【完結】あなたの正しい時間になりたい〜上司に囚われた俺が本当の時間を見つけるまで〜

栄多

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あなたの正しい時間になりたい

会いたい

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「やはりあいつに遊ばれたな」
副島は待ち構えたように澪緒に言い放った。
「それを言うためだけに呼んだならもうデスクに戻ります」
「待て、澪緒」
きびすを返し副島の個室を出て行こうとする澪緒の体を副島が背後から抱きしめる。

「最後通告だ。俺のところに戻れ。永川町でのことは何も問わない」
「俺も最後通告です。申し訳ないですが副島さんの元には戻りません。この先も、ずっと」
澪緒は副島に背を向けたまま言う。

「柏木のことは忘れろ。もう少し気骨のある男だと思ったが…ダメだったな。腹を割って話さなくてよかった」
「柏木さんをけなすようなことは言わないでください。あなたに失望したくない」
「アイツは二度と戻らないぞ」
「探します」
「探す?どこを」
口から出まかせだったが澪緒は以前休日に柏木の家に泊まったことを思い出す。
そうだ。直接家に行けばいい。直接行って話をして、もしフラれたらその時は諦める。
何もしないで悶々としてるなんて嫌だ。
自分の人生にあれだけの嵐を巻き起こした人とこのまま別れるなんてできない。
澪緒はくるりと振り返る。
「午後、有給休暇いただきます。柏木さんの家へ行きます」
「柏木の家に行ったことがあるのか?」
「泊まりました」
「それが原因か?お前は料理できないだろう」
「そうですね。副島さんの奥さんに比べたら口が裂けても料理が得意なんて言えません。だから簡単に前菜はオレンジとキウイと生ハムのサラダ作りました。パルミジャーノ・レッジャーノがあったからバターと一緒にアスパラガスにふりかけてオーブンで焼いて仕上げのトッピングは刻んだナッツとパセリ。メインは牡蠣のクリームパスタ。隠し味の柚子胡椒がピリッとアクセントになって美味しかったです。新作発表会用の白ワインを2人で試飲するからおつまみ用にれんこんとナッツのきんぴらも」
「……」
「休みの日に柏木さんの家でお家デートしたんです。ちょっと作りすぎたかなって思ったけど、柏木さん俺の料理美味しいって言って完食してくれました」

澪緒の体が解放された。
振り向くと副島は澪緒が今まで見たこともないほど落胆した表情を浮べていた。

「ごめんなさい、副島さん。堂々と愛し合える喜びを知ったら、もう不貞行為なんかできません。じゃあ、失礼します」


 澪緒はデスクに戻り井上たち制作室の面々に午後休を取る旨を伝える。
「お、おう。ずっと忙しかったからな。ゆっくり休め」
「ありがとうございます」
西脇と泣いて帰ってきた上すぐ副島の個室に呼ばれたメンタルボロボロな自分のせいで制作室の空気が張り詰めている気がしていたたまれない。澪緒はリュックを背負い全員に挨拶して足早にフロアを出る。

