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第三章
第九十三話 魔果
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コツ、コツ……。
ヴェルネの足音が遠ざかっていく。
石床の模様が、涙でゆらりと溶けた。
白杖を胸の前で抱えるように握りしめる。
視界が狭い。
見えるのは――震える自分の指先。
その下でかすかに揺れる、杖頭の銀の光。
すぐそばに落ちるテーブルの影が、細く伸びているだけ。
……世界の外側が、すうっと薄れていく。
音も匂いも、遠くへ追いやられていく。
押しつぶされた私の世界は、
この胸の前の小さな空間だけ――。
――頭の向こうで、誰かの息が震えた。
(エリアス……)
「僕は……お前の言う通り、“傲慢”で“欲深い”のかもしれない。
だが、それで誰か一人でも多く幸せになるなら……それでも構わない」
声は遠い。
なのに、その言葉だけは――胸の奥に落ちてきた。
「――アリシアほど聖女に相応しい人はいない」
すぐ近く――隣で息を呑む気配。
「けれど、聖女だって、彼女だって傷つく。
それでも、どれだけ傷ついても、決して折れなかった。
祈りが届かなければ――何度でも、諦めずに祈る人――」
姉が布をぎゅっと掴む音がした。
「……本当は、ずっと怖かったんだ。
選んでもらえないんじゃないかって。
そんな弱い僕でも――いや、僕だからこそ、
隣にいて欲しいと願うのは彼女――アリシアだ!」
それは、強がりではない――真実の叫びだった。
耳朶を通して、声の“熱”がじんわり伝わる。
その熱が、胸の空洞の縁をかすめていく。
「……エリアス……」
……姉が震えてる。
よかったね、エリアス……ちゃんと伝わってる。
エリアスなら、きっと全部叶えられるよ。
――胸の奥の、消えかけた灯火が、またほんの少しだけ揺れた。
足音が、遠くで止まる。
「あらまあ……愛の告白ですのね?
お可愛いらしいこと」
ヴェルネの声。
ひどく甘く、ひどく残酷な響き。
胸の奥は、ちゃんとあたたかいのに――
どうしてだろう。
震えは、止まってくれなかった。
*
低く、かすれた声。
「……確かに俺は……。
ここで守りたいと思う人を見つけた。
運命に抗い、必死に生きる姉妹を――」
視界の端から、そっと手が伸びてきた。
あたたかい指が、私の手に触れる。
姉さん……。
「――だが、国も、友も、すべてを守るという誓いは嘘じゃない」
ぎり、と手甲が握られる音。
「――“憤怒”……か。
お前の言う通りだ。俺は今、怒りで燃えている。
俺の大切なものを踏みにじったお前だけは――
断じて許さん!!」
ドン、とテーブルを叩く音。
石床ごしに響き、胸の奥を鈍く揺さぶった。
彼の言葉は、その空気ごと揺らす一撃みたいに強かった。
姉の指が、ぎゅっと私の手を握り締める。
その温度だけが、胸の奥まで届く。
(そっか……バルド……。
本当に、私のことも大切に思ってくれてたんだ……)
こんな、役立たずで、いつも遅れてばかりの私でも?
正直びっくりだよ。
でも――ほんの少しだけど、胸の奥がふわっとする。
ありがと、バルド。
青い炎の影が揺れる。
「いいわ……いい! とても素敵ですわ!
