悪辣と花煙り――悪役令嬢の従者が大嫌いな騎士様に喰われる話――

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9.口蜜腹剣

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・口蜜腹剣(こうみつふくけん)
 心地よい言葉をかけながら、心の中には悪意が満ちていること




 本来、汗水垂らして働かなければならない真っ昼間に、本を読みながら最高級の紅茶で喉を潤す。いやはやまったく贅沢な時間だ。
 無論、遊び呆けている訳ではない。これでも俺は、コースフェルトに降りかかる火の粉を払うため、危ない橋を渡ってまで働いているんだ。勤勉さを評価していただきたいね。
 コースフェルト家の権力を前に、決定的な証拠を見付けられず引き下がらずを得なかった騎士たちだが、疑惑の目そのものがそれた訳ではない。
 まあ、今回の件を片付ける手立てが見つかっていないのは、ウチも一緒なんだが。
 とはいえ、いつまでも手をこまねいているつもりもない。
 俺は今、騎士の目を掻い潜り、とある宝石店の商談用の個室に来ている。名目上は、気落ちしているお嬢様の憂いを少しでも晴らす為に。
 無論、欲しているのは宝石ではなく、誰の邪魔も入らない密室と時間だ。
 調度品や照明は質素ながらも質の良いもので揃えているようで、店主の高い感性がうかがえた。さすが、コースフェルト家と長く付き合っているだけのことはある。
 最後のページを捲りきった頃、飴色の扉が微かに高い音を立ててゆっくりと開いた。

「ごめんごめーん! 打ち合わせが長引いちゃってさ~」

 趣深い室内とは裏腹に、軽薄そうな声が響く。どう考えても店の関係者ではないが、こいつこそ俺が待ちかねていた人物だ。
 声の印象そのままに、軽薄さが全身から滲み出ているような男、ヴェンツェル・グリニコフがつかつかと歩み寄り、何故か正面のソファではなく、俺の横へと腰を下ろした。

「ここの店主と意外にも話が弾んじゃってさあ。若者向けにカジュアルなアクセサリーを置いてくれるって話になってねぇ」
「構いませんよ。急に約束を取り付けたのは、こちらの方ですから」

 今回の件を片付ける為には、ヴェンツェル・グリニコフの力を借りる必要があった。
 ただ、疑惑の目がコースフェルトに向いている以上、ツェルが依頼に応じるかどうか分からなかったが、こいつは「愛するエリィの為なら」なんて軽口で応じやがった。何を考えているのか分かりゃしねえ。

「こんなところまでお呼び立てして申し訳ありません」
「水臭いなぁ。俺とエリィの仲じゃん?」

 お嬢様が屋敷に留まっている以上、俺だけ一人学園に戻れば不審に思われる為、かねてより懇意であった宝石店の個室を利用することにしたのだ。当然、宝石店の店主には口止め料として、かなりの金を払っている。
 たとえ、騎士たちに怪しまれても、俺はお嬢様の為に宝石を買いに来ただけだし、ツェルはここの店主と商談に来ただけだからな。抜かりはない。

「で、俺を待ってる間、何読んでたの~?」
「『ミス・エロティカの初恋』です。庶民の女性で今流行っているロマンス小説だとか」
「エリィ、そういうの読むの!?」
「お嬢様に『読んで感想を聞かせて』と頼まれましたので」

 ぎょっとした顔で、俺と本を見比べるツェルについ溜息を溢した。好きで読む訳ねえだろうか、よりにもよってこの俺が。
 事情を理解したらしいツェルが、なんとも微妙な顔で「俺、そういうとこだと思うなぁ」と呟く。

「何がです?」
「シルヴェリオくんが、なんでエリィのこと大好きなのか」
「ほう。ぜひ、グリニコフ先輩のご見解をお聞かせください」

 清廉潔白が服を着て歩いているようなシルヴェリオ・ハイドフェルトが、どうして俺に懸想しているのか。自分で言うのもなんだが、俺の歪んだ性格のどこに惚れる要素があるのか。
 どれだけ考えても分からなかった答えを、ツェルが持っているのならば、是非とも知りたい。好かれる要素とやらが分かれば、嫌われることも可能だろうからな。

