悪辣と花煙り――悪役令嬢の従者が大嫌いな騎士様に喰われる話――

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10.唇歯輔車

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・唇歯輔車(しんしほしゃ)
 一つが駄目になると、もう一つも駄目になるような、非常に深い関係のこと




 イライアス・クライン子爵主催の秘密パーティーの日、俺は少し早い時間にコースフェルトの屋敷を出た。旦那様の命で出かけることになり、明日まで帰らないとお嬢様には伝えてある。
 まず、俺が向かったのは王都でも少し値段が張る宿だ。ここでツェルと合流することになっているからで────。

「さあさあ、お着替えしましょうね~」

 そりゃあ、パーティーに潜入する為なら女装 ろうが何だろうがするとは言ったけどな?
 ドレスを片手に満面の笑みを浮かべるツェルを、思いっきり殴りたくなった。
 俺の顔を知っている誰かと鉢合わせる可能性を考えるなら、変装した方が安心なのは分かる。男二人連れより、男女の組み合わせの方が良いのも分かる。グリニコフ宛に来た招待状である以上、必然的に女装するのが俺になるのも、まあ分かる。
 だが、ツェルの締まりのない顔を見てると、今すぐぶん殴りたくて仕方ねえ。

「グリニコフ商会でも、最高のドレスを持って来たんだからさぁ」
「そりゃあご苦労なこった」
「あっ、もちろん着付けからお化粧まで俺がしてあげるから安心して~!」
「……何に安心したら良いのか分からねえよ」

 意外なことに、ツェルの手付きには迷いがなかった。さては女装趣味でもあるのか。仕事さえきっちりこなしてくれるんなら、ツェルがどんな趣味嗜好してても構わねえが。

「別に、女装趣味とかないからね?」
「……何も言ってねえだろ」
「言ってないけど、思ってないとは言わないんだねぇ」

 けらけらと笑うツェルに、気を悪くしたような素振りはない。
 気にならないと言ったら嘘になるが、果たして訊いても良い話題なのか。逡巡は僅かだった。
 何故なら、他でもないツェルが「母親が娼婦だって話~」と明かしたからだ。

「幸いなことに、娼館の主人は俺を孕んでもそのまま置いてくれたんだって」
「へえ」
「かくして、娼館で育った俺は綺麗なお姉さんの支度を手伝う日々の中で技術を培ったのでした~」
「そりゃ良かったな」
「え?」

 流れるように支度を進めていたツェルの手が、何故だか不意に止まった。きょとんと紫の目を丸くして、俺の次の言葉を待っている。……俺、そんな妙なこと言ったか?

「おまえ個人が望んで得た技術じゃなかったとしても、培った技術だけはおまえを裏切らない。手札は一枚でも多い方が勝算に繋がるだろ」

 グリニコフ商会の次期代表を決める継承ゲーム。現代表は実の子供たちはもちろん、才能溢れる子供を養子に迎えて争わせていると聞く。
 当然、継承ゲームに名を連ねる子供たちの間に親愛の情などないのだから、熾烈な争いが繰り広げられていることは想像に難くない。
 ツェルの本心は定かじゃねえが、何にせよ手札は一枚でも多いに越したことはないだろ……と、考えた結果ああ言ったんだが、そんなにおかしいこと言ったか?

「……なるほど。そういう考え方、したことなかったなぁ」

 なるほど、と頷くツェルの声はやけに弾んでいた。驚いたり面白がったり忙しない男だな。
 そうこうしているうちに、夜会に挑む支度は整った。喉仏を隠すチョーカー、肩幅を誤魔化すショール。腰周りには花飾り。鏡に写る俺は、呆れるくらいどこからどう見ても淑女だ。喜んで良いのか複雑だな。

「うっわ。元が良いから、マジでうっかり恋に落ちそー」
「一夜の恋でも良ければ、お付き合いしましょうか?」
「そんで、有り金ぜーんぶ取られてるんでしょ~」

 そう言うツェルも、普段の軽薄な雰囲気はどこへやら。礼服に身を包んだ姿は良家の子息にも見える。この格好なら、クライン子爵の夜会に出ても怪しまれることはねえだろ。

「そうだそうだ、大事なの忘れちゃだめだよねぇ」
「あ?」

 俺の後ろに回るなり、シュッと何かを吹き掛けるような音。部屋の中に、大輪の花が咲き乱れる。甘くかぐわしい香りが、リアの花のものだと気付くのは容易かった。
 高価な香水、しかもリアの花の香りともなれば、下位の貴族ですら手を出せないと聞く。それを、このバカはたった一夜のために取り寄せたのか?

