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第96話 ダリル、沈黙は金なり
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【夜更けの静話】―マスキュラー視点・宿の一室にて続き
***
扉をノックする音がしたのは、灯りが半ば燃え尽きかけた頃だった。
誰かと思えば、青髪に銀縁眼鏡――いつもながら神経質そうな顔つきのダリルだった。
「マスキュラー殿。……夜分、失礼いたしまする」
少しだけ逡巡した様子で、彼は扉の向こうに立っていた。
「どうした。説教なら明日の朝にしてくれ」
「ち、ち、ちがっ……ちがいまする! 拙者、そんな鬼ではありませんぞ……!」
あたふたと両手を振る様が滑稽で、思わず苦笑が漏れた。
「入れよ。別に寝てねぇ」
「……では、失礼いたしまする」
軋む床板の音と共に、ダリルが部屋に入ってくる。ランプの明かりで眼鏡が鈍く光る。彼は部屋の隅の椅子に腰を下ろし、しばらく口を開かなかった。
俺も何も言わなかった。こんな夜だ。沈黙の一つや二つ、悪くねぇ。
「……エリーゼ殿とアリスター殿、素敵でございましたな」
ようやく、ダリルが言った。いつものように肩をすくめたような喋り方。だが、その声色にはどこか温かさがあった。
「ああ。お似合いだよ」
俺は答える。強がりでも嘘でもない。たぶん、本心だった。
「拙者、こう見えて、祝福する気持ちはございます。……いや、もちろん、うらやましさも混ざっておりますが、それはそれ、ですな」
思わず顔を上げる。ダリルは眼鏡の奥で視線を外し、どこか遠いところを見ていた。
「……好きだったのか?」
「い、い、いやいや! そっちではなく! 拙者の話などどうでもよろしいのです! マスキュラー殿、あなたこそ……」
こちらに視線を戻すダリルの顔には、普段見せない真剣さが浮かんでいた。
「……お辛いのでは、ありませんか」
その言葉が、やけに静かに響いた。
ああ、わかってたんだな。こいつは。ずっと気づいてたんだ。
「オレが、エリーゼに惚れてたことか?」
「……はい」
嘘のつけない神官だ。マイナス思考で面倒なやつだけど、こういうときは正直だ。
「……辛くねぇって言ったら嘘になるな」
胸の奥で、まだ火種みたいなもんが燻ってる。でも、口に出すと少しだけ軽くなる。
「でも、言ったろ。あいつが幸せなら、それでいいって」
「……はい。おっしゃっておられました」
「それに、オレにゃ荷が重いんだよ。あいつの隣に立つにはな」
「そんなことは……!」
ダリルが勢いよく立ち上がる。普段の彼からは考えられないほど、強い声音だった。
「……そんなことは、誰にも決められませんぞ」
言葉のあとに続く、沈黙。
たぶん、それがこの夜いちばんの言葉だった。
「拙者は、かつて信じていた聖女に裏切られ、訴えて、追放されました。誰にも信じてもらえず、信じることもできなくなった。……でも、今は違う。あなたたちが、信じてくれるから」
ダリルの手が膝の上で震えていた。ぎゅっと握りしめるその拳が、過去を思い出しているようで。
「マスキュラー殿、あなたは、過去の痛みを知っている。だからこそ、黙って誰かの背中を支えることができる。……その選択は、尊いものです」
「……」
「沈黙は金なり、雄弁は銀なりとも言います。何も言わないことが、時に最も雄弁であることもあるのです」
俺は、何も言えなかった。言葉に詰まったんじゃない。胸にじんと来たんだ。
「……ありがとな、ダリル」
ポツリと、それだけ口にした。
「い、い、いえっ! 拙者、ただ思ったことを申しただけで……! で、ですが、ですな!」
急に言葉が戻ってきたダリルは、もごもごと口を動かしながら立ち上がる。
「ええと、つまり……その……夜風が冷えるゆえ、あまり深酒などせぬように。あっ、酒飲んでおられませんでしたな!? ああもう、拙者はなにを……!」
「おいおい、落ち着けって」
思わず笑ってしまった。こいつは本当に、不器用で、優しいやつだ。
ダリルがドアの前で振り返る。
「マスキュラー殿。……あなたが沈黙を選んだこと、それだけで、誰かが救われておりますぞ。拙者も、そうだったように」
最後にそう言って、静かに扉を閉じた。
***
ひとりになった部屋に、また沈黙が戻る。
でも、それはもう、重たいものじゃなかった。
誰にも言わず、誰にも見せず。それでも、誰かが気づいてくれる。
それだけで、心ってのは少しだけ軽くなるんだな。