「エリィさあ、性格めっちゃくちゃ悪いし、善人か悪人ならまず間違いなく悪人だと思うけどぉ、なんかこう、ずるいって言うかさぁ」
「……そうか?」
「だって、嫌いな相手でも誰の目にも明らかな成果は褒めるし、認めるところは認めるし、否定しないで言葉にしてくれるでしょ~?」
「…………そうか?」
「そうなの。目に見える努力や結果は否定はしないんだから、そりゃあずぶっと落ちちゃうって~」

 そう言われても、まったくもって心当たりがない。覚えもない。こいつに聞いた俺がバカだったんだろうな。

「因みに、恋愛小説の感想は?」
「無事に結ばれてめでたしめでたし……だが、この後は何が起きるんだろうな」
「後?」
「物語の後だよ、後」
「そんなこと、作者が書いてないなら、何もないんじゃない?」
「だろうな。故に、腹立たしい」

 待ち時間の間の暇潰しのつもりだったが、ただひたすらに不快感を覚えただけだった。
 面白くも何ともなかったロマンス小説を脇に放る。懐に仕舞っておいた革のケースから、煙草を一本取り出して咥えた。
 傍らから、シュッという小気味の良い音。流れるような仕草で、煙草の先端に火をつけていくツェルは俺の何なんだよ、おい。

「ねぇ、エリィ。イルゼちゃんの為に身体張った理由ってさ、それ?」

 肺いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。リアの花の香りが、ふわりと部屋に広がる。
 この世界が仮想恋愛遊戯乙女ゲームとやらが元になっている、という事実を知っているのは、お嬢様と俺を除いたらツェルだけの筈だ。
 教えてやったのは、それが手を組む前金の代わりだったから。俺が影でこそこそ動く事情とやらに、ツェルが興味を持ったから。
 未だにお嬢様の話を全て信じている訳ではないが、当時は更に輪をかけて信じていなかった。
 だから話してしまったのだが、今では少し後悔している。
 この男に、弱みのようなものを握らせてしまった。今回の件に、ヴェンツェル・グリニコフが、グリニコフ商会が関わっていないという確証はどこにもない。
 俺の隣に腰掛けて、気遣わしげな顔さえしてみせるこの男は、果たして敵なのか味方なのか。
 現状、協力関係を築いちゃいるが、それは絶対の約束ではない。ツェルがもたらす利益よりも不利益の方が勝ったときには、躊躇わず切り捨てる。
 こいつが関わっている確証だってない以上、見極める為に今は手札を切るときか。

「……腹が立ったんだよ、色々と」

 お嬢様の話を聞いて最初に思ったことは、なんでこんなガキに巻き込まれて破滅しなくちゃならねえんだ、という腹立たしさ。使用人だから仕方ないのか? 冗談じゃねえ。
 そして、こんなガキが死にたくないとわんわん泣く羽目になる末路にも腹が立った。
 想像もしてみろよ、なあ。自分より四つも下の子供が死にたくないとわんわん泣いてるんだぜ。自分は王子様に殺されて、家族や使用人も巻き込まれてしまうって。
 確かに、嫉妬にかられる余り、他人を虐げることは許されないことだ。自業自得とも言える。
 だが、貴族の婚約者を奪った女に罪はひとつもないのか? 好いた男を奪おうとする女をどうにかしようと思う心は、絶対的な悪なのか?
 イルゼお嬢様や、その周囲の人間たちは誰かの筋書き通りに従って死ななければならないのか?
 そんなこと、くそ食らえだ。多分きっと、最初の原動力はそんな怒りだった。

「……俺もお嬢様も、ついでにおまえも、今、自分の頭で物事を考えて、生きている人間だ。神とやらが描いた趣味の悪い筋書きに沿って動いているつもりはさらさらねえ」
「そうだねぇ。その上、破滅すると分かっていて、神様とやらの筋書き通りに踊ってやる義理はないよねぇ。俺だってそんなのはごめんだなぁ」