「んふふ。エリィと言ったら、リアの花みたいなとこあるからねぇ。最近なんか花煙草ぽんぽん吸いまくってる所為で、匂いが髪とか服に移っちゃってて」
「……香水と花煙草じゃちげえだろ」

 リアの花煙草だって決して安いものじゃねえが、リアの花香水に比べれば可愛いもんだ。
 この男が今日の夜の為にいくら使ったのか、それを必要経費として請求されるのかと思うと、今から胃の辺りがきりきりしてきやがる。

「香水はやっぱりちょっと匂いが強いよねぇ。花煙草くらいの、ふわりって香る感じの方がエリィっぽくて好き~」
「俺っぽいってなんだ、そりゃ」
「基本はつんつん鋭くて容赦がないのに、たまにちょっと甘いとこ?」
「……喧嘩なら買うぞ」

 違うよぉ、とツェルがころころ笑う。バカにされてるようにしか思えねえんだが、追及するだけの時間はない。パーティーの刻限はもう間もなくだった。

「分かってると思うけどぉ、見た目は淑女でも声はばっちり男だから喋ったらだめだよ?」
「言われるまでもねえよ」
「よろしい。じゃあ行こっか」

 夜の暗闇の中、ぽつりぽつりと明かりが点る家々。王城を囲むように建ち並ぶ貴族街のその端に、クライン子爵の屋敷はある。水路を挟んでいるとは言え、子爵の立地は平民寄りだ。
 屋敷の状態から、なんとなくだが子爵の財政状況が察せられた。あまり良いとは言えねえな。そのくせ、派手なパーティーはやりたがるんだから、貴族の面子とやらは厄介なことで。
 屋敷のホールで招待状と名前を確認され、渡されたのは仮面だった。招待状を受け取ったもののみ参加できる夜会に、身分素性を隠す仮面付き。ここまで徹底されちゃあ、何もない方がおかしいだろう。

「……何かあるだろうと思ってはいたけどな」
「そりゃあ、子供が食い物にされるなんて、ありふれてはいるけどさぁ……」

 大広間の中央には、大きな檻が置いてあった。中では、数人の薄汚れた子供が膝を抱えている。薬でも盛られているのか、顔を紅潮させて、その視線はどこか虚ろだった。
 珍しい動物でも見るかのように、檻の周りに群がる奴らや、少し離れた場所で歓談する奴ら。民の血税で優雅に暮らしておきながら、子供を欲望の捌け口にしてるとは、まったくイイご身分だ。

「多分、子供に使った薬はウチの兄弟が渡したんじゃないかなぁ」
「それなら招待状が届くのも道理だな」
「……どうする~?」
「あ? どうもしねえよ」

 広間の壁際で、声をひそめて話し合う。幸いにして、壁際で同伴者と身を寄せ合い縺れ合ってる連中は他にもいる。おかげで、俺たちが目立つこともない。
 あのガキは哀れだ。何とかしてやりたい気持ちがない訳ではない。だが、俺にできることは限られていて、優先すべきことは他にある。
 救えもしないくせに、ここにいるくそったれ共を責める資格はない。

「クライン子爵はクロだった。探せば証拠も出てくるだろうし、なけりゃあ捏造するまでだ」
「招待客リストくらい持ち出せたら良いけど、ちょっと難しそうだよねぇ」
「さてな。使用人に金を積めば、案外どうにかなりそうだが……」

 後は、招待客に金を握らせて協力者に仕立てあげるのもありだな。
 仮面をつけているとは言え、なんとなく見覚えがあるような奴もいる。資金に困っていたり、弱みのあるお貴族様はいないものか、と会場内を見回したときだ。

「おやおや。もう良いのかい?」
「────見るべきものは見た。刻限まで間もない。それに斯様な場所、一秒とていられるものか」

 ────は、この国でも既に使われなくなりつつある、上級階級特有の発音だった。フェルトフルーレで、この発音を日常的に用いている人間は、王族を除くと一人以外思い付かない。
 気付かれないよう、広間に視線を走らせる。あの男が、こんなところにいる筈がねえ。だが、もしも本当にいるのだとしたら……!