「……明日も、頑張らねぇとな」
誰に聞かせるでもなく、独り言をこぼす。
夜はまだ深い。でも、少しだけ、星が綺麗だった。
***
扉をノックする音がしたのは、灯りが半ば燃え尽きかけた頃だった。
誰かと思えば、青髪に銀縁眼鏡――いつもながら神経質そうな顔つきのダリルだった。
「マスキュラー殿。……夜分、失礼いたしまする」
少しだけ逡巡した様子で、彼は扉の向こうに立っていた。
「どうした。説教なら明日の朝にしてくれ」
「ち、ち、ちがっ……ちがいまする! 拙者、そんな鬼ではありませんぞ……!」
あたふたと両手を振る様が滑稽で、思わず苦笑が漏れた。
「入れよ。別に寝てねぇ」
「……では、失礼いたしまする」
軋む床板の音と共に、ダリルが部屋に入ってくる。ランプの明かりで眼鏡が鈍く光る。彼は部屋の隅の椅子に腰を下ろし、しばらく口を開かなかった。
俺も何も言わなかった。こんな夜だ。沈黙の一つや二つ、悪くねぇ。
「……エリーゼ殿とアリスター殿、素敵でございましたな」
ようやく、ダリルが言った。いつものように肩をすくめたような喋り方。だが、その声色にはどこか温かさがあった。
「ああ。お似合いだよ」
俺は答える。強がりでも嘘でもない。たぶん、本心だった。
「拙者、こう見えて、祝福する気持ちはございます。……いや、もちろん、うらやましさも混ざっておりますが、それはそれ、ですな」
思わず顔を上げる。ダリルは眼鏡の奥で視線を外し、どこか遠いところを見ていた。
「……好きだったのか?」
「い、い、いやいや! そっちではなく! 拙者の話などどうでもよろしいのです! マスキュラー殿、あなたこそ……」
こちらに視線を戻すダリルの顔には、普段見せない真剣さが浮かんでいた。
「……お辛いのでは、ありませんか」
その言葉が、やけに静かに響いた。
ああ、わかってたんだな。こいつは。ずっと気づいてたんだ。
「オレが、エリーゼに惚れてたことか?」
「……はい」
嘘のつけない神官だ。マイナス思考で面倒なやつだけど、こういうときは正直だ。
「……辛くねぇって言ったら嘘になるな」
胸の奥で、まだ火種みたいなもんが燻ってる。でも、口に出すと少しだけ軽くなる。
「でも、言ったろ。あいつが幸せなら、それでいいって」
「……はい。おっしゃっておられました」
「それに、オレにゃ荷が重いんだよ。あいつの隣に立つにはな」
「そんなことは……!」
ダリルが勢いよく立ち上がる。普段の彼からは考えられないほど、強い声音だった。
「……そんなことは、誰にも決められませんぞ」
言葉のあとに続く、沈黙。
たぶん、それがこの夜いちばんの言葉だった。
「拙者は、かつて信じていた聖女に裏切られ、訴えて、追放されました。誰にも信じてもらえず、信じることもできなくなった。……でも、今は違う。あなたたちが、信じてくれるから」
ダリルの手が膝の上で震えていた。ぎゅっと握りしめるその拳が、過去を思い出しているようで。
「マスキュラー殿、あなたは、過去の痛みを知っている。だからこそ、黙って誰かの背中を支えることができる。……その選択は、尊いものです」
「……」
「沈黙は金なり、雄弁は銀なりとも言います。何も言わないことが、時に最も雄弁であることもあるのです」
俺は、何も言えなかった。言葉に詰まったんじゃない。胸にじんと来たんだ。
「……ありがとな、ダリル」
ポツリと、それだけ口にした。
「い、い、いえっ! 拙者、ただ思ったことを申しただけで……! で、ですが、ですな!」
急に言葉が戻ってきたダリルは、もごもごと口を動かしながら立ち上がる。
「ええと、つまり……その……夜風が冷えるゆえ、あまり深酒などせぬように。あっ、酒飲んでおられませんでしたな!? ああもう、拙者はなにを……!」
「おいおい、落ち着けって」
思わず笑ってしまった。こいつは本当に、不器用で、優しいやつだ。
ダリルがドアの前で振り返る。
「マスキュラー殿。……あなたが沈黙を選んだこと、それだけで、誰かが救われておりますぞ。拙者も、そうだったように」
最後にそう言って、静かに扉を閉じた。
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ひとりになった部屋に、また沈黙が戻る。
でも、それはもう、重たいものじゃなかった。
誰にも言わず、誰にも見せず。それでも、誰かが気づいてくれる。
それだけで、心ってのは少しだけ軽くなるんだな。
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