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第18話
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フェリンツ伯爵主催の夜会。
真新しいドレスに身を包んだミリアは、最後の仕上げとばかりに髪を結い上げられている。
黒髪とは対照的な銀箔をまぶしたドレスは、いくつものレースを何層にも裾に纏い、その分上半身側を飾り付けを極端に少なくし、生地の良さとミリアのスタイルのみが分かるようにしている。その結果、ドレスの重量は驚くほど軽く、長時間着ていても貧弱なミリアでも耐えられるようにしている。やっと肉が付き始めたとはいえ、まだまだ細身ながら出るところは出ているミリアの体型はまだまだ少女らしさを醸し出している。まだ学生の身分であるミリアがあまり華美かつ露出が多い服装は立場にふさわしくないので、襟ぐりは胸元を露出するようなことはない。上からのぞき込んでようやく見えるか…くらいだ。
すると、エスコートの任を請け負ったルッツが到着したとの報が入る。
浮足立つも、まだ仕上がっていませんとルーミアに厳しく窘められてしまった。
そんな様子に他の侍女もクスクスと笑う。
ここ数か月で、ルーミア以外の侍女や使用人とも大分打ち解けてきた。以前の『ミリア』なら笑われれば激怒しただろうが、今のミリアはそんなことで怒るどころかむしろ一緒になって笑ってしまう始末だ。そんな親しみやすさが使用人たちの間でも好評だ。
髪が仕上がり、許可が下りたミリアははやる心を抑えてルッツのもとへと向かう。
階段を降り、玄関へと降り立つとそこには盛装したルッツが父と会話していた。
今日のルッツは漆黒のスーツに身を包んでいるが、美しい光沢を放っており、黒の重さを感じさせない。銀の髪も後ろになでつけ、普段とは違う雰囲気にミリアの心が高鳴る。
「お待たせいたしました。ルッツ、こんばんは」
淑女らしくスカートの裾をつまんでルッツへの挨拶を行う。
しかし、こちらを向いたルッツはそのまま固まり、顔は表情が凍り付いたかのように動かない。
その硬直に不安になってしまうが、しかし父に小突かれるとすぐに硬直から抜け出し、頬を赤く染めながらもまっすぐにミリアを見つめる。
「あ、ああ、ミリア、こんばんは。……とても綺麗だ」
飾り気のない、まっすぐな誉め言葉にミリアの頬も赤く染まる。
そんな娘の様子に、小突いた父が憎らし気にルッツを見据える。
が、ミリアしか目に入らないルッツがそれに気づくことは無い。
「どうぞ、俺のお姫様」
ルッツが差し出した手に、ミリアは嬉しそうに自分の手を乗せた。
「では、お先に失礼します」
ルッツとミリアはロード家の馬車で向かう。
ミリアの父と母は後から来るそうだ。
「ああ、娘を頼んだぞ。…もしも余計なことをすれば…」
「あら、余計なことって何かしら、ルッツ?」
父の不穏な言葉を遮り、ミリアは嬉しそうにルッツ尋ねた。
「さぁ、何だろうな。娘さんをください、か?」
「それ、私に言ってもしょうがないじゃない」
「それはそうだな。ちゃんとカースタ侯爵に許可を…」
「いいからさっさと行きなさい!」
それ以上は聞きたくないと父が声を荒げる。
これ以上揶揄ったら本気で怒られてしまうと、二人は逃げるように屋敷を後にし馬車へと乗り込む。
二人がいなくなり、静けさが戻った玄関。
馬車を見送った父のもとに妻が歩み寄る。
「もっと落ち着いて見守ってあげたら?」
「…だがな、あいつは今まで…」
「今までは、でしょ?それに、それこそ今までは『ミリア』からの婚約だったけれど、今はルッツ君からなのよ?これからは違うわ」
二人が消えた先を、妻は優しく見守っていた。
その様子に、父は少し目が険しくなる。
「ずいぶんとあいつの肩を持つんだな?」
