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第十話:軍師コーデリア
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「開門んんん!!」
帝国の要塞、『鉄壁の要塞(ガルド・ミラ)』の巨大な正門が、重苦しい音を立てて開かれた。 それは、帝国軍が恐れをなして逃げ出したからではない。 巨大な怪物の口が、獲物を飲み込むために開いたのだ。
だが、勝利に飢え、思考能力の低下した王国軍には、それが「好機」にしか見えなかった。
「見たか! 帝国が怖気づいて門を開けたぞ!」
先頭を走るレイモンド王太子が、剣を振り上げて叫んだ。
「一気に雪崩れ込め! 城内を制圧し、コーデリアを捕らえろ! 食料庫は目前だ!」
「ウオオオオオオッ!!」
飢えた兵士たちが、我先にと門の中へ殺到する。 彼らの目は血走り、正常な判断ができていない。 ただ「あそこに行けば飯がある」という本能だけで動いている。 それはもはや軍隊ではなく、暴徒の群れだった。
数千の兵が、要塞内部の広場――石畳で舗装された、何もない広い空間に充満していく。
「……チョロいですね」
要塞の司令塔。 バルコニーからその様を見下ろしていた私は、冷ややかに呟いた。
「あまりにも、教科書通りすぎて」
「敵ながら同情したくなるな」
隣で腕を組むジークハルト陛下も、呆れたように首を振っている。
「前衛と後衛が完全に分断されている。補給部隊を置き去りにして突っ込んでくるとは。……コーデリア、合図を」
「はい」
私は右手を高く掲げ、そして、振り下ろした。
「――閉門」
ズズズズズ……ドォォォン!!
王国軍の背後で、鋼鉄の落とし格子が落下した。 退路が断たれた。 広場に閉じ込められた数千の兵士たちが、何が起きたのかわからず、ざわめき始める。
「な、なんだ!? 閉じ込められた!?」 「おい、前にも扉があるぞ! 行き止まりだ!」 「上を見ろ! 城壁の上に……!」
兵士たちが気づいた時には、もう遅かった。 彼らの頭上、四方を囲む高い城壁の上には、無数の帝国弓兵が矢をつがえて待ち構えていた。 完全に、袋の鼠だ。
「ひっ……!」 「罠だ! 罠だったんだ!」
パニックが伝染する。 密集した集団の中で、恐怖は疫病のように広がる。
広場の中央で、レイモンドが喚いているのが見えた。
「狼狽えるな! 盾を構えろ! 聖女ミナ、防御結界を張れ!」
「ええっ!? 無理ですよぉ! こんなに広い場所、守りきれませんっ!」
ミナが泣き叫ぶ声が、風に乗って聞こえてくる。 彼女の魔力など、せいぜい数人を守るのが限界だ。 軍隊規模の魔法行使など、訓練された宮廷魔導師団でもなければ不可能。 そんなことも知らずに彼女を連れてきたのか。
「……始めます」
私は無慈悲に次なる指示を出した。
「第一射、放て」
ヒュン、ヒュン、ヒュン!
放たれたのは、鉄の鏃(やじり)がついた殺傷用の矢ではない。 先端に油を染み込ませた布を巻きつけ、火を点けた「火矢」だ。 そして、同時に城壁の排水溝から、大量の液体が広場へ流し込まれた。
油だ。 私が事前に用意させておいた、廃油の備蓄。
ドッ、ボォォォォォン!!
