23 / 30
あなたの正しい時間になりたい
退職
しおりを挟む月曜の朝、澪緒は鏡の前で少し迷ったが片耳だけにイヤーカフスを付ける。
自分で言うのもなんだけどやっぱり似合ってる。
「ぐふふふふふふふ。ありがと、理緋都」
浮かれまくった澪緒は柏木のメッセージアプリに朝から甘ったるいメッセージを送る。
ーー『おはよ!土曜はありがと♡会社だからイヤーカフス片耳だけに付けてく。なくしたわけじゃないからな』
休日の幸せな余韻を引きずったまま澪緒は上機嫌で出社する。
普段通り井上や三谷、制作室の面々に挨拶をして席に着く。PCを起動しメールチェック。
夏目から日曜にメールがきていた。ラベルと紙袋は無事完成してMINAXISへ発送完了とのこと。
超特急でやってもらったのが間に合ったようだ。もしかして24時間体制でやってもらったのかもしれない。感謝の気持ちを込めて返信を打つ。
次に全社員のスケジュールが入ったアプリを開く。
「え…」
澪緒は柏木のスケジュール欄を見て手が止まった。
MINAXISの新作発表会はもう数日後に迫っているのに。
澪緒はすぐ席を立ち息を切らせて営業の氷室のデスクに駆け寄った。
「柏木さんが長期休暇って、どういうことですか?新作発表会は1週間後なのに!」
「おはよ。予定表見ちゃった?」
「見ました。柏木さんに送ったメッセージも全然既読にならないし…部長何かご存知ですか」
「澪緒ちゃんがわからないこと、残念ながら俺もわからないんだなぁ。新作発表会には代わりに西脇が行くからさ。澪緒ちゃんなんとか当日頑張ってくれる?」
西脇を初め営業の面々も困惑気味の表情を浮かべていた。
「柏木さんから連絡は来たんですか…?」
「いやその…澪緒ちゃん、今日俺とランチしない?あ、怪しい誘いじゃないよ?少し話したくてさ。副島も一緒に。今日空いてる?」
「今すぐランチ行きましょう!」
「2時間前行動か。仕事ができる男は違うな」
「部長!」
澪緒の剣幕を見て氷室は瞳に悲しみを浮かべる。
「澁澤さん、今から打ち合わせできる?」
西脇が背後から話しかけてきた。
「それどころじゃないです!」
「拒否権ねぇよ!」
西脇は澪緒を連行するように外へ連れ出した。
外は台風一過で灼熱の太陽がアスファルトと澪緒の白い肌を突き刺さした。いつの間にか猛暑がきていた。
新作発表会に着ていくスーツをふたりでネットショップで見たのに。あの頃から休むつもりだったんだろうか。澪緒の心に不安と落胆が交互に走り抜ける。
会社近くのカフェに西脇と澪緒の2人で入る。
ここのカフェラテを柏木が買って来てくれたことを澪緒は思い出し泣きそうになる。
西脇が着席する。おしゃべりな男は単刀直入に澪緒に言い放った。
「柏木、辞めるって。今は有休消化中」
ここまで来る道すがら少し考えた可能性。
指先から体が冷える。体が絶対零度まで冷えていくようだった。
信じたくない結果に体が拒否反応を起こす。鳥肌が立ってきた。
「どうして」
ようやく発したいとことは震えていた。
「今朝突然社長からひーくん宛に電話がかかってきて、もうあいつは辞めるから、って」
「社長?有川社長ですか?」
意外すぎる名前が出て驚く。
「柏木って有川社長の縁故採用だったんですよ。ひーくんはせめてMINAXISの新作発表会が終わってから退職にしませんかって食い下がったんですけど、社長が俺にはどうもできないからって」
「どうにもできない…?」
「それくらい意思が堅いってことなのか他の事情があるのか。こんなこと初めてでみんな驚いてる。柏木は滅茶苦茶優秀だったから幹部候補生だったらしいけどね、ひーくんと副島部長の中で。でもまぁ、社長がいうならしょうがないし、社長の縁故ならその後の柏木の話も入ってくと思いますよ」
大声で泣き崩れたいのを我慢した。
下を向くとクロップド丈のチノパンが目についた。
このパンツで銀葉町のギャラリーで柏木と一緒にLustreのポスターを見たことを思い出すとさらに涙が出た。
「柏木さんは」
なんとか喉の奥から声を絞り出す。
「柏木さんは、最初から辞めるつもりだったんでしょうか」
「今は転職ありきの世ですからね。柏木さんの人間的な大きさとこの会社の規模がフィットしてなかったんじゃないですか?そんな感じしません?」