「ツェル、逃げるぞ」
「へ?」
「多分、表はもうだめだな。裏から逃げる」

 目を白黒させるツェルの腕を引いて、屋敷の奥へと小走りで向かう。事情を懇切丁寧に話している時間はないような気がした。
 手当たり次第に部屋の扉を開けようとしたが、どこもかしこも鍵がかかっていた。

「お、お客様、一体何を!?」
「寝てろ、クズ」

 屋敷の私用なエリアを物色している客人に気付いた使用人の一人が、顔を青くして近付いてくる。あんたに恨みはねえが、誤魔化してる時間もないんで、腹に一発ぶちこんで静かになってもらった。側で見ていたツェルが「うっわ」と、若干引いた声を漏らした。

「諜報っぽいことから護身術までさぁ、使用人ってそこまでできるもんなの……?」
顧客の事を調べてんだろ? この程度は、コースフェルトの使用人ならやれて当然なんだよ」

 とはいえ、本職相手にはきっついんだが。屋敷を抜け出したところで、おそらくもう包囲されている筈だ。正攻法で逃げ出せるとは思えない────なら。

「二階に行くぞ、ツェル」
「あー、もう! どこへなりともご一緒しますよ、お嬢さんマイフェアレディ!」

 二階の階段をかけ登り、廊下へと差し掛かったときだ。階下からパーティーの喧騒とは違う、悲鳴のような声と金属音が聞こえてきた。
 さすがのツェルも、あの闖入者共が何者なのか、すぐに察しがついたらしい。
 ああ、そうだとも。フェルトフルーレが誇る、王国騎士団様のお成りだ、くそったれ!

「……エリィ、シルヴェリオくんになんか言ってきたの!?」
「まさか。ついこの前、引導を渡してやったばっかりだっての」
「何煽ってんの!? ああ、それどころじゃないけど!」
「ほんとにな。予想よりもお早いお越しで、騎士共の勤勉さに涙が出るわ」
「軽口叩いてる場合じゃないよ!? 俺、肉体労働はセックス以外役立たずだからね!?」
「なら、マグロになってろ」

 屋敷の間取りと周囲の配置をなんとなく照らし合わせ、最も適した部屋へと向かう。
 幸いなのは、二階の部屋はどこも鍵が開けっ放しだったことだ。客人がこんなところまで入り込むとは思っちゃいなかったんだろう。ついでに、俺の日頃の行いの良さってやつだな。
 誰もいない客間は、使われていないのかどこか埃っぽい。まっすぐにバルコニーを目指す俺の意図をようやく悟ったのか、背後で「まさか」という声。

「そのまさかだ。恨むなら自分の運のなさを恨めよ、ツェル」

 眼下には塀と、その向こうには水路。先日の雨のおかげで、水路の水量は潤沢だ。飛び込んだとしても、怪我をするおそれはないだろう。
 これならいけるな。やっぱ、最後に物を言うのは日頃の行いだろ。口の端を引き攣らせるツェルの手首をむんずと掴み、バルコニーの手すりへと足を乗せた。躊躇いはない。夜の闇に身を踊らせたのは一瞬のこと。俺とツェルの身体は、真っ暗闇の水面へ叩きつけられた。


 ◇


「しっんじらんないんだけどー!!」
「悪かった悪かった」
「誠意が感じられない~~!」
「おい、じゃれるな」

 騎士団の連中を撒いて、ツェルが用意してくれた宿へと戻ることができた。無事かどうかは微妙なところだが、濡れ鼠になったぐらいは誤差みたいなもんだろ。
 びしょ濡れになったドレスを放り、タオルで水気を拭ってしばらく。文句を出し尽くしたらしいツェルが「それで?」と唇を尖らせた。