「だって似てるんですもの」
「似てる?誰に?」
「ふふっ、さぁ、誰かしらね」
妻は微笑んではぐらかす。
こうなってはもう絶対に言わないのを知っている父は、やれやれと息を吐いた。
(あなたにそっくりなのよ。ルッツ君の持つ目の光は)
妻であり母でもあるリリアと、娘であるミリア。ミリアが生まれ変わった以上、身体は血縁でも心は違う。なのに、惹かれる男性の好みが一緒なのはやはりこの一年で親子としての関係が芽生えたからなのか。
かつては見られなかった、ルッツの目に宿る光と熱。ふと見上げ、愛しい夫の目をのぞき込めば、少しその光と熱が乏しい。
しかし、夫はその目を愛しい妻に向けた瞬間、目に光と熱が宿る。子供たちがいないこの瞬間、二人は夜会へ父と母としてではなく、男と女として向かう。
妻の手を取り、その手に口づけをする。
その行為を嬉しそうに眺めた妻は、自ら一歩を踏み出し愛する夫へと体を寄せる。
いつまで経っても仲睦まじいままの二人を、執事長は優し気に見守っていた。
***
会場へと到着したミリアとルッツは、ルッツのエスコートで会場入りする。
かつての婚約者、しかし今ではもう婚約者でもない二人が連れ立って会場に来たことにざわめきが広がる。
特にミリアはデウスからも求婚を受けていた。
その彼女が、デウスではなくルッツにエスコートされてきたことで、いよいよもって噂が真実味を帯びてきていた。
さらにその後に、デウスがフィーネをエスコートして会場入りした。
今まで特定の令嬢をエスコートしてこなかったデウスが、それもことごとく王妃候補を避けてきたのにここにきてフィーネをエスコートしてきたのは大きい。
こうなると、取り入ろうと画策しようとするものは俄然忙しくなる。
挨拶を済ませたミリアとルッツは、二人でドリンクを手に談笑している。
ルッツに声を掛けてきた学友たちがいたが、「ミリアを口説き落とすのに忙しいんだ」と真顔で言われ、冷やかしの声と共に彼らは人ごみへと消えていった。
「よかったの?」
「言っただろう?君を口説き落とすのに忙しいんだ」
「あら、口説かれてたの?気づかなかったわ」
カラカラと笑うミリアに、ルッツはわずかな悲観の色も見せない笑顔で応じる。
実際、ルッツは気づかなかったというミリアの言葉をまともに受け止めていない。
傍目から見ればミリアがルッツを弄んでいるように見えなくもないが、もちろんそんなことはない。むしろミリアの言葉は、ルッツがこの程度で落ち込むことは無い信頼故だ。
そしてルッツも、ミリアへの気持ちが本物だからこそその程度の言葉で揺らぐことはない。それに、ミリアが本気でそう言っているわけでもないこともわかっている。
むしろ、このくらいのじゃれ合いができるようになったことに嬉しさすらある。
時が進み、主催であるフェリンツ伯爵夫妻のダンスが始まる。
それが終わればいよいよダンスの時間となる。
デビュタント以降も体力づくりを続けてきたミリアは、ようやく普通のステップを踏めるくらいには体力がついてきた。しかし、踊れて2曲が限界だ。
ルッツのエスコートでホールへと導かれ、二人は手を取り合った。
繋がれた手から伝わる安堵感。
心から受け入れてくれる相手に、ミリアの顔が綻ぶのは無理もない。
そんなミリアの笑みに、ルッツの顔も綻ぶ。
そんなルッツの笑みに貴婦人がたの黄色い声が上がるが、当の本人はおろかミリアすら気にしていない。
やっと覚えたミリアのステップはたどたどしいが、それをルッツは全身全霊をもって導いていく。
この至福の時間が永遠に続けばいい、そう思った。
しかし、その時間は唐突に終わりを迎える。
誰かが倒れる音がした。
そちらに会場中の視線が向くと、そこには倒れて尻もちをついた華やかなドレスに身を包んだ令嬢と、その令嬢を黙って見下ろす黒髪黒目の令息…アーノルドがいた。
