敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜

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第十四話:氷解の春と、幸せの微熱

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帝国の冬は長く、厳しい。 だが、今年の冬は例年になく穏やかで、春の訪れも早かった。

人々は噂していた。 「賢皇后様が、春を連れてきたのだ」と。

あながち、それは迷信とも言えなかった。 私が構築した物流網により、南方の属州から暖かい空気のような活気と、色とりどりの花々が帝都に運び込まれていたからだ。

帝城、衣装部屋。

「まぁ……! なんてお美しい!」 「このライン、コーデリア様の知的な雰囲気にぴったりですわ!」 「肌の白さが引き立ちます!」

数人のお針子たちが、黄色い声を上げて私の周りを囲んでいた。 彼女たちの目はキラキラと輝き、私をうっとりと見つめている。

私は今、来週に迫った「戴冠式」兼「結婚式」のためのドレスを試着していた。

鏡の前に立つ。 そこに映っているのは、かつて王国で「地味だ」「華がない」と言われ続けてきた女とは、別人のような姿だった。

純白のシルクを基調とし、帝国の伝統色である深紅の刺繍が施されたドレス。 背中は大胆にカットされ、レース越しに透ける肌が、自分でも直視できないほど艶めかしく見える。 王国のフリフリとした可愛らしいデザインとは対極にある、大人の女性の魅力を最大限に引き出すデザインだ。

「……派手すぎないかしら?」

私は頬を赤らめ、扇で口元を隠した。

「そんなことありません!」

筆頭のデザイナーである年配の女性が、力説した。

「皇后陛下のお体は、芸術品のようにバランスが取れております。無駄な脂肪がなく、それでいて女性らしい曲線美がある。……王国の方々は目が節穴だったのですか? この美しさを『地味』だなんて!」

「ふふ、ありがとう」

お世辞でも嬉しかった。 王国にいた頃、ドレス選びは苦痛でしかなかった。 レイモンド殿下の好みに合わせて、似合いもしないピンクやパステルカラーを着せられ、「可愛くない」と溜息をつかれるだけの時間。 私はただの着せ替え人形だった。

でも今は違う。 このドレスは、私の意見を取り入れ、私が最も美しく見えるように計算され尽くしている。 「私」という人間を見てくれている。

「陛下も、きっと腰を抜かしますわよ」

お針子の一人がクスクスと笑った。

「そうだといいのだけれど……」

その時だった。

「――入るぞ」

ノックもそこそこに、扉が開かれた。 ジークハルト様だ。 彼は公務の合間に抜け出してきたのか、少し息を切らせていた。

「へ、陛下!? まだ準備中……きゃっ!」

私は慌てて背中を隠そうとしたが、遅かった。 彼の視線が、私の姿に釘付けになる。

部屋の空気が止まった。 お針子たちが、気を利かせてスッと壁際に下がる。

ジークハルト様は、瞬きもせずに私を見つめ、ゆっくりと歩み寄ってきた。 その赤い瞳が、熱っぽく揺れている。

「……コーデリア」

彼は私の目の前で立ち止まり、震える手で私の頬に触れた。

「美しい……。言葉が出ないほどに」

「……お世辞はお上手ですね」

「事実だ。雪の精霊が舞い降りたかと思った」

彼は私の腰に手を回し、引き寄せた。

「このまま誰にも見せたくない。私だけのものにして、城の奥に閉じ込めてしまいたい」

独占欲たっぷりの言葉。 以前の私なら恐怖を感じたかもしれないが、今はその裏にある深い愛情を感じ取ることができた。

「困りますわ、陛下。私は皇后として、貴方の隣で働かなければならないのですから」

「ああ、わかっている。だが……今だけは」

彼は私の首筋に顔を埋めた。 熱い吐息が、露出した肌にかかる。

「……っ」

背筋に甘い痺れが走る。 お針子たちが見ている前だというのに、彼は構わず口づけを落としていく。 首筋から、鎖骨へ。

「へ、陛下……皆様が見て……」

「見せつければいい。私たちがどれほど愛し合っているか、帝国中に知らしめてやる」

彼は顔を上げ、悪戯っぽく笑った。

「式当日は、覚悟しておけよ? 誓いのキスの長さで、歴史に残る記録を作ってやる」

「……馬鹿な人」

私は赤くなりながらも、彼の胸に額を押し付けた。 幸せすぎて、怖いほどだった。

     * * *

試着が終わり、私たちは執務室へと戻った。 結婚式の準備と並行して、日常の公務もこなさなければならない。 特に、併合した旧王国の統治に関しては、まだ課題が山積みだった。

「報告が入っている」

ジークハルト様が、一枚の書簡を私に渡した。

「旧王国の貴族たちからだ。帝国の貴族院に『参入したい』という嘆願書が殺到している」

「……予想通りですね」

私は書簡に目を通した。 差出人のリストには、かつて私を冷遇し、レイモンド殿下に媚びへつらっていた貴族たちの名前がずらりと並んでいる。 彼らはレイモンドが失脚するや否や、掌(てのひら)を返して帝国に尻尾を振り始めたのだ。

「彼らは『自分たちは王太子の暴走を止めようとしたが、聞き入れられなかった被害者だ』と主張している。……どうする? 粛清するか?」

ジークハルト様の声は冷ややかだ。 彼にとって、裏切り者は最も嫌悪すべき存在だろう。

しかし、私は首を横に振った。

「いいえ。彼らの『保身の才』は利用価値があります」

「利用?」

「はい。彼らは風見鶏です。風向きさえ読み間違えなければ、忠実に回ります。帝国という強風が吹いている限り、彼らは必死に働きますよ。……もちろん、首輪はつけますが」

私はペンを取り、さらさらと返信の下書きを始めた。

『貴殿らの忠誠を歓迎する。ただし、その証として、各領地の隠し資産の3割を復興税として納付すること。また、今後10年間、領地経営に関する全権限を中央(私)に委任すること』

