【神スキル】人見知り天才パティシエの俺、ポンコツ美人ディレクターに無理やりやらされたお菓子作り配信が、なぜか”放送事故”るたびに伝説になって

第十話（最終話）：真夜中の虹と、始まりの味

十一月。季節は、燃えるような秋の盛りを過ぎ、冬の静かな足音を待つ、穏やかな時間へと移ろい始めていた。
健人が毎日歩く道は、鮮やかな黄色の絨毯に覆われている。見上げれば、街路樹の銀杏が、その最後の葉を、はらはらと、名残を惜しむように散らしていた。空は、どこまでも高く、深く、吸い込まれそうなほどの藍色だ。冷たく、乾いた空気が、肺を満たすたびに、頭がすっきりと冴えわたるのを感じる。時折、どこかの家から、焼き芋の、甘く、香ばしい匂いが漂ってくる。それは、もう、夏の熱狂とは違う、人の温もりを求める、穏やかな季節の香りだった。

あの、世紀のベイクオフから一ヶ月半。
健人と里奈は、この最終回に向けて、静かに、しかし、着実に準備を進めていた。二人の打ち合わせは、もはや、どちらか一方が話す、というものではない。健人が、スケッチブックに描いた構想を見せ、里奈が、それをどう見せれば、もっと魅力が伝わるかを提案する。健人が、味の構成に悩み、里奈が、視聴者としての素直な感想を述べる。そこには、完璧な信頼と、創造の喜びがあった。

「バズチャンネル」は、この最終回のために、全ての力を注ぎ込んでいた。スタジオは、前回と同じ、プロ仕様のキッチンスタジオ。しかし、そこに張り詰めた緊張感はない。健人の背後には、彼がこれまで作ってきたお菓子たちの、美しい写真がパネルになって飾られている。それは、里奈と、チャンネルのスタッフたちからの、ささやかな、しかし、心のこもった贈り物だった。
健人は、自分のために用意された、真新しいコックコートに袖を通す。その胸には、『Monsieur Sucre』の文字と並んで、『Kento Satou』という、彼自身の名前が、金色の糸で刺繍されていた。

午後八時。第一シーズンの、最終回が始まった。
カメラの前に立ったのは、里奈だった。
彼女は、いつものようなハイテンションな挨拶ではなく、深く、そして、ゆっくりと頭を下げた。
「皆さん、こんばんは。そして、本当に、ありがとうございます。この番組が、今日という日を迎えられたのは、画面の向こうで、私たちを、見守り、支え、時には叱ってくださった、皆さんのおかげです」
彼女は、これまでの道のりを、一つ一つ、言葉を紡ぐように振り返った。
「今夜、ムッシュ・シュクルは、初めて、彼自身の、完全オリジナルの作品を披露します。私たちの、この季節の、終着点であり、そして、新たな始まりとなる、一品です。それでは、ムッシュ・シュクルさん、お願いします」
里奈は、そっとフレームから外れ、ディレクターとして、コントロールブースへと向かう。
カメラが、静かに、健人の姿を映し出した。
健人は、一度、目を閉じ、そして、ゆっくりと開いた。その瞳には、もう、怯えも、諦めもなかった。ただ、創造主としての、静かで、強い光が宿っていた。

「…今夜は、僕の、オリジナルケーキを作ります。名前は、『Arc-en-ciel de Minuit（アルカンシエル・ド・ミニュイ）』。『真夜中の虹』、です」
健人の声は、マイクを通して、スタジオに、そして、画面の向こうの、数えきれないほどの視聴者の心に、まっすぐに届いた。
「このケーキは、僕と…僕たちの、これまでの道のりを、表現しています」

まず、土台となる、ダックワーズ生地を作る。
「これは、アーモンドとヘーゼルナッツの、メレンゲを使った、軽い生地です。全ての物語を支える、揺るぎない『技術』と『基本』。それが、この土台です」
次に、第一の層。漆黒の、ビターチョコレートムース。
「最初の味は、『苦味』。配信が始まった頃の、プレッシャー、不安、そして、絶望。僕の心の味です」
その上に重ねるのは、鮮やかな赤色をした、ラズベリームース。
「次は、『酸味』。予期せぬ事故、計画通りにいかない苛立ち。醤油せんべいや、ガリの味も、ここに含まれているかもしれません」
健人は、そう言って、かすかに笑った。その自然な笑顔に、コメント欄が、温かい言葉で溢れた。
三番目の層は、純白の、ホワイトチョコレートとバニラのムース。
「そして、『甘み』。どんな時でも、僕のお菓子を『おいしい』と言ってくれた、たった一人の声。視聴者の皆さんからの、温かいコメント。僕を救ってくれた、優しい甘さです」
そして、彼は、ケーキの中心に、小さな円盤状のものを埋め込んだ。
「これは、レモンのカード。隠し味です。テーマは、『驚き』。ハプニングの中から生まれた、思いがけない笑いや、奇跡。あの、電源落ちのシュークリームのように」
健人の手によって、一つ、また一つと、感情の層が、完璧な秩序をもって、重ねられていく。それは、ただのお菓子作りではなかった。彼が、この数ヶ月で経験した、人生そのものを、再構築していく、神聖な儀式だった。

