敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜

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第十五話:誓いの口づけと永遠の契約

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帝都の空を、鐘の音が揺らしていた。

カラン、カラン、コーン……。

どこまでも高く、澄み渡る鐘の音。 それは帝国の新しい時代の幕開けを告げるファンファーレであり、一人の女性の「再生」を祝福する賛美歌でもあった。

帝城、控え室。

「……ふぅ」

私は鏡の前で、一つ大きく深呼吸をした。 緊張で心臓が早鐘を打っている。 外交交渉のテーブルに着く時でさえ、これほど緊張したことはなかった。

「素晴らしい……。まさに女神の降臨ですわ」

筆頭侍女のマリアが、涙ぐみながら私のヴェールを整えてくれた。

鏡に映る私は、純白のドレスに身を包んでいた。 先日試着したものから、さらに微調整が加えられている。 お腹の赤ちゃんを気遣い、締め付けを緩くしつつも、美しいラインを崩さない絶妙な縫製。 そして、デコルテにはジークハルト様から贈られた大粒のサファイアが、青い炎のように輝いている。

かつて「鉄の女」と呼ばれ、色気がないと蔑まれた公爵令嬢の面影は、そこにはない。 ここにいるのは、愛を知り、守るべき命を宿した、一人の幸福な女性だ。

「コーデリア様、お時間です」

「……ええ、行きましょう」

私は立ち上がった。 足が少し震える。 でも、怖くはない。 扉の向こうには、彼が待っているのだから。

     * * *

大聖堂へと続く回廊は、赤い絨毯が敷き詰められていた。 その両脇には、帝国の貴族たち、諸外国の王族や外交官たちが並び、私を待っている。

重厚なパイプオルガンの音色が響き渡った。 荘厳な調べに乗せて、大扉がゆっくりと開かれる。

光が、溢れ出した。

ステンドグラスから降り注ぐ七色の光。 その中を、私は一歩ずつ歩き出した。

ザッ、と全員が起立し、私に視線を注ぐ。 かつて王国の夜会で浴びたような、値踏みするような視線ではない。 そこにあるのは、純粋な敬意と、感嘆のため息だった。

「おお、なんて美しい……」 「あれが、帝国の頭脳と呼ばれる賢皇后か」 「氷の皇帝が溺愛するのも頷ける」

ささやき声が聞こえる。 私は顎を上げ、背筋を伸ばして歩いた。 父はいない。 エスコートしてくれる家族はいない。 けれど、今の私にはそんな支えは必要なかった。 自分の足で、自分の意志で、愛する人の元へ歩いていく。 それが、私の選んだ道だから。

祭壇の最奥。 そこに、彼が立っていた。

ジークハルト・フォン・エーデルシュタイン。

漆黒の正装に身を包み、肩からは深紅のマントを羽織っている。 銀色の髪が光を浴びて輝き、その赤い瞳は、まっすぐに私だけを捉えていた。

彼は、私が祭壇の下までたどり着くのを待たなかった。

カツ、カツ、カツ。

彼は階段を降り、バージンロードを逆走して、私の元へと歩み寄ってきたのだ。

会場がどよめく。 皇帝が自ら迎えに行くなど、前代未聞の事態だ。 侍従長が「へ、陛下!?」と慌てているが、彼は意に介さない。

彼は私の前で立ち止まり、優しく微笑んだ。

「待ちきれなかった」

たった一言。 それだけで、私の緊張は吹き飛んだ。

「……せっかちな方ですね」

「貴女に関してはな」

彼は私の手を取り、エスコートするように腕を差し出した。

「行こう。これからは、二人で歩くんだ」

「はい、あなた」

私たちは腕を組み、祭壇への階段を共に登った。 一歩、また一歩。 それは、私たちがこれから築いていく人生の象徴のようだった。 どちらかが前を歩くのではなく、どちらかが後ろに従うのでもない。 隣に並び、同じ歩幅で進んでいく。

祭壇の前に立つと、司祭が恭しく聖書を開いた。

「皇帝ジークハルト、そして公爵令嬢コーデリア。二人は、神の御前において、永遠の愛を誓いますか?」

定型文だ。 でも、ジークハルト様は司祭の言葉を遮るように、私の手を取って向き直った。

「神になど誓わない」

彼の宣言に、司祭が目を丸くする。

「私は、目の前の彼女に誓う。……コーデリア」

彼は私の瞳を覗き込んだ。 その瞳には、私の姿だけが映っている。

「かつて、私は貴女と『契約』を結んだ。私の覇道を支える頭脳として。貴女の能力に対する対価として、地位を与えると」

「……はい」

「だが、その契約は今日をもって破棄する」

会場がざわついた。 契約破棄? この土壇場で?

