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見捨てない婚約者
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エレノアは聞いてしまった。
「婚約者はいる。だが、お前が大切だ」
アルトはミレイユの手を取り、まっすぐに見据えていた。
ミレイユは頬を染めて、ためらいがちに笑う。
「うれしいです……」
「たとえ結婚しても、そばにいてくれないか」
学園一の美青年と平民の娘。
一見すれば、観劇にありそうな切ない恋物語。
だがその男は――エレノアの婚約者だった。
令嬢として、その場で感情を露わにするのは、
未熟な振る舞い。
エレノアは黙って踵を返した。
◆
相談相手に選んだのは、従姉にあたる夫人だった。
早くに結婚し、社交界でも一目置かれる女性。
エレノアにとって、憧れの人物である。
エレノアは涙を浮かべながら、夫人に話した。
「……政略ですが、彼が好きなのです。どうすれば……」
「あなたが悪いのではありません。男の出来が悪いのですわ」
思わず、エレノアは顔を上げた。
「……ですが」
「出来の悪い男と、その恋人を受け入れるのも、できる妻の務めです」
優しい声だった。
「男が未熟なのは事実ですわ。そして、娘もだらしない。
だから――」
夫人は、穏やかに微笑んだ。
「まずはその娘を、一流に仕立て上げなさい」
エレノアは目を伏せた。
「……愛は、彼の心は……」
夫人は即座に答えた。
「愛も同じですわ。男が一流になれば、見る目が変わりますもの。
あなたを見るようになりますわ」
揺るぎない声だった。
疑う余地を与えないほどに。
エレノアは涙を拭い、静かにうなずいた。
「……精進いたします」
◆
翌日、エレノアはアルトに尋ねた。
「あなたの恋人を、私の指導下に置きたいのですが」
アルトははじめ驚いたが、肩をすくめた。
「君がそうしたいなら、構わない。
ミレイユも、その方が助かるだろう」
それからエレノアは、ミレイユを正式に教え始めた。
「ど、どうして、わたしを?」
「未来の夫人としての務めです」
それ以上の説明はしなかった。
「まずは姿勢から。背筋を伸ばして」
「……こ、こうですか?」
「ええ。視線は下げすぎないで。堂々としていればよろしいのです」
所作、礼法、立ち回り。
エレノアは厳しいが、公平だった。
「礼は、腰から。指先まで気を抜かないで」
「はい……」
教えている最中、胸が疼かないわけではなかった。
だがそれを表に出すことは、自分で自分を否定する行為だった。
これは一流の夫人になるための役目。
そう言い聞かせるたび、感情は押し沈められていく。
そして、耐えているという自覚すら、次第に薄れていった。
「覚えが早いですね」
「……ありがとうございます」
一方でミレイユは、戸惑っていた。
「アルト様……」
「どうした?」
ミレイユは視線を落としたまま言った。
「エレノア様……とても、親切で……」
「だろう? だから言っただろう、君は心配しなくていいって」
アルトは悪びれもなく笑った。
「君が恥をかかないようにしてくれてるんだ。
ああいうところが、さすが婚約者だよ。
――昔から、あいつは要領がいいんだ」
ミレイユは、何も言えなかった。
エレノアは、相変わらず指導を続けた。
「わたし、悪いことをしている気がして……」
「そう思えるうちは、大丈夫です」
エレノアは淡々と答えた。
ミレイユに罪悪感はあったが、それと同時に優越感もあった。
――選ばれているのは、自分だ。
その相反する感情が、ミレイユの胸で絡まり合っていた。
そしてアルトは、この状況を「うまくいっている」と受け取った。
「二人が仲良くなってくれてよかった」
彼は相変わらず、静観しかしなかった。
◆
舞踏会の夜、学園の大広間の入口にミレイユは立っていた。
エレノアが選び、仕立てたドレスを着て。
「大丈夫です。練習通りになさって」
「はい」
次の瞬間、ざわめきが広間を走った。
「……あの方、どなた?」
「平民出身ですって」
「嘘でしょう。立ち居振る舞いが完璧だわ」
ミレイユは笑みを崩さず、言葉を返す。
「お目にかかれて光栄ですわ」
「こちらこそ。素敵な夜を」