火矢が油溜まりに着弾した瞬間、広場の外周が一気に炎の壁に包まれた。 熱波が吹き荒れる。
「ギャアアアアアアッ!!」 「熱い! 熱い!!」
兵士たちが中心へ向かって逃げ惑う。 だが、そこはすし詰め状態だ。 押し合いへし合いになり、将棋倒しが発生する。
「卑怯だぞ帝国軍!! 騎士の戦いではない!!」
炎の向こうでレイモンドが叫んでいる。 卑怯? 騎士道? 笑わせないでほしい。
私は手元の拡声用の魔導具を起動し、冷徹な声を戦場へ響かせた。
『ごきげんよう、レイモンド殿下。そして元同胞の皆様』
私の声が聞こえた瞬間、広場のざわめきが一瞬止まった。
「こ、この声は……コーデリアか!?」
レイモンドが上を見上げる。 私はバルコニーの手すりに手をかけ、彼らを見下ろした。
『卑怯とは心外ですね。貴方たちが勝手に、私が整えた「歓迎の広場」に入ってきたのではありませんか?』
「黙れ! 降りてきて正々堂々と戦え!」
『お断りします。私は軍師であり、皇后です。野蛮な剣遊びに付き合う義理はありません。……それに、貴方たちには戦う資格すらありません』
私は、隣に控えていた兵士に合図を送った。
「第二射、用意」
弓兵たちが再び弓を構える。 王国兵たちが「また火矢か!」と悲鳴を上げて盾をかざす。
だが、私が命じたのは攻撃ではなかった。
「放て」
バラバラと降り注いだのは、矢ではなかった。
硬く焼かれたパン。 干し肉。 そして、保存用の果物。
それらが雨のように、広場の中央へ投げ込まれたのだ。
「……え?」 「パ、パンだ……!」 「肉だ! 肉があるぞ!!」
飢餓状態にあった王国兵たちの目の色が、一瞬で変わった。 彼らは盾を放り投げ、地面に落ちた食料に群がった。 泥にまみれようが、焦げていようが関係ない。 生きるために、彼らは貪り食った。
「よせ! 食べるな! 毒が入っているかもしれんぞ!」
レイモンドが制止しようとするが、誰も聞く耳を持たない。 指揮系統の完全崩壊だ。
「ああっ、美味しい……!」 「こんな美味いパン、久しぶりに食った……!」
兵士たちが涙を流しながらパンを齧る。 その姿を見て、私は静かに告げた。
『毒など入れていません。それは、貴方たちが捨てた国――我が帝国で生産された、余剰食料の一部です』
拡声器を通した私の声は、残酷な事実を突きつける。
『貴方たちが飢えている間、帝国では食料が余り、こうして敵に恵んでやれるほど豊かなのです。……さて、皆さんに問います』
私は一呼吸置き、言葉に力を込めた。
『このまま無能な指揮官に従って、炎の中で焼き殺されるか。それとも、武器を捨てて降伏し、温かいスープと柔らかいベッドを得るか。……選ぶのは貴方たちです』
その言葉の効果は、劇的だった。
カラン……。
一人の兵士が、剣を捨てた。 そして、両手を上げて膝をついた。
「こ、降伏します……! 飯を、飯をくれぇ……!」
それを皮切りに、カラン、カラン、と金属音が連鎖した。 一人、また一人。 次々と兵士たちが武器を捨て、その場に平伏していく。
「お、おい! 何をしている! 立て! 戦え!」
レイモンドが剣を振り回して兵士を蹴り上げるが、誰も立ち上がろうとしない。 彼らの戦意は、恐怖によってではなく、圧倒的な「格差」を見せつけられたことによって完全にへし折られたのだ。
『勝負ありましたね』
私は冷たく宣言した。
『総員、捕縛しなさい。抵抗する者は容赦なく射殺して構いませんが……まあ、その元気もないでしょう』
城壁の門が再び開き、今度は武装した帝国兵たちが雪崩れ込んでくる。 それは戦闘ではなく、ただの拘束作業だった。
数千の軍勢が、たった一人の死者も出さず(将棋倒しでの負傷者は多数出たが)、わずか数十分で制圧された。 私の描いたシナリオ通り、完璧な勝利だ。
「……見事だ」
横で見ていたジークハルト陛下が、感嘆のため息を漏らした。
「火攻めで退路を断ち、食料で心を折る。『飴と鞭』の究極系だな。……私が剣を抜く暇もなかったぞ」
「あら、陛下には一番重要な仕事が残っていますわ」
私はふふっと笑い、広場の一点を指差した。
そこには、降伏した兵士たちの中で唯一人、まだ剣を握りしめ、呆然と立ち尽くしている金髪の男がいた。 レイモンドだ。 その隣でミナが「どうしよう、どうしよう」とへたり込んでいる。
「あの愚かな総大将に引導を渡すのは、皇帝である貴方の役目です」
「……なるほど。美味しいところを譲ってくれるのか」
陛下はニヤリと笑い、バルコニーの手すりに足をかけた。
「では、行ってくる。妻の元婚約者に、現実というものを教えてやらんとな」
ヒュン!