そうよ! 希望を捨てちゃいけないわ。
守るのよ? 諦めちゃダメよ?」
その声が落ちた瞬間――
空気が、すん、と細く揺れた。
直後、
“カタン”と爪先が床を叩くような、小さな音。
……ぞくり。
見えていないのに――分かった。
ヴェルネが、ゆっくりと体をくねらせながら、
こちらへ向き直ったのだと。
その動きは、獲物の感情を味わう蛇みたいに――
ひどく静かで、
ひどくゆっくりで、
ひどく嬉しそうで――。
(……これ、喜んでる……)
胸の奥に冷たいものが落ちる。
それでも――
私たちは、まだこの人の手のひらの上から逃れられない……。
逃れるための唯一の方法。
それはきっとヴェルネの“プレゼント”。
目尻の奥が熱い。
涙で光がにじみ、姉に握られた手にぽつりと落ちた。
姉の手を握った。
強く握り返してくれる。
姉さんは、いつだってこうやって私に応えてくれた。
だから――私は。
滲んだ視界の端で、テーブルの影がわずかに震えて見える。
実際には私が震えているだけなのに、
影まで揺れたように感じて――胸の奥が、ひゅっと縮んだ。
*
わずかな沈黙。
その静けさを、凛とした声が切り裂いた。
「――“怠惰”か……そうだったのかもしれない」
最初の一語だけ、フィーネの声が震えていた。
「でも、今は違う。私は見つけた。
小さな灯火と、大切な仲間を」
フィーネの声は、刃のようにまっすぐで、
澄んでいるのに――胸に触れた瞬間だけ、息が詰まるほど痛かった。
あの戦場で初めて会ったときの、彼女の声がふと甦る。
『――見つけた』
あのとき。
あなたが、私を“見つけて”くれた。
そして――
“小さな灯火”。
村で料理を振る舞ったとき、フィーネが言ってくれた言葉。
胸の奥がじん、と熱を帯びる。
(――本当に嬉しかったな……)
私なんかでも、誰かの役に立てる――
あのとき、ほんとうに心から思えたんだよ?
「私はもう、過去ではなく、未来に生きると決めたのだから!」
遠くで鎧が軋む音。
その重い響きが、胸の奥にかすかに触れてくる。
――よかった。
フィーネさんは、もう大丈夫。
(……なのに、今の私は――)
胸が、きゅ、と痛む。
その痛みは、さっきヴェルネに触れられた場所と、ぴたりと重なっていた。
*
視界に映る床の模様が、
まるで強い光を浴びたみたいに白くにじんだ。
ただ涙で歪んだだけなのに。
小さな声。
「セレナ、大丈夫。姉さんに任せて」
私はぴくり、としたけれど、まだ顔を上げられなかった。
姉の手がぎゅっと握られ――ふっと離れる。
思わず伸ばした指先が、宙を掴んだ。
椅子がすれ、衣擦れの音。
姉が立ち上がる気配。
「あら? 聖女様?
もしかして――あなたも何か?
ふふふ……妹さんは、何も言えないようですけど?」
ヴェルネの声に、姉の声が重なる。
「――セレナは、妹は、おまけなんかじゃないわ!」
その瞬間、胸の奥で――
ほんの、小さな灯りが、ふっと揺れた。
姉の声が震えている。
「セレナは……この子は……
誰よりも強く、絶対に曲がらず、決して折れない。
あなたの戯言なんかで折れるような子じゃない!」
――優しいなあ、姉さん。
私なんかを守ろうとしてくれてる。
姉さんは……やっぱり、姉さんだ。
姉の呼吸が、ひとつ震えた。
次に落ちた声は、決意で震えていた。
「……あなたの言う通り、私は失うことが怖いわ。
妹も、みんなも。大切な人をまた失うかもしれない。
そんな未来が、ずっと怖かった」
胸の奥で、小さく何かが動く。
「けれど、それでも――抗うの。
それが人の強さだから!」
(姉さんはすごいな。ちっとも折れてなんかない。
ほんとうにすごいよ……)
「あなたも同じ。
失うことが怖くて……だから魔に堕ちたのでしょう?」
ヴェルネが、くす、と嗤う。
姉の声には、弱さも強さも、全部あった。
けれど――。
「だからこそ、私は抗う。
ええ、あなたの言う通り、わたしは“強欲”なの。
セレナもエリアスもバルドも、フィーネも。王国のみんなも。
すべてを守る。
――この命に代えても!」
(――っ!)