ジークハルト様は、悪戯っぽく、しかし真剣な眼差しで続けた。

「私は、皇帝としてではなく、一人の男として、貴女と新たな契約を結びたい。……対価は、私の命と、愛と、これからの全ての時間だ」

彼は跪いた。 あの日、雪の中で私を見つけた時のように。 そして、私の右手を両手で包み込んだ。

「コーデリア。私の妻になってくれ。能力があるからでも、役に立つからでもない。貴女が貴女だからだ。……貴女なしでは、私の世界は色を失う」

涙が溢れた。 止まらなかった。 こんなプロポーズ、反則だ。 「役立つかどうか」でしか評価されてこなかった私の人生を、この人は根底から塗り替えてくれた。

「……謹んで、お受けいたします」

私は涙声で答えた。

「私も、貴方と契約します。……貴方が白髪の老人になり、剣が振れなくなり、ただの頑固なお爺ちゃんになっても、隣で笑って支えるという契約を」

「それは心強い。……では、契約成立の証を」

彼は立ち上がり、私のヴェールをゆっくりと上げた。 私たちの顔が近づく。

「約束通り、歴史に残るキスをしよう」

「んっ……」

唇が重なった。

最初は優しく、触れるように。 そして、すぐに深く、熱く。 公衆の面前であることを忘れさせるほどの、情熱的な口づけ。

会場の静寂が破られ、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。 パイプオルガンが高らかに祝福の旋律を奏でる。 花びらが天井から舞い落ちてくる。

長い、長いキスだった。 息が続かなくなり、私が彼の肩をトントンと叩くまで、彼は離してくれなかった。

「……ぷはっ。……陛下、長すぎます」

顔を真っ赤にして抗議すると、彼は満足げに笑った。

「足りないくらいだ。……愛している、コーデリア」

「私もです、ジークハルト様」

私たちは額を合わせ、互いの体温を感じ合った。 世界中が祝福してくれている。 もう、誰も私を邪魔する者はいない。 不幸な過去は、この歓声の中に溶けて消えていった。

     * * *

式の後は、帝城のバルコニーでのパレードだ。

「うわぁぁぁぁぁっ!!」 「皇帝陛下バンザーイ!!」 「コーデリア様ーー!!」

眼下の広場を埋め尽くす数十万の民衆。 彼らが振る手旗の波は、壮観だった。

私は彼らに手を振り返した。 右腕が痛くなるほど振っても、感謝の気持ちは伝えきれなかった。

「すごいですね……」

「ああ。これだけの笑顔が集まるのは、建国以来初めてだろう」

ジークハルト様が私の腰に手を回し、民衆に向かって手を挙げた。 それだけで、地鳴りのような歓声が上がる。

ふと、広場の隅に、見覚えのある旗が見えた。 それは、旧王国の商工ギルドの旗だった。 彼らもまた、笑顔で私に手を振っている。 かつては敵国の民だった彼らが、今は帝国の民として、心から新しい支配者を歓迎しているのだ。

私が「物流」という絆で繋いだ二つの国。 それが今、本当の意味で一つになった瞬間だった。

「コーデリア、寒いか?」

風が少し強まると、すぐに陛下が気遣ってくれる。

「いえ、平気です。……この子も、喜んでいるみたいです」

私はそっとお腹に手を当てた。

「そうか。……早く会いたいな」

陛下も、私の手の上に彼の手を重ねた。

「男の子でしょうか、女の子でしょうか」

「どちらでもいい。貴女に似て賢く、私に似て……まあ、なんだ、行動力のある子なら」

「陛下に似たら、また雪山に薬草を採りに行って遭難しそうですわ」

「うっ……それは言うな」

私たちは顔を見合わせて笑った。 こんな何気ない会話ができる幸せ。 隣に、心を許せる人がいる安心感。

王国のバルコニーに立っていた頃、隣にいたレイモンド殿下は、いつも観衆へのアピールばかり気にして、私の方を見ようともしなかった。 「もっと笑え」「手を高く上げろ」と命令するだけだった。