「騎士団が来るって、なんで分かったの~?」
「……あの場に、いない筈の男がいたからな」
「いない筈の男?」
「────クリストフ・ヒルシュフェルト」

 姿を目視で見た訳じゃねえ。けど、あの声。この国であんなにも美しい上流階級特有の発音をする男を、俺はあの人以外に知らない。

「……宰相家の嫡男? まだ留学してんじゃないの?」
「その筈なんだがな。随分お早いご帰還だ」

 ベッドサイドに置いていた革のケースから、花煙草を一本取り出した。リアの花香水に比べれば幾分か淡い花の香りに、ようやく微かに気を緩めることができた。
 ちらり、とツェルを横目でうかがう。少なくとも、今夜起きたことへの説明を聞かないと納得しない、という顔だ。……さて、どうしたもんか。

「……おまえ、クリストフ・ヒルシュフェルトのこと、どこまで知ってる?」
「あんまり知らないかなぁ。あれ、近寄っちゃだめな種類の人間じゃん?」
「正解。俺やおまえの天敵だな。まあ、個人的には嫌いじゃねえんだが」
「そうなの!?」

 王国の政務を司る“行政”のヒルシュフェルト公爵家の嫡男、クリストフ・ヒルシュフェルト。
 リチャード殿下、ハイドフェルト様、そしてイルゼお嬢様よりも一つ年上の、三大公爵家の人間だ。現王族が平民寄りの考えであること、護衛騎士の立場からハイドフェルト家もまた、平民に寄り添った考えをしている。法務を司る立場上、コースフェルトは中立的な立場を取ってはいるが、イルゼお嬢様の価値観は平民のそれに近い。
 だが、ヒルシュフェルト家はその真逆、貴族としての傲慢さを隠そうともしない人間の集まりだ。
 だが、傲慢ではあるものの、貴族であることに誇りを持っているからこそ、誰よりも厳格かつ情に左右されない冷徹さを有している。

「俺もおまえも、情に流される余り非効率的な言動をする連中に共感できないだろ。その点、ヒルシュフェルト様は情で判断を鈍らせない」
「へーえ、そんな人だったんだ。話しかけてみれば良かったかなぁ」
「止めとけ止めとけ。天敵っつったろ。俺やおまえが好ましく思っても、あっちは俺たちのことを汚物も同然に思ってるだろうよ」
「え?」

 クリストフ・ヒルシュフェルト様は、傲慢で厳格で冷徹な人だが、決して冷血な人間ではない。社会的弱者を踏み躙る行為には怒りを覚えるし、他人の良心をせせら笑う輩を軽蔑する。

「俺もおまえも、愛だの友情だのを否定するつもりはないが、目的の為なら躊躇わず利用するし踏み躙るだろ?」
「そうだねぇ。それが一番効率的、或いは俺好みの展開に繋がるなら?」
「ヒルシュフェルト様は、そういうのがお嫌いなんだよ。俺もおまえも、機会が回ってきたらまあ間違いなく社会的に抹殺されるだろうな」
「あー、それはそれは」

 あの人、どこで嗅ぎ付けたのか、「貴様の手練手管は下水の澱みよりも尚穢らわしい」とゴミを見るような目で言ってくれたからな。尻尾を出したが最後、王都の地を二度と踏めなくなるだろう。

「で、その高嶺の花系精神処女は、なーんであそこにいたワケ?」
「高嶺の花系精神処女」
「確か、まだ3ヶ月くらい留学してんじゃないの? 帰って来るの早くない?」

 ちりちり、と先端を燃やす火の音。甘い花の香りをゆっくりと吐き出した。
 僅かな沈黙の後、口を開こうとした俺を遮るように「ねえ」とツェルの声。普段の明朗な声とは違う、ひどく冷ややかな声だった。
 何を、と奴の表情をうかがうより早く、俺の手首を掴んだツェルは、そのまま俺をベッドへと押し倒した。
 何の前触れもなかった。突然生じた変化に、背中を冷たいものが滑り落ちていく。

「さすがエリィ。煙に巻くのが上手だね?」
「……何のことだかわかんねえな」
「そうやって惚けるの、非効率的だと思うなぁ」

 ツェルはわざとらしく溜息をつき、俺の指から花煙草を奪った。邪気をたっぷり含んだ微笑を湛え、花の香りを燻らせる煙草を咥える。妙に様になっているので若干いらっとした。

