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第3話
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侍女マリアは、クラリスの深紅の髪に結ばれたリボンを整える。
「お嬢様、今日も本当にお綺麗です♡」
マリアはうっとりとした表情で、まじまじとクラリスを見つめる。
クラリスは鏡越しに目を細め、軽く顎を上げた。
「うふふ……ありがとう。
あなたの手つきが良いから、余計に映えるのよ」
マリアは頬を染め、指先を胸元で揃える。
「お嬢様は何をお召しになっても似合いますから……選ぶ私まで楽しくなってしまって。
あ、そういえば——例の仕立て屋のお洋服、どうされます?」
クラリスは椅子から振り向き、扇を軽く伏せた。
「そうね……チャリティーにでも出しておいてちょうだい」
「かしこまりました♡ でも……あのお店、本当に“バカ”でしたよねぇ~」
クラリスはわずかに眉を上げる。
「バカだなんて、口にしたら駄目よ。
自分の品位を下げる行為よ」
マリアはしゅんと肩を落とし、すぐに小さく頷いた。
「……はい。申し訳ございません」
クラリスは扇を閉じ、ゆるやかな笑みを浮かべた。
「愚かで、哀れなお店……でしょう?」
マリアはほっと微笑み返す。
「……はい」
◆
《ラ・プルミエール》。
クラリスが幼き頃から通ってきた、王都でも指折りの仕立て屋。
扉を開けた瞬間、
店主エレーヌが、まるで見知らぬ客でも見るような目を向けてきた。
「……いらっしゃいませ、エルヴァン公爵令嬢。
本日は……どのようなご用件で?」
(……急によそよそしくなったわね)
クラリスは一歩進み、穏やかに微笑んだ。
「新作を見せていただこうと思いまして」
エレーヌは手元の帳簿をわざとらしく閉じ、視線を逸らした。
「申し訳ございません、“王太子妃殿下”のご注文で手が離せませんの。
それに、こちらの布は——あら、お手を触れずに。
高貴な方専用でして」
(……は? わたくしが“高貴ではない”とでも?)
クラリスは扇をゆるやかに開き、口角を上げた。目は笑っていない。
「あら……では、“高貴な方”の定義を、ぜひ教えてくださるかしら?」
エレーヌの喉がひくりと動いた。
クラリスは一歩踏み出し、扇の先で軽く布をなぞる。
「それに、この店——
いつから、馴染みの客を蔑ろにするようになったのかしら。
“流行りの派閥”で態度を変えるようでは……
随分と落ちぶれたものね」
扇がぱちん、と小さく鳴った。
その音だけで、店の空気が一瞬凍る。
「かつては“王都一の仕立て”とも誇れた店だったのに。
……本当に、残念だわ」
その時、店の奥から甲高い声が響いた。
「まあ、クラリス様? あら、まだいらしたの?」
金糸のドレスをきらびやかに揺らして現れたのは、
新興貴族リズベット。
彼女の装いは、まさにこの《ラ・プルミエール》で仕立てたばかりの新作だった。
一見豪奢だが、近くで見れば縫い目は歪み、裾の重ねも甘い。
(よ、よくこんな酷いドレスを着られるものね……)
リズベットはわざとらしい笑みを浮かべ、
店主エレーヌの腕に親しげに手を添えた。
「こちらのお店、今は王太子妃殿下のご用達なんですの。
だからもう、“お立場の変わられた方”には
少し敷居が高いのではなくて?」
店内に小さな笑いが広がる。
(おそらく、新興貴族に取り繕うために旧貴族筋の職人を切ったのね。
けれど、その結果がこれ……)
クラリスは、心底気の毒そうにリズベットを見つめた。
その瞳に、見下しよりも哀れみの色が混じる。
「……その縫い目、粗いわね。
それを“ご用達”と呼ぶなら——
王太子妃殿下もお気の毒だわ」
リズベットの頬が引き攣り、エレーヌの顔色が蒼白に変わる。
クラリスは苦笑ともため息ともつかぬ息をこぼし、扇を静かに閉じた。
