逃げ出した。  玉座の間へ。そこなら安全だと信じて。  しかし、彼を待っていたのは、玉座に座る老いた国王――彼の父の、冷たい視線だった。

「……アルフォンスよ」 「ち、父上! 暴徒が! 暴徒が攻めてきます! どうにかしてください!」 「……黙れ、愚か者」

 国王は静かに言った。その声には、深い失望と諦めが込められていた。

「全ては、お前の撒いた種だ。……リーゼロッテ嬢という至宝を捨て、石ころを拾った報いだ」 「ち、父上まで……! 私のせいだと言うのですか!?」 「他に誰がいる。……お前が横領を捏造した書類、全て見たぞ」

 国王の手元には、先日財務大臣が見せた出納帳があった。

「私は病床に伏していたとはいえ、お前に全権を委ねたことを悔やんでも悔やみきれん。……王家は終わりだ。この国は、今日で終わる」

 ズズズンッ……!  遠くで、城門が破られる音がした。  鬨(とき)の声が、怒涛のように城内へとなだれ込んでくる。

 革命だ。  かつてリーゼロッテが命を削って守ろうとした国は、彼女を裏切った者たちの手によって、その歴史に幕を下ろそうとしていた。

 ◇

 一方、帝国ガルガディア。  皇城の私の執務室に、一通の緊急報告書が届いた。  それを持ってきたのは、情報局の局員だった。

「……リーゼロッテ様。王国ルミナスにて、大規模な民衆蜂起が発生しました」 「……そうですか」

 私はペンを止め、顔を上げた。  予想していたこととはいえ、現実にそれが起きたと聞くと、胸に微かな痛みが走った。  生まれ育った国。  かつては愛した場所。  それが、炎に包まれている光景が脳裏に浮かぶ。

「王城は制圧され、王族は拘束されたとの情報です。……アルフォンス王子も、逃亡を図ったところを市民に捕縛されたと」 「……」

 ざまあみろ、とは思わなかった。  ただ、「ああ、やっぱり」という納得だけがあった。  彼は自分の力で何かを成し遂げたことなど一度もなかった。  最後もまた、自分の足で立つことさえできずに終わったのだ。

「……リーゼロッテ」

 背後から、温かい手が私の肩に置かれた。  ジークハルトだ。  彼は私の心情を察してか、何も言わずにただ寄り添ってくれた。

「大丈夫か?」 「はい。……覚悟はしていましたから」

 私は彼の手に自分の手を重ねた。

「悲しくはありません。ただ……少しだけ、虚しいですね。私が必死で守ってきたものは、こんなにも脆かったんだなって」 「貴様が守っていたからこそ、持っていたのだ。……その柱がなくなれば、崩れるのは道理だ」

 ジークハルトは私の椅子を回転させ、正面から向き合った。

「貴様はもう、自由だ。……過去の亡霊は消えた。これからは、前だけを見て生きろ」 「はい……ジーク」

 彼の力強い言葉が、私の心の霧を晴らしていく。  そうだ。終わったのだ。  私の長く苦しい「王太子婚約者」としての人生は、王国の崩壊と共に完全に幕を閉じた。  これからは、「帝国の魔導技師」として、そして「ジークハルトの愛する人」として生きていくのだ。

「さて、仕事に戻りましょうか。……今日は、隣国からの避難民受け入れについての対策会議でしたね」

 私は涙を見せず、気丈に微笑んだ。  王国の崩壊により、多くの難民が国境を越えてくるだろう。  罪のない人々を救うため、帝国のインフラをフル活用しなければならない。  感傷に浸っている暇はないのだ。

「……強いな、貴様は」

 ジークハルトは愛おしそうに私の髪を撫でた。

「その強さが、私を惹きつけてやまない。……よし、私も手伝おう。帝国の総力を挙げて、貴様の『新しい仕事』をサポートする」

 私たちは視線を交わし、力強く頷き合った。  窓の外では、帝国旗が風にはためいている。  その双頭の狼は、まるで新しい時代の到来を告げるように、堂々と空を睨んでいた。
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