政略結婚の相手は、御曹司の元カレでした〜冷たいはずの彼が甘過ぎて困ってます〜

蓮恭

文字の大きさ
33 / 46

33. 静かな怒り(礼司side)

しおりを挟む

 ――白華の集。
 それが、今日静香が出席している茶会の名だった。

(朱鷺子さんの屋敷で開かれるものなら、大丈夫だろう……)

 朝の見送りの時、静香の緊張した面持ちを思い出す。あれほど格式ある場に、一人で送り出すのは心配で仕方がなかった。
 けれど朱鷺子の邸宅なら、母もそう無茶な真似はしないだろうと、少しは自分を納得させて会社へ向かった。

(あれはいつだったか……朱鷺子さんに言われたな)

 記憶を辿り、思い出す。

 ――『蝶はね、閉じた籠の中では、ひとときも咲き誇れないわ。けれど、心地よい陽だまりの温室なら、誰にも脅かされずに美しく舞えるの。さぁ、あなたはどちらかしら?』と。

 分かっている。決して狭い籠に閉じ込めたいわけじゃない。だけど静香はやっと俺の手元に戻ってきてくれた。
 また羽をもいでしまわないか、心配で心配で堪らないのだった。


 
 そして──定時を過ぎた瞬間、何よりも先に帰路へと急いでいた。

 玄関扉を開けると、リビングにふわりと漂う家の香りが迎えてくれる。静香がいる。
 それだけで、胸の奥の緊張がふっと解けた気がした。

「ただいま」

 声をかけると、静香は少し驚いたように振り返る。やがていつもの、あの、ふわりとした柔らかな笑顔。

「おかえりなさい、礼司さん」

 今日の午後、多大なる影響力を持つ女帝が催す茶会の場にいたとは思えないほど、気取らずに、温かな声。
 彼女はすでに洋服に着替えていたが──

(あれ……?)

 ふと、目に入った。
 静香のうなじのあたり、髪に隠れるようにして貼られた小さな絆創膏。

(……怪我、してるのか)

 喉の奥に、鈍い音が鳴った。けれど静香は何も言わない。ただ、無邪気に俺が帰ったことを喜んで、微笑んでいる。

(聞くのは……後でいい)

 とにかく着替えを済ませようと、自分の寝室へ向かう。廊下の先、静香の部屋のドアが少し開いていた。

(何だ……?)

 ふと目に映った──ベッドの上の真っ赤なもの。

 思わず立ち止まった。どう見ても、静香には似つかわしくない着物がベッドの上に広げられている。
 しかもその意匠はやけに派手派手しく、明らかに時代遅れの印象だった。

(なんでこんな物が……)

 無意識に静香の部屋へと足を踏み入れる。壁際に、静香に似合う上品な着物が掛けてあった。一目で質の良い物だと分かる。

(これを着て行ったのか? じゃあ、これは……)

 ベッドの上に置かれた方の着物にそっと手を伸ばし、持ち上げる。微かな香水の匂いがした。昔から嗅ぎ慣れた、母が使う香水だ。

(あの人の……?)

 眉を寄せて着物を手に取った。その時だった。裾に、何か小さな異物が触れる。

 指で探ると──そこに隠されていたのは一本の鋭い針。

「まさか……」

 全身の血が一気に逆流するような、冷たい怒り。襟元に目をやると、うっすらと滲む血の痕があった。

(静香……)

 全てを悟った。
 なぜ、首筋に絆創膏を貼っていたのか。
 なぜ、この部屋に着物が二つあるのか。

(ふざけるな──)

 奥歯が、ぎりりと鳴った。静香は何も言わなかった。言わず、笑って自分を迎えた。

「……また、一人で耐えたのか」

 胸の奥が、軋んだ。あんな小さな身体で。誰にも言わず。誰にも縋らず。自分一人で。

(また、守れなかった)

 冷たい怒りが、静かに胸の奥底から沸き上がる。静香に針を向けた存在を、許すつもりはない。
 でも……今一番にすべきことは、問い詰めることじゃない。

 傷付いた静香を、まずは温め、癒すことだ。

(籠に閉じ込めはしない。でも、静香が安心して羽ばたける温室にもしてやれないなら……俺は生きている意味がない)