一体どうしたのか。
何かの不注意で転倒してしまったのか。しかしそれなら、アーノルドはすぐに令嬢に手を差し伸べ、立たせてあげるべきだ。が、アーノルドにそんな素振りは見られず、すると令嬢が自ら立ち上がった。
「っ!!」
すると令嬢は、途端にアーノルドに背を向けてバルコニーへと走り去ってしまった。
アーノルドはその令嬢を追うことも何もせず人ごみに消えていく。
「…何があったのかしら」
「……さぁ、な」
不思議そうに呟いたミリアに対し、わからないと返事をしたルッツだがその表情は明らかに苦い。何か知っている、そう思ったミリアは顔を寄せて聞き出そうとした。
「ねぇルッツ?」
「…なんだミリア、キスか?」
思わぬ言葉にミリアは今の状態を理解する。
秘密話のつもりで顔を寄せただけだが、その距離は思った以上に近かった。
あと一歩踏み出せば触れてしまう。唇と唇が。
ルッツのどんな甘い言葉もさらりと流してきたが、自らの行動が原因とあってはさすがに動揺し、いつものように流せなかった。
「ち…がうわ…」
「なんだ、残念」
動揺して顔を赤くし、俯くように呟いた言葉に、ルッツの楽し気な声色。
俯くミリアの普段とは違う反応に、ルッツは嬉しくなってくる。
自分の好意を受け止めてくれ、そのうえで軽口を返してくれる普段のやりとりももちろん楽しい。けれど、こういった反応が返ってくれるのは、しっかり自分を異性として意識してくれている証拠だ。そう思えば嬉しくなってしまうのは仕方が無いこと。
それはそれとして、ミリアは自分に何かを聞きたがっていた。その話に戻すことにした。
「で、どうした?」
「どうしたって……何が?」
いきなり話を戻したルッツに対し、ミリアは未だに動揺しっぱなしでまだ戻ってこれてなかった。
「だから何か聞こうとしたんじゃないか?」
そう言えば、俯いていた顔を上げたミリアはその表情を恨めし気な目つきに変えていた。
けれど未だに顔は赤いから、こんな表情をさせるのも自分だけだとなおさらルッツを喜ばせるだけだ。
「分かってたんなら変なこと言うんじゃないわよ」
「期待してもいいじゃないか」
「…まだ早いわよ、バカ」
そんな返事をすればますますルッツを喜ばせることになるのにまだミリアは気づかない。
いずれは『する』と宣言してしまっているということに。
ニヤニヤが収まらないルッツに、もうこれ以上余計なことは言わないほうがいいと判断したミリアは本題に戻した。
「とにかく。…ルッツはあの令嬢に何があったのか、分かっているの?」
「……予想は、な。今までも何度かあったから」
「どういうこと?」
今日は初めてではないらしい。
「問題は令嬢ではなく、アーノルド様のほうだ」
「…そうなの」
なんとなく予想していたことだ。そもそも、貴族の令息たるもの、令嬢には手を差し伸べエスコートするのが義務。にもかかわらず、倒れた令嬢が自力で立ち上がったのだけでも異様な光景だ。
「聞いた話だが、アーノルド様のダンスはリードがとても強引らしい。ダンスは確かに男性側がリードするものだが、だからといって女性側のリズムを乱していいものじゃない。リードはしても、お互いの息を合わせることが大切だ」
「ええ、そうね」
まだ簡単なステップしかできないミリアとはいえ、そのくらいは分かる。
今日のダンスも、ルッツがリードしてくれているが、ミリアを気遣っているのがちゃんとわかる。
「ダンスが得意な女性ならなんとかついていけるだろう。しかしダンスが不慣れだったり、そもそもドレスで動きがたいのだからそれを考慮するのは男性側の最低限の配慮だ。それがアーノルド様には無い」
断言するルッツの言葉は、同じ男として女性への配慮が足りないことへの不満を滲ませていた。獅子のような雰囲気を見せる彼だが、ミリアへ触れる手は肉球のごとく柔らかく接してくれる。