最後の言葉を聞いた瞬間――
胸の内側だけが、ひどく静かになった。
姉の言葉はあたたかいのに、心は冷えていく。
(でもね、姉さん。
違うんだよ。わたしは……)
視界が揺れる。
膝の上、握りしめた白杖に、
ぽたり、ぽたりと雫が落ちる。
姉を失いたくない、一緒にいたい――
ずっとそれだけで戦ってきたけれど。
(わたしはね。
姉さんに――幸せになってほしいだけ。
ただ、それだけなんだよ……)
どれだけ雫が落ちても、胸の奥は空洞のまま。
さっき揺れた小さな灯りは――
もう、私のどこにも届かなかった。
***
気づけば、青炎の弾ける微かな音すら聞こえない。
かわりに――広間の空気を震わせる魔王の笑い声だけが届く。
「まあ……まあ! ほんとうに……素敵ですわ……!」
誰かの椅子の脚が、かすかに震えた。
「みなさま……なんて美しい心。
どれだけ傷つけても、踏みにじっても、折れないなんて――」
笑っているのに、泣き出しそうな声だった。
喜びだけで満たされているのに、冷たくて――どこか熱い。
「ええ……これで――わたくしからの贈り物。
最高の“プレゼント”になりますわぁ……」
「――プレゼントぉ!」
ヴェルネとメルヴィスの、楽しくて仕方のない――
そんな笑い声が、不気味に響く。
ぱちん、と指が鳴る音。
ぞわり……と背筋を冷たい影が撫でた。
空気が動き、部屋に入ってくる足音――侍女たちだ。
テーブルに、からん、と何かを置く硬い音。
誰も息を吸わない。
足音だけが遠ざかる。
***
「……これは、なんだ?」
「むう……!」
「……この果実は……!?」
「これを……どうしろと?」
みんなの声が、薄い紙を隔てたように響く。
周囲のざわめきが震えているのに、
私だけ、水の底にいるみたいだった。
「それが――わたくしから皆さまへの“プレゼント”」
少しだけ目を上げた。
銀の皿の上に、闇を切り取ったような黒い果実がひとつ。
「“ 魔果”、と言いますの」
揺れる青い炎を映して、果実の皮膚がぬらりと光った――。
ヴェルネの足音が遠ざかっていく。
石床の模様が、涙でゆらりと溶けた。
白杖を胸の前で抱えるように握りしめる。
視界が狭い。
見えるのは――震える自分の指先。
その下でかすかに揺れる、杖頭の銀の光。
すぐそばに落ちるテーブルの影が、細く伸びているだけ。
……世界の外側が、すうっと薄れていく。
音も匂いも、遠くへ追いやられていく。
押しつぶされた私の世界は、
この胸の前の小さな空間だけ――。
――頭の向こうで、誰かの息が震えた。
(エリアス……)
「僕は……お前の言う通り、“傲慢”で“欲深い”のかもしれない。
だが、それで誰か一人でも多く幸せになるなら……それでも構わない」
声は遠い。
なのに、その言葉だけは――胸の奥に落ちてきた。
「――アリシアほど聖女に相応しい人はいない」
すぐ近く――隣で息を呑む気配。
「けれど、聖女だって、彼女だって傷つく。
それでも、どれだけ傷ついても、決して折れなかった。
祈りが届かなければ――何度でも、諦めずに祈る人――」
姉が布をぎゅっと掴む音がした。
「……本当は、ずっと怖かったんだ。
選んでもらえないんじゃないかって。
そんな弱い僕でも――いや、僕だからこそ、
隣にいて欲しいと願うのは彼女――アリシアだ!」
それは、強がりではない――真実の叫びだった。
耳朶を通して、声の“熱”がじんわり伝わる。
その熱が、胸の空洞の縁をかすめていく。
「……エリアス……」
……姉が震えてる。
よかったね、エリアス……ちゃんと伝わってる。
エリアスなら、きっと全部叶えられるよ。
――胸の奥の、消えかけた灯火が、またほんの少しだけ揺れた。
足音が、遠くで止まる。
「あらまあ……愛の告白ですのね?