 赤い着物を畳み、腕に抱えた。そのまま静香の部屋を後にする。この怒りは、今は胸の奥深くに沈めたまま。

 彼女が安心して眠れるように。何も怖がらず、微笑める場所を作る為に。
 冷え切った怒りが、静かに、しかし確実に膨れ上がっていく。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました

鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。 けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。 そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。 シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。 困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。 夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。 そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。 ※他投稿サイトにも掲載中

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

椿かもめ
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

【本編完結】付き合ってもいないのに、幼なじみの佐藤がプロポーズしてきた

ぽぽよ
恋愛
「俺らさ、結婚しない?」 三十二歳、独身同士。 幼なじみの佐藤が、たこ焼きパーティの最中に突然言い出した。 付き合ってもないのに。 夢見てた甘いプロポーズじゃないけれど、佐藤となら居心地いいし、給料もあるし、嫁姑問題もないし、性格も知ってる。 断る理由が、ない。 こうして、交際0日で結婚することが決まった。 「とりあえず同棲すっか」 軽いノリで決まってゆく未来。 ゆるっとだらっと流れていく物語。 ※本編は全7話。 ※本編完結後、ゆるいSS投稿予定。 ※サイドストーリー(切なめ)投稿予定。

腹黒外科医に唆された件~恋人(仮)のはずが迫られています~

有木珠乃
恋愛
両親を亡くし、二人だけの姉妹になった一ノ瀬栞と琴美。 ある日、栞は轢き逃げ事故に遭い、姉の琴美が務める病院に入院することになる。 そこで初めて知る、琴美の婚約者の存在。 彼らの逢引きを確保するために利用される栞と外科医の岡。 「二人で自由にならないか?」を囁かれて……。

愛情に気づかない鈍感な私

はなおくら
恋愛
幼少の頃、まだ5歳にも満たない私たちは政略結婚という形で夫婦になった。初めて顔を合わせた時、嬉し恥ずかしながら笑い合い、私たちは友達になった。大きくなるにつれて、夫婦が友人同士というのにも違和感を覚えた私は、成人を迎えるその日離婚をするつもりでいた。だけど、彼は私の考えを聞いた瞬間豹変した。

【完結】あなた専属になります―借金OLは副社長の「専属」にされた―

七転び八起き
恋愛
『借金を返済する為に働いていたラウンジに現れたのは、勤務先の副社長だった。 彼から出された取引、それは『専属』になる事だった。』 実家の借金返済のため、昼は会社員、夜はラウンジ嬢として働く優美。 ある夜、一人でグラスを傾ける謎めいた男性客に指名される。 口数は少ないけれど、なぜか心に残る人だった。 「また来る」 そう言い残して去った彼。 しかし翌日、会社に現れたのは、なんと店に来た彼で、勤務先の副社長の河内だった。 「俺専属の嬢になって欲しい」 ラウンジで働いている事を秘密にする代わりに出された取引。 突然の取引提案に戸惑う優美。 しかし借金に追われる現状では、断る選択肢はなかった。 恋愛経験ゼロの優美と、完璧に見えて不器用な副社長。 立場も境遇も違う二人が紡ぐラブストーリー。

【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影
恋愛
高校の頃、誰よりも大切だった人。 「さ、最近はあんまり好きじゃないから…!」――あの言葉が、最後になった。 小島久遠は、新たな職場で、元カレとまさかの再会を果たす。 若くしてプロジェクトチームを任される彼は、 かつて自分だけに愛を囁いてくれていたことが信じられないほど、 遠く、眩しい存在になっていた。 優しかったあの声は、もう久遠の名前を呼んでくれない。 もう一度“はじめまして”からやり直せたら――そんなこと、願ってはいけないのに。 それでも—— 8年越しのすれ違いは、再会から静かに動き出す。 これは、終わった恋を「もう一度はじめる」までの物語。

閉じ込められた未亡人は、当主となった義息と契約する。

黒蜜きな粉
恋愛
借金の肩代わりとして後妻に入った私は、 妻と呼ばれながら屋敷の離れで「いないもの」として暮らしていた。 ある雪の日、夫が事故死したと告げられる。 だが、葬儀に出ることすら許されず、私は部屋に閉じ込められた。 新たに当主となった継子は言う。 外へ出れば君は利用され奪われる、と。 それが保護であり、同時に支配なのだと理解したとき、 私はその庇護を条件付きの契約に変えることを選ぶ。 短いお話です。 ※第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。

処理中です...