【完結】あなたの正しい時間になりたい〜上司に囚われた俺が本当の時間を見つけるまで〜

栄多

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あなたの正しい時間になりたい

退職

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 月曜の朝、澪緒は鏡の前で少し迷ったが片耳だけにイヤーカフスを付ける。
自分で言うのもなんだけどやっぱり似合ってる。
「ぐふふふふふふふ。ありがと、理緋都」
浮かれまくった澪緒は柏木のメッセージアプリに朝から甘ったるいメッセージを送る。
ーー『おはよ!土曜はありがと♡会社だからイヤーカフス片耳だけに付けてく。なくしたわけじゃないからな』
休日の幸せな余韻を引きずったまま澪緒は上機嫌で出社する。

普段通り井上や三谷、制作室の面々に挨拶をして席に着く。PCを起動しメールチェック。
夏目から日曜にメールがきていた。ラベルと紙袋は無事完成してMINAXISへ発送完了とのこと。
超特急でやってもらったのが間に合ったようだ。もしかして24時間体制でやってもらったのかもしれない。感謝の気持ちを込めて返信を打つ。
次に全社員のスケジュールが入ったアプリを開く。
「え…」
澪緒は柏木のスケジュール欄を見て手が止まった。

MINAXISの新作発表会はもう数日後に迫っているのに。
澪緒はすぐ席を立ち息を切らせて営業の氷室のデスクに駆け寄った。

「柏木さんが長期休暇って、どういうことですか?新作発表会は1週間後なのに!」
「おはよ。予定表見ちゃった?」
「見ました。柏木さんに送ったメッセージも全然既読にならないし…部長何かご存知ですか」
「澪緒ちゃんがわからないこと、残念ながら俺もわからないんだなぁ。新作発表会には代わりに西脇が行くからさ。澪緒ちゃんなんとか当日頑張ってくれる?」
西脇を初め営業の面々も困惑気味の表情を浮かべていた。
「柏木さんから連絡は来たんですか…?」
「いやその…澪緒ちゃん、今日俺とランチしない?あ、怪しい誘いじゃないよ?少し話したくてさ。副島も一緒に。今日空いてる?」
「今すぐランチ行きましょう!」
「2時間前行動か。仕事ができる男は違うな」
「部長!」
澪緒の剣幕を見て氷室は瞳に悲しみを浮かべる。
「澁澤さん、今から打ち合わせできる?」
西脇が背後から話しかけてきた。
「それどころじゃないです!」
「拒否権ねぇよ!」
西脇は澪緒を連行するように外へ連れ出した。


 外は台風一過で灼熱の太陽がアスファルトと澪緒の白い肌を突き刺さした。いつの間にか猛暑がきていた。
新作発表会に着ていくスーツをふたりでネットショップで見たのに。あの頃から休むつもりだったんだろうか。澪緒の心に不安と落胆が交互に走り抜ける。
会社近くのカフェに西脇と澪緒の2人で入る。
ここのカフェラテを柏木が買って来てくれたことを澪緒は思い出し泣きそうになる。
西脇が着席する。おしゃべりな男は単刀直入に澪緒に言い放った。

「柏木、辞めるって。今は有休消化中」
ここまで来る道すがら少し考えた可能性。
指先から体が冷える。体が絶対零度まで冷えていくようだった。
信じたくない結果に体が拒否反応を起こす。鳥肌が立ってきた。
「どうして」
ようやく発したいとことは震えていた。
「今朝突然社長からひーくん宛に電話がかかってきて、もうあいつは辞めるから、って」
「社長?有川社長ですか?」
意外すぎる名前が出て驚く。
「柏木って有川社長の縁故採用だったんですよ。ひーくんはせめてMINAXISの新作発表会が終わってから退職にしませんかって食い下がったんですけど、社長が俺にはどうもできないからって」
「どうにもできない…?」
「それくらい意思が堅いってことなのか他の事情があるのか。こんなこと初めてでみんな驚いてる。柏木は滅茶苦茶優秀だったから幹部候補生だったらしいけどね、ひーくんと副島部長の中で。でもまぁ、社長がいうならしょうがないし、社長の縁故ならその後の柏木の話も入ってくと思いますよ」
大声で泣き崩れたいのを我慢した。
下を向くとクロップド丈のチノパンが目についた。
このパンツで銀葉町のギャラリーで柏木と一緒にLustreラスターのポスターを見たことを思い出すとさらに涙が出た。

「柏木さんは」
なんとか喉の奥から声を絞り出す。
「柏木さんは、最初から辞めるつもりだったんでしょうか」
「今は転職ありきの世ですからね。柏木さんの人間的な大きさとこの会社の規模がフィットしてなかったんじゃないですか?そんな感じしません?」
澪緒の隣をサラリーマンの集団が通り過ぎる。ふわっと香ってきたウッド系の香水。
その香りで澪緒は思い出す。
銀葉公園で民法をまくしたてられた日。
柏木からふわっと香ってきたウッド系の香水。その香りで思ったじゃないか。
柏木のようなハイスペックな男がどうして、有川デザインオフィスみたいな中堅企業に転職してきたんだろう。柏木理緋都という人間のサイズ感とは到底釣り合わない。と。
自分でもそう思ったのに、一緒に困難に立ち向かっていくうちに本当のバディのように錯覚していた。

「そう、ですよね。新作発表会のラベルなんて作るレベルじゃないですよね。なんならMINAXIS側ですよね、柏木さん」
「同感。なんでウチに転職してきたんでしょうね?聞いたことありません?」
「そういえば聞いたことないです。思ったことはあるけど」
「すごい勉強熱心でしたよね?」
「ですね。銀葉町のギャラリーも一緒に行きました」
「ホントですか?俺も何度か柏木さんが残業してたのに遭遇しましたよ。退職しないように結構親切に教えたんだけどなぁー!!ダメだったなー!あーくそ!俺のバカ!知り合いのCAさんに柏木さんの写真見せたらCAさんのから合コンしましょって誘われたのにー!せっかくの千載一遇のチャンスがぁぁ!てかアイツ広告代理店でも始める気なのかもなぁ?」
「ふふっ。競合」
「勝てる気がしない」

西脇と柏木の思い出話をすることでなんとか澪緒の涙心が落ち着き30分ほどで店を出る。
この店は数回だけど柏木と澪緒のランチで使ったこともある。思わず柏木がいないか周囲を見渡す。
車道の向こう側の歩道を歩く長身の男性がいる。
「理緋都!」
ガードレールから身を乗り出して大声で叫ぶ。
「理緋都!理緋都!」
「澁澤さん、人違いですよ!てか死んじゃう!ウチから柏木さんと澁澤さん両方いなくなったら会社動かないですよー。飛び出し、ダメ!」

自分はあとどれくらい、柏木の幻を見て過ごすのだろう。

「辛いです」
アスファルトにしゃがみ込んで顔を両手で包む。
おしゃべりなはずの西脇は無言で澪緒の肩を起こして抱きしめ、人目も気にせず会社までの道を歩いた。
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