「何の根拠があってそんなこと思った?」
「だって、あのエリィが誰かを好意的に見ていると口にしたこと自体がおかしいデショ。あんまりにも衝撃的だったから、うっかり流されそうになっちゃったけど」
「俺だって人間なんだがな。好ましいと思う奴だって、一人や二人はいるさ」
「そうだろうねぇ。でも、もし本当に好ましい相手なら、グリニコフには絶対教えないでしょう?」

 短くなった煙草を、ベッドサイドの灰皿へと押し付ける。男にしては細く長い指先が煙草の火を消す様が、やけに不穏な光景に思えてならない。まるで、敵対者に対する容赦のなさを表しているようで。
 だが、俺の頬を撫でる奴の指は、愛撫を思わせるほどに丁寧に触れてくる。そうして、哀れむように嘲るように嗤い、小首を傾げた。

「俺のことを敵とも味方とも計りかねているエリィが、柔い部分を晒すような、そんならしくない真似をするかな?」

 奴の、否、グリニコフ商会の危うさを忘れたつもりはなかったが、侮っていたことは認めざるを得ない。
 グリニコフ商会が国一番の商会の座に君臨しているのは、膨大な流通経路を有していることはもちろんだが、客が真に望んでいるものを見透かす慧眼に因るものが大きいのだろう。
 ……ツェルと手を組んだのを、一瞬後悔しかけた。言の葉がナイフにも等しいことを、久しぶりに身をもって実感する羽目になるとは。

「……そんなに俺のことを知りたいか、ヴェンツェル・グリニコフ」

 生憎、蛇に睨まれたくらいで縮こまる柔な精神はしていない。
 俺の内側を覗こうとするのなら、俺におまえの内側を覗かれる覚悟だって、当然あるんだろ?

「話をそらそうとしたことは否定しねえが、おまえもらしくないな?」
「なんで?」
「今のおまえのやり方は、手のうちのナイフを晒して脅すようで、余りにもあからさまだ。必死さが滲み出てるぜ?」

 何をそんなに必死になる? とせせら笑う。とはいえ、こいつはわざと悪意をばらまいて、相手の思惑を読む性質の悪い男だ。煽ったところで、真意を明かすことはないだろう────そう、思っていたのだが。

「エリィに関わることだから知りたくて、形振り構っていられないんだって言ったら?」

 人を食ったような顔で嗤うツェルの真意は、やはりうかがい知れない。
 こいつ、本気か? とその言葉の真意を考えかけて、止めた。答えを出してはいけないような気がしたからだ。

「……仕方ないから、誤魔化されてあげても良いよ。その代わり、」

 かさついた唇が、触れた。下唇をやんわりと食み、僅かに遠退いていく。
 ツェルが何を求めているのかは分かった。言葉のナイフで散々脅しておきながら、数分と経たずに色事を求めてくるとは忙しないやつめ。

「……おまえ、さては最初から込みのつもりで、ここ押さえたな?」
「んふふ。代金を身体で払ってもらおうかなぁって考えてたことは否定しないかなぁ?」

 濡れた服を脱いで簡素な服に着替えたのが失敗だったか。ツェルはキスを落としながらも、慣れた手付きで服を脱がしていく。
 足に触れるツェルのそれが既に微かに固くなっていて、こいつはいつから狙ってたんだろうな、と能天気なことを考えてしまった。

「余裕じゃん、エリィ」
「思考を放棄したからな」
「良いよ良いよぉ。なんにも考えられないくらい、気持ち良くしてあげる」

 ぱさり、と衣擦れがする。俺の上で素肌を晒したツェルの上半身は、妙に引き締まっている。食い入るような俺の視線に、ツェルは「頼れるのは自分の身だけだったからね」と悪戯っ子のように笑った。へらへらと笑っちゃいるが、ツェルの人生は決して楽な道のりではなかったのだろう。

「あー……エリィに見られたら興奮してきちゃったぁ」
「変態か?」
「変態かもぉ」

 けらけら笑いながら、ツェルはベッドサイドの引き出しから、小瓶らしきものを取り出した。それがなんなのか知らないふりをするほど、可愛い子ぶるつもりはない。
 何から何まで周到なこいつに、呆れるくらいは許されるだろ。

