政略結婚の相手は、御曹司の元カレでした〜冷たいはずの彼が甘過ぎて困ってます〜

蓮恭

文字の大きさ
15 / 46

15. 膨らんでいく

しおりを挟む

 「ただいま」とドアの向こうから低い声が聞こえた瞬間、心臓が跳ねた。

 予定より少し早い。まだ夕食の支度も途中で、昼間の外出で汗をかき、乱れてしまった前髪もアイロンをかけて直していなかった。

「おかえりなさい。お疲れさまでした」

 ささっと前髪を手櫛で直し、声を掛ける。礼司さんはジャケットを脱ぎながら、ふと視線を部屋の奥に向けた。

 その先にあるのは、今日買ってきたばかりのアイボリーのブランケット。ソファの背に丁寧にかけてあるそれを、礼司さんは黙って数秒見つめた後、ぽつりと呟いた。

「……変わったな、この部屋。買い物に行っていたのか」
「え?」
「いや……前より、あたたかくなった……」

 思わず視線が泳いでしまう。礼司さんの口調は淡々としていたけれど、その横顔はどこか優しくて……それを見ただけで頬が熱を帯びるのを自覚した。

(最後に『君がいるから』って小さく聞こえた気がする。聞き間違いじゃなかったら、きっと……)

 耳まで熱くなるのを感じながら、急いで支度をする。夕食は肉じゃがにきんぴらごぼう、出汁を丁寧に取ったお吸い物にした。

「懐かしい匂いだ」

 箸を取った礼司さんが、ほんの少し目元を緩める。

「肉じゃがは……付き合ってた頃、何度か作ったことありますよね」
「ああ、あの時と変わらないな。この味も、エプロン姿の君も」
「……変わってますよ、色々と。もう二十六歳で、アラサーですし」

 思わず口にしてしまった言葉に、自分でも驚く。けれど礼司さんは何も言わず、ただ静かに笑った。

 そして、食後のコーヒーを淹れていた時だった。

「そういえば、今日買い物に出ていた時に、佐々木館長と偶然会ったんです。祖父の知人で……」
「……佐々木?」

 珍しく、礼司さんの声が硬くなる。

「ええ。礼司さんともお知り合いだとか」
「……少しな。それで、どこで会った?」
「インテリアショップで。本当にたまたまなんですけど、まさかあんな所で会うなんて、思いもよりませんでした」

 礼司さんの手がマグカップの取っ手をぐっと握りしめた。何か引っ掛かる、違和感のようなものが背筋を走る。

「何を話した?」
「えっと……結婚生活のこととか……ちょっと表情とか、雰囲気が変わったって」
「……ふぅん。ただの上司なのに、君のことを随分とよく見てるんだな」
「……え?」
「佐々木さんに先日会った時、静香のことを随分と褒めていた。やけに誇らしげで、まるで自分の妻かのように……」

 少し強い語気。けれどそれは、怒っているのではなく、どこか拗ねたような――いや、もしかすると、嫉妬のような感情が滲んでいた。
 私は『佐々木さんが礼司さんのことを話していた』と言ったつもりだったのに、よく考えれば言葉足らずだった。おかしな誤解を招いたのかも知れない。

(でも……まさか。礼司さんが嫉妬……?)

 混乱した私は何も言えなくなって、静かにマグカップをテーブルに置いた。
 そのまま二人の間に流れた微妙な空気を掻き消すように、今日は先にお風呂に入ると告げて逃げ出してしまう。

 そして夜――私達はいつものようにソファに並んで座っていた。
 テレビはつけていたけれど、どちらもほとんど見ていない。代わりに、初めの頃と比べると少しだけ近づいた距離と沈黙が、妙に落ち着かなくさせている。

「このまま……こういう日々が続いたら、いいのにって思う時がある」

 唐突に、礼司さんが呟く。
 目を見開いた私に、彼は続けた。

「……そう思ってはいけないと、分かってはいるんだが」

 私達の間に交わされた、『契約』のことを指しているのだとすぐに分かった。でも、そんなふうに思ってくれていることが、どうしようもなく嬉しい。

「私も……似たようなことを思ってました」

 そう答えると、礼司さんが初めてこちらをまっすぐ見た。その視線に、また逃げ出したくなるくらい胸が高鳴って、苦しい。

「本当に?」
「はい……礼司さんには、とても良くしていただいてますし」
「俺は、ただ静香を尊重したいだけだ。別に、特別なことはしていない」
「そんなことは……」

(……ダメだ、こんなふうにいちいち揺れてたら。本当に……離れたくなくなっちゃう)

