【完結】君の手を取り、紡ぐ言葉は

綾瀬

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4.熱は静かに積もりゆく

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 それから、一週間後はあっという間にやってきた。シミになったシャツを見た母親に小言を言われながらクリーニングに出したり、千田に課題を見せたりして、日々が過ぎていく。
 祭りがある神社の最寄り駅を降りると、すでに人でごった返していた。浴衣を着た男女が手を繋いで目の前を通り過ぎていく。浴衣を着てくるなんて発想すらなかったな、と今更気がついた。
 出店からは遠いためか、ベンチは空いていて座って待つことにする。立っているだけでも吹き出てくる汗をぬぐいながらスマホを開いた。葉山からはもうすぐ着く、というメッセージと急いでいる鳥のスタンプ。遥希も同じスタンプを持っている。葉山が成績が上がったお礼だと送ってくれたのだ。落ち着いて、と書かれた同じ鳥のスタンプを送り返す。
 頬に冷たいものが触れて、肩が跳ねる。声も出なかった。驚いて顔をあげると、いたずらっ子のように微笑んで缶ジュースを差し出す葉山の姿。

「遅れてごめん。日陰で待っててくれてよかったのに」
「こういう雰囲気、久々で」

 つられて葉山が人混みを見る。がやがやと行き交う人々はみんな笑っている。夏祭りにくるのは小学生ぶりかもしれない。中学に入ってからは千田が恋人と参加するようになってしまったため、行かなくなってしまった。

「浴衣着てきたらよかった」
「じゃあ、俺もその時は着ようかな」

 当然のように一緒に行く気でいる葉山に笑ってしまう。しかし、葉山もラフな格好で来てくれたため内心遥希は胸をなでおろしていた。浴衣姿の葉山はさぞ行き交う女子たちの視線を引き付けたことだろう。
 缶ジュースを飲み干して、人混みに合流して歩き出す。しばらく行くと、あちこちから吹き込みの太鼓の音が響き、出店の幟も見えてきた。何かが焼ける香ばしい匂いに食欲が誘われる。

「うわー、何食べよっか」
「見て、でっかいフランクフルト!」

 かき氷で体を冷やしながら、立ち並ぶ出店をせわしなく指さして冷かしていく。一通り回るころには二人して両手はいっぱいになっていた。脇道にそれた人気のない場所にベンチを見つけて腰を下ろす。ふう、と息をついた遥希の視界がチカチカと瞬いた。いきなり日陰に入ったせいだろうかと、日向に目をやると今度は世界が歪むような眩暈に襲われる。
 慌てて誤魔化したが、葉山は目ざとく遥希の変化に気がついてしまった。

「佐倉、大丈夫?」
「あはは、……運動不足かな」
「笑ってる場合じゃないでしょ。飲み物買ってくるから座ってて」

 葉山が走っていくのを見届けて、長い溜息を吐く。

 ――せっかく誘ってくれたのに。

 面倒な奴だと思われただろうか。一緒に来なければよかったと思われないだろうか。
 そんなことを葉山が思うわけないとはわかっているが、どうにも思考はネガティブに染まっていく。ダメだ、と俯いて光を腕で遮断した。わずかな光でもチカチカと眩しく感じるようになっていた。

「佐倉くん?」

 名前を呼ばれてゆっくり顔をあげると、平井美佳が立っていた。可愛らしい薄い水色の浴衣に身を包んでいる。バレないように、細く息を吐きだした。

「やっぱり佐倉くんだ。誰と来てるの?」
「あ、えっと、」
「綾?」

 少し迷って、頷く。彼女に嘘をつく理由もない。平井はその愛らしい顔を綻ばせて、食べ物が並ぶベンチの空いている場所に腰を下ろした。その頬はわずかに上気しているように見える。