「お忙しいご様子ですから、今日はこれで失礼いたします。
そして——さようなら。
二度と来ることはないでしょう」
紅い裾が、絹音を立てて揺れる。
店を出る直前、クラリスは振り返らずに言葉を落とした。
「仕立て屋としての志を失った店に、
もはや用はありませんから」
扉が閉まる音だけが、店に残った。
◆
マリアは紅茶を注ぎながら、頬をゆるめた。
「あの日、帰ってからのお嬢様……本当にすごかったです。
元《プルミエール》の職人たちを、あっという間に集めちゃうんですもの」
クラリスはカップを傾け、紅茶の香りを楽しんだ。
「あら、あのお店が先に職人を切ってくれたおかげで、
余計な手間が省けたのよ」
「……たしかに♡」
マリアは感嘆まじりに笑う。
「そして王都にお店を――“お嬢様サロン”を出すだなんて、
誰も予想してませんでしたわ」
クラリスは軽く扇を揺らし、まるで些事を振り払うように笑った。
「王太子の違約金の使い道、ちょうど考えていたのよね。
あれくらいの額なら、店一つくらい簡単に建てられるもの」
マリアがうっとりと両手を合わせる。
「しかも……お嬢様ご自身がモデルになられるなんて♡
まるで絵画が動いているみたいで、皆息を呑んでましたわ」
クラリスは肩をすくめた。
「皆美しい物に惹かれ、憧れるでしょう?」
マリアは陶然と頷いた。
「ええ、本当に……お嬢様が着られて王都の流行が変わりましたもの♡」
クラリスはカップを置き、紅茶の表面を眺めながら静かに呟く。
「一流の者が、一流の物を着る。
それだけで十分よ。――ねぇ、マリア」
「はい、お嬢様♡」
陽光が窓辺に差し込み、
クラリスのドレスの縫い目が、陽光を受けて静かに光を返した。
しばし沈黙が流れる。
クラリスはふと、何気ない調子で言った。
「そういえば――あのお店、どうなったのかしらね」
「もちろん、潰れました♡」
クラリスは少しだけ眉を下げ、
扇をそっと口元に寄せた。
「そう……」
沈黙が落ちる。
その声には、ほんのわずかに残念そうな響きがあった。
(わたくしのお店が繁盛しているのを、
惨めな顔で見てほしかったのに……早く沈みすぎ)
「お嬢様、今日も本当にお綺麗です♡」
マリアはうっとりとした表情で、まじまじとクラリスを見つめる。
クラリスは鏡越しに目を細め、軽く顎を上げた。
「うふふ……ありがとう。
あなたの手つきが良いから、余計に映えるのよ」
マリアは頬を染め、指先を胸元で揃える。
「お嬢様は何をお召しになっても似合いますから……選ぶ私まで楽しくなってしまって。
あ、そういえば——例の仕立て屋のお洋服、どうされます?」
クラリスは椅子から振り向き、扇を軽く伏せた。
「そうね……チャリティーにでも出しておいてちょうだい」
「かしこまりました♡ でも……あのお店、本当に“バカ”でしたよねぇ~」
クラリスはわずかに眉を上げる。
「バカだなんて、口にしたら駄目よ。
自分の品位を下げる行為よ」
マリアはしゅんと肩を落とし、すぐに小さく頷いた。
「……はい。申し訳ございません」
クラリスは扇を閉じ、ゆるやかな笑みを浮かべた。
「愚かで、哀れなお店……でしょう?」
マリアはほっと微笑み返す。
「……はい」
◆
《ラ・プルミエール》。
クラリスが幼き頃から通ってきた、王都でも指折りの仕立て屋。
扉を開けた瞬間、
店主エレーヌが、まるで見知らぬ客でも見るような目を向けてきた。
「……いらっしゃいませ、エルヴァン公爵令嬢。
本日は……どのようなご用件で?」
(……急によそよそしくなったわね)
クラリスは一歩進み、穏やかに微笑んだ。
「新作を見せていただこうと思いまして」
エレーヌは手元の帳簿をわざとらしく閉じ、視線を逸らした。
「申し訳ございません、“王太子妃殿下”のご注文で手が離せませんの。
それに、こちらの布は——あら、お手を触れずに。
高貴な方専用でして」
(……は? わたくしが“高貴ではない”とでも?)