 でも――もう既に両手に収まりきらないくらいに膨らんでいるこの想いは、無かったことに出来ないのだと自覚している自分がいた。

「でも……静香が毎日幸せなら、それでいい」
「……ありがとう、ございます」

 決して触れてはいけない私達の間の境界線が、少しずつ曖昧になっている。そして私は、確かに感じていた。
 夫婦として過ごす礼司さんとの日々は、複雑に絡み合ってどうしようもなくなっていた心が、スルスルと解けていくような心地がするのを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました

鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。 けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。 そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。 シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。 困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。 夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。 そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。 ※他投稿サイトにも掲載中

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

椿かもめ
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

【本編完結】付き合ってもいないのに、幼なじみの佐藤がプロポーズしてきた

ぽぽよ
恋愛
「俺らさ、結婚しない?」 三十二歳、独身同士。 幼なじみの佐藤が、たこ焼きパーティの最中に突然言い出した。 付き合ってもないのに。 夢見てた甘いプロポーズじゃないけれど、佐藤となら居心地いいし、給料もあるし、嫁姑問題もないし、性格も知ってる。 断る理由が、ない。 こうして、交際0日で結婚することが決まった。 「とりあえず同棲すっか」 軽いノリで決まってゆく未来。 ゆるっとだらっと流れていく物語。 ※本編は全7話。 ※本編完結後、ゆるいSS投稿予定。 ※サイドストーリー(切なめ)投稿予定。

腹黒外科医に唆された件~恋人(仮)のはずが迫られています~

有木珠乃
恋愛
両親を亡くし、二人だけの姉妹になった一ノ瀬栞と琴美。 ある日、栞は轢き逃げ事故に遭い、姉の琴美が務める病院に入院することになる。 そこで初めて知る、琴美の婚約者の存在。 彼らの逢引きを確保するために利用される栞と外科医の岡。 「二人で自由にならないか?」を囁かれて……。

愛情に気づかない鈍感な私

はなおくら
恋愛
幼少の頃、まだ5歳にも満たない私たちは政略結婚という形で夫婦になった。初めて顔を合わせた時、嬉し恥ずかしながら笑い合い、私たちは友達になった。大きくなるにつれて、夫婦が友人同士というのにも違和感を覚えた私は、成人を迎えるその日離婚をするつもりでいた。だけど、彼は私の考えを聞いた瞬間豹変した。

【完結】あなた専属になります―借金OLは副社長の「専属」にされた―

七転び八起き
恋愛
『借金を返済する為に働いていたラウンジに現れたのは、勤務先の副社長だった。 彼から出された取引、それは『専属』になる事だった。』 実家の借金返済のため、昼は会社員、夜はラウンジ嬢として働く優美。 ある夜、一人でグラスを傾ける謎めいた男性客に指名される。 口数は少ないけれど、なぜか心に残る人だった。 「また来る」 そう言い残して去った彼。 しかし翌日、会社に現れたのは、なんと店に来た彼で、勤務先の副社長の河内だった。 「俺専属の嬢になって欲しい」 ラウンジで働いている事を秘密にする代わりに出された取引。 突然の取引提案に戸惑う優美。 しかし借金に追われる現状では、断る選択肢はなかった。 恋愛経験ゼロの優美と、完璧に見えて不器用な副社長。 立場も境遇も違う二人が紡ぐラブストーリー。

【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影
恋愛
高校の頃、誰よりも大切だった人。 「さ、最近はあんまり好きじゃないから…!」――あの言葉が、最後になった。 小島久遠は、新たな職場で、元カレとまさかの再会を果たす。 若くしてプロジェクトチームを任される彼は、 かつて自分だけに愛を囁いてくれていたことが信じられないほど、 遠く、眩しい存在になっていた。 優しかったあの声は、もう久遠の名前を呼んでくれない。 もう一度“はじめまして”からやり直せたら――そんなこと、願ってはいけないのに。 それでも—— 8年越しのすれ違いは、再会から静かに動き出す。 これは、終わった恋を「もう一度はじめる」までの物語。

閉じ込められた未亡人は、当主となった義息と契約する。

黒蜜きな粉
恋愛
借金の肩代わりとして後妻に入った私は、 妻と呼ばれながら屋敷の離れで「いないもの」として暮らしていた。 ある雪の日、夫が事故死したと告げられる。 だが、葬儀に出ることすら許されず、私は部屋に閉じ込められた。 新たに当主となった継子は言う。 外へ出れば君は利用され奪われる、と。 それが保護であり、同時に支配なのだと理解したとき、 私はその庇護を条件付きの契約に変えることを選ぶ。 短いお話です。 ※第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。

処理中です...