私の人生に、おかえりなさい。――都合のいい「お姉ちゃん」は、もうどこにもいません

しょくぱん

文字の大きさ
4 / 25
第1章:私を殺して生きた日々

第四話:奪われた「色」

しおりを挟む
 家族が寝静まった深夜。私は、屋根裏部屋の隅に隠していた古びた木箱を取り出した。
 中には、使い古されて短くなった数本の絵筆と、小瓶に入ったわずかな絵具が収まっている。それは亡き祖母が、私が幼い頃に「あなたの心にある色を形にしなさい」と贈ってくれた、唯一の宝物だった。

 膿んだ指先に布を巻き、感覚の鈍い手で筆を握る。
 キャンバスなどない。拾い集めた紙の端切れに、私は描き始めた。

(自由な、空の色……)

 深い夜の闇でもなく、実家の重苦しい灰色でもない。いつか見た、どこまでも突き抜けるような、透き通った青。
 絵を描いている間だけは、私は誰の身代わりでもなかった。火傷の痛みも、冷たい視線も、すべてがキャンバスの向こう側へと消えていく。私はただのアリアとして、呼吸をすることができた。

 だが、その微かな光は、唐突に踏みにじられた。

「……何をしているの、アリア」

 背後で扉が開き、母が冷たい風と共に立っていた。その横には、好奇の目を隠そうともしないミレーヌがいる。
 私は反射的に紙を隠そうとしたが、母の手がそれをもぎ取った。

「これは……空? ふん、下らない。こんなことに魔力を使っていたの?」
「お母様、返してください。それは……」
「お姉ちゃん、ずるい。私にはあんなに大変な公務や夜会の準備をさせておいて、自分だけこんな楽しい遊びをしていたなんて」

 ミレーヌが唇を尖らせる。母の瞳が、憎悪を帯びて細められた。

「アリア。お前が吸い込むべき『穢れ』がまだ残っているから、こんな余計なことを考える隙ができるのよ。ミレーヌは今、新しいドレスの着心地が悪いと嘆いているわ。お前がその神経を研ぎ澄ませて、彼女の不快感を全て引き受けるべきなのに」

 母は私の手から取り上げた紙を、手近なランプの火にかざした。

「お母様、やめて!」
「これは、ミレーヌへの裏切りよ」

 刹那せつな、紙の端から火が燃え広がる。
 私が大切に紡いだ青色は、無慈悲な黒い灰へと姿を変えていく。火の粉が舞い、私の心の一部が焼き切れるような感覚がした。

「ああ、そうだわ。この道具も没収ね」

 母は木箱の中の絵筆を掴み出し、床に叩きつけた。ミレーヌがその上を、わざとらしく靴で踏みつける。パキリ、と愛用していた筆の軸が折れる音が、静かな夜の部屋に響いた。

「これで少しは反省しなさい。お前の人生に、『色』なんて必要ないの。お前はただ、ミレーヌを白く美しく保つための、影であればいいんだから」

 二人が去った後、部屋には焦げた匂いと、折れた筆の残骸だけが残された。
 私は床に膝をつき、灰になった紙の破片をそっと拾い上げる。

 指先はもう、熱さを感じなかった。
 涙も出なかった。
 ただ、胸の奥に、絶対的なが広がっていくのを感じた。

 お母様。あなたが今焼いたのは、ただの紙ではありません。
 私があなたたちを「家族」だと信じようとしていた、最後の糸です。

 私は折れた筆を一本だけ拾い、汚れきった自分の手のひらを見つめた。
 私の人生に、色はいらない。
 ……ええ、わかりました。
 なら、この家を彩っている「偽りの色」も、すべて私が持っていってあげましょう。

 窓の外では、月が冷たく私を見下ろしていた。
 アリアの中の何かが、完全に死に、そして何かが、静かに牙を剥き始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