クラリスは扇をゆるやかに開き、口角を上げた。目は笑っていない。
「あら……では、“高貴な方”の定義を、ぜひ教えてくださるかしら?」
エレーヌの喉がひくりと動いた。
クラリスは一歩踏み出し、扇の先で軽く布をなぞる。
「それに、この店——
いつから、馴染みの客を蔑ろにするようになったのかしら。
“流行りの派閥”で態度を変えるようでは……
随分と落ちぶれたものね」
扇がぱちん、と小さく鳴った。
その音だけで、店の空気が一瞬凍る。
「かつては“王都一の仕立て”とも誇れた店だったのに。
……本当に、残念だわ」
その時、店の奥から甲高い声が響いた。
「まあ、クラリス様? あら、まだいらしたの?」
金糸のドレスをきらびやかに揺らして現れたのは、
新興貴族リズベット。
彼女の装いは、まさにこの《ラ・プルミエール》で仕立てたばかりの新作だった。
一見豪奢だが、近くで見れば縫い目は歪み、裾の重ねも甘い。
(よ、よくこんな酷いドレスを着られるものね……)
リズベットはわざとらしい笑みを浮かべ、
店主エレーヌの腕に親しげに手を添えた。
「こちらのお店、今は王太子妃殿下のご用達なんですの。
だからもう、“お立場の変わられた方”には
少し敷居が高いのではなくて?」
店内に小さな笑いが広がる。
(おそらく、新興貴族に取り繕うために旧貴族筋の職人を切ったのね。
けれど、その結果がこれ……)
クラリスは、心底気の毒そうにリズベットを見つめた。
その瞳に、見下しよりも哀れみの色が混じる。
「……その縫い目、粗いわね。
それを“ご用達”と呼ぶなら——
王太子妃殿下もお気の毒だわ」
リズベットの頬が引き攣り、エレーヌの顔色が蒼白に変わる。
クラリスは苦笑ともため息ともつかぬ息をこぼし、扇を静かに閉じた。
「お忙しいご様子ですから、今日はこれで失礼いたします。
そして——さようなら。
二度と来ることはないでしょう」
紅い裾が、絹音を立てて揺れる。
店を出る直前、クラリスは振り返らずに言葉を落とした。
「仕立て屋としての志を失った店に、
もはや用はありませんから」
扉が閉まる音だけが、店に残った。
◆
マリアは紅茶を注ぎながら、頬をゆるめた。
「あの日、帰ってからのお嬢様……本当にすごかったです。
元《プルミエール》の職人たちを、あっという間に集めちゃうんですもの」
クラリスはカップを傾け、紅茶の香りを楽しんだ。
「あら、あのお店が先に職人を切ってくれたおかげで、
余計な手間が省けたのよ」
「……たしかに♡」
マリアは感嘆まじりに笑う。
「そして王都にお店を――“お嬢様サロン”を出すだなんて、
誰も予想してませんでしたわ」
クラリスは軽く扇を揺らし、まるで些事を振り払うように笑った。
「王太子の違約金の使い道、ちょうど考えていたのよね。
あれくらいの額なら、店一つくらい簡単に建てられるもの」
マリアがうっとりと両手を合わせる。
「しかも……お嬢様ご自身がモデルになられるなんて♡
まるで絵画が動いているみたいで、皆息を呑んでましたわ」
クラリスは肩をすくめた。
「皆美しい物に惹かれ、憧れるでしょう?」
マリアは陶然と頷いた。
「ええ、本当に……お嬢様が着られて王都の流行が変わりましたもの♡」
クラリスはカップを置き、紅茶の表面を眺めながら静かに呟く。
「一流の者が、一流の物を着る。
それだけで十分よ。――ねぇ、マリア」
「はい、お嬢様♡」
陽光が窓辺に差し込み、
クラリスのドレスの縫い目が、陽光を受けて静かに光を返した。
しばし沈黙が流れる。
クラリスはふと、何気ない調子で言った。
「そういえば――あのお店、どうなったのかしらね」
「もちろん、潰れました♡」
クラリスは少しだけ眉を下げ、
扇をそっと口元に寄せた。
「そう……」
沈黙が落ちる。
その声には、ほんのわずかに残念そうな響きがあった。
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