「令嬢たちの間ではそういった話は広がりやすい。国外へ行く前にはほとんどアーノルド様にダンスを申し込む令嬢はいなかった」
「…お兄様からダンスを申し込まれたらどうするの?」
ミリアの兄であるアーノルドは、カースタ侯爵家の嫡男だ。
資産家にして財務大臣を父にもつ、侯爵家の嫡男。それでいて学園主席を維持し続ける成績優秀さもあり、見目もいい。狙う令嬢は多い。…はずだった。
「断る令嬢もいたらしい。ついていけず転倒しても、倒れたお前が悪いと面前で恥をかかさせるんだから」
「それはひどいわね…」
今の令嬢もそうなってしまった一人ということである。
「2年ほど国外に出たことで、多少は改善されたかと思ったけど…そんなことはなかったようだな」
「そのようね。あれで他国でやってけたのかしら?」
「…わからないが、あれで仕事は優秀らしい」
それが自分の兄なのだと思うと、ミリアの心境は複雑だ。
嫡男である以上、アーノルドには世継ぎの義務がある。ということは、何としてでもパートナーを見つけなければならない。だが、これではパートナー選びは困難を極めるだろう。
「お父様も大変そうね」
「だな。ところで、まだ踊れそうか?」
「…ええ、まだいけるわ」
「じゃあ」
音楽に乗り、繋がれた手からステップが始まる。相も変わらず優しく包み込んでくれる手が、向けられる表情が、自らを包み込んでくれる腕が、そのすべてで至福を感じる。
その至福が、自分の体力のせいで限られているかと思うともどかしい。
「ミリア」
「えっ?」
不意に名を呼ばれ、きょとんとした瞬間にルッツの顔がより、頬に一瞬だけ柔らかな感触を感じる。それがキスだと気づいた瞬間、ミリアの頬が一気に朱に染まる。
「…卑怯よ」
「卑怯?何が?」
いきなり卑怯呼ばわりされてもルッツに心当たりはない。
「私からは届かないのよ」
「…ああ、なるほど」
納得がいったとルッツはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
ミリアとルッツに身長差はそこそこあり、背伸びしてもルッツの頬には届かないのだ。ルッツを屈ませなければならない。しかし屈ませるということは予告しなければならないということだ。それでは今のルッツのように不意打ちですることができない。
「なら、これでどうだ?」
そう言い、ルッツが器用に屈む。が、だからといってミリアが「じゃあします」かと言えば、もちろんそんなことは無い。むしろ、そんな催促を受ければ正反対のことがしたくなるのがミリアだ。
「えい」
「…いたひ」
近づいた頬に手を伸ばし、その頬をつまむ。
ルッツは痛そうにしているが、指先でつまんだ程度だ。痛いわけがない。
そんなじゃれ合いに、ミリアの頬の朱も収まり、その表情は先ほどのルッツと同様、いたずらっ子の笑みがある。
「誰がしてあげるなんて言ったかしら?」
「……そうだな、確かに君は言ってないな」
そのとおりよ、と言ってミリアは手を離した。
詰まられた頬をさすり、ルッツも苦笑いを浮かべた。
「思い通りにならないお姫さまだ」
「あら、失望した?」
「全然。むしろ燃えてきた」
苦笑いが一転、狩人の笑みに変わる。
その笑みに見とれ、ミリアの頬はほんのり赤く染まる。
どこまでも受け入れてくれるルッツに、ミリアの胸に抱く想いは徐々に大きくなっていく。
夜会も終盤に差し掛かり、そろそろ最後の一曲…というところでざわめきが起こる。
何のざわめきかとミリアが視線を巡らせると、それはアーノルドがさきほどとは違う令嬢を伴ってダンスホールに進んできていたからだった。
一体どちらが誘ったのか。しかし、令嬢の方は見るからに気が強そうで、その歩みはやけに堂々としている。
何かが起きる……ミリアはそう直感した。