陛下はそのまま、数メートルの高さがあるバルコニーから飛び降りた。 華麗な着地。 舞い上がった雪と砂埃の中から、漆黒のマントを翻して立ち上がるその姿は、まさしく魔王の如き威圧感だった。
広場が静まり返る。 降伏した兵士たちが、恐怖と畏敬の念を込めて道を開ける。
ジークハルト陛下は、ゆっくりとレイモンドへ歩み寄った。
「……貴様が、レイモンドか」
「ひっ……!」
レイモンドが後ずさる。 間近で見る「氷の皇帝」の覇気に、完全に気圧されている。
「く、来るな! 俺は王太子だぞ! 俺に指一本でも触れてみろ、王国が黙っていないぞ!」
「王国?」
陛下は鼻で笑った。
「後ろを見ろ。誰が貴様のために戦うというのだ?」
レイモンドがおずおずと振り返る。 そこには、地面に座り込み、帝国兵から配られた水を美味そうに飲んでいる自軍の兵士たちの姿があった。 誰も、レイモンドを助けようとはしない。 むしろ、「さっさと捕まってくれ」という冷ややかな視線を向けている。
「な、なな……」
「貴様は、国を失ったのだ。……いや、コーデリアを追放した時点ですでに失っていたことに、気づいていなかっただけだ」
陛下は一歩踏み出し、剣を抜かずに、その鞘(さや)でレイモンドの剣を弾き飛ばした。 カキンッ! あまりの速さに、レイモンドは反応すらできなかった。 剣が空を舞い、地面に突き刺さる。
「あ……」
「頭が高い」
ドガッ!!
陛下の蹴りが、レイモンドの鳩尾(みぞおち)に突き刺さった。
「ぐえっ……!?」
レイモンドはカエルのような声を上げて吹き飛び、泥水の中に無様に転がった。 綺麗な金髪が泥にまみれ、豪奢な鎧が汚れる。
「レイモンド様ぁ!」
ミナが駆け寄ろうとするが、陛下の鋭い視線に射抜かれ、動けなくなる。
陛下は倒れたレイモンドの胸倉を掴み、片手で軽々と持ち上げた。
「私の妻を『ゴミ』と呼んだな。……今、ゴミのように地を這っているのは誰だ?」
「ご、ごふっ……ゆ、ゆる……」
「許しはしない。殺しもしない。貴様には、死よりも辛い『敗北』を味わわせてやる」
陛下はレイモンドをゴミ袋のように放り投げた。 帝国兵たちがすぐに取り押さえ、荒縄で縛り上げる。
「連行しろ! 帝都へ凱旋だ! この愚か者たちを、見世物として引き回してやれ!」
『ハッ!!』
勝鬨(かちどき)が上がる。 要塞中に響き渡る歓声。
私はバルコニーから、その光景を眺めていた。 捕縛され、引きずられていくレイモンド。 泣きわめきながら連行されるミナ。
かつて私を見下し、嘲笑った者たちが、今は泥にまみれている。 胸のすくような光景のはずだ。 実際、胸のつかえが取れたような爽快感はある。
でも、それ以上に感じたのは、安堵だった。
(終わった……)
これで、もう誰も飢えることはない。 王国の民も、帝国の支配下に入れば食料が行き渡るだろう。 私の作った物流網が、彼らを救う。
私は空を見上げた。 分厚い雲の隙間から、一筋の光が差し込んでいた。
「……帰りましょう。私たちの家に」
私は誰にともなく呟いた。