「澁澤さん!」
エレベーターのボタンを押して間もなくすると背後から三谷に呼び止められる。
振り返って頭を下げる。
「ごめんね、変な空気にしちゃって。午後は休むから」
「何言ってるんですか、全然ですよ…!みんな澁澤さんのことめっちゃ心配してます!バディがいなくなっちゃって寂しいですよね…」
「バディだと思ってるのは俺だけかもだけど」
「そんなことないです!絶ッ対!」
三谷は信念を持って言い切る。声がデカい。
「お、おう。ありがとう」
「そのイヤーカフス、柏木さんからのプレゼントですよね?私たちの給料で一人暮らししてたらゼッタイ手が届かない」
「ぶっ!まぁ…そうだけど…これはただのお礼ってゆうか」
「ダイヤモンドの石の意味は永遠の絆、変わらぬ愛、ですよ!」
「…偶然、かも」
「そうですね。ちょっと私の願望かも。でもこれは違います!」
三谷は手にしていたものを差し出す。
受け取って見るとそれはドリンクチケット。さっき西脇と入ったカフェのものだ。
「柏木さんの机の上にあったカフェラテのドリンクチケットです。10枚綴りが3枚で30杯分。使ったのは1枚だけ。柏木さんコーヒー派だからこれ澁澤さんのために買ったんじゃないかと思います」
「え…」
以前、急いでワインラベルを作った時に澪緒が言わずともカフェラテを買ってきてくれたことを思い出す。
「しかもチケットの発行日が7月末。ついこないだじゃないですか。辞めようとしてた人がこんなに買わないですよね?30杯ってちょっと引くわ。私…やっぱり柏木さん、辞めるつもりなかったんじゃないかなって思うんです。いつかは辞めるとしても今すぐじゃなかった。でも何か事情があって急に辞めざるを得なかった」
「……」
「だから柏木さんの愛は信じていいと思います」
「いやいや、俺らは愛し合ってるわけじゃ」
「そこは愛し合ってる設定でお願いします!!私、応援してますから!!このチケットもわざと置いていったんですよきっと。澁澤さん使っちゃってOKです!じゃ、私勤務中なんで!」
なぜか三谷は最敬礼してから去っていった。


 こんな気持ちで柏木の家まで行く電車に乗るとは思わなかった。
澪緒は車窓を流れる景色を見て乱高下する気持ちを紛らわせた。
柏木に迷惑がられるだろうか。
家にいなければ夜まで待とう。どうしても今日、会いたい。辞めた理由を聞きたい。

最寄り駅を下車するとカンカン照りの太陽が真上にあった。
整備されてる駅ビルにはイタリアンレストランやアロマの店が並ぶ。その間をすり抜けて住宅街へと足を運ぶ。
歩いても汗はかくが緊張で手足が冷たくて変な感じだった。
古い住宅地を進んでいよいよ柏木のマンションが見えてきた。動悸が早くなっていく。
一度立ち止まってポケットからスマホを取り出す。
わずかに震える指で柏木の電話番号をタップし電話をかける。
数コール鳴ったところで一瞬コール音が止み、柏木が電話に出てくれたと思った澪緒は「理緋都!」と叫ぶが途中で無常にも「お客さまのおかけになった電話番号は…」と留守番電話の音声が流れる。

いよいよマンションの前に立つ。
鉄筋コンクリートの10階建て。ここの602号室。
エレベーターは心の準備が整わない澪緒をどんどん上の階へ連れて行く。
外廊下を歩いて602号室のドアの前に立つとわずかだが人の気配を感じる。
理緋都!
理緋都!
嫌わられてもいい。会いたい。一目でいいから。
ダイヤモンドは永遠の絆、変わらぬ愛。
震える指でチャイムを鳴らす。

『…はぁい』
しかしインターフォンから聞こえてきた声は女性のものだった。
心臓がキュッと縮み上がる。
彼女。
いや、へこたれるな。柏木レベルの男、彼女の1人や2人いて当然だ。
そう思って勇気を振り絞る。
「あの…ここ柏木さんのご自宅ですよね?柏木理緋都さんいらっしゃいますか?」
しばらくすると鍵が開く音がして、ドアの隙間から前髪ぱっつん、ロングヘアの髪を青に染めて唇にピアスをした女性が姿を現した。リップとネイルはボルドー、オフショルの超ミニワンピース。
てっきりロングヘアVネックTシャツコンサバ系女性が出てくると予想していた澪緒は意表をつかれて部屋を間違えたかと思う。
ドアの部屋番号を見る。明朝体のフォントで『602号室』。合ってる。
「あの、突然すみません。俺、澁澤澪緒と申します。はじめまして。柏木さんの会社の同僚です」
「ここ、ウィークリーマンション」

女性の言う言葉の意味を、とっさには理解できなかった。
「ウィークリー…?」
「マンション。全室ウィークリーマンション。私、先週金曜からここ使ってるから前の人?なんじゃないですかね?」
「…うそ…」
「ホント。これチラシ」
女性はドアの隙間から、シューズボックスの上にあった紙を澪緒に渡す。そのA4のチラシにはこのマンションの外観の写真と、マゼンタ100%+イエロー100%の赤の太字のフォントで、今なら3000円OFF!/1日、キャンペーン中!の文字、全室バストイレ別、WiFi使い放題、etc.

