公爵令嬢クラリスの矜持

福嶋莉佳

文字の大きさ
4 / 5

第4話

しおりを挟む
まさに、鶴の一声だった。

「見苦しいですわ」

その一言で、ざわめきが止まった。

当事者たちも、やじを飛ばしていた学生も、通行人も。
みな、呼吸すら忘れたように静止していた。





その少し前――。

王都学園。王侯貴族の子弟が集う学び舎。
クラリスももちろん通っていた。

「クラリス様だ」「第二王子殿下と婚約されたんですって……!」
「王太子と婚約破棄されて間もないのに?」

囁きがさざめき、空気がざわりと揺れた。
クラリスはわずかに顎を上げ、足取りひとつ乱さない。

名家の公爵令嬢、元・王太子妃候補。
完璧さとその性格が、人を近づけさせない。
――だが、それでもなお、彼女を慕う者はいる。

「クラリス様――!」

淡色のドレスを揺らし、令嬢たちが駆け寄る。
クラリスを取り囲んだ。

「今日のお召し物、とても素敵ですわ!」
「婚約、本当におめでとうございます!」

クラリスは柔らかな微笑を浮かべる。
「あら、ありがとう」

その一瞬に、令嬢たちは静かに息を呑む。
彼女の“調教”……いや、影響を受けた令嬢たちは知っている。
クラリスが“陰の噂”を何より嫌うことを。
だからこそ、疑問は正面から尋ねる。

「あの……クラリス様。どうして第二王子殿下と……?」

恐る恐る問う声に、クラリスは扇をゆるく開いた。

「“あえてお名前は申しません”けれど、ある方と比べものにならないほど――
聡明で、誠実で、そして……わたくしを深く愛してくださる方だからですわ」

令嬢たちの瞳が揺れ、息が止まる。

「そして、何より……」
扇をぱちりと閉じ、唇がほどける。
「お顔が……とても美しいからですの!」

堂々とした、揺るぎない口調。
だが令嬢たちは揃って困惑した。

(第二王子殿下が……美しい?)
(えっ、どんな方だったかしら?)
(確か、野暮ったい印象が……)

「クラリス様、それは……」

そのとき――。

「アン! アン・ドルトン! 君との婚約を――破棄する!!」

地面が震えたかと思うほどの怒声だった。
人々の視線が一点へ集中する。

「メリーを虐めてただろう! 泣いてたんだぞ!!」

メリーはロバートの腕に縋り、
アンは蒼白になって震えている。

「あれ、ロバート男爵家の……?」
「噂、本当だったのか……」

クラリスの胸に、冷たいものが走った。
まるで巨大な氷塊が、心臓に沈んだように。

(わたくしの前で“公開婚約破棄”だなんて……
わたくしへの嫌味?)

クラリスの脳裏に蘇る、あの日の王太子の宣告。

「わ、私は……! メリーさんがあなたにあまりにもべったりで……注意しただけで……!」

「なに!? 言い訳するな――!」

ロバートがさらに声を荒げた、その瞬間。

深紅の影がすっと割って入る。
クラリスだった。

深紅の瞳が、二人を射抜く。

「――見苦しいですわ」

クラリスは扇をゆっくりと閉じる。

「こ、公爵令嬢……?」

ロバートの声が震える。

クラリスは緩やかに歩み寄り、低く告げた。

「公衆の面前で、何をお考えなのかしら?
それとも……本当に何もお考えではなかったのかしら?」

周囲は、石像のように動かなくなった。

「こ、これは……クラリス様には関係のない――!」

「関係ありますわ」

扇の先が、すっとロバートへ向けられる。

「あなたの“歪んだ正義”が、周囲すべてを不快にしているのですもの」  

そこにあったのは、ただの不快感だった。

ロバートの顔が引きつる。

「そもそも、個人同士の諍いに殿方が干渉するなんて。
そんな過保護――メリー嬢のためになりませんわ。
社交界では、なおさらね」

メリーの肩がびくりと跳ねる。
アンは、ただ呆然と見つめていた。

「それともあなた、メリー嬢の一生を背負うおつもり……?
ずっとつきっきりで庇って差し上げるの?」

ロバートは言葉を詰まらせた。

(……わたくし、“守られて当然”の顔をする女(イレイナ)が……大嫌いですの!)

クラリスはメリーを一瞥した。

「まあ……それで双方納得なさるなら、それも一興でしょうけれど」

(この二人のために助言をするなんて……わたくし、本当に優しすぎませんこと?)

