【完結】婚約破棄に祝砲を。あら、殿下ったらもうご結婚なさるのね? では、祝辞代わりに花嫁ごと吹き飛ばしに伺いますわ。

猫屋敷 むぎ

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第二十六話 地獄では生ぬるい

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祭壇の前に立つのは、フェリシアだった“何か”。

闇を纏うかのような漆黒のドレスに、墨で塗られたような黒い髪。
オニキスのような瞳の下には、白磁の肌が割れたようなひび。
そして、彼女の周囲には黒瘴が渦巻き、泡が湧いては弾けている。

人間ではないのは明らかなのに、よりにもよって“英雄”が一人、その前へ進み出た。

「セ、セドリック!?」「セドリック……」

王の叫びと、アメリアのため息交じりの囁きが重なった。

「フェ、フェリシア? いや、無事でよかった。
 君が大悪魔でも、魔王でも、神の天敵でも――今さら何が起ころうとも!
 僕の中の“真実の愛”だけは本物なんだ!」

やっと立てるほどに膝をがくがくと震わせながら、真っ黒な瞳のフェリシアに愛を語るセドリック。
その姿はまさに……英雄だった。
――その愛が通じれば、の話だが。

(……言い切った!)
(言い切ったわ……)
(……言い切るとは……)

見守る誰もがそう思い、額に手を当てながら「本当にバカ」とアメリアが呟いた時。

フェリシアは口を大きく裂くほどに開き、愉快そうに笑った。

「ふ、ふははははは! 汝、この大悪魔アスモデウスを愛すると!?
 面白い。では、あの娘を片付けたらお前の”真実の愛”とやらをつまみに、殺戮と美酒に酔いしれようぞ!」

アスモデウスと名乗ったその魔族は唇をぺろりと舌で舐める。
フェリシアの可憐さは見る影もないが、その姿は退廃的で、妖艶だった。

「――忌々しい滅魔砲め。
 その鍵、クレイモアの一族、リシェル・クレイモア……」

アスモデウスは、口をぱくぱくさせたままのセドリックを、まるで空気のように押しのけて前に出た。

「まあいい。お前の両親も村も、この茶番も――駒に過ぎん」

「……やはり……あなたが……村も、お父様とお母様も……」

その隣で一瞬――銀の仮面の奥で瞳が揺れた。
それは怒りか、悔恨か、それとも――しかし次の瞬間には、研ぎ澄まされた刃のような光に変わっていた。

アスモデウスの口元が、ぞっとするほど愉悦に歪む。

「ああ……あのときは楽しかったぞ。
 炎に包まれる村――ようやく見つけた我が依り代となる美しい娘。
 せめて恋人だけはと懇願していたからなぁ。ご褒美に二人まとめて魂を喰らってやったわ」

恍惚とした瞳のまま、赤黒い舌が唇を舐めた。

「割って入ったお前の両親も、逃げた村人も――まとめて燃やした。
 あの二人、最後に言うておったぞ……『リシェル、すまない』となァ!」

リシェルの握りしめた拳が小刻みに震え、胸の奥で何かが弾ける音がした。

「――絶対に、許さない」

その声は氷のように冷たく、しかし確実に燃える炎を宿していた。

「……お嬢様。――奴を、地獄へ!」

彼の声は、これまで聞いたことのないほど低く、鋭かった。
瞬間、リシェルはクラウスの全身から溢れ出す圧を感じた。

全てがつながった。

黒い炎、鐘の音、両親の手――ばらばらの欠片が一本の線になる。

胸の奥で、熱と冷たさが同時に膨れ上がる。
わたくしの物語を勝手に書き換えていた者がいた――
それが、今目の前にいる魔族。

「……いいえ、クラウス。
 地獄では生ぬるい――天国へ送ってあげるわ!」

ふたりは短く頷き合う。

アスモデウスは、にやりと唇を歪めた。

その笑みは勝者の余裕に満ち、瞳の奥で黒い炎がゆらめく。
まるで、すでに全てを掌の上で転がしているとでも言いたげに――。

「愚かな人間どもよ……もう遅い。
 この国は、今この瞬間、我が新しき大地となるのだ!」

『✶☽⟴⟊⟟ Ϟ⟊⟒⎅』

その唇から発せられる不快な音と同時に、アスモデウスの足元から聖堂の床に黒い亀裂が走り、
まるで地の底から何かが蠢くように瘴気が立ち上った。

その瘴気は壁に飾られた聖像をも黒く染め、天使の顔が歪んでいく。

アスモデウスは、ゆっくりと片手を上げた。
指先は鉤爪のように長く、血のような黒紅色が滲んでいる。

パチン。

打ち鳴らされた指の音が、聖堂全体に不気味な残響を残す。

次の瞬間、まるで見えない鎖が打ち下ろされたかのように、
その音が合図となり、数十人の参列者がガクンと首を垂れ――ゆっくりと顔を上げる。

瞳は濁り、笑みだけが貼りついたその顔からは、生気がすべて抜け落ちている。
関節の動きがぎこちなく、木偶の人形のように、同時に立ち上がった。

立ち上がった瞬間、空気が淀み、古びた人形の関節が軋む音が響く。
焦げた布と腐った花の匂いが混じり、胸の奥を鈍く撫でた。

「……あなた!!」
「な、なんだ!?」
「きゃあああぁぁ!!」

騒然とする中、アメリアの鋭い声が響く。

「記録官、記録を止めてはだめ。頁を改め、”精神操作”の記述を」

悲鳴が飛び交い、静謐だった聖堂は、一瞬で異形の舞台へと変わった。

「……操られているの……? あの時と同じ!?」

コツンッ。

リシェルの問いに答える代わりに、クラウスは一歩前に出る。
床を踏む靴音が、やけに大きく、重く響き――聖堂全体の空気を震わせた。

銀の仮面の視線が、人形たちの動きを縫いとめ――白磁の喉元へ、見えない糸を結んだ。
アスモデウスの喉仏が、ぴくりと跳ねた。
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