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2. 最愛の祖父からの遺言状
しおりを挟む幼い頃から大好きだった祖父が亡くなり、今日四十九日法要を終えた。
その帰り道、母に促されるままに、私はとある法律事務所を訪れる。最上階のエレベーターが開くと、重厚なドアが出迎えるように静かに佇んでいた。
この場所に来たのは初めてだったけれど、どこか懐かしい香りがする。
「静香、こっち」
母の後ろを追うようにして入った応接室には、品のいい年配の男性が待っていた。
「野々宮静香さん。お忙しいところ、お越しいただきありがとうございます。お祖父様から託された『個人宛ての遺言』を、正式にお伝えする時が来ました」
彼は、長年祖父の顧問を務めていた五十嵐弁護士だった。
机の上に置かれた封筒はきちんと蝋印が施されたもので、そこに祖父らしい律儀さが表れていた。
封を解く五十嵐弁護士の手はとても丁寧で、その所作を見るだけで胸の奥がじんと熱くなる。
「……音読しても?」
「お願いします」
頷いてから、五十嵐弁護士はゆっくりと、便箋に綴られた祖父の字を読み始めた。
「静香へ……愛しい私の孫よ。これをお前が読む時、私はもうこの世にいないだろう。当然だ、五十嵐くんにはそう頼んであるのだからな。長く生きて、多くのものを失い、残したかったものもある」
祖父は元外交官で、旧華族出身の厳格な人だった。『家の誇り』と『格式』を重んじる性質で、孫の私にだけは優しい顔を見せてくれたけれど、周囲には随分と厳しい人だったと聞いている。
「……その一つが『家』であり、もう一つが『お前の未来』だ。私にはかつて、芹沢家と野々宮家を結び、確かな未来を築く話があった」
付き添いで隣に座っている母の肩がビクリと震えた。まるで目の前に、鋭い眼差しをこちら側へ向けた祖父が座っているかのように。
「だが若き日の過ちでその話は流れ、二つの家は離れたままだ。私は悔いている。あの時、佳子と芹沢家の子息である典久くんを結んでいたなら――もっと強く、未来に残るものがあったはずだと」
祖父は、かつて駆け落ち同然で家を出た母には特別厳しかった。
遺言にある佳子というのは私の母の名で、祖父にとっては娘。母は昔、祖父から政略結婚を命じられたものの、その時には一般家庭育ちの父の事を愛していたから、無理矢理破談になったのだと聞いた事があった。
そのお相手が芹沢典久さんだとは全く知らなかったけれど。
「だから私は最後に、願いを託したい……」
ここで初めて、五十嵐弁護士は緊張したようにゴクリと唾を飲み込んだ。
「静香……芹沢礼司くんと結婚してくれ。お前にとって酷な願いかもしれん。だがあの青年ならば、お前と野々宮家を守ってくれると信じている――野々宮宗儀」
読み終えた五十嵐弁護士の前で、私は声も出せずにその名前を見つめた。
――芹沢礼司。
耳にしたのは久しぶり過ぎて、もうずっと夢の中でしか出てこなかった名前。
「これ……本当に、祖父が?」
「ええ。病床でゆっくりと時間をかけて手書きされたもので、私が最後までお預かりしておりました」
胸の奥が、じくりと痛んだ。
幼い頃、祖父の膝の上で同じ本を何度も何度も読んでもらった記憶がふいに蘇る。あの人はいつも礼儀作法だけは厳しくて……でも私にはとても優しかった。
会えばやわらかな笑みをいつだって見せてくれていたし、大切にしてくれていたと思う。
そんな祖父の思いに応えたい気持ちと、その名前に伴う辛い記憶が、心の中でざわめき合う。
もう二度と関わることはないと思っていた人――でもそれが、祖父が私に遺した『未来』だというのなら。
(礼司さんと……)
本当は名前を聞いた瞬間から、胸のどこかが騒がしくなったのを自覚している。
この遺言のせいにしてしまって、再び彼に会いたいという気持ちがないわけじゃない。
(なんてずるい人間なの……私)
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