真新しいドレスに身を包んだミリアは、最後の仕上げとばかりに髪を結い上げられている。
黒髪とは対照的な銀箔をまぶしたドレスは、いくつものレースを何層にも裾に纏い、その分上半身側を飾り付けを極端に少なくし、生地の良さとミリアのスタイルのみが分かるようにしている。その結果、ドレスの重量は驚くほど軽く、長時間着ていても貧弱なミリアでも耐えられるようにしている。やっと肉が付き始めたとはいえ、まだまだ細身ながら出るところは出ているミリアの体型はまだまだ少女らしさを醸し出している。まだ学生の身分であるミリアがあまり華美かつ露出が多い服装は立場にふさわしくないので、襟ぐりは胸元を露出するようなことはない。上からのぞき込んでようやく見えるか…くらいだ。
すると、エスコートの任を請け負ったルッツが到着したとの報が入る。
浮足立つも、まだ仕上がっていませんとルーミアに厳しく窘められてしまった。
そんな様子に他の侍女もクスクスと笑う。
ここ数か月で、ルーミア以外の侍女や使用人とも大分打ち解けてきた。以前の『ミリア』なら笑われれば激怒しただろうが、今のミリアはそんなことで怒るどころかむしろ一緒になって笑ってしまう始末だ。そんな親しみやすさが使用人たちの間でも好評だ。
髪が仕上がり、許可が下りたミリアははやる心を抑えてルッツのもとへと向かう。
階段を降り、玄関へと降り立つとそこには盛装したルッツが父と会話していた。
今日のルッツは漆黒のスーツに身を包んでいるが、美しい光沢を放っており、黒の重さを感じさせない。銀の髪も後ろになでつけ、普段とは違う雰囲気にミリアの心が高鳴る。
「お待たせいたしました。ルッツ、こんばんは」
淑女らしくスカートの裾をつまんでルッツへの挨拶を行う。
しかし、こちらを向いたルッツはそのまま固まり、顔は表情が凍り付いたかのように動かない。
その硬直に不安になってしまうが、しかし父に小突かれるとすぐに硬直から抜け出し、頬を赤く染めながらもまっすぐにミリアを見つめる。
「あ、ああ、ミリア、こんばんは。……とても綺麗だ」
飾り気のない、まっすぐな誉め言葉にミリアの頬も赤く染まる。
そんな娘の様子に、小突いた父が憎らし気にルッツを見据える。
が、ミリアしか目に入らないルッツがそれに気づくことは無い。
「どうぞ、俺のお姫様」
ルッツが差し出した手に、ミリアは嬉しそうに自分の手を乗せた。
「では、お先に失礼します」
ルッツとミリアはロード家の馬車で向かう。
ミリアの父と母は後から来るそうだ。
「ああ、娘を頼んだぞ。…もしも余計なことをすれば…」
「あら、余計なことって何かしら、ルッツ?」
父の不穏な言葉を遮り、ミリアは嬉しそうにルッツ尋ねた。
「さぁ、何だろうな。娘さんをください、か?」
「それ、私に言ってもしょうがないじゃない」
「それはそうだな。ちゃんとカースタ侯爵に許可を…」
「いいからさっさと行きなさい!」
それ以上は聞きたくないと父が声を荒げる。
これ以上揶揄ったら本気で怒られてしまうと、二人は逃げるように屋敷を後にし馬車へと乗り込む。
二人がいなくなり、静けさが戻った玄関。
馬車を見送った父のもとに妻が歩み寄る。
「もっと落ち着いて見守ってあげたら?」
「…だがな、あいつは今まで…」
「今までは、でしょ?それに、それこそ今までは『ミリア』からの婚約だったけれど、今はルッツ君からなのよ?これからは違うわ」
二人が消えた先を、妻は優しく見守っていた。
その様子に、父は少し目が険しくなる。
「ずいぶんとあいつの肩を持つんだな?」
「だって似てるんですもの」
「似てる?誰に?」
「ふふっ、さぁ、誰かしらね」
妻は微笑んではぐらかす。
こうなってはもう絶対に言わないのを知っている父は、やれやれと息を吐いた。
(あなたにそっくりなのよ。ルッツ君の持つ目の光は)