澪緒の隣をサラリーマンの集団が通り過ぎる。ふわっと香ってきたウッド系の香水。
その香りで澪緒は思い出す。
銀葉公園で民法をまくしたてられた日。
柏木からふわっと香ってきたウッド系の香水。その香りで思ったじゃないか。
柏木のようなハイスペックな男がどうして、有川デザインオフィスみたいな中堅企業に転職してきたんだろう。柏木理緋都という人間のサイズ感とは到底釣り合わない。と。
自分でもそう思ったのに、一緒に困難に立ち向かっていくうちに本当のバディのように錯覚していた。
「そう、ですよね。新作発表会のラベルなんて作るレベルじゃないですよね。なんならMINAXIS側ですよね、柏木さん」
「同感。なんでウチに転職してきたんでしょうね?聞いたことありません?」
「そういえば聞いたことないです。思ったことはあるけど」
「すごい勉強熱心でしたよね?」
「ですね。銀葉町のギャラリーも一緒に行きました」
「ホントですか?俺も何度か柏木さんが残業してたのに遭遇しましたよ。退職しないように結構親切に教えたんだけどなぁー!!ダメだったなー!あーくそ!俺のバカ!知り合いのCAさんに柏木さんの写真見せたらCAさんのから合コンしましょって誘われたのにー!せっかくの千載一遇のチャンスがぁぁ!てかアイツ広告代理店でも始める気なのかもなぁ?」
「ふふっ。競合」
「勝てる気がしない」
西脇と柏木の思い出話をすることでなんとか澪緒の涙心が落ち着き30分ほどで店を出る。
この店は数回だけど柏木と澪緒のランチで使ったこともある。思わず柏木がいないか周囲を見渡す。
車道の向こう側の歩道を歩く長身の男性がいる。
「理緋都!」
ガードレールから身を乗り出して大声で叫ぶ。
「理緋都!理緋都!」
「澁澤さん、人違いですよ!てか死んじゃう!ウチから柏木さんと澁澤さん両方いなくなったら会社動かないですよー。飛び出し、ダメ!」
自分はあとどれくらい、柏木の幻を見て過ごすのだろう。
「辛いです」
アスファルトにしゃがみ込んで顔を両手で包む。
おしゃべりなはずの西脇は無言で澪緒の肩を起こして抱きしめ、人目も気にせず会社までの道を歩いた。
10
あなたにおすすめの小説
ワケありくんの愛され転生
鬼塚ベジータ
BL
彼は”勇敢な魂"として、彼が望むままに男同士の恋愛が当たり前の世界に転生させてもらえることになった。しかし彼が宿った体は、婚活をバリバリにしていた平凡なベータの伯爵家の次男。さらにお見合いの直前に転生してしまい、やけに顔のいい執事に連れられて3人の男(イケメン)と顔合わせをさせられた。見合いは辞退してイケメン同士の恋愛を拝もうと思っていたのだが、なぜかそれが上手くいかず……。
アルファ4人とオメガ1人に愛される、かなり変わった世界から来た彼のお話。
※オメガバース設定です。
リスタート 〜嫌いな隣人に構われています〜
黒崎サトウ
BL
男子大学生の高梨千秋が引っ越したアパートの隣人は、生涯許さないと決めた男であり、中学の頃少しだけ付き合っていた先輩、柳瀬英司だった。
だが、一度鉢合わせても英司は千秋と気づかない。それを千秋は少し複雑にも思ったが、これ好都合と英司から離れるため引越しを決意する。
しかしそんな時、急に英司が家に訪問してきて──?
年上執着×年下強気
二人の因縁の恋が、再始動する。
*アルファポリス初投稿ですが、よろしくお願いします。
【完結】執着系幼馴染みが、大好きな彼を手に入れるために叶えたい6つの願い事。
髙槻 壬黎
BL
ヤンデレ執着攻め×鈍感強気受け
ユハン・イーグラントには、幼い頃から共に過ごしてきた幼馴染みがいる。それは、天使のような美貌を持つミカイル・アイフォスターという男。
彼は公爵家の嫡男として、いつも穏やかな微笑みを浮かべ、凛とした立ち振舞いをしているが、ユハンの前では違う。というのも、ミカイルは実のところ我が儘で、傲慢な一面を併せ持ち、さらには時々様子がおかしくなって頬を赤らめたり、ユハンの行動を制限してこようとするときがあるのだ。
けれども、ユハンにとってミカイルは大切な友達。
だから彼のことを憎らしく思うときがあっても、なんだかんだこれまで許してきた。
だというのに、どうやらミカイルの気持ちはユハンとは違うようで‥‥‥‥?