「彼女さん…ではなく?」
「違う違う。そっから部屋の中見ます?」
澪緒はお辞儀をしてドアの隙間に顔を近づけて部屋を覗く。
記憶にあるのと同じ廊下、一人暮らし用には珍しく広めのキッチンと中型の冷蔵庫、その先のリビング。
しかし当然ながらワインの入った段ボールはないし、柏木本人もいない。

男性だが自分に性的な目を向けてこない可愛らしい澪緒に女性は警戒心を解き、続ける。
「お兄さん私に興味なさそうだから部屋入っていいですよ」
「いいんですか?ごめんなさい、失礼します」
澪緒は図々しいと思ったが親切に甘えることにした。
部屋に広がるのは女性のものと思わしき大きなキャリーバッグ、甘い香り、ダイニングテーブルの上に広がるメイク用品、コンビニのアイスコーヒー。
家具、テレビ、ベッドは記憶にあるものと全く同じなのに柏木の痕跡など一切ない部屋に澪緒は崩れ落ちる。

「ここで料理して…このダイニングテーブルで遅めのランチ、食べたんです。理緋都と」
「んー、部屋にクリーニング入ってるから、特に何も残ってなかった」
女性がベランダに出て煙草に着火する。

「そこで…理緋都も煙草吸ってました」
「ああ、ここ禁煙だから。ソイツも注意書き読んでここで吸ったんじゃね?」
窓からはあの日の晴天と同じ、抜けるような青空。
ベランダで彫像のように煙草を吸っていた柏木の姿を脳内で合成する。
深く吸って、吐く。風で揺れるセットしてない前髪。
かっこよかった。とても。

「…遊ばれた上に騙されたかな。ハハ」

ここは、柏木の部屋じやない。
澪緒はようやく現実を受け入れる。

この時間がラッピングにされて永遠にそのままであればいいと思ったのに。
そう思っていたのは自分だけだった。

「…男?」
「はい」
女性は上を見てしばらく考え、ゆっくり煙を吐いた。
「既婚者なんじゃね?ソイツ。不倫狙い。独身装ってたとか」
「ウッ…多分、ないです。入社初日に部長が柏木くん28歳、独身、早い者勝ち!って言ってたから」
「じゃあ、見栄」
「ここよりいいとこ住める給料もらってるはず」
「身分偽装!」
「社長の縁故採用だから身元はしっかりしてるはずです」
「企業スパイ!」
「お恥ずかしいんですが、スパイされるような仕事内容でも取引金額でもありません」
「犯罪者集団!」
「否定したいけど今おっしゃった中ではそれが一番可能性アリです」
「ハハハハハ」
女性の高笑いは少し澪緒の悲しみを慰めた。

「お姉さん、ありがとうございました。お礼に、頂き物で申し訳ないんですけどカフェラテのチケット」
「えー、ありがとう!嬉しい!」
澪緒はリュックをあさり先ほど三谷から受け取ったコーヒーチケットの10枚綴りを女性に渡そうとした。しかし10枚綴りが一気になくなるとその分だけ柏木との縁がなくなる気がして慌てて5枚だけ切って女性に渡し、部屋を出る。

あの日は2人並んで駅まで歩いたのに。伊勢海老の味噌汁、電車で匂わね?とか笑い合って駅までの道を歩いたのに。

マンションに柏木はいなかった。
いないどころか、そもそも住んでいなかった。
朝送ったメッセージはいまだ既読にならない。
柏木は澪緒の記憶に残るのを拒否するように、こつぜんと姿を消した。

会いたい。
もう柏木に愛されてなくてもかまわない。
会いたい。
企業スパイでもいい。犯罪者でもいい。

会いたい。こんなに会いたかったのに。

柏木は、いなかった。
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