「――あなたはひとつだけ、良いことをなさいましたわ」

ロバートが顔を上げる。

「ご自身の愚かさを、婚約者にしっかり示されたこと。
これほど分かりやすい教訓もありませんもの」

アンの瞳が揺れる。
胸の奥が、解放と羞恥でごちゃ混ぜに熱くなる。

「アン嬢。
あなたは傷ひとつ付けず、婚約を美しく解消できるのですから――
本当に運がよろしいのよ」

──クラリスにとっては
アンが虐めようが、メリーが泣こうが、本質的にどうでもよかった。

「安心なさいな。あなたに相応しいお相手を……わたくしが見つけてさしあげますわ」

アンは震えた声で呟く。 

「く……クラリス様……」

クラリスは扇をそっとロバートとメリーへ向けた。

「あなたたち、お似合いですこと。
どうぞ、互いに依存し合って生きてくださいませ」

ただ“自分がすっきりした”ことが重要なのだ。



「クラリス」

その名を呼ぶ声が、人垣の向こうから響いた。

歩いてきたのは――
クラリスが丹念に仕立て直した、洗練された第二王子ルシアン。
漆黒の髪は陽光を拒むように滑らかで、
静かな灰の瞳は、冷たく深い、
整いすぎた横顔に光が滑った瞬間、
周囲が息を呑んだ。

「あれが……殿下?」
「まったく別人みたい……」「素敵……」

群衆がざわめき、空気が華やかに揺れる。

「迎えが遅くなった。どうした? 何かあったのか?」

クラリスは扇を伏せ、令嬢らを振り返らず答えた。

「いいえ、なんでもありませんわ」

(それにしても……わたくしもまだまだ未熟ですわね。
所詮、人は“似た高さ”の者にしか結ばれない……そういう摂理なのだと、改めて思い知らされましたわ)

「では、帰ろうか」

「ええ、殿下♡」

差し出された手を取り、クラリスは優雅に歩き出す。

深紅のドレスが、石畳を艶やかに滑る。

人々はその背を見送り――
アンだけがその後ろ姿を見つめていた。

「……虐め、否定されなかった……」

クラリスの靴音が小さく遠ざかっていく。
その音に、胸の奥が妙に落ち着くのが分かってしまう。

「けど……まあ、いいか」

なぜ自分がそう思ったのか、アン自身も理解できなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様

恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。 不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、 伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。 感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、 ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。 「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」 足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。 「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」 一度凍りついた心は、二度と溶けない。 後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、 終わりのない贖罪の記録。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

10回目の婚約破棄。もう飽きたので、今回は断罪される前に自分で自分を追放します。二度と探さないでください(フリではありません)

放浪人
恋愛
「もう、疲れました。貴方の顔も見たくありません」 公爵令嬢リーゼロッテは、婚約者である王太子アレクセイに処刑される人生を9回繰り返してきた。 迎えた10回目の人生。もう努力も愛想笑いも無駄だと悟った彼女は、断罪イベントの一ヶ月前に自ら姿を消すことを決意する。 王城の宝物庫から慰謝料(国宝)を頂き、書き置きを残して国外逃亡! 目指せ、安眠と自由のスローライフ! ――のはずだったのだが。 「『顔も見たくない』だと? つまり、直視できないほど私が好きだという照れ隠しか!」 「『探さないで』? 地の果てまで追いかけて抱きしめてほしいというフリだな!」 実は1周目からリーゼロッテを溺愛していた(が、コミュ障すぎて伝わっていなかった)アレクセイ王子は、彼女の拒絶を「愛の試練(かくれんぼ)」と超ポジティブに誤解! 国家権力と軍隊、そしてS級ダンジョンすら踏破するチート能力を総動員して、全力で追いかけてきた!? 物理で逃げる最強令嬢VS愛が重すぎる勘違い王子。 聖女もドラゴンも帝国も巻き込んだ、史上最大規模の「国境なき痴話喧嘩」が今、始まる! ※表紙はNano Bananaで作成しています

彼女が高級娼婦と呼ばれる理由~元悪役令嬢の戦慄の日々~

プラネットプラント
恋愛
婚約者である王子の恋人をいじめたと婚約破棄され、実家から縁を切られたライラは娼館で暮らすことになる。だが、訪れる人々のせいでライラは怯えていた。 ※完結済。

ショートざまぁ短編集

福嶋莉佳
恋愛
愛されない正妻。 名ばかりの婚約者。 そして、当然のように告げられる婚約破棄。 けれど―― 彼女たちは、何も失っていなかった。 白い結婚、冷遇、誤解、切り捨て。 不当な扱いの先で、“正しく評価される側”に回った令嬢たちの逆転譚を集めた短編集。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

悪役令嬢を追い込んだ王太子殿下こそが黒幕だったと知った私は、ざまぁすることにいたしました!

奏音 美都
恋愛
私、フローラは、王太子殿下からご婚約のお申し込みをいただきました。憧れていた王太子殿下からの求愛はとても嬉しかったのですが、気がかりは婚約者であるダリア様のことでした。そこで私は、ダリア様と婚約破棄してからでしたら、ご婚約をお受けいたしますと王太子殿下にお答えしたのでした。 その1ヶ月後、ダリア様とお父上のクノーリ宰相殿が法廷で糾弾され、断罪されることなど知らずに……

【完結済】監視される悪役令嬢、自滅するヒロイン

curosu
恋愛
【書きたい場面だけシリーズ】 タイトル通り

【完結】華麗に婚約破棄されましょう。~卒業式典の出来事が小さな国の価値観を変えました~

ゆうぎり
恋愛
幼い頃姉の卒業式典で見た婚約破棄。 「かしこまりました」 と綺麗なカーテシーを披露して去って行った女性。 その出来事は私だけではなくこの小さな国の価値観を変えた。 ※ゆるゆる設定です。 ※頭空っぽにして、軽い感じで読み流して下さい。 ※Wヒロイン、オムニバス風

処理中です...