政略結婚の相手は、御曹司の元カレでした〜冷たいはずの彼が甘過ぎて困ってます〜

蓮恭

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24. お互いを守れるように

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 レストランの一角。重厚なシャンデリアと、静かなクラシックが流れる個室。
 高級感のある丸テーブルには、私と礼司さん、そして彼の両親――芹沢典久さんと、その妻である麗子さんが向かい合って座っていた。

 表面上は穏やかな食事だった。けれど空気は、最初から冷たく張りつめている。

(……やっぱり、怖い)

 視線を落としたまま、黙ってナイフとフォークを動かす。
 笑顔でワインを傾ける麗子さんも、端正な顔を崩さない典久さんも――その内側に何を隠しているのか、計り知れない。

「静香さん、でしたわね」
 
 ふと、麗子さんが微笑みながら話しかけてくる。声は優しい。でもその目は、微かに冷たい光を帯びていた。

「あなた、確か……政財界にはまったく縁のないお家で育たれたとか。ご両親も、あまり恵まれたご関係ではなかったと、聞きましたわ」

 グラスを傾けながら、さらりと告げられた言葉に、胸の奥がぎゅっと痛んだ。

「……はい。幼い頃から、母と二人で暮らしてきました」

 出来るだけ冷静に、静かに答える。けれど麗子さんの笑みは深まる。

「あら、そう。まあ、芹沢の嫁になるには、少し……ね? ああ、私のことは『おかあさま』なんて呼ばないでちょうだいね。私、あなたの母親になった覚えはないから」

 はっきりと私を嫌いだとは言わない。けれど、その鋭い言葉が胸を刺してくる。

 そして隣に座る典久さんも、ワインをひと口飲んだあと、淡々と呟いた。

「静香さん。君は、野々宮宗儀の孫娘という『肩書き』だけで、ここにいる。君自身には、何の力もない」

 凍り付くような声だった。周囲に他の客はいないはずなのに、個室の空気が一気に冷たく変わる。

 礼司さんが何か言いかけた、その時――

 典久さんのスマートフォンが震えた。強めの振動音が、場の緊張をさらに引き立てる。

「……失礼」
 
 典久さんはスマートフォンを取り上げ、眉をひそめた。

「取引先だ。重要な件だ。礼司、お前が応対しろ」

 それは命令だった。親子の間にある、会社という枷を纏わせた、逃れられない命令。

「今は食事中ですが……」
 
 礼司さんが低く反論しようとする。

「──お前しか出来ない話だ」

 重たく、絶対的な口調で封じられる。

 仕事と言われれば断れる人じゃない。礼司さんは静かに息を吐き、私に目を向けた。
 ごめん、すぐ戻る、と無言で告げるような視線。

 私は小さく頷いた。

「……行ってきます。すぐ戻ります」

 礼司さんは立ち上がり、個室を後にする。ドアが閉まった瞬間――空気が、明らかに変わった。

 麗子さんが、ふう、と吐息をつく。

「……やっと礼司抜きで話せるわね。あの子、近頃とても生意気なのよ。親に歯向かうようになって」

 冷たい声色だった。まるで、ここからが本当の始まりだと告げるかのように。

「静香さん」
 
 典久さんがテーブル越しに静かに言う。

「君には、芹沢の名を汚さないよう、十分に心得てもらわないと困る。血筋、家柄、育ち。君には全てが足りないのだから。分かったね?」

 ナイフで肉を切るような、冷徹な声。麗子さんも、にこやかな笑みを絶やさぬまま続ける。

「正直に申し上げて私達、静香さんが芹沢家にふさわしいとは、少しも思っていませんのよ」

 耳の奥が熱くなる。手が震えそうになるのを、必死で堪えた。

(分かってた。ここに来れば、きっとこうなるって……)

「でもまあ」
 
 麗子さんが艶やかに笑う。

「野々宮宗儀氏が遺した影響力は、なかなか無視できませんからね。利用価値があるうちは、せいぜい可愛がって差し上げますわ」

 言葉のひとつひとつが、心を鋭く切り裂く。私はその痛みにただ堪えるしかなかった。
 
 典久さんもゆっくりとナイフとフォークを置き、口元を拭く。

「礼司は真面目な奴だ。いくら政略結婚とはいえ、妻である君を守ろうとはするだろう。しかし……それがいつまでも続くとは思わないことだ」

 脅しだった。静かに、しかし確かに、突きつけられた現実。

(怖い……けど)

 私は唇を噛み締める。逃げたくなる。

 でも、ここで負けたら、礼司さんを裏切ることになる。たとえどんな言葉を浴びせられても、私の心には昨夜交わした彼との誓いが灯り続けている。
 その光は、決して誰にも消させない。

(私は、もう逃げない)

 そう心に誓った、その時だった。

 ──コン、コン。

 個室のドアがノックされ、礼司さんが戻ってきた。

 彼は一歩中に入った瞬間、静かに空気を察知した。微かな表情の変化。すぐに私を見つめる、鋭くも優しい目。

 私は、何も言わなかった。ただ、微笑み返した。たとえどれだけ傷付いても、あなたの隣にいるために。

(大丈夫。あなたと離れた時のことを思えば、この程度、平気)

 静かに、私は心の平静を保つ。


 
 そして食後、デザートと一緒に頼んでいたソフトドリンクが運ばれてくる。私は確かに「ノンアルコールのものを」と注文したはずだった。

 けれど、運ばれて来たグラスに顔を近づけた瞬間、微かに鼻をつくアルコールの匂いがした。
 
(……あれ?)