「……えげつないな」

陛下が覗き込み、苦笑した。

「領地経営権を奪えば、彼らはただの『管理人』だ。反乱を起こす金も権限もなくなる」

「生かさず殺さず、国のために働いていただきましょう。それが彼らへの、一番の罰であり、慈悲です」

「やはり、敵に回したくない女だ」

陛下は満足げに頷き、私の髪を撫でた。

「だが、無理はするなよ。最近、少し顔色が優れない時がある」

「え?」

言われてみれば、ここ数日、少し体がだるい気がする。 春の陽気のせいだろうか。 それとも、式の準備で疲れが出たのか。

「大丈夫です。ただの寝不足かと」

「ならいいが……。今日の午後は休め。これは命令だ」

「でも、まだ書類が……」

「私がやる。……と言いたいところだが、お前の書く書類は高度すぎて、私にも半分くらいしか理解できん」

陛下が拗ねたように言うので、私は思わず吹き出した。

「ふふっ、可愛い旦那様。では、半分はお任せしますわ」

その時だった。

「うっ……」

急に、強いめまいに襲われた。 視界が揺れ、胃の奥から酸っぱいものがこみ上げてくる。

「コーデリア!?」

ガタンッ! 陛下が椅子を蹴って立ち上がり、私を支えた。

「おい、どうした! 医者を! 誰か、医者を呼べ!!」

陛下の怒鳴り声が廊下に響く。 私は薄れゆく意識の中で、彼の青ざめた顔を見ていた。 ああ、また心配をかけてしまった。 ごめんなさい、ジークハルト様。

     * * *

目が覚めると、ベッドの上だった。 窓の外は夕暮れ。 枕元には、心配そうな顔のジークハルト様と、老齢の侍医がいた。

「……気がついたか!」

陛下が私の手を握りしめる。 その手は冷たい汗で湿っていた。

「私……倒れたのですか?」

「ああ。急に倒れ込むから、寿命が縮まるかと思ったぞ」

「申し訳ありません……。やはり、疲れが溜まっていたようで」

私は体を起こそうとしたが、侍医が優しく制した。

「皇后陛下、安静になさってください。病気ではございません」

「え? 病気ではない?」

じゃあ、なんだというの。 過労?

侍医は、皺くちゃの顔をほころばせ、満面の笑みを浮かべた。

「おめでとうございます、皇帝陛下、皇后陛下」

彼は恭しく頭を下げた。

「ご懐妊です」

「…………はい?」

時が止まった。 懐妊? 私が?

「妊娠二ヶ月……といったところでしょう。母子ともに経過は順調です」

私は呆然と自分のお腹を見た。 まだ平らだ。 でも、ここに新しい命が?

ジークハルト様の方を見る。 彼は、彫像のように固まっていた。

「……こ、子供?」

「はい、陛下。帝国の世継ぎ君です」

「俺と……コーデリアの……?」

彼は震える手で、恐る恐る私のお腹に触れた。 まるで、壊れやすい硝子細工に触れるかのように。

「ここに……いるのか?」

「……みたい、ですね」

私にも実感が湧いてきた。 喜びが、じわじわと胸の奥から溢れてくる。 私たちが愛し合った証。 この人が望んでいた、「二人で育む未来」。

「うおおおおおっ!!!」

突然、陛下が叫んだ。 そして、私を抱きしめようとして、慌てて止まり、代わりにベッドの端をバンバンと叩いた。

「やった! やったぞ! コーデリア! ありがとう! ありがとう!!」

氷の皇帝の威厳など欠片もない。 ただの、初めて父親になる喜びを爆発させる一人の男だった。

「でかした! よくやった! お前は世界一の妻だ!」

彼は涙ぐみながら、私の顔中にキスを雨あられと降らせた。

「ちょ、ちょっと陛下! くすぐったいです!」

「嬉しいんだ! ああ、どうしよう。名前を考えないと! 家庭教師も雇わないと! 剣術は私が教えるとして、算術は貴女に似てほしいな!」

気が早すぎる。 でも、その姿が愛おしくてたまらない。

侍医も微笑ましそうに見守っている。

「……幸せですね、私たち」

私は彼の手を握り返し、微笑んだ。

かつて、私は子供を産むことを「義務」だと思っていた。 レイモンド殿下に「男を産め」と言われ、プレッシャーに押し潰されそうになっていた。

でも今は違う。 この人の子供を産みたい。 二人の愛の結晶に会いたい。 心からそう思える。

「式は延期するか? 体に障るなら……」

陛下が急に心配そうに言う。

「いいえ。予定通り行います」

私はきっぱりと言った。

「この子と一緒に、私たちの誓いを立てたいのです。それに……」

私は悪戯っぽく笑った。

「お腹が大きくなる前じゃないと、あの素敵なドレスが着られなくなってしまいますから」

「……ふっ、そうだな」

陛下は破顔した。

「わかった。では、三人で式を挙げよう。帝国史上、最も幸福な結婚式を」

窓の外から、春告げ鳥の声が聞こえた。 長い冬は完全に終わり、私たちの人生に、眩しいほどの春が訪れていた。

そのニュースは翌日、帝国中に、そして旧王国の民衆にも知れ渡った。 「賢皇后ご懐妊」の報せは、戦争の傷跡が残る大陸全土に、希望の灯火として広がっていったのである。

一方、北の極寒の地では。 岩を運んでいたレイモンドが、くしゃみをした。

「へっくし! ……なんだ、急に悪寒が……」

「サボらないでよ! 今日のノルマ終わらないじゃない!」

彼らがそのニュースを知るのは、まだずっと先のことである。
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