 まったくもってその通り。そして、俺は破滅とやらを回避する為に、プリムローズ家を破滅へと追い込んだ。
 だが、コースフェルトの代わりにプリムローズ家を破滅させただけで終わるとは思っちゃいねえ。
 何せ、お嬢様の言う仮想恋愛遊戯乙女ゲームは一年も続く予定なのだ。俺が作者なら、結末を迎えるその日までに何としても修正しようとするだろう。ならば、修正しても間に合わないほどに貶めてやりゃあ良い。

「神のシナリオから大きく逸脱させること。それが、俺の当面の目的だな」

 すっかり短くなった煙草を、テーブルの上の灰皿に押し付けた。華やかな花の香りは徐々に、だが確かに薄れていく。
 話がそれすぎた。のんびり与太話に興じている暇なんてねえってのに。

「コースフェルト家に何が起きたか、耳の早いあなたなら既にご存知でしょう」
「んふふ。そこはもちろん。エリィが大っ嫌いなシルヴェリオくんとデートしたこともばっちりぃ」
「……その不快な認識は即刻改めていただたい」
「俺ともデートしてくれたら良いよぉ」
「機会があれば、そのときは」

 約束だよ、とツェルが笑う。そして、拳一つ分空いていた距離をさらに詰めてきた。吐息が肌を撫でるほどの近さで、そっと囁く。

「……これ、関係あるか分かんないんだけどさあ────子供が誘拐されまくってるって噂があんの」
「子供が、誘拐されている?」
「そうそ。しかも、孤児や田舎の方の子供が主にねぇ」

 なるほど、孤児院に引き取られる子供の数が減った原因はそれか。
 狙われているのは、誰かが声を上げたところで中枢には届かず、消えたところで痛くも痒くもないような最底辺の子供ばかり。
 お上に届くにはさらに被害者が増えるか、貴族かそれに近い地位の人間の子供がさらわれてからだろう。
 社会的弱者を食い物にするやり方は不快だが、俺に子供を救えるほどの力はないし、自分の力で救えもしないくせにお綺麗な言葉を連ねるほど厚顔でもない。誘拐されたガキには悪いが、その件はひとまず放置だな。

「その噂と同時期かなぁ。コースフェルトの人身売買の噂も、あっちこっちで聞くようになったんだよねぇ」
「まるで、子供の誘拐とコースフェルトの人身売買を結び付けようとしている、悪意ある誰かの影が見え隠れするようですね」
「俺も同感。あまりにもタイミングが良すぎるんだよねぇ。最初は気にしてなかったけど、こんな事件が起きちゃうと、もしかして誰かが故意に流したかなぁって、気になっちゃって気になっちゃって」

 目の前に差し出された、一通の手紙。封は既に開けられている。
 差出人の名は、イライアス・クライン。確か、子爵位を賜っている貴族だったか。

「コースフェルトの方は分からないんだけどぉ、子供を誘拐するよう指示を出している……かもしれない人物」
「クライン子爵が?」
「昔っから、領の規模の割りにでかい金額のブツを隣国から仕入れてるって、同業の間では噂になってたんだよねぇ」
「隣国から、仕入れていた?」
「生きた子供だよ」

 ツェルの声から、軽薄さが消え失せた。噂と言ってはいるが、おそらく商人の間では確証に近い情報なのだろう。
 貴族位を賜っていたとしたも、クライン子爵は所詮は下位の貴族だ。公爵家や王族との関わりなど皆無と言っても良い。クライン子爵の噂が、今日に至るまで耳に入らなかったのも道理だ。
 ……いや、もしかしたら、旦那様の耳には入っているのかもしれないが。入っていて、今日まで放置していた可能性も捨てきれない。コースフェルト公爵は、人の悪性を摘出するのではなく、上手く管理することを良しとする人だからな。

「で、最近になってお買い物がぴたりと止んだワケ。金が尽きたのかなあって思ってたんだけど……」
「国外の子供を買う金がなくなり、国内の最底辺の子供に手を出し始めた、と?」
「あくまでも、可能性ね可能性。この短期間じゃあ、確証に足る情報はさすがにねぇ」

