悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。

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34話

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王国と帝国の境界近くに設けられた遠征拠点。地図の上では戦略的要衝と呼ばれるこの地で、第一王子レオニス=フォン=シュトラールは、ひとり帳簿の山に埋もれていた。  
だが、書類の文字に集中できていないのは明らかだった。ページをめくるたびに視線は彷徨い、筆先は同じ行を三度なぞる。

本来であれば王都に戻り、政務と式典の準備に追われる時期である。だが、彼は自ら進んでこの遠征に志願した。

表向きは“国境の巡視”という名目。  
だが、その実――彼の脳裏には、姿を消した婚約者、ルゥナ=フェリシェの名前がこびりついて離れなかった。

「まさか、本当にいなくなるとは……」

その言葉を漏らしたのは、もう何度目だっただろうか。  
婚約破棄を伝えるはずだったあの日。  
彼女が忽然と姿を消し、王宮も侯爵家も大混乱に陥った。

時を経て、噂が風に乗って帝国へ届いた。  
神の使い、迷い姫、祝福の旅人。どこか聞き覚えのある逸話と共に。

報告書の山に目を移せば、どれも不可思議な文面で満ちていた。  
「白き日傘を差した女性が、舞踏会の主賓となる」  
「魔獣を退けた令嬢、名を名乗らず去る」  
「貴族の婚約破棄を一言で阻止、“花言葉の巫女”現る」

件名に彼女の名は出てこない。  
だが、記された描写、行動、言葉遣い――どれを取っても、ルゥナ以外にあり得なかった。

にもかかわらず、本人には一度として遭遇できない。  
追えば煙のようにすり抜け、向かえば既に去った後。  
部下を派遣すれば、「該当の女性は“ただの迷子”でございました」と帰ってくる始末。

すでに王都では彼の行動が「捜索という名の逃避行」と揶揄され始めていた。  
だがそれでも、彼は諦めることができなかった。

地図の上に小さな点をいくつも記し、誰もが笑うような推論を重ねる。

奇跡の起こった場所。  
人が癒された村。  
商人が売上を伸ばした通り。  
衛兵が“癒された”と語った詰所。

点と点を結べば、そこには一定の風の流れが見えた。  
だが、その中心を突き止めようとすればするほど、風は形を変えて遠ざかってゆく。

ルゥナは確かにそこにいた。  
だが、彼女は待っているわけではなかった。  
彼女はただ、歩いているだけだった。  
風のように。猫のように。誰にも縛られず、自由に。

書類の束に埋もれながら、レオニスは息を吐く。  
そして、遠くの空を仰ぐ。

「……少しくらい、怒ってくれればいいものを」

そう呟いても、返事はない。

彼が次に訪れる予定の村では、ちょうどその前日、白いドレスの令嬢が“猫に語りかけながらパンを焼いていた”という目撃情報が記録されていた。

だがその情報が、彼のもとへ届くのは、またしても“間に合わなかった”という報告と共にである。
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