お可愛いらしいこと」
ヴェルネの声。
ひどく甘く、ひどく残酷な響き。
胸の奥は、ちゃんとあたたかいのに――
どうしてだろう。
震えは、止まってくれなかった。
*
低く、かすれた声。
「……確かに俺は……。
ここで守りたいと思う人を見つけた。
運命に抗い、必死に生きる姉妹を――」
視界の端から、そっと手が伸びてきた。
あたたかい指が、私の手に触れる。
姉さん……。
「――だが、国も、友も、すべてを守るという誓いは嘘じゃない」
ぎり、と手甲が握られる音。
「――“憤怒”……か。
お前の言う通りだ。俺は今、怒りで燃えている。
俺の大切なものを踏みにじったお前だけは――
断じて許さん!!」
ドン、とテーブルを叩く音。
石床ごしに響き、胸の奥を鈍く揺さぶった。
彼の言葉は、その空気ごと揺らす一撃みたいに強かった。
姉の指が、ぎゅっと私の手を握り締める。
その温度だけが、胸の奥まで届く。
(そっか……バルド……。
本当に、私のことも大切に思ってくれてたんだ……)
こんな、役立たずで、いつも遅れてばかりの私でも?
正直びっくりだよ。
でも――ほんの少しだけど、胸の奥がふわっとする。
ありがと、バルド。
青い炎の影が揺れる。
「いいわ……いい! とても素敵ですわ!
そうよ! 希望を捨てちゃいけないわ。
守るのよ? 諦めちゃダメよ?」
その声が落ちた瞬間――
空気が、すん、と細く揺れた。
直後、
“カタン”と爪先が床を叩くような、小さな音。
……ぞくり。
見えていないのに――分かった。
ヴェルネが、ゆっくりと体をくねらせながら、
こちらへ向き直ったのだと。
その動きは、獲物の感情を味わう蛇みたいに――
ひどく静かで、
ひどくゆっくりで、
ひどく嬉しそうで――。
(……これ、喜んでる……)
胸の奥に冷たいものが落ちる。
それでも――
私たちは、まだこの人の手のひらの上から逃れられない……。
逃れるための唯一の方法。
それはきっとヴェルネの“プレゼント”。
目尻の奥が熱い。
涙で光がにじみ、姉に握られた手にぽつりと落ちた。
姉の手を握った。
強く握り返してくれる。
姉さんは、いつだってこうやって私に応えてくれた。
だから――私は。
滲んだ視界の端で、テーブルの影がわずかに震えて見える。
実際には私が震えているだけなのに、
影まで揺れたように感じて――胸の奥が、ひゅっと縮んだ。
*
わずかな沈黙。
その静けさを、凛とした声が切り裂いた。
「――“怠惰”か……そうだったのかもしれない」
最初の一語だけ、フィーネの声が震えていた。
「でも、今は違う。私は見つけた。
小さな灯火と、大切な仲間を」
フィーネの声は、刃のようにまっすぐで、
澄んでいるのに――胸に触れた瞬間だけ、息が詰まるほど痛かった。
あの戦場で初めて会ったときの、彼女の声がふと甦る。
『――見つけた』
あのとき。
あなたが、私を“見つけて”くれた。
そして――
“小さな灯火”。
村で料理を振る舞ったとき、フィーネが言ってくれた言葉。
胸の奥がじん、と熱を帯びる。
(――本当に嬉しかったな……)
私なんかでも、誰かの役に立てる――
あのとき、ほんとうに心から思えたんだよ?
「私はもう、過去ではなく、未来に生きると決めたのだから!」
遠くで鎧が軋む音。
その重い響きが、胸の奥にかすかに触れてくる。
――よかった。
フィーネさんは、もう大丈夫。
(……なのに、今の私は――)
胸が、きゅ、と痛む。
その痛みは、さっきヴェルネに触れられた場所と、ぴたりと重なっていた。
*
視界に映る床の模様が、
まるで強い光を浴びたみたいに白くにじんだ。
ただ涙で歪んだだけなのに。
小さな声。
「セレナ、大丈夫。姉さんに任せて」
私はぴくり、としたけれど、まだ顔を上げられなかった。
姉の手がぎゅっと握られ――ふっと離れる。
思わず伸ばした指先が、宙を掴んだ。
椅子がすれ、衣擦れの音。
姉が立ち上がる気配。
「あら? 聖女様?
