【完結】婚約破棄に祝砲を。あら、殿下ったらもうご結婚なさるのね? では、祝辞代わりに花嫁ごと吹き飛ばしに伺いますわ。

猫屋敷 むぎ

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第二十七話 終幕――祝砲、確かにお届けしましたわ

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次の瞬間――黒燕尾の裾がふわりと舞い上がる。

瞬きのあいだに――一人、二人、三人。操られた者たちは糸の切れた人形のように沈む。
何が起きたのか誰にも分からない。
ただ、袖がひるがえるたびに、ひとり、またひとりと落ちた。

「邪魔は、させません」

静かなその一言と同時に、最後の一人も崩れ落ちる。

音が戻るより先に、クラウスは何事もなかったようにリシェルの隣へ。

「どこまでも役立たずの人間どもめ……。
 いいだろう、お前の両親と同じ技で燃やし尽くしてやろう」

アスモデウスは指先をリシェルに向けた。
『……地獄の炎ヘル・フレイム、ʓλ≠ʀѦウ∮∽』と、耳の奥をひっかくような囁きと共に、
その指先に黒い瘴気のようなものが凝縮していく。

クラウスは、にこりと笑う。

「――お嬢様。終幕を」

「ええ。まずは、この魔族を片付けてから」

再び、リシェルが滅魔砲のトリガーに手を添える。
砲身の光が彼女の瞳を照らし、その奥で――五年間の記憶が静かに燃え上がった。

(クラウスが差し出した手――その磨かれた仮面に映った、幼き日の憧れ)

今度は、砲全体が眩い光に包まれた。前回とは比較にならない眩さ。

アスモデウスが一歩引いた。

「なっ……なに、この力は……!」

その瞬間、アスモデウスの指先の黒い球体が破裂し、黒い瘴気が霧散する。

(両親の最後の笑顔――あの日の夕陽は、血のように赤かった)

「先ほどは――準備運動にすぎません」

胸に手を当て、優雅に頭を下げるクラウスの声は、静かで優しく、そして容赦なかった。

その瞬間、アスモデウスの纏っていた黒瘴がぱちぱちと剥がれ、
衣装の一部が真っ白に変わり――顔が一瞬、フェリシアへと戻った。

「た、助けて……! わたし、フェリシアよ! 本当に、わたしなの!」

透き通った瞳が見開かれ、涙が溢れた。

参列者がざわめく。
セドリックは目を見開き、半歩前に出て声を上げかけた。

「フェリシア……! やはり、お前は――」

だが、次の瞬間。

フェリシアの顔はぐにゃりと歪み、陶磁器が砕けるように崩れていく。
そして、黒い炎が再びぶわりと燃え上がり、瞳は濁り、黒く塗りつぶされていった。

「……っ! ち、違う……やはり……!」

セドリックは蒼白になり、膝から力が抜けたように後ずさった。

リシェルの瞳は微動だにしない。

「……今さら、そんな言葉で惑わされるとお思い?」

冷徹な声が響き渡る。

「あなたはあの日、笑って私の両親を焼き尽くした。
 ――むしろ、“フェリシア”さんとその恋人のためにも、あなたを斃します」

黒い炎を纏ったアスモデウスが悪態を吐き散らす。

「ぐっ……ちくしょう……! こんなところで……っ!?」

一瞬、リシェルとクラウスの視線が交わる。

(婚約破棄の宣告――そしてクラウス、彼の手の温もり)

「では、大悪魔アスモデウス。お別れの前にあなたに祝辞を差し上げますわ」

リシェルは、にこりと笑った。

(――すべてを、この一撃に)

リシェルの指に力がこもる。
砲身が唸りを上げ、光がさらに強くなる。
クラウスの瞳が、ただ一言「行け」と告げていた。

「おめでとう、アスモデウス。
 ――真実の愛とやらに報いるため、その命を捧げると、あなたは言いましたわね」

空気が震え、床石がきしむ。
胸の奥まで熱がせり上がる。

「では、今こそ――」

一瞬、時間が止まった。

リシェルの視線とクラウスの視線が、炎のように絡み合う。

砲身の光が臨界まで膨れ上がり――

「天国まで、吹っ飛びなさい!」

リシェルの叫びと同時に、
参列者も、王も、アメリアも、セドリックさえも、息を呑み――次の瞬間、心が一つになった。

撃てええええええええええええッ!!!!

光が――爆ぜた。

七式滅魔砲《クレイモア》の砲身が、太陽のように光を放ち、
聖堂全体を真昼のように照らし出す。

次の瞬間――

……ドオオオオォォン!!!

轟音――空気が、空間が裂ける。

衝撃波が床石を波打たせ、ステンドグラスの欠片が光を反射しながら宙を乱舞する。
熱が押し寄せ、参列者の外套やドレスを大きくはためかせた。

「ぶぎゅひゃぁあああああああ!!」

光に呑み込まれたアスモデウスの悲鳴――。

「ぐっ……こんなところで……あ、あいつに何て言われるか……っ!?
 手加減とか卑怯でしょう!? ……こ、今回は負けてあげるだけなんだから!
 ……っつ、次は……覚悟しておきなさいよねぇぇぇっ……!!」

その断末魔にも似た叫びを、リシェルは冷ややかに切り捨てた。

「卑怯? 滑稽ね。どの口で?
 次? 何度でも。あなたが払うべき血の代償は――まだ一滴たりとも足りてないわ」

その声が最後の楔となり、眩い光がアスモデウスを呑み込み、熱と轟音の渦の中へと溶かし去った。

残されたのは、白い大理石の床に一直線に走る焦げ跡と、
真空に抜かれたような静けさだけ。

大聖堂の空気が止まっていた。

砲口から立ちのぼる煙とともに、静寂が聖堂を満たす。

穴の空いた壁から吹き込む風が、色彩を失ったステンドグラスの破片を静かに舞わせた。
リシェルのドレスがひらりと揺れ、その姿はまるで――戦場に降り立った、白き女神のようだった。

一瞬、リシェルとクラウスは視線を交わした。
言葉はない。ただ、それだけで充分だった。

――リシェルは純白のドレスの裾をつまむと、優雅なカーテシーで挨拶した。

「――皆さま、芝居は終幕でございます。祝砲、確かにお届けしましたわ」

……静寂。三拍置いて――ぱん、ぱん。

主役による見事な終幕の挨拶にクラウス、そしてアメリアが拍手を送る。

王やセドリック、神官や近衛兵も拍手に加わり――
次第に、ためらいがちな拍手があちこちで起こり――
さらに、聖堂中にスタンディングオベーションが広がり――

やがて――聖堂の拍手は扉を抜け、広場へ、通りへ、屋根の上へと波のように伝わった。
パン屋はこね台を叩き、鍛冶屋のハンマーは拍を刻み、鳩すら羽でぱたぱた。
鐘楼は時刻外れの鐘を打ち鳴らし、港の船が汽笛で合いの手を入れる。

こうして本日の演目は――王都総立ちの終幕を迎えた。



コツ、コツ――その裏で、聖堂を去る一人の淑女。

「大口叩いておいて役立たず。何が大悪魔よ、三下のくせに」

場違いな黒のドレスに黒いヴェール――なのに誰も目を留めない。
薔薇と煤の混じった匂いだけが、石畳に一筋残った。

ただ一人、クラウスだけが――
記録院で嗅いだ“あの気配”が静かに遠のいていくのを察していた。
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