敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜

六角

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第十三話:聖女の仮面が剥がれる時

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断罪の謁見から数日が過ぎた。

帝国による旧王国の併合手続きは、驚くほどスムーズに進んでいた。 いや、正確に言えば「私が事前にすべての書類と段取りを準備していたから」スムーズだったのだが。

帝城の一室。 かつて私が一人で使っていた執務室は、今や数十人の文官が出入りする「西方管区(旧王国)復興対策本部」となっていた。

「コーデリア様! 旧王都の食料配給、完了しました! 暴動は沈静化しています!」 「南部の港湾都市より、帝国への忠誠を誓う嘆願書が届いております!」 「関税撤廃により、街道の物流が先月の4倍に回復しました!」

次々と舞い込む報告。 そのどれもが、吉報だった。

私は机に広げた地図に、一つずつ『完了』の印をつけていく。 その手つきに、迷いはない。

「……チョロいわね」

ふと、独り言が漏れた。 かつてあれほど苦労していた王国の統治が、トップが変わるだけでこうも簡単になるとは。 レイモンドがいかに「ボトルネック(流れを阻害する要因)」だったか、数字が如実に証明していた。

「失礼します」

ノックと共に現れたのは、旧王国の財務大臣だったバートン伯爵だ。 彼は一度クビにされていたが、私が再雇用し、今は私の補佐官として働いている。

「おお、コーデリア様……! いや、皇后陛下!」

バートン伯爵は、私の顔を見るなり涙ぐんだ。

「お元気そうで何よりです。顔色が良くなられましたね」

「はい……! 陛下のおかげで、ようやくまともな仕事ができます。予算が通る! 計画通りに資材が届く! 当たり前のことが、こんなに嬉しいとは!」

彼はハンカチで目頭を押さえた。 実務能力はあるのに、上司に恵まれなかった苦労人。 彼の能力は、今こそ輝いている。

「バートン。感傷に浸る時間は終わりです。次は通貨の統一作業に入りますよ」

「はっ! 直ちに!」

彼は若返ったような足取りで駆け出していった。 その背中を見送り、私はコーヒーを一口飲んだ。

旧王国の民衆は、帝国の支配を驚くほど好意的に受け入れていた。 「敗戦国」という悲壮感はない。 むしろ、「ようやくまともな統治者が帰ってきた」という安堵感が国全体を覆っていた。

だが、光があれば影がある。 私がこうして復興の槌音(つちおと)を聞いている頃。 北の果てでは、二人の愚か者が「現実」という名の地獄に落ちていた。

     * * *

北緯50度。 帝国の北端に位置する『凍土の開拓地』。

そこは、夏でも雪が解けきらず、冬には吐く息すら凍る極寒の地だ。 見渡す限りの荒野。 岩と氷だけの世界。

そこに、一台の護送馬車が到着した。

「降りろ! グズグズするな!」

看守の怒号と共に、レイモンドとミナが雪の上に放り出された。 彼らの身なりは、見るも無残だった。 かつての絹の服は剥ぎ取られ、今は粗末な麻袋のような囚人服一枚。 手足には重い鉄の枷(かせ)が嵌められている。

「さ、寒い……! なんだここは!?」

レイモンドがガタガタと震えながら叫んだ。 唇は紫色になり、鼻水が垂れている。

「寒いよぉ……。コートを頂戴よぉ……」

ミナも縮こまり、涙目で訴える。 だが、看守は冷酷に言い放った。

「甘えるな。コートが欲しければ働け。ここでは『働かざる者食うべからず』が絶対の掟だ」

「は、働く? 俺が?」

レイモンドは自分の手を見た。 剣ダコすらない、白く滑らかな手。 生まれてから一度も、重い物を持ったことなどない手だ。

「俺は元王太子だぞ! 知的労働ならやってやる。書類仕事はないのか!」

「書類? ほう、字が読めるのか。じゃあ、あの看板を読んでみろ」

看守が指差した先には、巨大な岩肌にペンキでこう書かれていた。

『ノルマ:一人一日、岩石運搬500キロ』

「ご、500……キロ……?」

「そうだ。この山を切り崩し、街道を通す。それがお前らの仕事だ」

看守はレイモンドの足元に、錆びついたつるはしを投げた。

「さあ、始めろ。夕方までにノルマを達成できなければ、夕食は抜きだ。もちろん、暖房の効いた部屋にも入れんぞ」

「ふ、ふざけるな! できるわけがないだろう!」

レイモンドがつるはしを蹴り返した瞬間。

バシッ!!

看守の鞭が唸り、レイモンドの頬を打った。

「あだっ……!?」

「口答えをするな、囚人番号1番。ここでは俺が王だ。お前はただの肉体労働者だ」

看守の目は笑っていなかった。 本気だ。 ここでは、かつての身分など何の意味も持たない。

「う、うう……」

レイモンドは頬を押さえてうずくまった。 痛い。寒い。惨めだ。 こんなはずじゃなかった。 自分は選ばれた人間のはずだ。 なぜ、こんな泥と氷の世界で、虫けらのような扱いを受けなければならないのか。