そんな中、偶然出会った第二王子や、学園の生徒達を巻き込んで、ミカイルの想いは暴走していく────
※旧題「執着系幼馴染みの、絶対に叶えたい6つの願い事。」
神様は僕に笑ってくれない
一片澪
BL
――高宮 恭一は手料理が食べられない。
それは、幸せだった頃の記憶と直結するからだ。
過去のトラウマから地元を切り捨て、一人で暮らしていた恭一はある日体調を崩し道端でしゃがみ込んだ所を喫茶店のオーナー李壱に助けられる。
その事をきっかけに二人は知り合い、李壱の持つ独特の空気感に恭一はゆっくりと自覚無く惹かれ優しく癒されていく。
初期愛情度は見せていないだけで攻め→→→(←?)受けです。
※元外資系エリート現喫茶店オーナーの口調だけオネェ攻め×過去のトラウマから手料理が食べられなくなったちょっと卑屈な受けの恋から愛になるお話。
※最初だけシリアスぶっていますが必ずハッピーエンドになります。
※基本的に穏やかな流れでゆっくりと進む平和なお話です。
課長、甘やかさないでください!
鬼塚ベジータ
BL
地方支社に異動してきたのは、元日本代表のプロバレー選手・染谷拓海。だが彼は人を寄せつけず、無愛想で攻撃的な態度をとって孤立していた。
そんな染谷を受け入れたのは、穏やかで面倒見のいい課長・真木千歳だった。
15歳差の不器用なふたりが、職場という日常のなかで少しずつ育んでいく、臆病で真っ直ぐな大人の恋の物語。
【完結】ホットココアと笑顔と……異世界転移?
甘塩ます☆
BL
裏社会で生きている本条翠の安らげる場所は路地裏の喫茶店、そこのホットココアと店主の笑顔だった。
だが店主には裏の顔が有り、実は異世界の元魔王だった。
魔王を追いかけて来た勇者に巻き込まれる形で異世界へと飛ばされてしまった翠は魔王と一緒に暮らすことになる。
みたいな話し。
孤独な魔王×孤独な人間
サブCPに人間の王×吸血鬼の従者
11/18.完結しました。
今後、番外編等考えてみようと思います。
こんな話が読みたい等有りましたら参考までに教えて頂けると嬉しいです(*´ω`*)
恋は突然に愛は永遠に 【若当主アルファ×訳ありオメガ】 ~ツンデレ同士の両片思いは、実るんですか?~
大波小波
BL
花菱 拓真(はなびし たくま)は、名門・花菱家の若き当主だ。
たとえ国家が転覆しても、この一族だけは滅びることは無い、と噂されるほどの名門、花菱家。
早くに両親を亡くした拓真は、その財と権力を誇っていた。
そのうえ彼は、稀有な美貌と品格を備えた男性だ。
黄金比で整った、彫りの深い端正な面立ち。
緩くウェーブのかかった、ダークブラウンの髪。
180cm越えの長身は、鍛え抜かれた筋肉で引き締まっている。
そして、ヒトという種で王者たる、アルファのオーラを身に纏っていた。
そんな拓真は、28歳のバースディ・パーティーの帰りに、月島 琉果(つきしま るか)と出会う。
彼の乗った高級車の前に、ふらりと現れた少年。
それが、琉果だった。
轢いたわけではないが、意識のない彼を、拓真は車に同乗させる。
そこで、琉果の美しさに改めて息を飲んだ。
綺麗な顔立ちに、きめ細やかな肌。
栗色の髪に、淡い珊瑚の唇。
何より、深い琥珀色の瞳に、拓真は心を射抜かれていた。
拓真は琉果を、屋敷へと連れて帰った。
美しいオメガの彼を、そこに囲うハーレムの一員にするつもりだったのだ。
しかし気の強い琉果は、拓真に好意を感じながらも真っ向から反発する。
拓真もまた、琉果に惹かれながらも反抗的な彼に激怒する。
こんな二人の間に、果たして恋は芽生えるのか。
そして、愛に育つのか……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる