私の人生に、おかえりなさい。――都合のいい「お姉ちゃん」は、もうどこにもいません

しょくぱん

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第1章:私を殺して生きた日々

第五話:私の声だけが届かない

 その日の夜、ローラン伯爵家の食堂は、目も眩むような光に包まれていた。
 豪奢なシャンデリアの下、テーブルには銀器が並び、芳醇な肉料理の香りが漂っている。今夜はミレーヌとレオンの婚約を公に祝うための、家族だけの「内祝い」の席だった。

 私は、その輪の中に座ることを許されない。
 エプロンを締め、トレイを手に、給仕として壁際に立っていた。

「さあ、レオン様。このワインは我が家の自慢ですわ。ミレーヌ、あなたも少しお飲みなさい」
「まあ、お父様。そんなに飲んだら、明日の朝、お顔がむくんでしまいますわ」
「ははは、大丈夫だよ。ミレーヌ。君が不快になれば、すべてが引き受けてくれるんだろう?」

 レオンが、ワイングラスを傾けながら私を指差して笑った。
 家族の視線が、一瞬だけ私に向けられる。だが、それは人間を見る目ではない。高性能な魔道具や、便利な家具の調子を確かめるような、無機質な眼差し。

「アリア、ぼさっとしない。ミレーヌのグラスが空よ」
「……失礼いたします」

 私は静かに歩み寄り、妹のグラスにワインを注ぐ。
 至近距離で見るミレーヌの肌は、私が深夜に祈りを捧げ、痛みを吸い取り続けているおかげで、陶器のように滑らかだった。対照的に、ボトルを握る私の指は、昨夜の火傷と冷水の洗濯で赤紫に変色し、震えている。

「あ、そうだわ。来月からの領地巡りだけど、ミレーヌとレオン様、お二人でいらしてね。アリアは留守番よ」

 母が、肉を切り分けながら事も無げに言った。
 私は、注ぐ手を一瞬だけ止めた。来月――。

「……あの、お母様。来月は、亡くなったお祖母様の十三回忌で、私が墓参に行く約束では……」

 蚊の鳴くような声で、私は初めて自分の意志を口にした。
 だが。
 会話は止まらなかった。

「レオン様、領地にある湖は、この季節とても美しいのですよ」
「それは楽しみだ。ミレーヌ、新しいドレスを新調しなければならないね」

 私の言葉は、誰の耳にも届かない。
 物理的に聞こえなかったのではない。彼らの世界において、私の声は「雑音」にさえ分類されない無価値な振動なのだ。

「あの、お母様……」

 もう一度、声を絞り出す。
 すると母は、鬱陶しそうに眉をひそめ、私を見ることなく吐き捨てた。

「アリア、冷めたスープを下げなさい。誰に話しかけているの? 行儀が悪いわよ」

 目の前が、真っ暗になった。
 私は、ここにいる。
 彼女たちの空いたグラスを満たし、重い皿を運び、痛みを引き受けて、現にここに立っている。
 なのに、私の存在は透明だった。

(……ああ。私は、この家ではもう、人間ではないんだ)

 レオン様が、楽しげにミレーヌの手を握る。かつて私に「手を引こう」と言ったその手で。
 父が、自慢の娘を愛おしげに眺める。
 その幸福な三角形の中に、私の居場所は、針の穴ほども存在しなかった。

 私は冷めたスープの皿を手に取り、無言で厨房へと下がった。
 重い扉が閉まる瞬間まで、家族の笑い声は響いていた。
 
 誰一人として、私がいないことに気づかない。
 誰一人として、私の皿が最初から用意されていないことに、疑問を抱かない。

 厨房の隅で、私は冷え切って脂の浮いた、残飯同然のスープの残りを口に運んだ。
 味は、しなかった。
 ただ、喉の奥が焼けるように熱い。

 お母様。お父様。
 あなたたちの計画に、私はいないのですね。
 なら、私も決めました。

 私の未来からも、あなたたちを完全にすることを。
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