「ねえ、ちょっと!」

その時、ミナが立ち上がった。 彼女はボロボロになりながらも、まだ自分が「特別」だと信じているようだった。

「私を誰だと思ってるの? 『聖女』ミナよ! 私にこんなことをさせて、神罰が下っても知らないわよ!」

彼女は両手を広げ、天を仰いだ。

「神様ぁ! この無礼な男たちに天罰を! そして私に温かいスープと、ふかふかのベッドを!」

彼女は祈った。 必死に祈った。

しかし。 何も起きなかった。 空からは冷たい雪が舞い落ちてくるだけ。 雷も落ちなければ、奇跡も起きない。

「……あれぇ?」

ミナが目を開ける。 看守たちが、鼻で笑っていた。

「おいおい、何かの踊りか? 芸達者だな」

「ち、違うわよ! 今、ちょっと調子が悪いだけで……!」

「聖女だか何だか知らんがな」

看守長が、ミナの前に歩み寄った。

「お前の『聖女の力』とやらは、ここでは通用しねえんだよ」

「え……?」

「ここは『魔封じの鉱山』だ。この辺りの岩石には、魔力を阻害する性質がある。だからこそ、人力で掘るしかないんだ」

看守長はニヤリと笑った。

「つまり、ここでのテメェはただの非力な女だ。魔法も使えない、何の役にも立たない穀潰しだ」

「そ、そんな……」

ミナの顔から血の気が引いた。 彼女のアイデンティティである「聖女」という仮面。 それが物理的に剥がされた瞬間だった。 魔法が使えなければ、彼女には何もない。 教養も、体力も、人徳も。

「嫌ぁぁぁ! 嘘よ! 私は特別なの! チヤホヤされるために生まれてきたのよぉ!」

ミナは半狂乱になって叫んだ。

「うるせえ」

看守長は無造作にミナの髪を掴み、スコップを握らせた。

「泣いても叫んでも、岩は砕けねえぞ。ほら、掘れ。お前のその細い腕が折れるまでな」

「ひっ……ごめんなさい、ごめんなさい……!」

ミナは泣きながら地面を掘り始めた。 硬い凍土にスコップが弾かれる。 手の皮が剥け、血が滲む。

レイモンドも、震える手でつるはしを握った。 やるしかない。 やらなければ、死ぬ。

カチッ、カチッ。 虚しい音が荒野に響く。

「くそっ……くそっ……!」

レイモンドは岩を叩きながら、涙を流した。

「コーデリア……。お前は、こんな辛いことを……」

彼は初めて、想像した。 かつてコーデリアが現場に足を運び、この過酷な環境を調査していたことを。 彼女は自分の足でここを歩き、この硬い岩をどう砕くか、どう道を引くか、必死に考えていたのだ。

それを自分は、「地味だ」「汚い」と笑った。 その報いがこれだ。 彼女が頭を使って解決しようとした難問を、今度は自分が体を使って解決させられている。

「ごめん……。ごめんな、コーデリア……」

謝罪の言葉が漏れる。 だが、それは風に流され、誰にも届かない。 永遠に届かない。

彼らの贖罪(しょくざい)の日々は、まだ始まったばかりだった。

     * * *

帝城、夜。

私は執務室の窓辺で、北の空を見上げていた。 星が綺麗だ。 あの星空の下で、かつての婚約者たちが泥にまみれていることを思うと、不思議な感覚に襲われた。 「ざまぁ」という暗い喜びよりも、もっと静かな、憑き物が落ちたような感覚。

「まだ起きているのか」

背後から、ジークハルト様が声をかけてきた。 彼は手に、二つのワイングラスを持っていた。

「陛下。……ええ、少し考え事をしていました」

「北のことか?」

「はい。彼らが今頃、どうしているかと」

「報告によれば、泣きながら岩を運んでいるそうだ。まあ、最初の一週間で根を上げるだろうが……死なせない程度に管理させている。安心しろ」

彼はグラスを私に手渡した。 芳醇な香りのする、最高級の赤ワイン。

「乾杯しよう。貴女の完全勝利と、我が帝国の新たな領土に」

「……乾杯」

グラスを合わせる。 チン、という澄んだ音が、夜の静寂に溶けていく。

「コーデリア。貴女は優しすぎる」

陛下が一口飲んで、苦笑した。

「私なら、彼らを即座に処刑していた。だが貴女は、彼らに『労働』という更生の機会を与えた。……彼らがそれを理解できるかは別としてな」

「優しさではありません。合理性です」

私は強がって見せた。

「彼らを処刑して『悲劇のヒーロー』に祭り上げられるより、無様に労働させて『反面教師』にする方が、統治上都合が良いのです。それに、あの鉱山は人手不足ですから」

「ふっ、そういうことにしておこう」

陛下はグラスを置き、私の肩を引き寄せた。 その体温が、心地よい。

「だが、これで過去の清算は終わった。これからは、未来の話をしよう」

「未来?」

「ああ。来月、正式な結婚式と戴冠式を行う。貴女は名実ともに、この帝国の皇后になる」

彼の指が、私の髪を梳(す)く。

「準備はいいか? これからは忙しくなるぞ。内政改革の続きもあるし、外交も、そして……」

彼は悪戯っぽく耳元で囁いた。

「世継ぎ作りも、本格的に進めねばな」

「……っ」

顔がカッと熱くなった。 仕事の話から、急にそっちへ振るなんてズルい。

「自信がありませんわ……。私、子育てなんて計算通りにいかないこと、できるかしら」

「二人でやればいい。失敗しても、二人で笑い飛ばせばいい」

彼は私を抱きしめた。

「貴女はもう一人じゃない。私がいる。国中が貴女を愛している。……もっと、自分を信じろ」

「はい……。ジークハルト様」

私は彼の胸に顔を埋めた。 幸せだ。 かつて「鉄の女」と呼ばれ、孤独に凍えていた私が、こんなに温かい場所にいるなんて。

聖女の仮面が剥がれ、愚かな王子が泥にまみれた今。 私の前には、希望に満ちた未来だけが広がっている。

「愛しています、あなた」

「私もだ、コーデリア」

私たちは星空の下、長く甘い口づけを交わした。 それは、復讐劇の終わりを告げるキスであり、新たな愛の物語の始まりを告げるキスだった。
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