【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜

天音蝶子(あまねちょうこ)

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番外編

番外編4:千鳥の都見聞録〜初めてのおつかい大騒動〜

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 都の朝は、離宮とはまるで違う。
 小鳥のさえずりの代わりに、行商の声が飛び交い、どこからか笛の音が響き、遠くの寺では鐘が鳴る。

 千鳥は、宗雅邸の門の前で胸を張った。

「よしっ、今日はわたしが立派におつかいを果たしてみせます!」

 手にしたのは、梓乃直筆の買い物書き。
 香の調合に使う沈香と梅花油、そして――
「ついでに季節の果実を少し」と、優しい筆跡が添えられていた。

 宗雅は縁側でその様子を眺めながら、少し不安げに眉を寄せる。

「……一人で行かせて大丈夫なのか?」

 梓乃は穏やかに笑って答えた。

「大丈夫ですよ。千鳥は度胸がありますから」

「度胸と方向感覚は別の話だと思うが……」

「まぁ、迷ったら風に聞くでしょう」

「風に、か?」

「ええ。あの子なりの勘ですもの」

 宗雅は苦笑し、梓乃は袖で口元を隠して笑った。

 千鳥は意気揚々と市へ向かった。
 だが、都の通りは思った以上に広く、そして人が多い。

「わ、わぁぁ……! なんですかこれ、どこもかしこも人、人、人!」

 目の前を荷車が通り過ぎ、香の煙、焼き菓子の匂い、染め布の色。
 すべてが目新しく、千鳥の頭はすぐにいっぱいになった。

「ええと……沈香屋さんは……たしかこの辺りの……こっち?」

 一歩踏み出すたびに、新しい店が声をかけてくる。

「そこのお嬢ちゃん、髪飾りどうだい! 新作だよ!」

「こっちは甘露煮だ、味見していきな!」

「い、いえっ、今日はお買い物に……あっ、ちょっとだけ味見を……」

 結局、三軒目で飴をもらい、四軒目で花飾りを髪に挿され、五軒目ではなぜか店主の奥さんに“嫁に欲しい”と笑われる始末。

「ひ、ひぃ~! これじゃ帰れませんっ!」

 焦って駆け出した千鳥の前に、ひとりの青年が立ちはだかった。

「おっと、嬢ちゃん、そんなに慌ててどうした?」

 涼しい声に顔を上げると、そこには宗雅の従者の一人――落ち着いた物腰の蒼馬がいた。

「そ、蒼馬さん!? どうしてここに!」

「宗雅様に“念のため見てこい”と命じられまして」

「うわぁぁ……やっぱり心配されてた!」

 千鳥は両手で頬を押さえた。
 蒼馬は微笑んで、千鳥の荷籠を受け取る。

「何かお探しですか?」

「沈香を買いに来たんですけど……ええと……迷いました」

「ふふ、都の市は広いですからね。ご案内します」

 ふたりは香商の通りへ向かった。
 香の店は、重厚な木の扉の奥から甘い煙を立ちのぼらせている。

「ようこそ。珍しい若いお客人だね」

 老店主の笑顔に、千鳥はぺこりと頭を下げた。

「梓乃様のご使いで参りました!」

「おお、梓乃様の? それはそれは」

 店主はすぐに上等の沈香を見せてくれる。
 千鳥は手元の書き付けを見ながら、真剣な顔でうなずいた。

「はい、たしかに“柔らかい風の香りを思わせるもの”……」

「ほう、若いのに香の違いがわかるのかい?」

「姉さまのおかげです!」

 きっぱり言い切る千鳥に、店主は笑って沈香を包んだ。

「立派なお使いぶりだ。都でも評判になるよ」

「わ、わぁ……ありがとうございますっ!」

 顔を真っ赤にして店を出た千鳥の後ろで、蒼馬が小さく苦笑した。

「褒められると照れるところも、相変わらずですね」

「うう……蒼馬さんまで笑わないでください!」

 帰り道、千鳥は上機嫌で歩いていた。

「これで完璧です! 任務完了!」

 が、次の瞬間。

 ぐうぅぅ……

 腹の虫が鳴いた。

「……少し、味見しすぎましたかね」

 その言葉を聞きながら、蒼馬が口を押さえて笑う。

「宗雅様には報告しておきます」

「や、やめてくださいーっ!!」

 その日の夕方。
 宗雅邸の門前では、梓乃と宗雅がふたりを迎えていた。

「おかえりなさい、千鳥。無事に済んだ?」

「はいっ! ちゃんと沈香を買ってきました!」

「そうか。それは見事だ」

 宗雅が微笑むと、千鳥は胸を張った。

「迷子にはなりましたけど、ちゃんと帰れました!」

「……それは“見事”とは言わぬのでは?」

 宗雅の言葉に梓乃がくすくす笑い、千鳥はぷくっと頬をふくらませた。

「でも、わたし、がんばりましたもん!」

「ええ、本当によく頑張りました」

 梓乃がそう言って頭を撫でると、千鳥の顔はぱっとほころんだ。
 宗雅はその光景を眺めながら、穏やかに呟く。

「……こうして都の風にも、あの離宮の香りが混じるのだな」

 夕暮れの風が通り、香の匂いがふわりと流れる。
 笑い声とともに、初夏の都の空は、茜に染まっていった。
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