「最近、綾と仲良いよね」
「あ、うん。そうかも」
「お願いがあるんだけど、」
「うん」

 嫌な予感がした。あれだけ響き渡っていた蝉の声も、祭りの喧騒も聞こえなくなって、平井の声だけが浮いて聞こえるようだった。

「花火の時にね、綾と一緒に見られないかなって。綺麗に見られる場所があるんだ。私も友達と来てるんだけど、四人で……ダメかな?」

 不安そうな上目遣いに、思わず息をのむ。学年一の美少女は伊達ではない。葉山と平井が並んで花火を見ているのを想像する。それは少女漫画ならば一ページを大きく使って描かれることだろう。比べるのもおこがましいほど、自分なんかと並ぶより絵になるに違いない。
 心がざらついていく。断るのは簡単だ。けれど、理由を聞かれたら自分はなんと答えるつもりなのか。
 
「あー、どうだろう。俺一人じゃ決められないから……」
「そっか。そうだよね。ごめんね、いきなり。でも綾に聞いてみてくれない? お願いね!」

 返事も聞かずに立ち上がる。危ない、と声をあげる暇もなく前を通りがかった二人組にぶつかってしまった。平井がよろけて、からりと下駄の底が鳴る。

「ごめんなさ、」
「あれ、なに? 可愛いじゃん」
「マジだ。えー、一人? 俺らとまわろうよ」
「あの、わ、私……」

 逃げようとした平井の手を男が掴む。手にはビールを持っていて、すでにだいぶ飲んでいるらしくむせかえる程の甘ったるいアルコールのにおいが鼻につく。慌てて怯える平井を庇うように割って入った。

「ぶつかってしまったみたいですみません」
「えー、何? カレシ?」

 しかも質の悪い酔い方をしている。話し合っても無駄だと平井の腕を掴んで走りだそうとしたが、また突き刺すような頭痛に動きが止まってしまう。酔っているくせに、そのわずかな隙を見逃さず遥希の胸倉を掴んで投げ捨てた。
 さっきまで座っていたベンチに肩を打ち付けて鈍い音がする。顔を顰めた遥希に平井が駆け寄った。

「さ、佐倉くん!」

 頭痛に眩暈、それから肩の痛み。今日はろくなことがない。それは平井も同じ気持ちだろう。泣きそうになっている彼女を安心させるためにも立ち上がる。
 その時だった。

「警備員さん、こっちです!」
「やべ、行こうぜ」

 警備員、という言葉に焦った男たちがバタバタと去っていく足音がする。それからすぐに、シトラスの香りに包まれた。葉山だ、と安心して力が抜ける。遥希を支えている手にさらに力が入った。

「佐倉大丈夫!?」
「葉山、そこ痛いかも」
「あ、ごめん」

 自分よりも辛そうな顔をしていて、笑ってしまう。足元にペットボトルに入った水が転がっていて、焦って走り寄ってくれたのだとわかる。それだけで十分だと言い聞かせて、息を吐いた。

「葉山、平井さん泣いてるから」
「え? あ、あぁ」
「俺は大丈夫」

 平井の存在に気がついていなかったのだろうか。葉山の視線は腕の中の遥希と平井を行ったり来たりしている。この期に及んで優しさを見せる葉山に、もう一度念を押すように微笑んだ。

「ほんと、俺は大丈夫だから。行ってあげて」
「でも」
「千田に来てもらうから大丈夫。ほら、俺だけじゃ食べきれないから、半分持ってってね」

 ガサガサと乱雑に袋に出店で買った食べ物たちを詰めて突きだす。それから半ば乱暴に背を押しやった。最後までこちらを振り返りながら歩いていく背中に手を振って見送る。その姿が見えなくなってから、ようやく大きなため息とともにベンチに一息ついた。
 落ちていたペットボトルを開けて一口流し込む。よく冷えた水が食道から体を冷やしていくのがわかった。すっかり辺りは薄暗くなっている。

 ――恋は下心、か。

 誰が言い出したのか、言いえて妙である。
 葉山と平井が並んで花火を見ている姿を想像して、嫌だと思った。平井よりも自分に駆け寄ってくれたことが嬉しかった。自分で送り出したくせに、平井を支えながら去っていく葉山が踵を返して自分を選んでくれと願った。それでも、葉山と平井が並んでいる姿はやはり想像通り絵になっていて嫌だった。
 
 そう思ってしまう自分がなにより嫌だった。
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