アルトは隣で、満足げに胸を張っていた。
「な? すごいだろう」
誰にともなく言って、称賛を集めた。
ミレイユは目を瞬せた。
――すごいのは、あなたではない。
アルトは、何もしていない。
自分がこの場に立つために、何ひとつ。
そう思った自分に、ミレイユは静かに驚いた。
「アルト様、あの……」
「ん? どうした」
「わたし……今の挨拶、合っていましたか?」
「合ってる合ってる。ほら、皆が見てる。君はすごいよ」
空疎な返事だった。
その瞬間、ミレイユの胸の奥で、何かが剥がれ落ちた。
目の前の男は、自分の“完成”に寄りかかっているだけ。
そして、自身は何ひとつ変わっていない。
ミレイユは、笑みを保ったまま、視線を一度だけ逸らした。
そして、広間に満ちる音楽の中で、ひとつだけ決めた。
◆
季節が巡り、ミレイユは誰から見ても一人前の貴婦人となった。
ミレイユはエレノアの前で深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
エレノアは微笑む。
「よくここまで頑張りましたね」
そして残ったのは――完成しなかった男だけ。
「アルト様」
「ミレイユ? どうしたんだ、改まって」
「わたし……これからは、別の道を歩こうと思います」
アルトは一瞬、意味が分からないという顔をした。
「別の道? 冗談だろ」
「いいえ」
ミレイユは、首を振った。
「ここまで導いていただいて、分かりました。
わたしは――誰かに守られていなくても、立てるのだと」
「それは俺のおかげだろ? 俺が2人を取り持ったからだろ」
その言葉に、ミレイユは答えなかった。
深く一礼する。
「お世話になりました」
それだけを残し、踵を返した。
エレノアは黙って、その様子を見ていた。
ふと、夫人の言葉が脳裏をよぎる。
『男を鍛えるのも、妻の務めですわ(^^)』
エレノアは、小さく息を吐いた。
「……ええ。夫人は、間違っていませんでした」
取り残されたアルトを見つめ、エレノアは目を細めた。
「大丈夫ですわ。
わたくしは――見捨てませんから(^^)」
アルトは、安堵したように笑った。
「……そうか」
それが救いだと、信じて。
――それが、終わりだった。
「婚約者はいる。だが、お前が大切だ」
アルトはミレイユの手を取り、まっすぐに見据えていた。
ミレイユは頬を染めて、ためらいがちに笑う。
「うれしいです……」
「たとえ結婚しても、そばにいてくれないか」
学園一の美青年と平民の娘。
一見すれば、観劇にありそうな切ない恋物語。
だがその男は――エレノアの婚約者だった。
令嬢として、その場で感情を露わにするのは、
未熟な振る舞い。
エレノアは黙って踵を返した。
◆
相談相手に選んだのは、従姉にあたる夫人だった。
早くに結婚し、社交界でも一目置かれる女性。
エレノアにとって、憧れの人物である。
エレノアは涙を浮かべながら、夫人に話した。
「……政略ですが、彼が好きなのです。どうすれば……」
「あなたが悪いのではありません。男の出来が悪いのですわ」
思わず、エレノアは顔を上げた。
「……ですが」
「出来の悪い男と、その恋人を受け入れるのも、できる妻の務めです」
優しい声だった。
「男が未熟なのは事実ですわ。そして、娘もだらしない。
だから――」
夫人は、穏やかに微笑んだ。
「まずはその娘を、一流に仕立て上げなさい」
エレノアは目を伏せた。
「……愛は、彼の心は……」
夫人は即座に答えた。
「愛も同じですわ。男が一流になれば、見る目が変わりますもの。
あなたを見るようになりますわ」
揺るぎない声だった。
疑う余地を与えないほどに。
エレノアは涙を拭い、静かにうなずいた。
「……精進いたします」
◆
翌日、エレノアはアルトに尋ねた。
「あなたの恋人を、私の指導下に置きたいのですが」
アルトははじめ驚いたが、肩をすくめた。
「君がそうしたいなら、構わない。
ミレイユも、その方が助かるだろう」
それからエレノアは、ミレイユを正式に教え始めた。
「ど、どうして、わたしを?」
「未来の夫人としての務めです」
それ以上の説明はしなかった。
「まずは姿勢から。背筋を伸ばして」
「……こ、こうですか?」
「ええ。視線は下げすぎないで。堂々としていればよろしいのです」