妻であり母でもあるリリアと、娘であるミリア。ミリアが生まれ変わった以上、身体は血縁でも心は違う。なのに、惹かれる男性の好みが一緒なのはやはりこの一年で親子としての関係が芽生えたからなのか。
かつては見られなかった、ルッツの目に宿る光と熱。ふと見上げ、愛しい夫の目をのぞき込めば、少しその光と熱が乏しい。
しかし、夫はその目を愛しい妻に向けた瞬間、目に光と熱が宿る。子供たちがいないこの瞬間、二人は夜会へ父と母としてではなく、男と女として向かう。
妻の手を取り、その手に口づけをする。
その行為を嬉しそうに眺めた妻は、自ら一歩を踏み出し愛する夫へと体を寄せる。
いつまで経っても仲睦まじいままの二人を、執事長は優し気に見守っていた。
***
会場へと到着したミリアとルッツは、ルッツのエスコートで会場入りする。
かつての婚約者、しかし今ではもう婚約者でもない二人が連れ立って会場に来たことにざわめきが広がる。
特にミリアはデウスからも求婚を受けていた。
その彼女が、デウスではなくルッツにエスコートされてきたことで、いよいよもって噂が真実味を帯びてきていた。
さらにその後に、デウスがフィーネをエスコートして会場入りした。
今まで特定の令嬢をエスコートしてこなかったデウスが、それもことごとく王妃候補を避けてきたのにここにきてフィーネをエスコートしてきたのは大きい。
こうなると、取り入ろうと画策しようとするものは俄然忙しくなる。
挨拶を済ませたミリアとルッツは、二人でドリンクを手に談笑している。
ルッツに声を掛けてきた学友たちがいたが、「ミリアを口説き落とすのに忙しいんだ」と真顔で言われ、冷やかしの声と共に彼らは人ごみへと消えていった。
「よかったの?」
「言っただろう?君を口説き落とすのに忙しいんだ」
「あら、口説かれてたの?気づかなかったわ」
カラカラと笑うミリアに、ルッツはわずかな悲観の色も見せない笑顔で応じる。
実際、ルッツは気づかなかったというミリアの言葉をまともに受け止めていない。
傍目から見ればミリアがルッツを弄んでいるように見えなくもないが、もちろんそんなことはない。むしろミリアの言葉は、ルッツがこの程度で落ち込むことは無い信頼故だ。
そしてルッツも、ミリアへの気持ちが本物だからこそその程度の言葉で揺らぐことはない。それに、ミリアが本気でそう言っているわけでもないこともわかっている。
むしろ、このくらいのじゃれ合いができるようになったことに嬉しさすらある。
時が進み、主催であるフェリンツ伯爵夫妻のダンスが始まる。
それが終わればいよいよダンスの時間となる。
デビュタント以降も体力づくりを続けてきたミリアは、ようやく普通のステップを踏めるくらいには体力がついてきた。しかし、踊れて2曲が限界だ。
ルッツのエスコートでホールへと導かれ、二人は手を取り合った。
繋がれた手から伝わる安堵感。
心から受け入れてくれる相手に、ミリアの顔が綻ぶのは無理もない。
そんなミリアの笑みに、ルッツの顔も綻ぶ。
そんなルッツの笑みに貴婦人がたの黄色い声が上がるが、当の本人はおろかミリアすら気にしていない。
やっと覚えたミリアのステップはたどたどしいが、それをルッツは全身全霊をもって導いていく。
この至福の時間が永遠に続けばいい、そう思った。
しかし、その時間は唐突に終わりを迎える。
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「っ!!」
すると令嬢は、途端にアーノルドに背を向けてバルコニーへと走り去ってしまった。
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「…何があったのかしら」
「……さぁ、な」
不思議そうに呟いたミリアに対し、わからないと返事をしたルッツだがその表情は明らかに苦い。何か知っている、そう思ったミリアは顔を寄せて聞き出そうとした。