 いや、俺だけだったら、クライン子爵に辿り着くにはかなりの時間を要しただろう。
 クライン子爵が、コースフェルトを陥れようとしているかは分からない。
 だが、子供を誘拐するよう指示を出している確証さえ得られれば、後はどうにでもなる。最悪、コースフェルトに罪を擦り付けようとした犯人に仕立て上げれば良いんだからな。

「それで、さっきの話に戻る訳だけどぉ、俺とデートしてくれるんだよねぇ?」
「……は?」

 にっこりと満面の笑みを浮かべたツェルが、俺の顔を覗き込んでくる。
 普段は胡散臭い印象が先立つ男だが、こうして無邪気に笑っている様を見ると、顔立ちの良さが分かるな……って、そうじゃねえ。は? デート? なんでそんな話になる?
 俺の心の声を読んだかのように、ツェルは言葉を続けた。

「二日後、クライン子爵主催の夜会があるんだよねぇ。招待状を受け取った人間のみが参加できる秘密のパーティー」
「────まさか」
「んふふ、そのま、さ、か! グリニコフの兄弟の中にクライン子爵と懇意の奴がいて、譲ってもらっちゃったぁ!」

 俺の手元にあるこの手紙はただの手紙ではなく、クライン子爵主催の夜会の招待状か!
 呆然としている俺に、「高かったんだよぉ、この招待状」とツェルが自慢気に笑う。
 ああ、笑い出したい気分だ。相変わらず、最高の手札を寄越してくれる男だよなァ、おまえは!

「さて、エリィ。俺ともデートしてくれる?」
「ええ。どこへなりともお付き合いしますよ、グリニコフ先輩。なんでしたら、女装でもなんでもいたしますよ」
「マっジで!? 高い金払った甲斐があったぁ!」

 既に、小部屋に入ってから一時間以上になる。これ以上はさすがにまずいだろう。店主にも迷惑をかけているしな。
 二日後の計画を簡単にまとめ、そろそろ部屋を後にしようと腰を上げかけたとき、ツェルが待ったをかけた。最後に確認しておきたいことがあるのだと言う。

「イルゼちゃん以外にも、神のシナリオとやらを知ってる人がいる可能性は?」
「さて、グリニコフ先輩を除くといない筈ですが……皆無だとは思っておりません」

 お嬢様のように、前世の記憶とやらを持っている人物が他にいたとしてもおかしな話ではない。シナリオとやらを把握しているだけなら、気にすることもないのだが、問題は把握した上で行動を起こそうとするクソの方だ。
 プリムローズに成り代わろうとする身の程知らずか、或いは神のシナリオを絶対視する狂人か。

「なぁ、ツェル。おまえなら、自分の目的を邪魔するクソ野郎を見つけたらどうする?」
「エリィってば悪い口ぃ」

 ツェルは笑っていた。軽薄に酷薄に。奴の目は、ちっとも笑っちゃいない。
 愛や友情不確かなものに振り回されることく、目に見える利益を優先する男の顔だ。利益を奪わんとする存在を前にして、ツェルは何を選び取るのか。

「思惑を見定めて、一時的にでも手を組めそうなら手を組んで、難しいようなら────真っ先に、排除するよ。徹底的に、情け容赦なく、後の禍根にならないように」
「ハッ! まったくもって同感だ」

 話をしてみても、ツェルが敵に回ったのか味方なのか確証は得られなかった。
 コースフェルトの敵に回っておきながら、グリニコフの兄弟に大金を支払って招待状を手に入れるとは思えないが、確証と言い切ってしまうには些か弱いな。できれば、敵に回したくねえんだが。


 ◇


「エリアーシュ! ああ、良かった……」
「お嬢様、今度はどうなさいました?」
「ハイドフェルト様がいらっしゃったの。それがあまり機嫌が良くないというか、お怒りのご様子で、あなたを出せって……」

 屋敷に戻るや否や、お嬢様が駆け寄ってきた。部屋で待っていれば良いものを、お嬢様は俺の帰りを今か今かと待ちわびていたのだろう。
 顔色を悪くするお嬢様の様子から、ハイドフェルト様の尋常ならざる様子がうかがえた。