こうして、歴史書に『七分間の戦争』と記されることになる戦いは、帝国軍の完全勝利で幕を閉じた。 それは武力による勝利ではなく、コーデリアという一人の女性の「知略」と「準備」による、必然の勝利だった。
帝国の要塞、『鉄壁の要塞(ガルド・ミラ)』の巨大な正門が、重苦しい音を立てて開かれた。 それは、帝国軍が恐れをなして逃げ出したからではない。 巨大な怪物の口が、獲物を飲み込むために開いたのだ。
だが、勝利に飢え、思考能力の低下した王国軍には、それが「好機」にしか見えなかった。
「見たか! 帝国が怖気づいて門を開けたぞ!」
先頭を走るレイモンド王太子が、剣を振り上げて叫んだ。
「一気に雪崩れ込め! 城内を制圧し、コーデリアを捕らえろ! 食料庫は目前だ!」
「ウオオオオオオッ!!」
飢えた兵士たちが、我先にと門の中へ殺到する。 彼らの目は血走り、正常な判断ができていない。 ただ「あそこに行けば飯がある」という本能だけで動いている。 それはもはや軍隊ではなく、暴徒の群れだった。
数千の兵が、要塞内部の広場――石畳で舗装された、何もない広い空間に充満していく。
「……チョロいですね」
要塞の司令塔。 バルコニーからその様を見下ろしていた私は、冷ややかに呟いた。
「あまりにも、教科書通りすぎて」
「敵ながら同情したくなるな」
隣で腕を組むジークハルト陛下も、呆れたように首を振っている。
「前衛と後衛が完全に分断されている。補給部隊を置き去りにして突っ込んでくるとは。……コーデリア、合図を」
「はい」
私は右手を高く掲げ、そして、振り下ろした。
「――閉門」
ズズズズズ……ドォォォン!!
王国軍の背後で、鋼鉄の落とし格子が落下した。 退路が断たれた。 広場に閉じ込められた数千の兵士たちが、何が起きたのかわからず、ざわめき始める。
「な、なんだ!? 閉じ込められた!?」 「おい、前にも扉があるぞ! 行き止まりだ!」 「上を見ろ! 城壁の上に……!」
兵士たちが気づいた時には、もう遅かった。 彼らの頭上、四方を囲む高い城壁の上には、無数の帝国弓兵が矢をつがえて待ち構えていた。 完全に、袋の鼠だ。
「ひっ……!」 「罠だ! 罠だったんだ!」
パニックが伝染する。 密集した集団の中で、恐怖は疫病のように広がる。
広場の中央で、レイモンドが喚いているのが見えた。
「狼狽えるな! 盾を構えろ! 聖女ミナ、防御結界を張れ!」
「ええっ!? 無理ですよぉ! こんなに広い場所、守りきれませんっ!」
ミナが泣き叫ぶ声が、風に乗って聞こえてくる。 彼女の魔力など、せいぜい数人を守るのが限界だ。 軍隊規模の魔法行使など、訓練された宮廷魔導師団でもなければ不可能。 そんなことも知らずに彼女を連れてきたのか。
「……始めます」
私は無慈悲に次なる指示を出した。
「第一射、放て」
ヒュン、ヒュン、ヒュン!
放たれたのは、鉄の鏃(やじり)がついた殺傷用の矢ではない。 先端に油を染み込ませた布を巻きつけ、火を点けた「火矢」だ。 そして、同時に城壁の排水溝から、大量の液体が広場へ流し込まれた。
油だ。 私が事前に用意させておいた、廃油の備蓄。
ドッ、ボォォォォォン!!
火矢が油溜まりに着弾した瞬間、広場の外周が一気に炎の壁に包まれた。 熱波が吹き荒れる。
「ギャアアアアアアッ!!」 「熱い! 熱い!!」
兵士たちが中心へ向かって逃げ惑う。 だが、そこはすし詰め状態だ。 押し合いへし合いになり、将棋倒しが発生する。
「卑怯だぞ帝国軍!! 騎士の戦いではない!!」
炎の向こうでレイモンドが叫んでいる。 卑怯? 騎士道? 笑わせないでほしい。
私は手元の拡声用の魔導具を起動し、冷徹な声を戦場へ響かせた。
『ごきげんよう、レイモンド殿下。そして元同胞の皆様』
私の声が聞こえた瞬間、広場のざわめきが一瞬止まった。
「こ、この声は……コーデリアか!?」
レイモンドが上を見上げる。 私はバルコニーの手すりに手をかけ、彼らを見下ろした。
『卑怯とは心外ですね。貴方たちが勝手に、私が整えた「歓迎の広場」に入ってきたのではありませんか?』
「黙れ! 降りてきて正々堂々と戦え!」
『お断りします。私は軍師であり、皇后です。野蛮な剣遊びに付き合う義理はありません。……それに、貴方たちには戦う資格すらありません』
私は、隣に控えていた兵士に合図を送った。
「第二射、用意」
弓兵たちが再び弓を構える。 王国兵たちが「また火矢か!」と悲鳴を上げて盾をかざす。
だが、私が命じたのは攻撃ではなかった。
「放て」
バラバラと降り注いだのは、矢ではなかった。
硬く焼かれたパン。 干し肉。 そして、保存用の果物。
それらが雨のように、広場の中央へ投げ込まれたのだ。
「……え?」 「パ、パンだ……!」 「肉だ! 肉があるぞ!!」
飢餓状態にあった王国兵たちの目の色が、一瞬で変わった。 彼らは盾を放り投げ、地面に落ちた食料に群がった。 泥にまみれようが、焦げていようが関係ない。 生きるために、彼らは貪り食った。
「よせ! 食べるな! 毒が入っているかもしれんぞ!」
レイモンドが制止しようとするが、誰も聞く耳を持たない。 指揮系統の完全崩壊だ。
「ああっ、美味しい……!」 「こんな美味いパン、久しぶりに食った……!」
兵士たちが涙を流しながらパンを齧る。 その姿を見て、私は静かに告げた。
『毒など入れていません。それは、貴方たちが捨てた国――我が帝国で生産された、余剰食料の一部です』
拡声器を通した私の声は、残酷な事実を突きつける。
『貴方たちが飢えている間、帝国では食料が余り、こうして敵に恵んでやれるほど豊かなのです。……さて、皆さんに問います』
私は一呼吸置き、言葉に力を込めた。
『このまま無能な指揮官に従って、炎の中で焼き殺されるか。それとも、武器を捨てて降伏し、温かいスープと柔らかいベッドを得るか。……選ぶのは貴方たちです』
その言葉の効果は、劇的だった。
カラン……。
一人の兵士が、剣を捨てた。 そして、両手を上げて膝をついた。
「こ、降伏します……! 飯を、飯をくれぇ……!」
それを皮切りに、カラン、カラン、と金属音が連鎖した。 一人、また一人。 次々と兵士たちが武器を捨て、その場に平伏していく。
「お、おい! 何をしている! 立て! 戦え!」
レイモンドが剣を振り回して兵士を蹴り上げるが、誰も立ち上がろうとしない。 彼らの戦意は、恐怖によってではなく、圧倒的な「格差」を見せつけられたことによって完全にへし折られたのだ。
『勝負ありましたね』
私は冷たく宣言した。
『総員、捕縛しなさい。抵抗する者は容赦なく射殺して構いませんが……まあ、その元気もないでしょう』
城壁の門が再び開き、今度は武装した帝国兵たちが雪崩れ込んでくる。 それは戦闘ではなく、ただの拘束作業だった。
数千の軍勢が、たった一人の死者も出さず(将棋倒しでの負傷者は多数出たが)、わずか数十分で制圧された。 私の描いたシナリオ通り、完璧な勝利だ。
「……見事だ」
横で見ていたジークハルト陛下が、感嘆のため息を漏らした。
「火攻めで退路を断ち、食料で心を折る。『飴と鞭』の究極系だな。……私が剣を抜く暇もなかったぞ」
「あら、陛下には一番重要な仕事が残っていますわ」
私はふふっと笑い、広場の一点を指差した。
そこには、降伏した兵士たちの中で唯一人、まだ剣を握りしめ、呆然と立ち尽くしている金髪の男がいた。 レイモンドだ。 その隣でミナが「どうしよう、どうしよう」とへたり込んでいる。
「あの愚かな総大将に引導を渡すのは、皇帝である貴方の役目です」
「……なるほど。美味しいところを譲ってくれるのか」
陛下はニヤリと笑い、バルコニーの手すりに足をかけた。
「では、行ってくる。妻の元婚約者に、現実というものを教えてやらんとな」
ヒュン!
陛下はそのまま、数メートルの高さがあるバルコニーから飛び降りた。 華麗な着地。 舞い上がった雪と砂埃の中から、漆黒のマントを翻して立ち上がるその姿は、まさしく魔王の如き威圧感だった。
広場が静まり返る。 降伏した兵士たちが、恐怖と畏敬の念を込めて道を開ける。
ジークハルト陛下は、ゆっくりとレイモンドへ歩み寄った。
「……貴様が、レイモンドか」
「ひっ……!」
レイモンドが後ずさる。 間近で見る「氷の皇帝」の覇気に、完全に気圧されている。
「く、来るな! 俺は王太子だぞ! 俺に指一本でも触れてみろ、王国が黙っていないぞ!」
「王国?」
陛下は鼻で笑った。
「後ろを見ろ。誰が貴様のために戦うというのだ?」
レイモンドがおずおずと振り返る。 そこには、地面に座り込み、帝国兵から配られた水を美味そうに飲んでいる自軍の兵士たちの姿があった。 誰も、レイモンドを助けようとはしない。 むしろ、「さっさと捕まってくれ」という冷ややかな視線を向けている。
「な、なな……」
「貴様は、国を失ったのだ。……いや、コーデリアを追放した時点ですでに失っていたことに、気づいていなかっただけだ」
陛下は一歩踏み出し、剣を抜かずに、その鞘(さや)でレイモンドの剣を弾き飛ばした。 カキンッ! あまりの速さに、レイモンドは反応すらできなかった。 剣が空を舞い、地面に突き刺さる。
「あ……」
「頭が高い」
ドガッ!!
陛下の蹴りが、レイモンドの鳩尾(みぞおち)に突き刺さった。
「ぐえっ……!?」
レイモンドはカエルのような声を上げて吹き飛び、泥水の中に無様に転がった。 綺麗な金髪が泥にまみれ、豪奢な鎧が汚れる。
「レイモンド様ぁ!」
ミナが駆け寄ろうとするが、陛下の鋭い視線に射抜かれ、動けなくなる。
陛下は倒れたレイモンドの胸倉を掴み、片手で軽々と持ち上げた。
「私の妻を『ゴミ』と呼んだな。……今、ゴミのように地を這っているのは誰だ?」
「ご、ごふっ……ゆ、ゆる……」
「許しはしない。殺しもしない。貴様には、死よりも辛い『敗北』を味わわせてやる」
陛下はレイモンドをゴミ袋のように放り投げた。 帝国兵たちがすぐに取り押さえ、荒縄で縛り上げる。
「連行しろ! 帝都へ凱旋だ! この愚か者たちを、見世物として引き回してやれ!」
『ハッ!!』
勝鬨(かちどき)が上がる。 要塞中に響き渡る歓声。
私はバルコニーから、その光景を眺めていた。 捕縛され、引きずられていくレイモンド。 泣きわめきながら連行されるミナ。
かつて私を見下し、嘲笑った者たちが、今は泥にまみれている。 胸のすくような光景のはずだ。 実際、胸のつかえが取れたような爽快感はある。
でも、それ以上に感じたのは、安堵だった。
(終わった……)
これで、もう誰も飢えることはない。 王国の民も、帝国の支配下に入れば食料が行き渡るだろう。 私の作った物流網が、彼らを救う。
私は空を見上げた。 分厚い雲の隙間から、一筋の光が差し込んでいた。
「……帰りましょう。私たちの家に」
私は誰にともなく呟いた。
こうして、歴史書に『七分間の戦争』と記されることになる戦いは、帝国軍の完全勝利で幕を閉じた。 それは武力による勝利ではなく、コーデリアという一人の女性の「知略」と「準備」による、必然の勝利だった。
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