「ねぇルッツ?」
「…なんだミリア、キスか?」
思わぬ言葉にミリアは今の状態を理解する。
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「ち…がうわ…」
「なんだ、残念」
動揺して顔を赤くし、俯くように呟いた言葉に、ルッツの楽し気な声色。
俯くミリアの普段とは違う反応に、ルッツは嬉しくなってくる。
自分の好意を受け止めてくれ、そのうえで軽口を返してくれる普段のやりとりももちろん楽しい。けれど、こういった反応が返ってくれるのは、しっかり自分を異性として意識してくれている証拠だ。そう思えば嬉しくなってしまうのは仕方が無いこと。
それはそれとして、ミリアは自分に何かを聞きたがっていた。その話に戻すことにした。
「で、どうした?」
「どうしたって……何が?」
いきなり話を戻したルッツに対し、ミリアは未だに動揺しっぱなしでまだ戻ってこれてなかった。
「だから何か聞こうとしたんじゃないか?」
そう言えば、俯いていた顔を上げたミリアはその表情を恨めし気な目つきに変えていた。
けれど未だに顔は赤いから、こんな表情をさせるのも自分だけだとなおさらルッツを喜ばせるだけだ。
「分かってたんなら変なこと言うんじゃないわよ」
「期待してもいいじゃないか」
「…まだ早いわよ、バカ」
そんな返事をすればますますルッツを喜ばせることになるのにまだミリアは気づかない。
いずれは『する』と宣言してしまっているということに。
ニヤニヤが収まらないルッツに、もうこれ以上余計なことは言わないほうがいいと判断したミリアは本題に戻した。
「とにかく。…ルッツはあの令嬢に何があったのか、分かっているの?」
「……予想は、な。今までも何度かあったから」
「どういうこと?」
今日は初めてではないらしい。
「問題は令嬢ではなく、アーノルド様のほうだ」
「…そうなの」
なんとなく予想していたことだ。そもそも、貴族の令息たるもの、令嬢には手を差し伸べエスコートするのが義務。にもかかわらず、倒れた令嬢が自力で立ち上がったのだけでも異様な光景だ。
「聞いた話だが、アーノルド様のダンスはリードがとても強引らしい。ダンスは確かに男性側がリードするものだが、だからといって女性側のリズムを乱していいものじゃない。リードはしても、お互いの息を合わせることが大切だ」
「ええ、そうね」
まだ簡単なステップしかできないミリアとはいえ、そのくらいは分かる。
今日のダンスも、ルッツがリードしてくれているが、ミリアを気遣っているのがちゃんとわかる。
「ダンスが得意な女性ならなんとかついていけるだろう。しかしダンスが不慣れだったり、そもそもドレスで動きがたいのだからそれを考慮するのは男性側の最低限の配慮だ。それがアーノルド様には無い」
断言するルッツの言葉は、同じ男として女性への配慮が足りないことへの不満を滲ませていた。獅子のような雰囲気を見せる彼だが、ミリアへ触れる手は肉球のごとく柔らかく接してくれる。
「令嬢たちの間ではそういった話は広がりやすい。国外へ行く前にはほとんどアーノルド様にダンスを申し込む令嬢はいなかった」
「…お兄様からダンスを申し込まれたらどうするの?」
ミリアの兄であるアーノルドは、カースタ侯爵家の嫡男だ。
資産家にして財務大臣を父にもつ、侯爵家の嫡男。それでいて学園主席を維持し続ける成績優秀さもあり、見目もいい。狙う令嬢は多い。…はずだった。
「断る令嬢もいたらしい。ついていけず転倒しても、倒れたお前が悪いと面前で恥をかかさせるんだから」
「それはひどいわね…」
今の令嬢もそうなってしまった一人ということである。
「2年ほど国外に出たことで、多少は改善されたかと思ったけど…そんなことはなかったようだな」