「それはそれは」

 さて、どういったご用向きだろうか。まさか、俺がヴェンツェル・グリニコフと逢い引きした情報でも掴んだのだろうか。それとも、二週間前の仕込みが発動した頃合いだろうか。
 何にせよ、ハイドフェルト様がどんな顔をしているのか想像するだけで、口許がついつい緩みそうになる。家令にでも見られてみろ、「三大公爵家が一角の使用人としてはしたがない」とお叱りを受けてしまう。

「ようこそいらっしゃいました、ハイドフェルト様」
「ッ、どういうつもりだ!」
「どういう、とは?」

 ハイドフェルト様がお待ちになっている客間へと入るや否や、挨拶代わりに胸倉を掴んできやがった。おいおい、ハイドフェルト公爵家嫡男にあるまじき振る舞いだぞ。
 普段の俺だったら、皮肉のひとつやふたつぶつけているところだが、俺は今、最高に気分が良い。この男に、こんな顔をさせているんだからな。
 幸いにして、客間には俺とハイドフェルト様のふたりきり。固く閉ざされた扉は、俺が出てくるまで決して開けないよう頼んである。

「────父上が、俺に婚約の話を持って来た」

 緑の瞳に憤怒の炎を揺らめかせ、ハイドフェルト様が告げた言葉。
 そうかそうか、そいつは目出度いなァ?
 腹を抱えて笑い出したいところを何とか堪え、一使用人として、そして一人の知人として、相応しい台詞を舌に乗せる。

「左様でございますか。それはおめでとうございます」
「惚けるなッ! おまえが裏で手を引いたんだろう!」
「何故、一介の使用人風情の私が?」
「ッ、この婚約は、コースフェルト家が仲介したと聞いた。コースフェルト公爵が、他家の婚約話に首を突っ込んで何になる?」
「だから、私が何かしたのか、と」

 自業自得とは言え、ずいぶんと論理が飛躍しすぎてやしないか?
 コースフェルト家に何らかの利益があるのなら、旦那様は他家の婚約話に首を突っ込むようなお人なんだが、言ったところでハイドフェルト様は聞き入れやしねえだろう。

「既に、父上とコースフェルト公爵、相手方が書簡で話を進めていた。実際に話が持ち上がったのは、何と2週間前……プリムローズ嬢の一件から2日ほど経った頃らしい」
「それはそれは」
「あまりにも迅速で、どこにも穴がない。おかしいだろう、まるであらかじめ決まっていたかのように、相手の令嬢の調書まで上がっていた」
「左様でございますか」
「────おまえだけが高笑いすることもない。だからこそ、おまえが入れ知恵したとしか思えない」

 論理としては、あまりにもお粗末だ。飛躍しすぎているし、俺が関わった証拠もない。もはや、ただの勘と言うべきだろう。
 だが、腹を抱えて笑い出したいくらいには面白かった。だって、その勘は見事に当たっている訳なんだからな?

「コーレイン辺境伯は、隣国との国境警備を任されている名家です。此度、コルデーの流入を防げなかったことに、心を痛めておいででした。今後は、更なる警備強化を図るとともに、中央との連携を望むべく、王の信が厚いハイドフェルト公爵嫡男との婚姻を望むのは、何らおかしな話ではないかと存じます」
「ああ。おまえにとっては悪巧みでも、国にとっては名案だからな」
「悪巧みとは人聞きの悪いことを仰る。私はただ、旦那様にコーレイン辺境伯令嬢の調書をお渡ししただけです」
「……最悪な入れ知恵だ。穴がなさすぎて、そう簡単に崩せない」
「畏れ入ります」

 ふと、ハイドフェルト様の手が緩んだ。しわくちゃになったシャツに溜息をつきたくなったが、俺はできる使用人なので堪えた。
 ハイドフェルト様はうつむいていて、その表情は分からない。俺を殺したいほど憎んだか、或いは好いた相手に引導を渡されて悲しんでいるのか。どちらでも良い。どちらだろうと、俺にとっては上々な結果であることには変わりない

「……最初から、あの女を俺に宛がうつもりだったのか」
「いいえ。最初は、王太子殿下の次の婚約者として、仲立ちするつもりでした」

 仮想恋愛遊戯乙女ゲームとやらは結末を迎えればそれで終わりかもしれないが、生きている限り世界は続いていく。
 お嬢様の言う破滅エンドを回避したとしても、この国は明日もその先も存続するのだ。

「当初の予定では、王太子殿下とイルゼお嬢様の婚約は破棄されるという結末でした。もちろん、コースフェルトに何の咎めもなく」

 リチャード殿下とお嬢様の婚約は、国益を見据えてのもの。個人的な感情で婚約を解消することなどほぼ不可能だ。それこそ、国を揺るがす醜聞でも起こさない限りは。
 アリシア・プリムローズがもっと聡明な女だったら、俺ももう少し違う方法を取ったかもしれない。だが、あの女はどうしようもないほど愚かだった。
 殿下とあの女を利用して、コースフェルトに何の咎めもなく婚約を破棄する計画を、思い付いてしまうほどに。
 無論、あの愚かしさは度しがたい。あんな女を正妃にすることなど、現王は決して許さないだろうと思っていた。ならば、代わりの女が必要になるのは当然だろう。

「殿下の輝かしい栄光に翳りが差したとしても、それは些細なこと。あの方が次代の王であることに変わりはない。相応しい妻を迎えていただく必要がございました」
「そこで、辺境伯か」
「はい。コルデーの流入を防げなかった辺境伯の娘と、コルデーを入手した女に現を抜かした王太子殿下。どちらも、共にコルデーによって人生を狂わされたのです。物語性もあって、民衆のウケも良いでしょう?」

 想定外だったのは、思ったよりも俺に堪え性がなかったことか。
 リチャード殿下とあの女が仲睦まじくしている様を見て、涙するお嬢様が哀れでならなかった。どうして、いるかどうかも分からない神とやらの筋書きに従わねばならないのかと、腹も立った。
 結果として、お嬢様の代わりにヒロインを破滅させてやったものの、殿下とお嬢様の婚約は継続している。
 お嬢様の本心はリチャード殿下を慕っている訳なのだから、婚約破棄はもう諦めた方が良いと思うんだが。
 さて、それはそれとして、リチャード殿下とお嬢様の婚約が続く以上、目をつけていた代わりはどうするか、ということになる。

「辺境伯令嬢の手札を後生大事に取っておきたいところですが、女性には時間制限がございます。手札を手放すか、或いは使うかを考えて……」

 辺境伯令嬢の意志を無視し、まるで道具か何かのように利用するやり方は非難されて然るべきだ。人でなしという誹謗も甘んじて受けようとも。
 だが、俺には手段を選べるだけの力がない。歪んだ人間だと自覚しているが、国と民の不幸を願うほど歪んじゃいねえ。
 実際、コーレイン辺境伯は中央との繋がりを欲していた。先の一件を経て、国は国境警備により力を入れたいと考えていた。
 ハイドフェルト公爵とコーレイン辺境伯のつながりは、国と辺境伯どちらの望みも叶える良策だった。
 そして何より、と俺は悪辣に笑んだ。

「────どうしようもないほど欲しい相手に、引導を渡される気分はどうだ?」

 俺自身の利益になり、国益にも繋がると分かっていて尚、この俺がコーレイン辺境伯令嬢個人の意志を、ハイドフェルト様個人の意志を尊重するとでも?
 貴族が何のために裕福な生活を送っているか、理解していないとは言わせない。
 俺たち平民の血税を搾取しておいて、責任を果たしもせずに、やりたくないからやらないなんて、子供の駄々が許されるとでも思っているのか。
 それはそれとして、貴族の責務云々はお嬢様にも言えることなんだが。いつまでも子供の駄々をこねられても困る。さっさと、腹を決めてくれねえかな。