「ウチでいっちばん良い潤滑油だから」
「聞いてねえよ、バァカ」

 一番良いという潤滑油を惜しみもなく手のひらに出し、人肌にまであたためたそれを俺の尻へと塗りつけていく。粘着いた音を立てながら、ツェルの指がナカへと入ってきたことで、微かに異物感を覚えた。
 ハイドフェルト様にぶち犯されてからそれなりに経っているし、あのときは余裕らしい余裕もなく、ハイドフェルト様も必要最低限の前戯で済ませていた。アニマを飲んだ上で流血しない程度に解してくれたんだから、あの人の精神力の強さは確かなもんだろう。
 だからまあ、ツェルの前戯はハイドフェルト様とは真逆というか、こっちの負担を可能な限り減らそうという配慮がうかがえたというか────。

「~~~~~~おっまえ、しつこい……!」
「そりゃあ、愛しい愛しいエリィとのセックスなんだから、しっかり下準備をするに決まってるじゃーん?」
「程度が、あん、だろうが……!」
「まあまあ、まあまあ」

 ツェルの指使いは、必要最低限の快感を与えるにとどめて、本当に孔を解すためだけの動きだった。じわじわと熱を高められながら、決定打を与えられずにいる現状が焦れったくて仕方がない。

「ちょっとは許してよぉ。俺、大事なことほど下準備に時間かける男なんだよ?」
「っ、おまえ、俺がオネダリしてもそう言ってられんのかよ」

 へ? とツェルが目を丸くする。こいつ相手に恥も──皆無ではないが──何もない。というか、時折快感を煽る動きの所為で、身体が疼いて堪らなかった。
 今の心境をバカ正直に明かしてやるつもりはねえが、こいつが自分よりも俺を優先していることに免じて、少しくらい譲ってやっても良い。ったく、ツェルも先ほどより息を荒くしておいて、よくもまあ我慢できているもんだ。

「……おまえ、俺に入れたくねえのかよ?」

 ツェルの頬に手を添えて、口角を持ち上げながら問う。俺の言葉に耳を傾けて咀嚼をして、ツェルは一瞬で頬を真っ赤に染めた。手慣れているくせに、態度は妙に初々しいのが面白かった。

「~~~~、エリィ、ほんとそういうとこ!」
「おまえも煽られてんなよ」

 指を引き抜いて、すっかり勃ち上がったナニを尻の孔にぴたりと押し付けた。ことここに至っても、こいつは俺の様子をうかがっている。
 どうして、とは問わない。ツェルの気遣いの根底にある感情には気付かないふりをする。俺も、そしておそらくはツェルも。

「好きにして良い」

 熱くて固いそれが奥へとゆっくり入っていく。ツェルが丹念に解してくれたおかげか、痛みはほとんどなかった。
 普段は人懐っこい顔で笑うばかりの男が、俺の真上で眉を寄せながら、深く深く息を吐いている。

「動くよ?」
「……ああ」

 ゆっくりゆっくり、ツェルの腰が動き出す。くちゅくちゅと水音とベッドが軋む音、そして肌がぶつかる音が響いた。

「ッ、あっ、う、んッ!」
「ふふ……エリィったら、かーわい」
「おっま……!」

 誰が可愛いだ、誰が。腹が立ったので、意識して尻の孔のナニを締め付けてやった。俺の上で「うっ」と呻く様を見たら、少しだけ気分が良くなった。
 ふと、ツェルの目の色がぎろりと変わった、ような。それまでの余裕はどこかへ消え失せ、ぎらぎらと腹を空かせた獣のように目をしている。……これはまずったか?
 その後はもう、考え事をする余裕なんざ欠片もなかった。俺を貪る身体にしがみついて、ただひたすらに喘ぐしかなかった。

 ────好きにさせてやったのは、俺に差し出せる報酬が他に思い付かなかったからだ。
 時間があったのなら用意できたかもしれない。だが、俺には、否、コースフェルト家には時間がなかった。
 下手を打てば、俺は間違いなく破滅する。アリシア・プリムローズを相手取ったときとは、比べ物にならない危険が待ち受けているだろう。
 もしかしたら、目の前の男は俺の思惑を察していたのかもしれない。
 だからなのか、キスをしたのは一度きり。始まる前のあれだけだった。
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