「そのようね。あれで他国でやってけたのかしら?」
「…わからないが、あれで仕事は優秀らしい」
それが自分の兄なのだと思うと、ミリアの心境は複雑だ。
嫡男である以上、アーノルドには世継ぎの義務がある。ということは、何としてでもパートナーを見つけなければならない。だが、これではパートナー選びは困難を極めるだろう。
「お父様も大変そうね」
「だな。ところで、まだ踊れそうか?」
「…ええ、まだいけるわ」
「じゃあ」
音楽に乗り、繋がれた手からステップが始まる。相も変わらず優しく包み込んでくれる手が、向けられる表情が、自らを包み込んでくれる腕が、そのすべてで至福を感じる。
その至福が、自分の体力のせいで限られているかと思うともどかしい。
「ミリア」
「えっ?」
不意に名を呼ばれ、きょとんとした瞬間にルッツの顔がより、頬に一瞬だけ柔らかな感触を感じる。それがキスだと気づいた瞬間、ミリアの頬が一気に朱に染まる。
「…卑怯よ」
「卑怯?何が?」
いきなり卑怯呼ばわりされてもルッツに心当たりはない。
「私からは届かないのよ」
「…ああ、なるほど」
納得がいったとルッツはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
ミリアとルッツに身長差はそこそこあり、背伸びしてもルッツの頬には届かないのだ。ルッツを屈ませなければならない。しかし屈ませるということは予告しなければならないということだ。それでは今のルッツのように不意打ちですることができない。
「なら、これでどうだ?」
そう言い、ルッツが器用に屈む。が、だからといってミリアが「じゃあします」かと言えば、もちろんそんなことは無い。むしろ、そんな催促を受ければ正反対のことがしたくなるのがミリアだ。
「えい」
「…いたひ」
近づいた頬に手を伸ばし、その頬をつまむ。
ルッツは痛そうにしているが、指先でつまんだ程度だ。痛いわけがない。
そんなじゃれ合いに、ミリアの頬の朱も収まり、その表情は先ほどのルッツと同様、いたずらっ子の笑みがある。
「誰がしてあげるなんて言ったかしら?」
「……そうだな、確かに君は言ってないな」
そのとおりよ、と言ってミリアは手を離した。
詰まられた頬をさすり、ルッツも苦笑いを浮かべた。
「思い通りにならないお姫さまだ」
「あら、失望した?」
「全然。むしろ燃えてきた」
苦笑いが一転、狩人の笑みに変わる。
その笑みに見とれ、ミリアの頬はほんのり赤く染まる。
どこまでも受け入れてくれるルッツに、ミリアの胸に抱く想いは徐々に大きくなっていく。
夜会も終盤に差し掛かり、そろそろ最後の一曲…というところでざわめきが起こる。
何のざわめきかとミリアが視線を巡らせると、それはアーノルドがさきほどとは違う令嬢を伴ってダンスホールに進んできていたからだった。
一体どちらが誘ったのか。しかし、令嬢の方は見るからに気が強そうで、その歩みはやけに堂々としている。
何かが起きる……ミリアはそう直感した。
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ねこまんまときみどりのことり
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元公爵令嬢のコロネ・ワッサンモフは、今は市井の食堂の2階に住む平民暮らしをしている。彼女が父親を亡くしてからの爵位は、叔父(父親の弟)が管理してくれていた。
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(今の公爵は叔父なのだから、その娘がこの家を継ぐ方が良いのではないか)と。
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