 訝しみながらも、一口だけ含む。甘いはずの味の奥に、ツンとした刺激が潜んでいる気がした。
 でも、まさか――それからもう一口、確かめるように舌の上で転がす。

 大丈夫、大丈夫だと自分に言い聞かせながら、グラスの中身を三分の一ほど飲んだ時だった。

 ――カチャ。

 目の前にスッと伸びてきた手が、私のグラスを取り上げた。

「静香、それはもう飲まなくていい」

 低く冷静な声。けれど、その声の奥に潜む怒りに私はハッとする。
 顔を上げると、礼司さんが静かに私を見つめていた。その視線には、私が初めて見るような冷たさが宿っている。

「これは……ノンアルコールじゃない。明らかに度数の高い酒だ」

 礼司さんは私から取り上げたグラスを軽く傾け、アルコールの匂いを確認するようにした。
 そして静かに、テーブルの脇に置く。

「すぐに新しい飲み物を頼む」

 スタッフを呼び、淡々と告げたあと、礼司さんは私にだけ聞こえるような声で囁く。

「すまない。もっと早く気付くべきだった」

 そんな風に謝られることじゃないのに。胸の奥がきゅっと熱くなって、私は首を振るしかできなかった。

 そんなやり取りをしていると、麗子さんが涼しい顔でグラスに視線を滑らせた。

「あら、困ったわね。このお店、サービスは良いけれど、たまにミスがあるのよ。でも、静香さんだって成人しているんだし、少しくらい構わないわよね」

 悪びれた様子など微塵もない。その笑みはまるで、最初から全てを知っていたかのようだった。

 私は何も言えずに、ただ手を膝の上できゅっと握った。
 礼司さんは言葉の代わりに、強く、抱きしめるかのようにして私の手を握り締めた。

(……大丈夫。私は一人じゃない)

 どんな風が吹こうとも、私はこの人と一緒にいる。それだけを胸に、そっと目を閉じた



 やがて気まずい空気を抱えたまま、食事会は終わりを告げた。

 入り口まで礼司さんと共に歩いて向かうと、既に芹沢家専属の運転手がご両親の為に車を回して待っていた。
 初老の、無口だけれど誠実な男性だった。

 礼司さんが軽く会釈をすると、その運転手は典久さんと麗子さんの為に車のドアを開けながら、ふと礼司さんの方を見た。

「あれ……副社長、今日は眼鏡をお忘れになったんですか?」

 そんな風に、自然な声で尋ねる。それを聞いたのは麗子さんだった。

「あら……?」

 初めて、といった様子で彼女が礼司さんの顔をまじまじと見た。そして、ほんの少しだけ眉を顰める。

 典久さんは――一瞥しただけで、何も言わなかった。
 本当に、息子の変化になど興味がないのだと、痛いほど分かった。

 私は静かに礼司さんを見た。彼は一言、「コンタクトに変えただけです」とだけ答え、いつものように運転手に向かって微笑んでみせた。

 けれどその笑みは、どこか冷たく、そして絶対に心を見せない壁のようだった。

(礼司さん……)

 そして私達が芹沢家の用意した別の車に乗り込むと、礼司さんは私を庇うようにして隣に座り、ドアを閉めた。

 窓の外に去っていく麗子さんと典久さんの姿。それを見ながら、私は微かに震える指先を、膝の上でぎゅっと握る。

(冷たい……家族って、こんなにも冷たいものなの?)

 その手を、ふいに礼司さんが包み込んだ。芹沢家の運転手に気付かれないよう、そっと。けれど強く。

「静香……今日は本当にすまなかった。あの人達はあんなやり方でしか、自分達を正当化出来ないんだ。分かっていたのに……」

 掠れた低い声が耳元に落ちた。悔しそうな、それでいて心底辛そうな声だった。

「礼司さん、私は気にしていません。大丈夫です」
「そんなはずない。誰も静香に、あんな風なことを言える立場にないのに」

 私を責めるでもなく、励ますでもない、ただ優しい声。

(本当に、優しい人。自分が一番傷付いているに違いないのに、私を気遣ってくれて)

 私は小さく首を振った。堪えられたのは、礼司さんが傍にいてくれたからだ。

 ぎゅっと私の手を握ったまま、礼司さんはじっと窓の外を見ていた。その横顔は、感情を押し殺しているように、酷く静かだった。

(本当は、怒っているんだ)

 私を守りたくてたまらないのに。ここで感情を荒げれば、かえって私が傷付くと知っているから。だから礼司さんは怒りを堪えている。

 私はそんな彼の横顔が、どうしようもなく愛しくて、胸がいっぱいになった。

(私も、守られてばかりじゃダメだ)

 彼が一人で傷付くことがないように、私ももっと強くなりたいと、心から思った。

 

 ──芹沢家が手配したハイヤー運転手が運転する黒塗りの車は、静かに夜の街を走り出した。
 けれど、車内に満ちる空気だけは、どこまでも確かな、二人の絆で満たされていた。
 
 
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