もしかして――あなたも何か?
ふふふ……妹さんは、何も言えないようですけど?」
ヴェルネの声に、姉の声が重なる。
「――セレナは、妹は、おまけなんかじゃないわ!」
その瞬間、胸の奥で――
ほんの、小さな灯りが、ふっと揺れた。
姉の声が震えている。
「セレナは……この子は……
誰よりも強く、絶対に曲がらず、決して折れない。
あなたの戯言なんかで折れるような子じゃない!」
――優しいなあ、姉さん。
私なんかを守ろうとしてくれてる。
姉さんは……やっぱり、姉さんだ。
姉の呼吸が、ひとつ震えた。
次に落ちた声は、決意で震えていた。
「……あなたの言う通り、私は失うことが怖いわ。
妹も、みんなも。大切な人をまた失うかもしれない。
そんな未来が、ずっと怖かった」
胸の奥で、小さく何かが動く。
「けれど、それでも――抗うの。
それが人の強さだから!」
(姉さんはすごいな。ちっとも折れてなんかない。
ほんとうにすごいよ……)
「あなたも同じ。
失うことが怖くて……だから魔に堕ちたのでしょう?」
ヴェルネが、くす、と嗤う。
姉の声には、弱さも強さも、全部あった。
けれど――。
「だからこそ、私は抗う。
ええ、あなたの言う通り、わたしは“強欲”なの。
セレナもエリアスもバルドも、フィーネも。王国のみんなも。
すべてを守る。
――この命に代えても!」
(――っ!)
最後の言葉を聞いた瞬間――
胸の内側だけが、ひどく静かになった。
姉の言葉はあたたかいのに、心は冷えていく。
(でもね、姉さん。
違うんだよ。わたしは……)
視界が揺れる。
膝の上、握りしめた白杖に、
ぽたり、ぽたりと雫が落ちる。
姉を失いたくない、一緒にいたい――
ずっとそれだけで戦ってきたけれど。
(わたしはね。
姉さんに――幸せになってほしいだけ。
ただ、それだけなんだよ……)
どれだけ雫が落ちても、胸の奥は空洞のまま。
さっき揺れた小さな灯りは――
もう、私のどこにも届かなかった。
***
気づけば、青炎の弾ける微かな音すら聞こえない。
かわりに――広間の空気を震わせる魔王の笑い声だけが届く。
「まあ……まあ! ほんとうに……素敵ですわ……!」
誰かの椅子の脚が、かすかに震えた。
「みなさま……なんて美しい心。
どれだけ傷つけても、踏みにじっても、折れないなんて――」
笑っているのに、泣き出しそうな声だった。
喜びだけで満たされているのに、冷たくて――どこか熱い。
「ええ……これで――わたくしからの贈り物。
最高の“プレゼント”になりますわぁ……」
「――プレゼントぉ!」
ヴェルネとメルヴィスの、楽しくて仕方のない――
そんな笑い声が、不気味に響く。
ぱちん、と指が鳴る音。
ぞわり……と背筋を冷たい影が撫でた。
空気が動き、部屋に入ってくる足音――侍女たちだ。
テーブルに、からん、と何かを置く硬い音。
誰も息を吸わない。
足音だけが遠ざかる。
***
「……これは、なんだ?」
「むう……!」
「……この果実は……!?」
「これを……どうしろと?」
みんなの声が、薄い紙を隔てたように響く。
周囲のざわめきが震えているのに、
私だけ、水の底にいるみたいだった。
「それが――わたくしから皆さまへの“プレゼント”」
少しだけ目を上げた。
銀の皿の上に、闇を切り取ったような黒い果実がひとつ。
「“ 魔果”、と言いますの」
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