お望み通り、消えてさしあげますわ

梨丸
恋愛
一国の次期王妃と言われていた子爵令嬢アマリリス。 王太子との結婚前夜、彼女は自ら火を放ち、死んだ。 国民達は彼女の死を特に気にもしなかった。それどころか、彼女の死を喜ぶ者もいた。彼女の有していた聖女の力は大したものではなかったし、優れているのは外見だけの“役立たずの聖女”だと噂されるほどだったから。 彼女の死後、すぐさま後釜として皆に好かれていた聖女が次期王妃に召し上げられた。 この国はより豊かになる、皆はそう確信した。 だが、“役立たずの聖女”アマリリスの死後──着実に崩壊は始まっていた。 ※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。) ※この調子だと短編になりそうです。

皆様覚悟してくださいませ。偽聖女の義妹から全て取り戻します。今まで受けた仕打ちは倍にしてお返し致します。

くろねこ
恋愛
「殴られても、奪われても、祈れば治るから大丈夫」 ――そう思い込まされて育った公爵令嬢オリビア。 しかし、偽聖女を名乗る義妹に階段から突き落とされた瞬間、 彼女の中で“何か”が完全に目覚める。 奪われた聖女の立場。 踏みにじられた尊厳。 見て見ぬふりをした家族と神殿。 ――もう、我慢はしない。 大地そのものに影響を与える本物の加護を持つオリビアは、知略と魔法で屋敷を制圧し、偽りを一つずつ洗い流していく。 敵意を向けた者は近づけず、逆らった義母は“環境”に叱られ、王太子は腹を抱えて大笑い。 「奪われたなら、取り戻すだけです。倍……いえ、一万倍で」 これは、偽りの聖女からすべてを奪い返し、本物が“正しい場所”に立つ物語。 ざまぁ好き必読。 静かに、確実に、格の違いを見せつけます。 ♦︎タイトル変えました。

欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜

水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。 魔王乱立の時代。 王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。 だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。 にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。 抗議はしない。 訂正もしない。 ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。 ――それが、誰にとっての不合格なのか。 まだ、誰も気づいていない。 欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。

さようなら、私の初恋

しょくぱん
恋愛
「さよなら、私の初恋。……もう、全部お返しします」 物心ついた時から、彼だけが世界のすべてだった。 幼馴染の騎士団長・レオンに捧げた、十数年の純粋な初恋。 彼が「無敵」でいられたのは、アリアが無自覚に与え続けた『治癒の加護』があったから。 だが婚約直前、アリアは知ってしまう。 彼にとって自分は、仲間内で競い合う「賭けの対象」でしかなかったことを。 「あんな女、落とすまでのゲームだよ」

修道女エンドの悪役令嬢が実は聖女だったわけですが今更助けてなんて言わないですよね

星井ゆの花
恋愛
『お久しぶりですわ、バッカス王太子。ルイーゼの名は捨てて今は洗礼名のセシリアで暮らしております。そちらには聖女ミカエラさんがいるのだから、私がいなくても安心ね。ご機嫌よう……』 悪役令嬢ルイーゼは聖女ミカエラへの嫌がらせという濡れ衣を着せられて、辺境の修道院へ追放されてしまう。2年後、魔族の襲撃により王都はピンチに陥り、真の聖女はミカエラではなくルイーゼだったことが判明する。 地母神との誓いにより祖国の土地だけは踏めないルイーゼに、今更助けを求めることは不可能。さらに、ルイーゼには別の国の王子から求婚話が来ていて……? * この作品は、アルファポリスさんと小説家になろうさんに投稿しています。 * 2025年12月06日、番外編の投稿開始しました。

繰り返しのその先は

みなせ
ファンタジー
婚約者がある女性をそばに置くようになってから、 私は悪女と呼ばれるようになった。 私が声を上げると、彼女は涙を流す。 そのたびに私の居場所はなくなっていく。 そして、とうとう命を落とした。 そう、死んでしまったはずだった。 なのに死んだと思ったのに、目を覚ます。 婚約が決まったあの日の朝に。

居候と婚約者が手を組んでいた!

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!  って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!  父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。  アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。  最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。

処理中です...