でも、ジークハルト様は常に私を見ている。 民衆よりも、私を。

「……ありがとう、神様」

私は空に向かって、小さく呟いた。 かつて「神などいない」と絶望したこともあったけれど、今は信じられる。 すべての苦難は、この人と出会うための試練だったのだと。

     * * *

その夜。 祝宴が終わり、私たちは二人きりの寝室にいた。

「疲れただろう?」

陛下が私の髪飾りを外しながら、労ってくれる。 重かったドレスを脱ぎ、ナイトウェアに着替えると、ようやく人心地がついた。

「少しだけ。でも、心地よい疲れです」

私はソファに深く沈み込んだ。 サイドテーブルには、彼が用意させた温かいハーブティーと、一口サイズの焼き菓子が置かれている。 妊娠中の私への配慮だ。

「今日は、世界中の誰よりも美しかった」

陛下が隣に座り、私の髪を梳(す)いてくれる。

「貴女が祭壇に現れた時、心臓が止まるかと思ったよ」

「大袈裟ですわ」

「本当だ。……なぁ、コーデリア」

彼は私の手を握り、真剣な顔をした。

「私は、良い夫になれるだろうか? 今までは『皇帝』として生きることしか知らなかった。家庭の温かさなど、知らずに育った。そんな私が、貴女と子供を幸せにできるだろうか?」

珍しく、弱音を吐いた。 最強の皇帝が見せる、等身大の青年の不安。

私は微笑み、彼の手を両手で包み込んだ。

「なれますよ。だって、貴方はもう、私をこんなに幸せにしてくれていますもの」

私は彼の手を引き寄せ、自分のお腹に当てさせた。

「この子も知っています。パパがどれほど優しくて、不器用で、愛に溢れた人かを。……貴方が採ってきてくれた蒼月草の味、この子も一緒に味わったのですから」

「……そうか」

彼の表情が緩み、優しい瞳になった。

「ありがとう。……貴女がいてくれてよかった」

彼はそっと私を抱き寄せ、ベッドへと誘った。

「今夜は、もう休もう。三人のために」

「はい、ジークハルト様」

私たちはベッドに入り、寄り添って横になった。 彼の腕枕の安心感。 規則正しい心臓の音。 それが私にとって最高の子守唄だった。

意識がまどろんでいく中で、私はふと考えた。

あの日、国を追放されたこと。 それは私の人生における最大の悲劇だと思っていた。 でも違った。 あれは、幸福への招待状だったのだ。

私が捨てたのではない。 私が、選ばれたのだ。 この、世界一愛しい男性(ひと)に。

「……おやすみなさい、あなた」

「おやすみ、私の愛しい皇后」

額に落ちた優しいキスの余韻を感じながら、私は深い眠りに落ちていった。 夢は見なかった。 現実が、どんな夢よりも幸せだったから。

     * * *

翌朝。 帝国の新聞各紙は、一面トップで二人のキスシーンを報じた。

『氷解の口づけ! 皇帝夫妻、永遠の愛を誓う』 『新皇后の美貌に帝都が熱狂!』 『賢皇后、ご懐妊の兆しか? 幸せの絶頂へ』

その新聞は、遠く離れた北の開拓地にも届いていた。

休憩時間。 岩陰で震えながら薄いスープを啜っていたレイモンドの足元に、風で飛ばされてきた新聞紙が張り付いた。

「……ん?」

彼はそれを拾い上げた。 そこには、自分が見たこともないほど美しく着飾り、幸せそうに微笑むコーデリアの写真があった。 そして、その隣で彼女を愛おしそうに見つめる、銀髪の皇帝。

「あ……あ……」

レイモンドの手から、スープ皿が落ちた。 ガシャン、と音がして、貴重な食料が泥に吸い込まれていく。

「嘘だ……こんなの、嘘だ……」

彼は新聞を握りしめた。 写真の中のコーデリアは、かつて自分が知っていた彼女ではなかった。 自信に満ち溢れ、内側から発光するような美しさ。 それは、「愛される」ことによって開花した美貌だった。

自分が10年間、一度も引き出せなかった表情。 それを、あの男はたった数ヶ月で引き出したのだ。

「俺は……俺はなんてことを……」

彼は初めて、心の底から理解した。 自分が失ったものの大きさを。 王位でも、国でもない。 「コーデリア」という、かけがえのない一人の女性を失ったことの絶望を。

「うあああああああっ!!」

彼は新聞を抱きしめ、雪原に向かって慟哭した。 しかし、その声が彼女に届くことは、もう二度とない。

帝都の空は、今日もどこまでも青く、澄み渡っていた。
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