「……それほど」
「なにか?」
「それほどまでに、俺が疎ましいか」

 ああ、疎ましいとも。高みに座しているお貴族様やお綺麗な騎士様が、腹の足しにもならねえ空っぽな理想を口にする様が、俺は心底腹立たしい。
 制度も追い付いていない、民の価値観も変わっていない、そして理想を口にするばかりで具体的な行動を示さない相手に、どうして好感を抱ける?
 もっとも、俺のこれは性格の歪みとか、僻みや妬ましさからきた、歪んだ考えであることも分かっちゃいる。そのうち、後ろから刺されても文句は言えねえな。
 だが、俺は笑みを浮かべるにとどめた。それなりに付き合いのある、ハイドフェルト様への最後の情けだ。

「あなたの為でもあるのですよ、ハイドフェルト様。コーレイン嬢は、人格と教養どちらも不足のない、立派なご令嬢です。あなたが望む、愛とやらにも応えてくださることでしょう」
「性悪め」
「恐縮です」

 俺が、ハイドフェルト様と手を組むことは、この先何度かあるかもしれない。だが、俺がこの人に好意を持つことは天地がひっくり返ろうとも有り得ないと断言できる。
 ハイドフェルト様の感情は不毛だ。ならば、お望みの愛とやらに応えてくれる相手と一緒になった方が、遥かに生産的だろう。
 なあ? 国にも、俺にも、そしておまえにとっても利益になる。丸く収まる。
 だが、ハイドフェルト様は頷かなかった。仇敵でも見るような顔で俺を睨み、言う。

「良いだろう。おまえがその気なら、こちらにも考えがある」


 ────それは、さながら宣戦布告だった。
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迷路を跳ぶ狐
BL
 悪逆の限りを尽くした公爵令息を断罪しろ! そんな貴族たちの声が高まった頃、僕の元に、冷酷と恐れられる王子がやって来た。  その男は、かつて貴族たちに疎まれ、王城から遠ざけられた王子だ。昔はよく城の雑用を言いつけられては、魔法使いの僕の元を度々訪れていた。  ひどく無愛想な王子で、僕が挨拶した時も最初は睨むだけだったのに、今は優しく微笑んで、まるで別人だ。  出会ったばかりの頃は、僕の従者まで怯えるような残酷ぶりで、鞭を振り回したこともあったじゃないか。それでも度々僕のところを訪れるたびに、少しずつ、打ち解けたような気がしていた。彼が民を思い、この国を守ろうとしていることは分かっていたし、応援したいと思ったこともある。  しかし、あいつはすでに王位を継がないことが決まっていて、次第に僕の元に来るのはあいつの従者になった。  あいつが僕のもとを訪れなくなってから、貴族たちの噂で聞いた。殿下は、王城で兄たちと協力し、立派に治世に携わっていると。  嬉しかったが、王都の貴族は僕を遠ざけたクズばかり。無事にやっているのかと、少し心配だった。  そんなある日、知らせが来た。僕の屋敷はすでに取り壊されることが決まっていて、僕がしていた結界の魔法の管理は、他の貴族が受け継ぐのだと。  は? 一方的にも程がある。  その直後、あの王子は僕の前に現れた。何と思えば、僕を王城に連れて行くと言う。王族の会議で決まったらしい。  舐めるな。そんな話、勝手に進めるな。  貴族たちの間では、みくびられたら終わりだ。  腕を組んでその男を睨みつける僕は、近づいてくる王子のことが憎らしい反面、見違えるほど楽しそうで、従者からも敬われていて、こんな時だと言うのに、嬉しかった。  だが、それとこれとは話が別だ! 僕を甘く見るなよ。僕にはこれから、やりたいことがたくさんある。  僕は、屋敷で働いてくれていたみんなを知り合いの魔法使いに預け、王族と、それに纏わり付いて甘い汁を吸う貴族たちと戦うことを決意した。  手始めに……  王族など、僕が追い返してやろう!  そう思って対峙したはずなのに、僕を連れ出した王子は、なんだか様子がおかしい。「この馬車は気に入ってもらえなかったか?」だの、「酒は何が好きだ?」だの……それは今、関係ないだろう……それに、少し距離が近すぎるぞ。そうか、喧嘩がしたいのか。おい、待て。なぜ手を握るんだ? あまり近づくな!! 僕は距離を詰められるのがどうしようもなく嫌いなんだぞ!

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