最後の仕上げ。
健人は、深い藍色をした、夜空のようなグラサージュを、冷やし固めたケーキの上に、静かに流しかけた。
そして、その表面に、虹色に輝く、食用のパールパウダーを、一刷毛、さっと、流れ星のように走らせた。
それは、まさしく、真夜中の闇に、一瞬だけ架かる、奇跡の虹だった。

健人は、完成したケーキを、カメラの前に置いた。
そして、彼は、まっすぐに、レンズを見つめた。
「このケーキは、一人では、作れませんでした」
その言葉は、誰に向けたものか、明らかだった。
「僕の無茶な要求を、いつも、最高の形で受け止めてくれた人がいた。僕が、嵐の中にいた時、その先に、虹がかかることを、信じさせてくれた人がいた。…このケーキは、僕のディレクターに、捧げます」

コントロールブースで、モニターを見つめていた里奈の目から、涙が、とめどなく溢れ出した。嬉しいとか、悲しいとか、そういう言葉では表現できない、万感の思いが、彼女の胸を満たしていた。

配信が終わり、撤収作業の始まった、がらんとしたスタジオ。
健人は、切り分けた『真夜中の虹』の、最初の一切れを、里奈の前に差し出した。
二人は、向かい合って、静かに、そのケーキを口に運んだ。
最初に、ビターチョコレートの、深い苦味。次に、ラズベリーの、鮮烈な酸味。そして、それらを、バニラの、優しい甘さが、ふわりと包み込む。食べ進めると、中心から、レモンの、目が覚めるような、しかし、心地よい驚きが、現れる。
全ての味が、口の中で、複雑に、しかし、完璧な調和をもって、溶け合っていく。
それは、二人が、共に歩んだ、季節の味だった。

「…おいしい」
里奈が、涙の混じった声で、そう言った。
「今までで、一番、おいしい」
健人は、その言葉を聞いて、満足そうに、そして、少しだけ、照れくさそうに、笑った。
季節は、また、巡っていく。
そして、二人の物語もまた、この始まりの味と共に、次の季節へと、続いていくのだろう。
窓の外には、冬の訪れを告げる、澄み切った、星空が広がっていた。

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**《ムッシュ・シュクル作：『Arc-en-ciel de Minuit（真夜中の虹）』レシピ》**
※究極の難易度です。各パーツを、数日に分けて作ることをお勧めします。

**【材料：（直径15cmセルクル型一台分）】**

**■ダックワーズ生地（土台）**
* 卵白：60g
* グラニュー糖：20g
* アーモンドプードル：30g
* ヘーゼルナッツプードル：30g
* 粉糖：50g

**■レモンカード（中心のインサート）**
* 卵黄：1個分
* グラニュー糖：30g
* レモン汁：25g
* 無塩バター：20g

**■ビターチョコレートムース**
* 牛乳：50g
* 卵黄：1個分
* グラニュー糖：10g
* ビターチョコレート(70%)：60g
* 生クリーム：100g

**■ラズベリームース**
* ラズベリーピュレ：80g
* グラニュー糖：20g
* 板ゼラチン：3g
* 生クリーム：80g

**■ホワイトチョコレートとバニラのムース**
* 牛乳：50g
* バニラビーンズ：1/4本
* 卵黄：1個分
* グラニュー糖：10g
* ホワイトチョコレート：60g
* 板ゼラチン：2g
* 生クリーム：100g

**■グラサージュ・ミロワール（夜空の鏡）**
* (第九話のレシピ参照、ココアをブラックココアパウダーに変えると、より漆黒になる)
* 食用パールパウダー（虹色のもの）：適量

**【作り方（概要）】**
※非常に複雑なため、各ムースの基本的な作り方（アングレーズソースベース、イタリアンメレンゲベースなど）を習得している上級者向けです。
1. **前日準備：** ダックワーズ生地を焼き、14cmの円形に抜いておく。レモンカードを作り、直径8cm程度の半球状の型に流し、冷凍しておく。
2. **1層目（ビターチョコムース）：** 牛乳、卵黄、砂糖でアングレーズソースを作り、溶かしたチョコと混ぜ、泡立てた生クリームと合わせる。型の底にダックワーズを敷き、ムースの半量を流し、一度冷やし固める。
3. **2層目（ラズベリームース）：** 温めたピュレに砂糖とゼラチンを溶かし、冷ましてから泡立てた生クリームと合わせる。1の上に流し、冷凍したレモンカードを中心に埋め込み、冷やし固める。
4. **3層目（ホワイトチョコムース）：** ビターチョコムースと同様にアングレーズソースを作り、溶かしたホワイトチョコとゼラチンを加え、泡立てた生クリームと合わせる。2の上に流し、完全に冷凍する。
5. **仕上げ：** 完全に凍ったケーキに、人肌に冷ましたグラサージュを一気に流しかける。固まらないうちに、パールパウダーを刷毛などで、さっと表面を撫でるようにして虹模様を描く。冷蔵庫で、ゆっくりと解凍して完成。

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