所作、礼法、立ち回り。
エレノアは厳しいが、公平だった。
「礼は、腰から。指先まで気を抜かないで」
「はい……」
教えている最中、胸が疼かないわけではなかった。
だがそれを表に出すことは、自分で自分を否定する行為だった。
これは一流の夫人になるための役目。
そう言い聞かせるたび、感情は押し沈められていく。
そして、耐えているという自覚すら、次第に薄れていった。
「覚えが早いですね」
「……ありがとうございます」
一方でミレイユは、戸惑っていた。
「アルト様……」
「どうした?」
ミレイユは視線を落としたまま言った。
「エレノア様……とても、親切で……」
「だろう? だから言っただろう、君は心配しなくていいって」
アルトは悪びれもなく笑った。
「君が恥をかかないようにしてくれてるんだ。
ああいうところが、さすが婚約者だよ。
――昔から、あいつは要領がいいんだ」
ミレイユは、何も言えなかった。
エレノアは、相変わらず指導を続けた。
「わたし、悪いことをしている気がして……」
「そう思えるうちは、大丈夫です」
エレノアは淡々と答えた。
ミレイユに罪悪感はあったが、それと同時に優越感もあった。
――選ばれているのは、自分だ。
その相反する感情が、ミレイユの胸で絡まり合っていた。
そしてアルトは、この状況を「うまくいっている」と受け取った。
「二人が仲良くなってくれてよかった」
彼は相変わらず、静観しかしなかった。
◆
舞踏会の夜、学園の大広間の入口にミレイユは立っていた。
エレノアが選び、仕立てたドレスを着て。
「大丈夫です。練習通りになさって」
「はい」
次の瞬間、ざわめきが広間を走った。
「……あの方、どなた?」
「平民出身ですって」
「嘘でしょう。立ち居振る舞いが完璧だわ」
ミレイユは笑みを崩さず、言葉を返す。
「お目にかかれて光栄ですわ」
「こちらこそ。素敵な夜を」
アルトは隣で、満足げに胸を張っていた。
「な? すごいだろう」
誰にともなく言って、称賛を集めた。
ミレイユは目を瞬せた。
――すごいのは、あなたではない。
アルトは、何もしていない。
自分がこの場に立つために、何ひとつ。
そう思った自分に、ミレイユは静かに驚いた。
「アルト様、あの……」
「ん? どうした」
「わたし……今の挨拶、合っていましたか?」
「合ってる合ってる。ほら、皆が見てる。君はすごいよ」
空疎な返事だった。
その瞬間、ミレイユの胸の奥で、何かが剥がれ落ちた。
目の前の男は、自分の“完成”に寄りかかっているだけ。
そして、自身は何ひとつ変わっていない。
ミレイユは、笑みを保ったまま、視線を一度だけ逸らした。
そして、広間に満ちる音楽の中で、ひとつだけ決めた。
◆
季節が巡り、ミレイユは誰から見ても一人前の貴婦人となった。
ミレイユはエレノアの前で深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
エレノアは微笑む。
「よくここまで頑張りましたね」
そして残ったのは――完成しなかった男だけ。
「アルト様」
「ミレイユ? どうしたんだ、改まって」
「わたし……これからは、別の道を歩こうと思います」
アルトは一瞬、意味が分からないという顔をした。
「別の道? 冗談だろ」
「いいえ」
ミレイユは、首を振った。
「ここまで導いていただいて、分かりました。
わたしは――誰かに守られていなくても、立てるのだと」
「それは俺のおかげだろ? 俺が2人を取り持ったからだろ」
その言葉に、ミレイユは答えなかった。
深く一礼する。
「お世話になりました」
それだけを残し、踵を返した。
エレノアは黙って、その様子を見ていた。
ふと、夫人の言葉が脳裏をよぎる。
『男を鍛えるのも、妻の務めですわ(^^)』
エレノアは、小さく息を吐いた。
「……ええ。夫人は、間違っていませんでした」
取り残されたアルトを見つめ、エレノアは目を細めた。
「大丈夫ですわ。
わたくしは――見捨てませんから(^^)」
アルトは、安堵したように笑った。
「……そうか」
それが救いだと、信じて。
――それが、終わりだった。
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